さて、人間、慣れって怖いよね。

最近では回数が少なくなったとはいえ、学園長室が吹き飛ばされる学園って、どう思うよ? 少なくとも普通ではない土木関係の人に恨みを買っているような人間が上に立っていたら、静かに勉強など出来ないよな? 俺は出来ないぞ。

 だが、この学園は大丈夫。なぜなら、学園長は学園長でも、宇宙外生命体『ガクエンチョウ』だからだ。

 明朝、まだスズメが鳴き、舞う朝の静寂を切り裂くように、爆発音が辺りに響いた。

 音と共に、学園長室が大破する。それを壊したモップは、はるか遠くの森に消える。それを見ていた運動部の学生が、和気藹々と話をしていた。

「久し振りに見たねぇ〜〜♪」

「今度は何日で治るのかしら? 二つの意味で」

 慣れとは、恐ろしいものである。

 

 

 

 

 第九話 吸血鬼って鬼の一種?  中編

 

 

 

「――――で? 遺言はなんだ? クソ宇宙外生命体」

「ゆ、油断しておったわぁ………」

 ぴくぴくと真っ黒になって震えるガクエンチョウの頭部を踏みつけながら、雄一はガクエンチョウを「とてもいい笑顔で」淡々と問い詰めていた。

 一応、このテロ行為とも言える行動にも、理由があった。理由がなければ、ただのテロ行為だ。まぁ、政治的取引を行なうわけではないので、局所的爆破と言った具合だ。

 このジジイが、いくら盲目していたとしても、エヴァンジェリンのことを知らないわけがない。そう感じた瞬間には、プラズマ・ストライクを投げていたのだ。

怒りに震える雄一は、グエディンナをガクエンチョウの喉元に突きつける。いくら魔法障壁≠ェ在っても、この距離なら関係ないはずである。

 そこで、満面の笑顔を浮かべた。

「さっさと吐けば殺してやる。さもなきゃ殺す♪」

「儂殺されるのが確定しとるッ!?」

 悲鳴を上げるガクエンチョウ―――その声を聞いて、溜め息が聞こえた。

「止めてやってくれないか? 雄一君。ガクエンチョウは、ネギ君のためを思ってやったことなんだよ」

 突然現れたのは、広域指導委員であり、学園長の懐刀でもあった高畑・T・タカミチだ。最近では雄一のおかげで反骨精神が目覚めたのか、凄まじい勢いで学園長に反旗を翻しているが、基本的に学園側である。

「遂には高畑君まで、儂をその呼び方で………」

 衝撃の事実にガクエンチョウが呻いている間に、雄一はすでに解放し、高畑へ意識を向けていた。

「………で? エヴァンジェリンは何者だ?」

 雄一の問いに、高畑は口にくわえた煙草を外しながら、答えた。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、懸賞金600万ドルの『最強の悪の魔法使い』さ。彼女自身の内包する『魔力』は凄まじいし、彼女自身六〇〇年も生きている吸血鬼の真祖≠セよ。今では、ナギさんの『登校地獄』という結界と学園に張られている結界で魔力のほとんどを封じられているけど、満月の日はそういかなくてね」

 苦笑して説明する高畑。少なからず、彼女に関係があるのかもしれない、と雄一は推測した。

 雄一は雄一で、高畑の言葉を簡単に理解しているだけで、全く意味が分からなかった。早い話、ネギの父親がかけた結界のとばっちりを、ネギが受けているわけだ。

理不尽この上ない、と思う。思わず口に出てしまった。

「んで、ネギを襲ってきたわけか。ひどい事この上ないな」

「………そういわないでくれ。彼女も、十五年、ずっとここで勉強しているんだから」

 高畑の言葉に、雄一の目が見開いた。

「十五年? ………そりゃ、辛いな。エヴァンジェリンがネギを襲うのも、分からんでも無いな。俺だったら意味が在ろうがなかろうが毎日学園長室を吹き飛ばしているかも知れん」

「え? 儂は全く関係ないのに?」

 雄一の呟きに、ずっと無視されて悲しげな表情を浮かべていたガクエンチョウが、答えた。

 その頃にはすでに、学園長室には業者が出入りしていた。

もう手慣れてきたのだろう、その動きには無駄なモノがない。噂に聞くと、すでに学園長室専門の業者がいるとかいないとか、どうでもいい噂が流れているほどだ。

 その業者の目は気にしているのか、高畑は肩をすくめるだけで答えた。

「とはいえ、儂らにはあの封印を解く手立てが無くてのぅ………。ナギ君も、エヴァが最初に卒業する頃に来て、封印を解くといっていたのじゃが………」

 来なかった、そうだ。しみじみと、昔の事を思い出すように話されたガクエンチョウの言葉には、雄一も言葉をなくした。

最初の三年は、エヴァも今よりは楽しそうに学校生活を楽しんでいたらしい。

 しかし、時が経つにつれ、時を積み重ねる度に、エヴァはどんどん捻くれ――――十年前に、ナギが死んだと聞いて、絶望したらしい。そのころの事は、高畑も学園長も言わなかった。

「………………」

 言葉が、出なかった。何かしら言葉があると思っていたガクエンチョウと高畑が、怪訝そうな表情を浮かべた。

 雄一は、しばらく黙って聞いていたが、話し終わった瞬間。

 プツン、という異音が辺りに響いた。

「―――ふっざけんなああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 雄一に来たのは、同情でも哀れみでもなんでもなく、ナギ・スプリングフィールドに対する純粋な怒りだった。

 叫んだ。それも、ありったけの大声で。

 眼を見開く学園長と、驚いて煙草を落とす高畑の二人を無視して、雄一は叫び続けた。。

「忘れた挙句に勝手に死んだッ!? ふざけやがって! 約束は護る為にあるんだ! いい加減なことで人の人生に迷惑を掛けやがって!」

 雄一は、もともと『ルシフェル』の総司令だった人間だ。彼が一つでも約束を破れば、部下の『ルシフェル』には文字通り、一生物の傷を与える可能性がある。

だから、他の誰よりも約束を護る精神が、強い。

 だから、気に入らなかった。ナギに対して、怒りさえ滾らせ、我が身のように怒り狂うのだ。

 ガクエンチョウと高畑にとって、雄一のその行動は、まぶしいものだった。他人のために、何の躊躇いもなく共感し、怒れる存在だ、と。

 と、高畑とガクエンチョウがしみじみと実感している時、突然、雄一は突然、そう言い放った。

「――――決めた。エヴァンジェリンの『封印』は、俺が解いてやる」

「えええっ!?

