軍人。

それは、珍しいものでも無い。自衛隊だって、国が軍隊と認めていないだけで、軍隊であり、自衛官も軍人に違いは無い――――はずなのだ。

 軍人と自衛官は、違いは無くとも、明らかに違うものだった。

 自衛隊は、明らかに法律や憲法、公衆のマナーなどを知っている。道徳の勉強をしてから、将来の選択肢の一つに、それがあるからだ。

 しかし、生まれながらに軍人として教育されてきたのだとしたら――――――

 きっと、スリリングな生活に決まっている。

                         隆信の日記 冒頭より抜粋

 

 

 

 銃と筆と爆弾と

 

 

 

 森繁 隆信は、駅の前に立っていた。

 赤レンガが敷き詰められたロータリーと、待ち合わせに使われる事が多いのであろう、時計がついた噴水のある広場、そして、ところどころに安らぎを与えるような、花壇。

 「真珠駅」の前で、隆信は肩に背負っていた重い荷物を降ろし、真っ直ぐ背筋を伸ばした。長く座っていたせいで、骨が軋む。

 赤みを帯びた短髪に、そこそこ整った顔立ち、そこら辺に居る好青年と称される男の一重の眼が、爛々と輝く。

隆信は、大きく息をすって吐き、呟いた。

「帰って、来たんだ」

 そう言って、自分の故郷、「真珠町」を見渡した。

 駅前には、真っ直ぐと伸びる長い道に、商店街が展開されている。新しくはなったものの、並んでいる店はどれも覚えのあるものだった。

 周りを一通り見渡した後、隆信は呟いた。

「とはいえ、小学校以来だからな。さて、家に向かうか」

 彼は今、高校一年生だ。

夏休み前、正確には、梅雨明けした直後に、突然両親が外国に行く、と言い出し、勝手に行ってしまい、どうせなら、という事で思い出深い真珠町に在る進学校、『龍桐高等学校』へ編入したのだ。

もともと、勉強のできる隆信にとっては、難しいものでもなかったが、それだけの理由で戻ってきたのは、自分でも不思議だと思う。

 それで、生まれ育ったアパート―――これまた、改装してずいぶんと綺麗だった――――に、今日引越しする事になっていた。

 馬鹿でかいボストンバッグを肩に背負い、隆信は自分の家であるアパートを目指し、歩き出そうとする。

 まさに、その時だった。

「きゃああぁっ!」

 人の叫び声が、隆信の背中から聞こえた。

驚いて振り返ると、どうやら引ったくりらしく、若い女性がそこに倒れ、サングラスをかけ、深く帽子を被ったマスクの男がこちらに走ってくるところだった。

しかも、ひったくったと思われる右手の鞄のほかに、彼は左手で、ナイフを持っていた。

 男の走る先には、隆信が一人。

(え?)

 喧嘩は余り得意ではない隆信に、それを倒す事も、抑える事も不可能だ。

しかも、あまりの事に、狭い入り口を大きな荷物を持って、隆信が塞いでいる。逃げる、と思った瞬間、心の中で正義心が叫び、それすら遮った。

 男と眼が合った瞬間、バッ、という音と共に、隆信の体が真後ろに引っ張られた。

尻餅をついたと同時に、隆信の前に何かが舞い降りた。

長い布をひるがえし、男の前、隆信と男の間に躍り出たそれは、間違いなく、女子だった。

 自分のスカートの下に、手を突っ込む。その両手が、引き抜かれた後、反射的に、眼を遮ろうとした隆信の目に飛び込んできたのは。

 

――――――銃。

 

 次の瞬間、軽い破裂音が、耳に鳴り響いた。

 打ち出された黒い物体は、外れる事も無く男の身体に吸い込まれ、男が吹飛ぶ。

それがゴム弾だと言う事に、気がつくのに二十秒、動けるようになるには、一分、かかってしまった。

 

「大丈夫でありますか?」

 

