さて、刹那と木乃香の距離が縮まって、嬉しい雄一だ。

 さてさて、前日は酔いつぶれた3‐Aの面々は、昨日の屈辱を晴らすかのように、朝からハイテンションだ。昨日の静けさは、嵐の前の〜という奴なのだろう。泊まっているホテルが嵐山なのだから、笑えない。

 そんなわけで、今日は、自由行動の日だ。場所は奈良――――大仏が見たい。

 

 はてさて、何処と一緒に行動すべきか………。

 

 

 

 

 第十四話 京都旅行二日目  前編! 渡る世間は嵐ばかり。

 

 

 

 

 朝方、雄一はだるい身体を奮い立たせながら、起き上がった。

 場所は、職員用に割り振られた部屋。同室のネギはすでに起きているのか、姿が見えず、折りたたまれた布団だけが、横にあった。

寝ぼけた様子でそれを確認していた雄一は、頭を振るい、立ち上がる。軋む身体に眉をひそめつつも、普段着に着替えた。

その時、外から三つほど足音が聞こえてきた。それがこちらに向いていて、誰だろうと疑問に思ったとき、ガラガラと襖が開き、声が掛けられた。

「いつまで寝ているつもりだ、雄一」

「………おはよ。エヴァに茶々丸、チャチャゼロ」

声をかけてきたのは、エヴァンジェリンと茶々丸、チャチャゼロだった。朝っぱらから会わないと思っていた人物の訪問に、雄一は眉をひそめる。

「どうした? 何かあったのか?」

「………昨日、襲撃があったらしいじゃないか。そこで、条件を飲むかどうか、聞きに来ただけだ」

 エヴァのいう条件―――それは、雄一が彼女の『従者(ミニステル)』になる、という事だった。

雄一の強さの本質を見抜いているエヴァだからこそ出してきた条件であり、雄一本人は、彼女がなぜそんなことを言い出したのか、謎だった。

 正直な話、エヴァにはすぐにでも協力を頼みたい。封印の無効化のお返しはすでに返してもらっている(と思っているのは、雄一だけだ)ので、それを交渉に使えないのだが、何とか『契約』以外で手を打ってもらいたい。

そんな雄一を見て、不敵に微笑むエヴァ。エヴァとしては、『契約』以外、雄一の申し出を受けるつもりは毛頭無かったのだ。

裏切り者が出てきたのは、そのときだった。

『先生。マスターは仲間外れが嫌なだけです。ぜひ雄一さんと観光を「茶々丸! 貴様、何を!?」』

 突然の茶々丸の裏切り行動に、雄一は頬を掻きながら、答えた。

「誘いは嬉しいんだが、お前たちのところは、大丈夫だろ? 刹那を借りることにはなると思うが」

 木乃香の為、刹那と一緒に護衛するべきだろう、と雄一は思う。その雄一の言葉に、エヴァの顔が見る見るうちに紅く染まる。

エヴァが叫ぶ―――前に。

「俺モ連レテ行ケ。昨日ハ、楽シソウダッタジャネェカ」

 チャチャゼロが、声をかけてきたと同時に、雄一の頭部に思い痛みが走る。

出鼻をくじかれたエヴァは、地面に突っ伏す。それをさもおかしそうにゲラゲラ笑っていたチャチャゼロの笑い声に、雄一の言葉が重なった。

 

「………そういえば、昨日、お前らは何処に行っていたんだ?」

 

 雄一の、当然といえば当然過ぎる言葉に、珍しくエヴァがビクッと身体を跳ね上げた。

よくよく考えれば雄一は、夕食のときから三人の姿を見ていない。もっとよく思い出すと、清水寺のときから、エヴァと茶々丸は、見ていないような気がするのだ。

 その雄一の疑問に答えたのは、二人のどちらでもなかった。

「ケケケ。御主人ハ、朝マデ京都観光ダゼ? 俺ハ、移動ノ後、御主人ノ元ニ居タカラナ」

 これまた鮮やかなまでに、チャチャゼロが裏切る。それに続くように、茶々丸が続いた。

『それだけではなく、警察のほうに補導されかけました。逃げ切りましたが』

「おいッ! 何してんだよ! お前は!」

茶々丸の言葉に、雄一が驚愕の言葉を返すよりも早く。

 

エヴァが――――逆上した。

 