「なぬっ!?

 高畑と学園長が、同時に声を上げる。怪訝な思いや様々な思考が入り乱れる二人とは違い、雄一は自分の出した結論が自分で納得できたのか、力強く頷いている。

俄然やる気の出ている雄一へ、学園長が恐る恐る聞いた。

「ほ、方法があるのかのぅ?」

 彼は、違う【世界】の人間―――可能性があると思ってしまう。

 しかし、雄一はきっぱりと、言い放った。

「知らん!」

 雄一の、あまりにもきっぱりとした物言いに、ガクエンチョウと高畑の開いた口が、塞がらなかった。

その二人を無視しながら、雄一は言葉を続ける。

「絶対、かけた張本人をあいつとネギの前に引きずり出して、謝らせて、ぶん殴ってやる!!!」

 雄一は、ネギからナギの話を聞いていた。

十年前に死んだ、という事だが、実際は六年前にネギが会っている。なら、生きているはず―――探し出してぶん殴ってやらなければ気がすまなかった。

 何となく、何となくだが、この男はそれをなしえてしまうのでは、と高畑は思ってしまった。その横で、その人物の恐ろしさを心底知っている存在が、小さく呟いた。

「………ナギ君も、かわいそうじゃの」

 これから起きるであろう騒動を考え、学園長は人知れず溜め息を吐くのであった。

 

 

 

 

 雄一がナギを見つけ出す、と叫んでいる頃、エヴァンジェリンは、閉じていた眼を開けた。自慢の長いブロンドヘヤーを押しやりながら、大きく欠伸をする。

 場所は、屋上。朝、登校してくるネギをからかったエヴァンジェリンは、屋上で暇を潰していたのだ。

 時刻はすでに、夕方。

エヴァンジェリンは、静かに回りを見渡す。

自分には毛布が掛けられ、茶々丸の文字で「学園長がお呼びです。私は猫の世話をしてきます。 PS 晩御飯はかっぱ巻きですが、レンジでチンをしてはいけませんよ?」と達筆な文字で書かれていた。

 何を考えているんだ? と眉をしかめているエヴァは、静かにため息を吐く。

小さく溜め息を吐きながら昨日の事を思い出していた。

「………くそ。駒沢 雄一め」

 考えるのは、昨日、神楽坂 明日菜によって蹴り飛ばされた自分を助けた、一般人。

こともあろうか、あの一般人は『氣』に近い“何か”を使って、『虚空瞬動』までやってのけたのだ。そのまま私を助け、あろうことか茶々丸に注意し、私の事を「幼女」呼ばわりまでしてくれたのだ。

 そして、あろう事か、自分を軽いとか言いながら、心配までした。吸血鬼と知っても、ああやって接してきたのは、雄一が初めてだった。

「くッ………! 普通の人間だと思って甘く見ておれば………!」

 とんだ失態を演じてしまい、エヴァはご立腹だった。

 しかし、同時に楽しんでいる自分がいたことを、彼女は考えないでいた。

普通の人間でしかない雄一が、どうしてあの芸当をやってのけたのか、そして、あの『氣』に近い“何か”が何なのか、エヴァにとっては楽しみなものでも、ある。

 エヴァにとって、知らないものは良い暇つぶしになった。永遠に近い寿命をもつ彼女にとって、それは娯楽の一つなのだ。

「………明後日の夜、見ておれよ!」

 長年待ったこの瞬間、明日こそはこの身の『呪い』を解き放ち、世界に出るのだ。学園長室に向かいながら、エヴァンジェリンは雄一を思い出す。

 その顔は、笑顔だった。

 

 

 

 

 時は少し遡ってお昼休み、広場では泣きじゃくる子供の姿があった。

「うぅ………雄兄ぃ………。何処いったのぉ………?」

 ネギは、ずっと半べそをかいていた。今日に限って雄一は朝早くからいないので、ネギの面倒を見ているのは、明日菜である。

 いつもの鈴が付いたツインテールを揺らしながら、彼女はため息を吐いた。

「そんなこと言っても、アンタ、雄一だって大変なのよ? 昨日の惨状を忘れたの?」

 雄一が朝早く学園長室に向かった理由は、昨日の美術棟に関する事だと、明日菜にはいっておいた。本当はそれとは全く違う、もっと大変なことになったが、知らなくてもいい事であるので、彼女は知らない。

 その時だった。ネギの前に、何かが飛び出してきたのは。

『兄貴ッ!』

 茂みから飛び出してきたのは、白くて細い物体だった。そして、それが持っているのは、細くてなにやら細かい装飾の施された、いわゆる下着――――――。

 明日菜がそこまで理解したところで、体が自然と動いた。

「ふんッ!」

 問答無用で、明日菜はその生物を踏み潰した。布状のものを取り上げると、明日菜は念入りにその生物を踏みつけ、茂みに蹴り飛ばす。

 完全に無視し、明日菜は口を開く。

「元気だしなさいよ。今日は、雄一が忙しいだけだったんだから。ほら、今日家に帰れば美味しい料理を作って待っててくれるから」

「そ、そうかな………」

 意識的にそれを無視した明日菜と、それを無意識のうちにそれを切り取ったネギ、その二人へ、その白い物体は、叫んだ。

『何をするんだゴラァアッ!?