 凛とした声。

隆信の目の前に飛び込んで来た女の子が声をかけてくるまで、隆信の思考は止まっていた。差し出された手を見た後、初めて、彼女の顔を見ることが出来た。

 きりっとした眉に、整った顔立ち、肩までで切り揃えた短髪の、ボーイッシュな雰囲気を与える彼女は、全く表情を変えずに、告げた。

「荷物を踏み台にしてしまい、申し訳ないであります。怪我は、ありませんでしょうか?」

 そういわれ、自分が尻餅をついていることに改めて気がついた隆信は、恥ずかしそうに頬を掻きながらも慌てて立ち上がり、頷く。

 大仰に息を吐くと、答えた。

「あぁ、うん。ありがとう。え、ええと、怪我は、無い、かな」

「そうでありますか。良かったであります」

 そういうと、彼女はその場で直立不動の姿勢を取り、敬礼をして、歩き出してしまう。その背中を見送りながら、隆信はもう一度、駅構内を見渡した。

 彼女は確かに、銃を乱射した。

それを証明するように、あの男はまだ、駅のベンチに横になって、白眼を向いたまま、泡を噴いて倒れている。しかし、他の人間はいたって普通――――日常的な雰囲気すら、感じた。

 茫然としていると、駅員に声を掛けられた。

「あ、君、始めてみるのかい? 彼女は商店街の用心棒―――――もとい、傭兵でね。さっきみたいな輩を成敗してくれるんだ。ま、犬に噛まれたものだと思って、気にしないほうが良いよ」

 そう言って、駅員は歩いていってしまう。その後姿を見送りながら、隆信は、小さく呻く。

「なんだったんだ?」

 これが、波乱の幕開けだとは、この時の隆信に知るよしもなかった。

 

 

 

 昔懐かしい道を歩く。

 感慨深い、見慣れた道路。ところどころ、新しい建物が建っていたりもしたが、その大部分に変わりは無い。

(………懐かしいな。良く、親友の憲次や幼馴染の鈴音と歩いたっけな)