「悪いか! 私は、十五年振りに外に出たんだぞ!?」

 恥ずかしいのだろう、顔を真っ赤にして叫ぶエヴァをみて、雄一は言葉を詰まらせた。

 かれこれ、十五年。彼女はずっと、麻帆良の地に縛られていたのだ。広い場所とはいえ、それでも長い年月を経てば、もはや飽きて当たり前だ。

苦笑すると、雄一は小首を振り、告げた。

「………いや、悪くはないが、気をつけてくれよ? 以前いったとおり、俺から離れすぎると、『封印』が戻るぞ?」

 雄一が危惧しているのは、それだった。

百キロ以上離れると効果がなくなる、というのも、実を言うとあまり根拠は、ない。今までで最も長い射程距離が百キロ以上で在り、それ以上は未知数なのだ。

 というわけで、と言葉を区切り、雄一はエヴァへ、数個のカプセルを渡す。

それを受け取ったエヴァは最初、真意を掴みとれず、眉を潜めていた。

やがて、其れがどういう意味なのか理解した瞬間、明らかな驚きの表情を浮かべた。雄一の行動が信じられないのか、もしくは考えても居なかったのだろう、口を開こうにも開けない、という彼女の心境が、見て取れた。

 そのエヴァへ、雄一は告げた。

「そいつを取り込めば、一日ぐらいは無効化できる『フォトン』を補給できる。飲めば、体内で勝手に移動するから」

 雄一の『能力』の一つである『フォトン』は、彼の媒体である血≠ナ無ければ、貯蔵する事は出来ない。

 雄一の言葉に、エヴァはため息を吐いた。

そのため息に呆れた様子をみた雄一は、心外そうに眉を潜める。

「なんだ? 俺のこと、馬鹿にしてんのか?」

 その雄一のふてくされたような言葉に、エヴァは睨みつけるように視線を向け、口を開いた。

「………分からんのか? 私は、『悪の魔法使い』だぞ? 良からぬことに使うかも知れんというのに、なぜ貴様はそうポンポンと渡す? それに、これは貴様の血≠ネんだろ? 知っているのか? 血液だって、無限に造られているわけでは、ないのだぞ?」

 実際、人間の造血細胞には、限界がある。雄一は、自身の能力もあってか、そういった類の回復能力も、早いが、無限というわけではない。

 だが、雄一はそれを知っていても、言い切る。

「俺は大丈夫だ」

 雄一の言葉に、エヴァが眼を開く。

 それに、と雄一は言葉を区切る。チャチャゼロ、茶々丸、エヴァンジェリンの順番に顔を見て――――微笑んだ。

 

「お前達は、良い奴等だし。俺は、信じているから」

 

 雄一の言葉に、エヴァの顔が真っ赤になる。耳まで真っ赤になる顔を隠すようにエヴァはくるりと身体を反転させると、二、三度咳をして、告げた。

「ふん。………不本意だが、関係のない奴らは、私に任せろ。それぐらい、面倒を見てやる」

 そのエヴァの言葉を聞いて、雄一は驚きの表情を浮かべた。

「ホントか!? ありがとう! エヴァ!」

 満面の笑顔で喜ぶ雄一へ、エヴァは「ただし」と言葉を区切るように言い放つ。其れを、怪訝そうに小首を傾げて向き直る雄一へ、彼女は真剣な表情のまま、告げた。

「連絡役として、チャチャゼロを連れて行け。何かあったら、一度くらい、助けてやる」

 真剣なエヴァの眼差しが、雄一を射抜く。その眼差しには、力を貸す代わりに、其れ相応の覚悟をしろ、という忠告の色が込められていた。

「………本当に、ありがとう、エヴァ」

 いつも不機嫌で、何かと誤解されるエヴァだが、根本的には優しい人間なのだ、と雄一は思う。其れと同時に、これ以上無く頼もしそうに見えた。

 雄一がそう考えている間に、チャチャゼロが雄一の肩に座った。ぴょこ、と手を掲げると、そのまま前かがみになって、雄一の視界に無理やり身体を押し込んで、口を開いた。

「ケケケ。改メテ頼ムゼ? 雄一」

 軽快に笑う彼女の言葉に、雄一は半眼で、答えた。

「………そこが気に入ったんだな、チャチャゼロ」

 どうやら、彼女の定位置は、雄一の頭の上のようだった。

 

 

 

 ネギは、朝早くからとある部屋に来ていた。

生徒に割り当てられた、和室。その部屋には、ネギとカモ、パルと夕映、そしてのどかの姿があった。

 間違う事無く、五班の部屋。木乃香と明日菜を欠いたメンバーで、すでに集まっていたのだ。

「議題は、のどかの雄一先生への告白です」

 夕映が言った言葉に、全員の拍手が答えた。

 皆の意向としては、修学旅行中という浮ついた雰囲気の間に告白をし、急接近―――あわよくば、付き合ってしまおう、という考えのようだ。

唯一、拍手をしていないのは、目を回したのどかだった。

彼女としては、自由意思もなく勝手に決まっていたことだったが、雄一の事が嫌いなわけでもなく、そんな自分を変えたいとも考え―――――つまるところ、混乱しているのだ。

 そののどかを安心させるため、夕映がネギに手をむけながら口を開く。

「それでは、現時点でもっとも雄一先生に近いネギ先生。ぶっちゃけると、のどかに脈はありますか?」

 夕映の言葉に、ネギは小首をかしげた。

「僕も、そういった方向の話はよく分からないんですけど、雄兄は、のどかさんのことは気に入っている方だと思いますよ? 以前から、結構気にしているようですしね」

 雄一がのどかを気にしているのは、ひとえに彼女が男性恐怖症だからなのだが、悲しいことにこの中にそれが分かる人間は、居ない。ひそかに夕映も分かってはいたが、其処は閉口した。