 無茶苦茶叫ぶ白い物体、それはオコジョだった。東北地方より北では、幸福の象徴として現れるそれも、明日菜の眼からしたら、ただの変態でしかない。

 そのオコジョへ止めを刺すために歩みだした明日菜を遮り、ネギが叫んだ。

「か、カモ君ッ!」

『そうでっさっ! 兄貴の舎弟、アルベール・カモミールですぜ!』

 そう言ってネギに飛びつくオコジョ。それを信じられない様子で見ていた明日菜は、指差しながら、完全に疑いの眼差しを向けて、口を開く。

「それで、その変態オコジョ、なんなの?」

『なっ!? ケットシーに並び称される由緒正しきオコジョ妖精アルベー「死に晒せッ! クソ白イタチ!」――――ゴルドバッ!』

 オコジョの言葉を区切るように飛んできた蹴りが、オコジョを蹴り飛ばす。それを繰り出した人物を見上げ、ネギが満面の笑顔を向けた。

「雄兄っ!」

「ネギッ! あの変態オコジョに関わるな! 殺せッ!」

 珍しく怒髪天を突いている雄一を見て、ネギが驚く。

 あの明日菜ですら、雄一が怒っているところを見るとは思ってもいなかった。そのままでは確実に相手を殺す(どうでもいいが)勢いの雄一を、明日菜は辛うじて止めた。

「ちょ、どうしたのよ! 雄一!」

 明日菜の問いに、雄一は怒りの表情のまま、叫んだ。

「コイツ、あろう事か俺の目の前で宮崎の――――その、なんだ―――――とにかく! やってはいけない事をしたッ! お前、その所為で男性恐怖症の宮崎が、死ぬほど顔を真っ赤にして失神したんだぞッ!? 心に傷が残ったらどうするつもりだッ!?

 そう言いながらオコジョにヤクザ蹴りをかます雄一。雄一の言葉で、全ての事情を察した明日菜は、それを意味するものがポケットの中に入っているので、理解し、大きく溜め息を吐くだけだった。

 事の発端は、昼休みである。

昨日の事後処理を終えた雄一は、ネギを慰めるため、ネギを探していたのだ。

広場に向かう道の途中で綾瀬 夕映と宮崎 のどかにあったので、ネギの居場所を聞いていた時、一陣の風が吹いたのだ。

 次の瞬間、慌ててスカートを押さえたのどかの向こう、後ろから白い布を口にくわえたオコジョが、風になって消えた。

 次の瞬間、のどかの顔が真っ青になり、雄一を見上げ、真っ赤になり、やがてそれは臨界点を越え―――倒れこんでしまったのだ。

その途中でスカートが捲れそうになり、夕映が慌ててそれを押さえた。

 その瞬間には、雄一が飛び出していた。

 オコジョを砂にした後、雄一は明日菜と共に宮崎のところに歩いていった。謝るためなのだが、その足取りは、重い。

『ひ、ひどい目にあった………』

 砂になったはずのカモが、復活する。ビクッと身体を跳ね上げるネギへ、カモは同情するような視線を向けた。

『聞いたぜ、兄貴。あのエヴァンジェリンに眼をつけられたんだってな?』

「カモ君っ! 何でそれをッ!?

 実を言うと、カモは昨日のエヴァンジェリン戦から、この学園に侵入していたのだ。一部始終を全部見た後、こっそり女子寮の中に入っていったのは、彼の秘密である。

 そのカモは、沙羅に言葉を続けた。

『相手は、あの【闇の福音】。600万ドルの賞金首ッ! 封印されているとはいえ、侮れない相手さッ!?

「………でも、どうしたら」

 それが、問題だった。

エヴァンジェリンは今日、授業に一度も出てこなかったが、下手なことを学園長に言えば、ネギどころか雄一にまで被害が及ぶ可能性がある。

 雄一ならどうにかしてくれるかもしれないが、これがクラスメイトでは、どうなるか分からない。

『先ずは、『従者(ミニステル)』の絡繰 茶々丸を倒せばいいんすよ!』

「んな事させると思ってンのか? クソネズミ」

 そこに現れたのは、雄一だった。そのすぐ後ろに、明日菜の姿もある。

カモに向かって血のカプセルを放り投げ、一瞬で破裂し、降りかかり、固形化する。あの刹那でも身動きが取れなくなった拘束であり、このイタチがどうにかなるわけがない。

驚きの視線を向けるネギへ、雄一は戒めの言葉を発した。

「ネギ。お前がエヴァンジェリンを恐れるのは、分かる。あいつにヘタに報復されて、他の人に迷惑をかけるのが嫌だ、というのもな。………でもな、お前は毎日俺に世話を妬かせているだろ?」

 雄一の言葉に、ネギの顔が真っ赤になる。それを知っている明日菜は、フッと笑った。

そのネギの頭を撫でながら、雄一は告げた。

「仮に何が起ころうが、俺はお前の兄弟だ。………つらい時、支えあえるのが、兄弟だろ?」

「………うん!」

 その時になって、ようやくネギの恐怖が消えたようだ。そのネギの様子を見て、微笑む雄一。

それを見ていたカモは、小さく舌打ちをする。

(ここで兄貴に恩を売って『使い魔』にしてもらう作戦が、おじゃんだな………! あの手紙が来る前に何とかしねぇと………)

 そう考えているカモを置いて、雄一はネギに告げた。

「極力、明日菜とかいろんな人と一緒にいろよ?」

「ハイ!」

 もう大丈夫だろうと思い、雄一はネギを置いて職員室に戻っていった。その後姿を見て、カモはあることを思いつく。

『兄貴、アレが兄貴の兄貴ですかい?』

「うん! とっても強くて、頼りになるんだよ!」

 ネギの嬉しそうな笑顔を見て、カモは笑みを深めた。

「なに? まだ何か企んでるの? アンタ」

 雄一の少し後に戻ってきた明日菜が、露骨に眉をしかめた。その顔には、警戒の色が浮かんでおり、まったく気を許していないように見えた。

 しかし、カモは怯まない。大仰に動作して、口を開いた。

『その割には、旦那は、『魔力』も『氣』も使えんようでっせ? 『従者(ミニステル)』でもなさそうですし、封印されているとはいえ、正直あの【闇の福音】とその『従者(ミニステル)』に勝てるかどうか………』