 小学校六年の、ある日の朝まで、ずっと友達と歩いていた、町並み。

 別れるのが辛く、引越しの朝までいえなかった別れ、あれからもう、三年の月日が流れていた。引越し先が違う地方だったのもあって、全く戻ってくる事もなかった場所である。

 仲が良かった二人は今、何をしているんだろうか、そう思っていた時だった。

その声が、聞き覚えのある声が掛けられたのは。

「あ、あれ? ………隆信くん?」

 その声に、隆信は驚いて、振り返った。

 その先にいたのは、長い髪と端整な顔立ち、どこか自信の無さそうな双眸を持つ、物静かな女性。

そのどこかに、見覚えと懐かしさを感じ――――――瞬時に、気がついた。

「も、もしかして、鈴音、か?」

「あ、やっぱり、隆信くんだ!」

 パッと顔をほころばせ、彼女―――――鈴音は、嬉しそうに笑い、歓喜の声をあげた。

「うわぁ、隆信君! 久し振りだね! ずっと連絡もくれないから、忘れちゃったのかな、って思ってたよ」

 鈴音の言葉に、隆信は笑顔で頷いた。

「忘れるわけ無いだろ、馬鹿。ま、会えるとは思えなかった」

 級友である鈴音をじっくり見て、しみじみと頷く。

「引っ込み思案で泣き虫、しかもいじめられっこだった鈴音がこれだけの上玉に育っててくれれば、俺としては満足だ」

「………え?」

 隆信の視線が、自分の胸元に向けられているのを見て、顔を真っ赤にして、一歩後ろにさがった。

胸を手で押さえ、顔を真っ赤にしている鈴音を見ながら、隆信は満足そうに頷く。

「昔の町に戻ってきて、幼馴染と再会――――まぁ、王道といえば王道だな」

「うぅ・・・・、隆信君が、スケベになってる・・・」

 呻く鈴音に再度―――というより、ようやく真剣に顔を向け、相好を崩して告げた。

「どちらにしろ、すぐにお互いわかったんだ。それほど変わっていないっていうのは、寂しいような、嬉しい」

 どっちだ、というツッコミを受けそうだが、鈴音はそういうタイプの人間ではない。隆信の言葉を聞いて、鈴音はどこか、くすぐったそうに顔を歪めると、頬を掻く。

 隆信と鈴音は、二人同時に歩き出す。その光景に、鈴音は何か気恥ずかしさを感じていたのだろう、真っ赤になっていた。

 それらを隠すように、隆信へ笑顔を向けると、口を開いた。

「でも、どうして戻ってきたの?」

 鈴音の言葉に、隆信はしばらく考えた後、答えた。

「実は、人を殺して、ここに逃げ込んできたんだ。だから、匿って欲しい」

「えっ!?

 軽く悲鳴をあげる彼女に笑いを堪えながら、隆信は首を振って、続けた。

「嘘だっての。………実は、親が海外に引っ越したんで、どうせなら、って事でここに引っ越してきたんだ。ほら、俺の住んでいたアパートが残っているだろ?」

「あ、あそこにッ!?

 嬉しいような、それでもどこか、怯えたような驚きの声――――嬉しい印象を受けた隆信は、苦笑したまま、答えた。

「一人暮らしだけど、な。んで、今日引越しだから、今から向かうんだ」

「………うう、どうしよう」

 そこで、ようやく鈴音の感情に怯えが在る事に気がついた。それを、聞くよりも早く鈴音が話題を変える。

「やっぱり、『龍桐高等学校』に編入するの?」

「おう」

 隆信の言葉に、鈴音の顔が綻んだ。その反応を見る限り、彼女も同じ学校のようだ。

「同じクラスだと良いけど、転校生の話は聞いていないし、どっちにしても、同じクラスじゃなくて良かったかも」

 鈴音の呟きを聞いていた隆信は、意外な言葉に眉を潜めた。

「なんだ、お前は俺が嫌いなのか? ふむ。嫌われるような事をして別れたつもりも無いんだが」

 隆信の言葉に、鈴音が慌てて首を振り、それでも煮え切らない態度で、唸る。

「そういう意味じゃ無い――――――無いけど、でも、アパート………」

「?」

 煮え切らない、どこか悲しげな、不安げな顔で、ずっと黙っていた。

 しかし、それもすぐに無くなり、他愛も無い話が続く。

道すがら、二人の近況や今までの話をしていると、やはり鈴音が鈴音だと、理解する。今の女子とは少し趣が違うが、彼女は彼女の良いところを伸ばしていた。

 歩けば、目的の場所に着くわけで。

「着いたな」

「………うぅ」

 ボストンバッグを片手に、隆信はそのアパートを見上げた。

 1K、六畳間のユニットバス付き賃貸アパート、フユノキ荘=B

部屋は、六つの二階建て、月の家賃が四万という、破格の安さを誇るアパートだ。大家さんが住んでいる一〇一号室以外の部屋に、住人はほとんどいないらしい。

汚いわけではなく、むしろ綺麗なほうだ。

 歩いて五分のところに、コンビニがある。近くには郵便局も警察署も在るし、駅だって十分もかからない。立地条件は、完璧だ。

 何故、人がいないのか、隆信には理解できなかった。

「な? 良いところだろ?」

「………うん」

 鈴音の若干怯えた顔を見ることなく、隆信は一階の右奥にある一〇一号室の前まで移動した。その扉を眺めながら、隆信は話を続ける。

「大家さんが駅に迎えに来てくれるって言う話だったんだけど、わからなかったら、直接ここに来いって話だったんだよ。案の定、わかんなかったからきたんだけど………どこにいるんだ―――――」

 そう言いながら、扉の横に付いているチャイムに触れる、その瞬間―――

 

ゴリッという音とともに、後頭部に冷たい感触が、奔った。

 

「そのまま、両手を挙げて、膝を折れ」

 