 そのカモの物言いに、明日菜が眉をしかめた。

「そ、そんなに強いの? エヴァちゃんって………」

 納得できないのは、エヴァが知ってのとおり幼児体型だから、だった。それをかき消すような勢いで、ネギは叫ぶ。

『そりゃそうですぜ! 姉御! なんたって、あの報奨金600万ドルの大物だ! 旦那がどれほど強いのか分からないが、勝てるとは思えねぇっすよ!』

 カモの言葉に、明日菜は目の色を変えた。

彼女としてはずっと同じクラスメイトだったエヴァンジェリンが、本当に誰かを殺すようなものだとは、思えなかった。吸血鬼だというだけでも、かなりの驚きだというのに、賞金首と言う事も信じられない。

 心配そうな視線を向ける明日菜を見て、カモは確信した。

(随分慕われているようでんな、旦那。だから、俺っちに利用されても文句言わんでくれよ! これも、ネギの兄貴の安全のためなんだ!)

 カモがネギの身を案じる気持ちは、嘘ではない。それを胸に、言葉を続けた。

『さっき、旦那も言ったじゃねぇっすか! 支えあうのが兄弟と! 木乃香モミール! 不精ながらも兄貴の舎弟を勤めているもの! 手伝わせてもらうっす!』

「………で? 具体的に何をするのよ?」

 カモの言葉に、明日菜まで心配になったのか、言葉を続けた。雄一のボロボロな身体を見たことがある明日菜としては、正直、心配だったのである。

 その二人を見て、カモはトドメの言葉を吐いた。

『だから、片方を片付ければいいんすよ』

 

 

 

 その後、広場の死角になる場所から、光が漏れたのを見たものは、いなかった。

 

 

 

 

 放課後、雄一はいつものように商店街へ足を向けた。夕方で茜色に染まった世界、西に沈む太陽を見ながら、雄一は一人、物思いにふけりながら、商店街を歩いていた。

(よくよく考えれば、ネギに釘を刺したつもりでも、刺さってなかったかも。あの変態オコジョが、うまい事言って利用するかも………)

 雄一の心配は、的中していたが、今の雄一に知る術はない。それを確認する為にネギと会おうとしていたが、朝と違ってやる気満々のネギを見て、それを聞けずにいた。

(………ま、明日菜も居るし、滅多な事は起きないと思うが………)

 そう考えながら、女子寮に向かう近道(と本人は思っている、遠回りの道)を歩き出した、まさにその時だった。

眼の前に、見覚えのある三人が、映った。

 茶々丸と、対峙するネギ、そして明日菜。それを見て、雄一は手に持っていた荷物を落としていた。

 明日菜が、茶々丸を弾き、ネギが詠唱をして魔法≠放とうと、する。

瞬時に状況を判断、推測したその瞬間には、雄一は瞬時に『武装』し、飛び出していたのだ。

 その刹那の瞬間、見た。

ネギが顔を引き攣らせ、「やっぱりダメ!」と叫んだのを。

 それだけで、軽くなった。どうせ、押しかけたのはあのクソイタチだろう。

 そして、茶々丸に向かう『魔法の矢』に向かって、雄一は黒布を翻した。細い粒子状のエターナル≠編みこんだその布に、『フォトン』を込め、魔法≠弾く。

地面に逸らされた『魔法の矢』が、砂埃を舞い上げた。

 そして、煙が晴れた先にいたのは、紅い光条の奔る装甲を持つ、黒いコートを翻した、戦士の姿だった。

 

 

 

 

 夕刻、闇に沈み始める街並み。

そして、其処に立つ、一つの影。それは、図書館島で怪物と戦った、ヒーロー=B

『――――さて、魔法使いとその従者よ』

 機械音声で無理やり変えられた、その声。それが雄一だと気付くはずも無いネギと明日菜へ、彼は心を鬼にして、告げた。

『己の諸行―――――悔いはないか?』

 彼の言葉は、凛と響いた。

 

 

 

 

 僕は、雄兄に迷惑を掛けたくなかった。それが、ネギの想いだった。

 小さくて未熟な『魔法使い』である自分の失敗を、いつも助けてくれる、頼りになる兄。

 美味しい料理を作って、一緒にお風呂に入り、いつも一緒に寝てくれる兄。

 そして、あの図書館島から帰った時に、優しく迎えに来てくれた、兄。

 時々怒ったり喧嘩したりするけど、誰にでも自慢できる凄い、兄。

 その全てが、彼にとっての雄一だった。

 そして、それと同じぐらい辛そうに涙を流す兄の姿を、ネギは知っていた。

 ときおり、夢にうなされるその姿を、ネギは見ていた。

 あの傷だらけの身体を、ネギは知っていた。

 だから、彼の負担を少しでも減らしてあげたかった。そのために、明日菜と一緒に茶々丸を襲ったのだ。

 けど、それは間違っていると、心のどこかで自分が告げていた。茶々丸は自分の生徒で、エヴァンジェリンもそうだ、と。

 だから、雄兄のことを「盾」に、魔法≠放ち、その瞬間――――後悔した。取り返しの付かない事をしたと、ネギは後悔していたのだ。

 そのネギの後悔を吹き飛ばすように現れた、あのヒーロー≠ヘ。

 

『―――――――さて、魔法使いとその従者よ』

 

 凛とした声で、何よりも気高い声で――――――――

 

『己の諸行―――――悔いはないか?』

 

 自分の「盾」を砕くと共に、弱い心を曝け出させた。

 

 

 

 

 逃げていた。恐怖や負けたのではなく、己の諸行から。あろう事か、自分の兄を「盾」に、自分を正当化して、生徒を襲った、自分の行いから。

 そして、後悔していた。自分で決めるべきところを、他人の意見で決めた、弱い心を、一瞬で見抜いて、眼前に突きつけた。

 その突きつけられた、槍から――――ネギはまた、逃げ出したのだった。

 