 冷たい言葉に、冷たい口調。

背筋がゾッとした。頭の後ろにある、鉄の感触を感じながら――――ふと、それが消えた。

「おや? 羽柴殿」

「さ、榊原さん………」

 その、訝しげな声―――それに、隆信は後ろを向いて―――――。

「………お前は」

 そこには、あの駅で銃を乱発した、商店街の傭兵が、立っていた。

 傭兵の女性は、しばらくそのままの表情で考えていたが、隆信の荷物、姿格好を見て、ようやく合点がいったように頷く。

「ああ。貴方がこのアパートへ引っ越してくる森繁 隆信、十五歳、独身でありますか。先ほどは、無粋な所をお見せして、誠に恐縮であります」

「………」

 なにやらいろいろと気になる物言いだったが、隆信の興味と視線は、彼女の手に持っている銃に、注がれていた。

見覚えのある形を見て、隆信が呟く。

「ベレッタ………しかも、半オート使用………改造銃か」

 隆信の呟きに、傭兵の目が輝いた。ズオッと顔を近づけると、嬉しそうに告げた。

「おお! 分かるのでありますか!?

 嬉しそうな彼女に、隆信は苦笑しながら、答えた。

「たまたまだ。良いから。それで、鍵、渡してもらえるか? その前に、状況を把握したい」

「そうでありますな。ここの規約などを把握していただくため、家に上がっていただきたい。よろしいでしょうか?」

 そう言って彼女は、隆信に同意を求める。

隆信が頷くと、彼女は頷いて、扉に向き直った。

扉の鍵を回し、近くに置いてある装置のスイッチを切って、その場でしゃがみこみ、扉のそこについていた短い線を引き抜く―――――。

「って長いわッ!」

「? もう終わったで在ります」

 色々と小細工を弄された扉は、隆信が叫ぶと同時に開く。キョトン、としている彼女を無視して、隆信は視線をそらした。

 その奥にあるのは、普通の部屋を背に、彼女は告げた。

「羽柴殿は、どうなされるでありますか?」

 そう聞かれた鈴音は、少し怯えた様子だったが、頷く。

「そ、それじゃあ、ちょっと、あがってくね」

「了解しました」

 こうして、彼女の部屋に上がった。

 彼女の部屋は、質素そのものだった。

部屋の中心には、一個のテーブル、キッチンにある冷蔵庫以外、家財道具と呼べるようなものはない。部屋に備え付けられたクローゼットから、三枚の座布団を取り出すと、それぞれを敷き、そこを薦める。

「どうぞ、気楽にしていてくださいであります。今、飲物を持って来るであります」

 飲み物を出そうとする彼女を、隆信は引き止めた。

「いや、お構いなく。ええと………」

「榊原 茜―――アカネ軍曹であります。コードネームは、『アフブ』、所属は、明後日から『龍桐高等学校』一年A組 に配属される予定であります」

 彼女の自己紹介を聞いて、隆信は少しだけ考えて、尋ねた。

「どう呼べば良いかな? ああ、俺のことは名前でも何でも良いけど」

「好きに呼んでください。隆信殿」

 その彼女の言葉に、隆信は頷いて、答えた。

「なら、アカネって呼ぶ」

「了承した、隆信殿」

 いきなり呼び捨てと言うのもなんだが、アカネは気にした様子も無い。彼女―――アカネの言葉に、隆信が感心したように息を吐き、自分を指差しながら続けた。

「俺も、編入するんだ。明後日。………あれ?」

 不意に、気が付く。彼女も、『龍桐高等学校』に配属される―――編入の事だろう、多分―――という事に、疑問を持ったのだ。

 考えても分かるわけがないので、聞いてみた。

「あれ? でも、大家だろ? 大家ってことは、結構前からこの近辺に住んでいたわけじゃないのか?」

 それは、なぜか鈴音が説明してくれた。

「彼女、三週間前にここに越してきたの。………それで、あの、いろいろあって………商店街で用心棒みたいな事をして………ええと、でも、全員ここから出て行っちゃって」

 いろいろあって、という言葉を濁したのは気になるが、鈴音の言葉に、隆信は少しだけ理解した。

理解したのだが、根本的な疑問にいまだ説明が無い。

覚悟を決めて、隆信は口を開く。

「それで、アカネはどうして、そんな口調だったり、傭兵なんてしていたりしているんだ?」

 隆信の言葉に、アカネは全く表情を変えずに、告げた。

「今までは、外国の某機関に所属、傭兵業をしていたからであります。生まれてずっと戦場にいたうえ、両親が両方、傭兵でありまして、自分もこうなったであります。このアパートは、もともと老人夫婦の所有物でありましたが、老人夫婦が昔、旅行先でテロに巻き込まれた時、両親に助けられ、身寄りの無い身だから、と自分に遺産として残してくれたものであります」