 

 

 

 その日、予想はしていましたが、ネギ先生が襲ってきました。『従者(ミニステル)』として神楽坂 明日菜さんをつれていました。

 さすがにマスターの『魔力供給』が無いので、『仮契約(パクティオー)』した明日菜さん相手には、分が悪かったです。

 そして、私を襲う『魔法の矢』を見て、私は破壊されるのを覚悟しました。

 しかし、それは、二つの意味で裏切られました。

 ネギ先生の顔が、後悔の色に沈んでいます。どうやら、誰かに唆されたようです。

(マスター。私が壊れたら、猫達を――――――)

 唯一の心残りを、心の中でマスターに願ったその瞬間、耳にネギ先生の「やっぱりダメ!」という声が響きました。

 そして、私を壊して事足りるその『魔法の矢』は、突然現れた影によって、弾かれました。

 漆黒のスーツに、紅い光条が奔る装甲。

その黒布を翻したのは―――――――――

 

 

 

 

「ちょ、ネギっ!」

 突然踵を返して駆け出すネギの目には、涙が浮かんでいた。少しの間だけ茶々丸と乱入してきた影を睨み、明日菜はその後を追いかける。

 しばらくして、雄一は茶々丸に視線を向けた。茶々丸は、静かに頭を下げる。

「助けていただき、ありがとうございます」

『いや、気にしないでくれ。私も、彼の成長の為に正体を隠しているのだからね』

 実は、嘘である。

最初の時は、他のクラスメイトが居たので正体を隠していたが、ネギには隠すつもりもなかった。ただ、彼の【世界】ではあまりにも常識過ぎて、逆に言うタイミングが無かっただけである。

 そして今回は、茶々丸がいたからだった。

暴走したとはいえ、雄一自体はネギの味方であるから、エヴァンジェリンの『従者(ミニステル)』である茶々丸には正体を知られたくなかったのだ。

 しかし、科学の進歩とは、凄いものである。

「いえ、ですが、どうして敵である私を? 雄一先生は、ネギ先生の味方のはずです」

『………あれ? もしかしてばれてる?』

 茶々丸は、あっさりと見破っていた。茫然としている雄一へ、彼女は頷きながら答えた。

「声質は変わっていますが、声紋データは一致します。身体的特徴も一致しますので、まず間違いないかと………」

「………レウィン顔負けのロボット―――ガイノイドだっけ?――だな」

 最後の言葉を合図に、『武装』を解く。いつもの姿に戻った雄一は、茶々丸に笑顔を向けた。

「………理由を、聞かせてくれますか?」

 茶々丸の言葉に、雄一は一瞬眉を潜め、すぐに思いつく。すぐに相好を崩すと、笑顔で答えた。

「お前が敵だろうが何だろうが、お前は俺の生徒だろう? 生徒を護るのは先生の役目だし、当たり前の事だろうが」

 それに、と雄一は言葉を区切り、空を見上げる。少しだけ寂しそうに顔を歪め、苦笑するように口を開くと、告げた。

「………俺にも、お前みたいな【相棒】がいて、な。お前が消えて哀しむ人間もいるはずだし、それが嫌なだけだったんだよ」

 雄一の言葉は、本音だった。彼としては、失う命を護る為に『ルシフェル』になったのだから、先ほどの行動に理由を求めることをしたくない。

「あいつらも、懲りたろうし、あんまり虐めないでくれってエヴァに言っといてくれ。ンじゃ、またな、茶々丸」

「あ………はい………」

 茫然としている茶々丸を置いて、雄一は落とした荷物を片手に帰っていった。

 

 

 

 

 

 その夜、ネギが帰ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

「邪魔するぞ、爺」

 そう言って、エヴァンジェリンは扉を開けた。扉の先にいる学園最強の魔法使いであり、関東魔法協会理事である近衛近右衛門は、エヴァンジェリンを部屋に招き入れると、口を開いた。

「最近では、随分と元気になったようじゃな〜。これも、ネギ君と雄一君のおかげかのぅ」

「………フン。桜通りの吸血鬼騒動かと思えば、ただの世間話か。それなら、私は帰るぞ?」

 自分をたしなめる為に呼んだのだと思っていたエヴァンジェリンの言葉に、学園長はただ、笑い声を上げるだけだった。

早々に話を切り上げようとしたエヴァンジェリンは、何かを思い出したように顔を上げ、口を開いた。

「貴様が差し向けた、駒沢 雄一。………アレはなんだ?」

 エヴァの言葉に、ガクエンチョウは顔色を変えずに、答えた。

「差し向けた? 何のことを言っておるんじゃ? 彼は、誠実ナ青年ジャヨ?」

「なぜ途中でカタゴトになって、しかも顔が引き攣っている?」

 なにやら震えだす学園長を見て、エヴァンジェリンは溜め息を吐く。茶々丸の情報網でもつかめない相手なのだから、そう簡単に情報を流すとも思っていなかったが、流石にここまで来ると、呆れていた。

 あきれ返ったエヴァの耳へ、思いがけない声が響いた。

「そうそう。彼が言っておったよ。………御主を助けたい、じゃそうじゃ」

「………なんだと?」

 いきなりの学園長の言葉に、エヴァンジェリンの目が丸くなった。

そのエヴァンジェリンを見て、学園長がその眼を開く。

「彼は、約束を忘れたナギ君のことを怒り、あろうことか自分がのろいを解くといいおった」

 学園長の言葉を聞いて、エヴァンジェリンが大きく笑い出した。

「………くっくっく、ハァーッハッハッハッハッハ!!」

 一通り笑った後、エヴァンジェリンは怒りで顔をゆがめた。

「ふざけるな! 『魔法使い』ですらないアイツが、そんな事できるわけが無いだろうが!」

 最後は怒りとなって、叫び声が叩きつけられた。

 当たり前だ、と学園長も思う。目の前の少女は、自分よりも長生きで、あらゆる存在を見て、絶望した、いわば「世捨て人」だ。

 しかし、それでも――――。

学園長は、けっして驚きもせず、ただ、小さく、言葉を放った。

「それでも、彼が御主のことを気にかけているのは、まごう事無き事実じゃ。………話はそれだけじゃ。行って良いぞ?」

 何となく、雄一がどうにかしてくれる気が、した。その学園長の言葉を信じるはずもないエヴァは、荒々しく鼻を鳴らす。

「―――――フン! 夜道には気をつけることだな! 爺!」

  バタン、と、大きな音を立てて扉が閉められた。それを見届けた後、学園長は静かに顔を上げ、呟いた。

「じゃが、本気なんじゃよ。………彼は」

 その言葉は、エヴァンジェリンに届かなかった。

 

 

 

 

 

 夜、雄一は、すでに現状を把握していた。

 いつまでも帰ってこないネギを明日菜と木乃香と一緒に心配していた所、楓から電話がかかってきたのだ。何でも、ネギが泣きながら歩いていたらしい。

そして楓が、自分に任せてくれ、と言ってきたのだ。明日の朝には、元気にしてみせると意気込んでいたので、任せることにした。

何度も礼を言って、電話を切る。木乃香を先に部屋に帰らせ、雄一は明日菜を残した。

 そして、ネギに向けて当てられたネカネの手紙も、読んでおいた。

なになに? 二〇〇〇枚の下着泥棒?

よし、とりあえず死ね。

だが、雄一も鬼ではない。仏にも近い心で、告げた。

「よし。遺言なら聞いてやるぞ? イタチ?」

 雄一は、満面の笑顔で白い物体をフライパンの上に乗せている。その両手両足をテープで縛り、いつでも火をつけていいように、コンロへ手をかけておいたのだ。

 すでに、明日菜には制裁を加えていた。彼女の話により、雄一のためだと知って心なしか手を抜いたものになったが、それでも十分だっただろう。

 若干呆れた様子で、口を開いた。

「俺を助けたい気持ちは嬉しいが、んな事で茶々丸のことを殺してどうする! 俺はな、俺の所為で誰かが死ぬような事が一番嫌いなんだ!」

 それは、雄一の本音だった。自分が傷つくのは全く気にしないが、他の誰かが傷つくのは、赦せないのだ。

その雄一に説教された明日菜も、今では諸悪の根源に説教を加える側に来ている。よくよく考えれば、彼女も利用された一人なのだから、気持ちが分からんでもない。

「あろう事か、『支えあうのが兄弟の務め』だぁ? いい加減な事ばっかりいいやがって!バター醤油でこんがり焼いてくれる!」

『お、俺っちだって兄貴のことが心配だったんすよ! だって、あの賞金首ですぜ!? まだ一〇歳の兄貴が勝てるわけ無いじゃないっすか!』

 カモがネギのことを心配なのは、本当のことだった。

そして、それが危険なら、分散して倒すと言うのも、戦いと言う場において、間違いではないことは、雄一も認める。

 だから、引けなかった。引くつもりもなかった。

「けどな、ここは学園だ! 学び舎なんだよ! 戦場じゃない! 俺がさせん!」

『そんな事いって! 旦那ならエヴァに勝てんすか!』

 カモの言葉に、雄一は憮然とした態度で、自信満々に―――答えた。

 

 

「勝てるわけ無いだろうが!」

 

 

 余りにもハッキリした言葉に、カモどころか明日菜も固まってしまった。いいようの無い沈黙が続く中、明日菜が口を開く。

「え………? 勝てないの?」

「封印状態ですら、勝つ可能性は一〇%も無い! 保障してやる!」

「そんな保障欲しくないわよ!」

 かなり威張って言う雄一に、明日菜は呆れたように顔を歪めた。しかし、雄一は表情を変えず、真剣な眼差しのまま、告げる。

「でもな、勝つ必要なんざない。相手は俺の生徒だし、俺はエヴァを救ってやりたいと思ってる」

 それに、と雄一は言葉を切った。明日菜を見て、不敵に笑う。

「俺達は、三人だろ? 負けるわけ、ねぇよ」

 雄一の言葉に、明日菜は驚き、表情を崩した。

どうしてこう、この男は、安心させてくれるのだろうか。そして、その奇妙な安心感を与えるこの空気は、なんなのだろうか。

(ネギが、頼りにしたくなるのも、………分かるわね)

 これが、雄一の魅力なのだと、明日菜は思った。

 

 

 

 

 

 ネギは、失意のどん底にいた。

 場所は、分からない。深い森だけが、自分を嘲笑うかのように包んでいた。闇に向かう黄昏の中で、ネギは思考を続ける。

 彼の思考に浮かぶのは、幾つかの思い出と後悔だった。

 自分の尊敬する存在の言葉を裏切り、自分自身も騙し、生徒に手を挙げ、そして、現実を突きつけられた。

 自分の覚悟が、どれほど浅はかで愚かな事か、ネギは噛み締めていた。

 不甲斐無さを噛み締め、噛み締めすぎて―――口から血がこぼれた。ココに来る途中に、大切にしていた杖すら、落としてしまった。

 ネギが求めていたのは、安心できる、彼の背中ではなかった。

 自分を護る為に、『従者』として前に出る彼でも、なかった。

 彼を護るように立つ、自分でもなかった。

 たった一度だけ、頼ってもらった、あの時の嬉しさ。

 自分が、雄一の隣に立つ、あの姿。

 あの姿を、ただ、夢見ていたのだ。

 雄一の背中を支え、時には預けあい、そして助け合う―――本当の兄弟であり、仲間の姿。雄一ばかりに与えられている自分ではなく、自分も、何かを雄一に返したかった。

 それを、夢見ていたのに。

 取り返しの付かないことを、してしまったのだ。

 大声を出して、泣きたかった。その夢を、自分自身で潰してしまう、いや、潰してしまったことに、いいようのない後悔が、胸を締め付けていたのだ。

「………………うぅ………」

 もれる、嗚咽。終わりのない思考と森の迷路に、絶望を抱いて――――

「おや? ネギ坊主ではござらんか?」

 ネギは、彼女に出会ったのだ。

 其処にいたのは、長瀬 楓。クラスでは長身のほうで、いつも寝ているのか分からない表情をしている人。そして、今では見慣れない服装をしている、人。

 絶望の底にいたネギは、突然現れた「日常の生徒」に、ぽろぽろと涙を流して――――――――遂には、泣き出してしまった。

「うわああああああッ!」

 