 きびきびとした口調での説明を聞いて、隆信は眉を潜めた。

彼女の説明は、何かの冗談なのかもしれないと思いながらも、その真剣な表情と眼差しに、真実だと悟ったのだ。助けをもとめるように、鈴音を見ると、彼女も苦笑しているだけだった。

 鈴音を見たからか、アカネが口を開く。

「羽柴殿には、右も左も分からない自分に、親切丁寧に教えていただいた恩があるであります」

「ほ、ほら、彼女、その、危なっかしくて」

 彼女の苦笑に、少しだけ差した影――――平和主義でそういうものに滅法弱い彼女が、それでもアカネの面倒を見た理由――――あってたいした時間も経っていないが、理解できた。

 しかし、という考えもある。この平和な世の中、傭兵の子供が日本の高校にどうやって編入出来たのか、疑問は、多かった。

 とはいえ、あまり深入りするのもなんだったので、隆信は話を進めた。

「それで、規則は?」

「はい。こちらに書かれているであります」

 渡された紙には、ありきたりの事が書かれていた。ペットは可能だという事には驚いたが、当然の事しか書かれていない。それらを読みながら、聞いた。

「それで、俺の部屋は?」

「隣は備蓄、その横は武器庫などに使っているので、上の階になるであります」

 話の中で、聞き逃してはいけない言葉が出た気がするが、隆信は深く追求する事はなかった。

なにより、すぐ近くに警察署があるのだから、恐らく――――大丈夫なはず。

「話は以上であります。何か、質問はありますか?」

 アカネの言葉に、隆信はしばらく悩んだそぶりを見せ、口を開いた。

「お前、傭兵だったんだろ? 小学校の知識は良いとして、中学校とかはどうしたんだ?」

 ずっと傭兵だったのは、理解した。が、進学校として有名な『龍桐高等学校』にはいれたのだから、少なくとも頭は良いはずだ。

 しかし、アカネは首を振る。

「大抵の事は、母に習いましたが、ある日、「教えるのも面倒になった。自分で調べろ」と言われたので、高次的政治取引を使い、ここに編入したであります。恐らく、学力は最低ラインだと思われます」

「………何となく、聞いてはいけないこともあった気がするが、まぁ、いい。銃火器が好きなのは、そこからか?」

「それもありますが、個人的に好きなこともあります!」

 力の籠もった、無邪気な子供の目を確認し、頷く。

「まぁ、銃はロマンだな。ベレッタも、有名だし、お前が使っているセミオートだって結構珍しい。しかも、結構レアな改造もしているな。銃口も――――――――あ」

「おお、分かるでありますか! 銃口に合金を利用して―――――――――あ」

 その二人の会話を聞いていて、鈴音の眼がウルウルしだしていた。

それを見て、二人はそれぞれ視線を合わせ、頷く。どうやら、彼女の性格は知っているらしいが、対処法を知らないのか、アカネは何となく気まずくなり、視線を外す。

 苦笑しながら、隆信は口を開いた。

「でも、ま、鈴音は変わんないな、本当に。困っている人を見ると、どんな奴でも助けて、友達になって。助かったって、アカネも言っているしな」

「そ、そうであります! 一緒の部署で、安心したぐらいであります!」

「あ、ありがとう………。ご、ごめんね、怯えちゃって」

 何とか泣くのを取り押さえた二人は、同時に息を吐いた。そして、互いに顔を見合わせると、それがおかしく、隆信は思わず、笑ってしまった。

 キョトンとするアカネを見ていた鈴音も、おかしくなり、笑ってしまう。

 ついには、キョトンとしていたアカネは、つられて、小さく笑う。始めてみた、人間らしいアカネの顔に隆信は、少しだけ意外な印象を受けた。

 少しだけ笑っていたアカネは、小さく呟く。

「こうして、笑いあえるのは、戦場での自嘲以来であります」

 なにか、悲しいことを言っていた気がしたが、やはり気にしない隆信は、軽い口調で告げた。

「ま、一つ屋根の下に住む者同士、仲良くしようぜ。アカネ――――って、名前を呼び捨てにしてるんだ、もう友達ではあるよな?」

 隆信の言葉に、「えッ!」とアカネが声をあげた。そのあまりにも大きな声に、隆信は肩を潜め、何か言ってはいけない事を言ったのか、と眼を見開く。

 アカネはアカネで、茫然としたまま、呟いた。

「そ、それは、自分と………『友人』になってくれる、という事でありますか!?

 突然の、彼女の言葉に、隆信のほうが混乱してしまう。鈴音も同じなのだろう、キョトンとした顔で彼女を見ていた。

「え? っていうか、そんなの、当たり前だろ? 鈴音とだって、もう友達だろうが」

「う、うん。変わっているけど、格好よくて、凄い人だと思っているよ? 私」

 二人の言葉を聞いて、アカネは始めて、相好を崩した。安堵したような、今までの緊張した顔とは違う表情で、微笑んだ。

 その笑顔にドキッとしてしまった隆信へ、アカネは言葉を発した。

「正直、こうして同世代の仲間が出来るとは、思えていなかったであります。お二人には、本当に感謝するであります」

 そう、赤面するような恥ずかしい言葉を言いながらも、彼女は話を続けた。

「………大抵の人は、自分を避けるであります。傭兵として雇ってくれた商店街の方々は、友好的に接してくれるでありますが、他の学校に行ったときは、だれも自分を友達だといった事は、なかったであります。羽柴殿、隆信殿、ありがとうであります」

「ふむ、アリ塚だな」

 勝手に納得した様子の隆信の言葉に、二人は眉を潜めた。その二人の表情を見て、隆信は不敵に、答える。

「アリ塚―――アリの塔、蟻が塔、アリガトウってな」

 納得したように、二人は頷いた。その納得したような、感心した顔を見て、隆信は眉を潜めたまま、唸る。

「………つまんないギャグに、感心するなって」

 穴があったら入りたい気分だった。

 

 

 

 

「それじゃあ、またね」

 そう言って、鈴音は自分の家に帰っていった。隣の隣の家なので、まぁ、近くはあるが、一応外に出て見送る。見送った後、アカネが声をかけてきた。

「隆信殿は、一人暮らしでありますか?」

「ああ。アカネもだろ?」

 頷くアカネを見て、隆信は一つの疑問を思いついた。

絶対的な彼女の思考からして、考え付くことを考えていた隆信は、若干戦きながらも向き直り、口を開く。

「………俺の部屋に、監視カメラとか、つけてないよな?」

 まさか、アカネに監視するような趣味はないだろう、と思った隆信の言葉に、アカネは敬礼をしながら、報告した。

「大丈夫であります! 侵入者対策として、警報機、防犯扉、ブービートラップ以外、付けていないであります!」

「………それの説明を聞きながら、部屋を見に行くか」

 意外と少ない(?)なぁ、等と思いながら、彼女を連れて二階に上がる隆信。

扉を鍵で開け、中に入った。

 中は、質素な1K。入り口にキッチン、入って左手にユニットバス、そして奥には六畳間の和室。

畳から若草の匂いが、ブワッと舞い上がる。このニオイも嫌いではないので、高感度アップだった。

 窓は、二つ。南と東についているので、部屋は明るい。クーラーも付いている。

 南側の戸を開けると、そこにはベランダがあった。洗濯機置き場もあったので、すぐに干せていいと思う。

彼女から合い鍵を三つ、預かった。少しだけ考え、一個をアカネに渡す。

「………これは、どういう事でありますか?」

 驚き、戸惑っているアカネへ、逆に隆信は、驚く。

「いや、大家さんに鍵を預けるっていうのも、結構あるんだぜ? ほら、もう一個は親父たちに送るし、最後の一つ無くしたらどうしようもないしさ。アカネに渡しておけば、失くさないと思うし」