 思わず抱きとめた楓は、抱きついてきたネギに困ったように頬をかくと、呟いた。

「これは、どういった事でござるか?」

 ただ、混乱していた。

 

 

 

 

「――――成る程、わかったでござるよ。拙者に任せてくだされ、明日には、元気にしてみせるでござる」

 ことの顛末を雄一から聞いた楓は、そう言って携帯電話を閉じる。雄一に恩を売る機会が出来たとはいえ、ネギのことも気になっていた。

 ネギは、すでに落ち着いたのか、ぼんやりと沈む夕日を眺めていた。

 楓の中でネギは、「大きな使命を背負う少年」という位置づけだった。子供ながらもその意志をささえる心の強さと、老成した性格は、素晴らしいものだ。

 しかし、相手は一〇歳だ。普通の子供なら、まだ遊びたい年頃のはず。今より昔だって、それは変わらず、遊びに割く時間を修行に当ててきたのだろう。

(………小動物の気持ちも分からんでも無いでござるが、ネギ坊主には少し、荷が重いでござるよ。ともに在りたいものの為に精一杯背伸びして、突き落とされる………・やれやれ、雄一殿も、大変でござる)

 楓が見た雄一の戦い方は、一人で多くの敵と戦うものだった。その姿は危うく、脆く、儚く―――――そして、何よりも尊い。

 恐らく、今も昔も、一般人の範疇ながら、多くの敵と一人で戦ってきたからだろう。

 だから、だろうか。自分も共にありたいと思ってしまうのは。

 テントの近くの石に座っているネギへ、楓が声をかけた。

「ネギ坊主、雄一殿には連絡をして置いたでござる」

「………すみません」

 ネギの声は、重い。今でも、雄一のことに後ろめたさを感じているのだろう。

 押し黙る二人――――楓は、思案した。

(さて、どうするでござるかな。拙者が【裏の世界】を知っていることは伏せておきたいでござるし………)

 よくよく考えると、説得や励ますとしたら、事情を説明しないといけないのだ。ヘタに説得できない。

 しばらく考え、楓は説得するのを、諦めた。

(やはり、ここは悩んでもらうのが一番でござる)

 そう決めれば、楓の行動は速かった。素早くネギの手を掴むと、楓は口を開く。

「何を悩んでいるかは分からんでござるが、どうせ悩んでも分からんでござる。今宵は月が綺麗ゆえ、外に出るでござるよ?」

「え? 長瀬さん、何を――――――」

 なにやらいいたげなネギをつれて、楓はテントを飛び出した。

 連れてこられたのは、月明かりに照らされ、薄く発光する世界だった。

木々の葉にさざ波の如く反射する光が、おぼろげながらも浮き上がる世界。

それに、ネギは息を飲んだ。

「今宵は、天気がいいでござるからな。拙者お気に入りの場所に連れて行くでござる」

 楓はそう言いながら、ネギを背負うと、一気に跳躍した。

草木の上、木の枝を飛び移る楓の背に乗っていたネギは、その幻想的な世界に眼を奪われていた。

 薄明るい世界が、瞬時に通り過ぎていく。木々のざわめきと風と一体になる瞬間―――――杖の上からでは感じられない、風景。

 そして、楓が止まった。シュタッと地面に降り立つと、ネギをおろす。ネギは驚きながらも、辺りを見渡した。

 そのネギの頭を、ポンと叩く。見上げるネギを真っ直ぐ見て、楓が微笑んだ。

「ココが、拙者のお気に入りの一つでござる」

 そして、彼女のもう片方の指が、右のほうを向いている。その先を視線で追い――――――――その風景に、息を飲んだ。

 

 

 

 広がるのは、桜色の海。そして、それを迎えうつように広がる、緑の海。

 

 

 

 小高い丘の上に、一本だけ咲く桜の木。月明かりに揺れ、幻想的な白の吹雪を演出していた。

 そして、寄り添うように立つ、細い杉の木。その杉の木を包み込むように吹き荒ぶ桜の木。周りの木々とは一線を引いて寄り添うそれは、普通なら眼にも止めない存在。

 

 ただ、桜の木が一本だけ咲いて、その横に杉の木が立っている、それだけの丘。しかし、周りの普通の木々に引き立てられているのか、とても綺麗だった。

 

 そして、そこに優劣の関係など、なかった。

 

 驚きの視線を向けるネギへ、楓が続けた。

「杉と桜、どちらも、日本にありふれた木でござる。しかし、こうしてみると、二本とも、とても美しいと思うのでござるが、ネギ坊主はどうでござる?」

 美しいと、思った。

 刹那の美しさを持つ桜と、恒常的な緑を持つ杉。その相容れぬ存在が、互いを支えあうようにして立つ、その光景。

 楓は、その場に横になる。しかし、ネギはそれを気にすることなく、ずっとその二本を見ていた。

 それは、在り得るのだろうか。他の木々が取り巻く中、全く違う存在である桜と杉が寄り添うなど、自然界でありえることなのだろうか。

 しかし、眼の前に、それはあった。確かに、そして誇らしげに。

 

 桜の木は、誰なのだろうか。

 

 杉の木は、誰なのだろうか。

 

 それでも、世界は静かに、二つを、そこに存在させた。

 体育座りをして、それを眺めている。その横顔には、すでに泣き瞑れた子供の顔は、ない。

「たとえ、どんなに才があるものでも、必ず鍛錬の時と言うものはあるでござる。最初から全てを出来る人間なぞ、いや、どれほど強くなったとしても、一人でできる事など、そう多くないでござる」