 隆信の説明に、アカネは納得したように頷く。ビシッと敬礼の格好を取ると、大きな声で告げた。

「では、この身に代えてもこの鍵はなくさないであります! 隆信殿の信頼を裏切れば死を―――――」

「死なんで良いから」

 そう言いながら、外からボストンバッグを中に入れ、自分の携帯を見て時間を確認する。

午後二時。

道路の関係で、引越し業者は五時にくることになっていた。つまるところ、暇なのである。隆信は少しだけ考え、アカネに向き直った。

 ゴホン、と仰々しく咳をすると、風格を醸し出すような言葉で、告げた。

「アカネ軍曹! 貴官に、任務を申し付ける!」

「サー!」

 条件反射なのか、はたまた意外とノリが良いのか―――アカネはビシッと敬礼し、直立不動の姿勢をとった。それが面白く、非難も疑問も無いので、続けた。

「貴官が暇な場合に限り、この辺りの説明を要求する! 急を要する任務、もしくは用事が無ければ、この辺りの地理を説明せよ!」

「サー! 了解いたした!」

 アカネの高らかな言葉を聞いて、隆信は少しだけ笑い、相好を崩した。

「というわけで、暇だったらこの辺りの地理を教えてくれ。生活用品を買いたいから、な」

「………」

 普通の言葉で話すと、アカネが困ったような顔をした後、顔を伏せた。訝しげな表情で彼女を覗き込むと、彼女は小さな言葉で一言、呟く。

「穴があったら、入りたいであります」

 条件反射だったらしい。隆信は思わず、爆笑した。

 

 

 

 

「意外と、何でもあるんだな」

 フユノキ荘≠ヘ、駅の近くにあるおかげで、お店の使い勝手は、かなり良かった。駅の反対方向に行けば大型量販店もあったし、温泉も近い。立地条件は良かった。

 動きやすい服装――――なのだろう、多分―――意外なスカートとブラウス姿のアカネの案内を受けながら、二人は大型量販店で買い物をしていた。

 道中、アカネが真剣な表情で、避難通路を説明していた。

「ここは、防火扉の所に荷物を積んであるであります。凶事の際には、南側の避難通路を使う事を推奨するであります」

「………ありがとう、心の片隅に額にでもかけておくよ」

 そんなアカネの説明を受けながら、少なくとも一週間分、必要と思われるものを買っていく。ゆっくり買物をすることが珍しい―――というより、買物をしないアカネは、逆に隆信へ、商品の説明を求めてきた。

「隆信殿! あの丸い円盤は何でありますか!?

 子供のようにはしゃぐアカネの指差した先には、全自動掃除機が置かれていた。これは、センサーが付いていて障害物を避けながら、部屋の隅々を掃除してくれるもので、そう説明すると、アカネは驚いたように眼を見開いた。

 子供のように興味津々なアカネの眼を見て、隆信は意外に思う。

(………傭兵ってことは、間違いないよな。朝見たあれも、本当だろうし。でも、な)

 ――――――結局、未だに彼女の事は何も知らないのだと、隆信は思い、再度考えた。

(………ま、知らなくて当たり前か)

 これから知っていくのかどうなのか、それすらもわからなかった。

 

 

「隆信殿は、料理が好きなのでありますか?」

 大型量販店の帰り道、かなりの量になった荷物を、ほぼ全て背負ってくれたアカネの言葉に、隆信は簡単な口調で、答えた。

「ああ。レシピさえあれば、何でも作って見せるぜ。昔から、工作は得意だから、な。料理も、レシピがあれば作れるものさ」

 とはいえ、彼が買ったもの―――今日の晩御飯のための材料を見て、凝っているかどうか分かるとは、アカネもずいぶんと好きなのだろう。

そう聞いたら、アカネははっきりとした口調で、首を振った。

「苦手でありますし、乾燥食品や保存食で十分であります。味はスペイン産のモノが一番でありますが、使い勝手や値段が安価なのは、やはりアメリカ産であります」

「恐らく使わないであろう豆知識、ありがとう」

 そう返しながらも、隆信は眉を潜めた。

「でも、サプリで栄養やカロリーを補給するだけの食事なんて、つまんなくないか?」

 隆信の言葉に、アカネは首を振った。

「自分は、今までそういうものを口にした事は無いであります。何故わざわざ、身体に悪いものを摂取せねばならないのでしょうか?」

「………う〜〜〜〜〜〜ん、ジェネレーションギャップを感じるな」

 世代格差、というよりはカルチャーショックというべきだろう。そう呟きながらも、隆信は不敵に笑い、アカネに向き直った。またもや真剣な表情で、直立不動の姿勢のまま、叫んだ。

「アカネ軍曹に、勅命だ! 本日一六○○時に、引越し業者と私と共に引越し業務の補助を要請する!」

「イエッサー!」

 ビシッと敬礼をして――――アカネはハッとした顔をし、耳まで真っ赤になる。それを見て笑う隆信は、金属の感触が額に付いたのに、気が付く。

 ベレッタの銃口が、向けられている。かなりの荷物や重さに左右されない、眼に見えなかったその速さに、隆信は一瞬で、死を悟った。

そうっと手を上げる隆信へ、アカネが告げた。

「自分は、そういう悪ふざけが嫌いであります。手が滑る可能性もあるゆえ、やめていただく事を推奨します」

「推奨されました。だから、はずしてくれ」

 銃口を引き下げたアカネに、隆信は苦笑しながら、告げる。

「とまぁ、引越しを手伝えっていうのは、嘘だ。どっちにしても、そんなに荷物も無いし、俺一人分だし、俺の下着もあったからな。それが終わった後、蕎麦を茹でるから、喰いに来いって言う話だ」

 隆信の言葉に、アカネが眉を潜めた。

「ソバ、とはなんでありますか?」

「日本料理でソバの実から作られる麺料理で、今夜は鰹節とアゴで取った出汁だ。引越しソバだし、どうせなら一緒に食べたほうが楽しいだろ?」

 隆信の説明を聞いて、アカネはいろいろと想像したのだろう。

「ま、嫌なら―――――」

 そういった瞬間、またもや銃口が、隆信を覗いていた。頬を引き攣らせ、言葉が止まる隆信へ、アカネはズイッと顔を近づけると、告げた。

「自分も、早くこの国の習慣に慣れたいと思うであります。是非、よろしくお願いします。何でしたら、引越し作業も―――――」

「いや、引越しは自分でやる」

 そうつぶやき、アパートの近くの角を曲がった時だった。

 

 ドオオオオオオオォォォォ――――――――

 

 地鳴りのような重低音が、鳴り響く。

 

――――吹飛んだ、その影を見て、隆信は絶句した。

 

 彼が利用した、ダチョウのマークが付いた、『ザ・鳥類最速の男』引越し業者専用の、トラック。運転手らしき男が、ボロボロの姿で茫然と、舞い上がる炎を見上げていた。

 それらを眺め―――――ポン、とアカネは手を叩き、口を開いた。

「対違法駐車用に設置しておいたM‐34爆弾が作動しようであります。いや、人を殺さない爆弾量を仮定して設置したのでありますが、うまくいったようで――――――」

 燃え上がる炎を見上げ、隆信は右から左の耳に、アカネの言葉を聞いていた。

 ふと、アカネが言葉を区切る。訝しげに見上げた隆信へ、アカネは尋ねた。

「アゴ、というのはなんでありますか?」

「………トビウオだよ」

 そうとしか、言葉を返せなかった。

 

 

 

 


 







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