 そして、視線は二本の木に向けられた。

「あの桜の木も、長い年月をかけて、ようやく花を咲かすでござる。杉も同様、長い年月をかけて、空高く伸びていくでござる」

 楓の視線を、ネギはゆっくり見た。互いに視線を交わし、楓が口を開いた。

「ネギ坊主は、拙者よりも若い。間違う事も多いと思うでござる。しかし、其処から立ち直らなければ、踏み出そうと思わなければ、あの木のようには成れんで御座るよ?」

 楓の言葉に、ネギは何も答えない。ただ、真っ直ぐに二つの木を見ていた。

「ネギ坊主。御主は、どちらの木になりたいでござるか?」

 ネギは、答えられなかった。

 

 

 

 それから、どれくらいの時間がたったのだろうか。

 星々が回り、東の空が赤くなるまで、ネギはそれを見続けていたのだ。それと同時に、自分の事を思い出す。

 父親であるナギ・スプリングフィールドを見つける為に、必死に修行した日々。

 村のみんなの仇を討つため、死ぬ思いをして手に入れた上位古代語魔法=B

 『立派な魔法使い』になる為に、精一杯頑張っている、今。

(………雄兄は、何をしてきたんだろう?)

 思い返せば、雄一が何をしてきたのか、どうやって生きてきたのか、ネギは知らなかった。今思い出せば、知ろうとしなかったのかもしれない。

 きっと、辛かったのだろう。ほぼ毎晩、あれほどうなされる位、辛い事を、経験してきたのだ。

 きっと、悲しいのだろう。無意識に泣くぐらい、悲しい事があったのだ。

 きっと――――――誰にも、心を許せなかったのだろう。許せるほど、自分が頼りになるわけではなかったから。

 

――――「つらい時、支えあえるのが、兄弟だろう?」

 

 なんて事は無い。まだ自分は、本当の兄弟になっていなかっただけなのだ。雄一のやさしさに甘え、支えないで寄りかかっていただけの、お荷物だった。

 ネギは、立ち上がった。自分のした事を思い出し、歯を食いしばり、拳を握って―――――真っ直ぐ、顔を上げた。

 絡繰 茶々丸には、酷い事をした。エヴァンジェリンに報復されても、仕方が無い事。

 そしてそれは、同時に受け止め、越えなければいけない、壁なのだ。

 東の空から、太陽が昇る。それに照らされた二本の木は、とても綺麗だった。

 どちらが雄一なのかは分からない。

それでも、片方は雄一で、もう片方は、自分でありたかった。

そして、それを目指そうと、ネギは思った。もしかしたら、 『立派な魔法使い』になるよりも難しい夢かもしれないそれを、ネギは志したのだ。

 もう二度と、兄弟を――――『家族』を無くさないために。

 ネギは、静かに眼を瞑る。ザァッと風が流れるのを耳で聞き、肌で感じて、静かに手を上げた。

「杖よ(メア・ウィルガ)」

 風を切る音が、耳に響く。

高速で飛来する杖を、しっかりと受け止め、両手で握る。

ネギのその表情に、迷いはなかった。自分のすべき事は、全て決まっていて、それを成し遂げるための覚悟も、決まっていた。

 ゆっくりと、視線を後方にずらす。寝息を立てて眠っている楓に向け、ネギは微笑んだ。

「………ありがとうございます、長瀬さん。僕、頑張ります! 雄兄と、本当の『家族』になる為に」

 杖にまたがり、ネギは大空へ、駆け上った。後に残ったのは、風の通り過ぎる、静かで優しい音。

 どんな事が起きても、どんな昨日があったとしても――――――

 それでも日は、昇るのだから。

「先ず! 雄兄に謝んなくちゃ! ごめんなさいって! そして――――!」

 頑張る、と。

 

 

 

 

「………いい顔になったでござるな、ネギ坊主」

 薄目でそれを見ていた楓は、そう呟くと立ち上がった。軋む身体を大きく伸ばしながら、小さく微笑む。ネギの横顔は、歳以上の覚悟と気力に満ちた、大人の顔だった。

 それを思い出しながら、楓は呟く。

「………不覚にも、少しだけドキッとしてしまったでござる。不覚不覚でござる」

 その顔が紅かったのは、朝日のせいだと、楓は考えていた。

 

 

 

 エヴァンジェリンは、戸惑っていた。茶々丸が帰ってきていることなど忘れ、自分の部屋の中―――ベッドの上で、枕を抱きながら、考えていた。

 思い出すのは、愛しかった男の言葉。

『どうせだ。『光』のなかで生きてみろ。結構、楽しいぜ?』

 ナギの言葉通り、エヴァンジェリンは中学生として、生活を始めた。そのころは普通の生活が楽しく、卒業までそれほど時間もかからなかった。

 しかし、奴は来なかった。ただ、約束を護って待っていたエヴァに突きつけられたのは、死んだと言う、言葉。

 その時は、酷かった。自暴自棄になり、家に閉じこもったのだ。

 自分は待った。あの男の子供が来るのを。自由になる為に。

 しかし、思う。自由になって、何をしたいのかと。

 そして、次に思い出すのは、駒沢 雄一のことだった。

自分が吸血鬼だと知っても、そんなに悪い奴じゃない、といいきった奴。そして、あろう事か私の封印を怒り、解くとまで言い切った、男。

(―――――ッ! あんな奴に何が出来る!)

 それは、拒絶だった。雄一の言葉は、直情で出たただの世迷言だと、エヴァンジェリンは思っていたのだ。

 

 そして、それと同時に、ほんの僅かだが、嬉しかった。

その思いを振り切るように、エヴァンジェリンは頭を振るい、毛布の中にもぐりこむ。こういうときは、寝るのが一番だ。

「………何故、死んだ………? ナギ………」

 涙に濡れる、枕を握り締め―――――――

 

 

 決戦の時は、近い。

 

 

 

                           後編へ続く。

 

 

 



 面白かったら拍手をお願いします!







 目次へ