 ネギの言葉に、パルがのどかの肩を叩きながら、笑顔で叫ぶ。

「やったじゃん! 脈ありだよ! これは!」

 そういいながらも、パルは不安を隠せなかった。

 なぜなら、雄一に恋心を抱いている存在は、のどかだけではないからだ。

楓はどうなのか判断しきれないところがあるが、龍宮 真名はそれを隠すつもりもなく、雄一へ優先的に話しかけに行っている。最近では、あのエヴァンジェリンも、雄一のことを気にしているようだった。

 全員が、強敵だった。強敵なのに、当の本人である雄一は、それに気づく様子も見せない。パルが「ラブ臭発生器」というのも、分かるだろう。

 しかし、改めて考えると、雄一に好意を向けている全員が、クラスから比較的浮いていた人物ばかりだということに眼が行く。

奇人変人というのはおかしな話だが、何かと怪しいのは、間違いではないだろう。

(ふっふっふ! さすが雄一先生! ネタの宝庫ね!)

 同人誌を書いているパルとしては、雄一の存在は大きなものだった。例え其れがネタのためでないとしても、あれの面白さは異常である。

 しかし、そこでネギが、眉をしかめた。

「でも、雄兄ぃは、忙しいし………」

 ネギの若干落ち込んだような言葉に、パルが答えた。

「ん? まぁ、確かに瀬流彦も新田も来ていないし、大変なんかもね」

 引率の先生は、雄一とネギを含めても、五人。その中でもネギは子供なので、必然的に雄一の負担が増えていた。

 それに、三人にはいえないが、雄一は重大な事件に巻き込まれつつある。その中で、果たして、のどかの為だけに時間を割いてくれるのか、甚だ疑問だった。

 それに、とのどかが重い表情で口を開く。

「………雄一先生のこと、私、あまり知らない、かも」

 のどかの言葉に、ネギとカモは顔を見合わせる。その眼差しには共通の色が在り、「秘密」という意味が如実に現れていた。

一般人であるのどかを巻き込むわけには行かないし、何より雄一が嫌がる。其れを教えるわけにも行かず、また注意すれば余計に興味を引いてしまうかも知れず、何もいえなかった。

 そこで、パルは訂正案を出した。

「う〜〜〜〜〜〜〜む。なら、今回はデートってことで良いんじゃないの?」

「話が微妙に同じだよ!?」

 珍しく突っ込みを入れるのどか。「冗談、冗談」と笑顔で否定するパルだが、その顔は笑っておらず、満面の笑顔だった。つまり、やらせる気満々、というものである。

このメンバーの中で唯一の常識人である夕映も、意外にノーブレーキで突っ走っていた。完全に孤立したのどかへ、パルが安心させるように口を開く。

「どっちにしろ、誘ってみないとわかんないし………。のどかに突然告白しろって言っても無理だしね。とりあえず誘ってから考えよ」

 そう締めくくったパルは、時計を見上げ、声をあげた。

「っと、そろそろ朝ごはんの時間だね! みんな! 食堂に行くわよ!」

 ハルナの言葉に、全員が答えた。

 

 

 

 

「こっちは、異常はなかったよ」

 雄一は、食堂に向かう前に、真名の居る四班の部屋に向かっていた。

まき絵に頼んで真名を呼んでもらい、雄一は真名を連れ、会話をしながら、ロビーの待合室に来ていた。ちなみにチャチャゼロは真名の要望で、まき絵に預かってもらっている。

 待合室で、買ってきたコーヒーを口に運びながら、昨日の事を話し合う。昨晩の襲撃の際、真名と楓には宿の警戒に当たってもらっていたのだ。

 異常なし、という真名の言葉にホッとしつつも、雄一は確信めいた表情で、呻いた。

「………しかし、これで目的がはっきりしたな。相手の狙いは、木乃香だ」

 宿には、襲撃と思われる事象が一つも起きていない。木乃香以外にもいる、注意すべき人物が狙われていないという事は、狙っているのは木乃香一人、ということになる。

それを知った雄一は、小さくかぶりを振るう。相手の狙いが絞れただけでも良し、と思うべきだろうが、気になっている存在があった。

 其れを察したのか、真名が神妙な表情で口を開いた。

「しかし、ネギ先生と戦った存在って言うのは、気になるね。こともなげに魔法≠壊すなんて、用意が無ければ、同業者でも難しいよ」

 真名の言葉通り、昨日、ネギを襲った大鎌を持つ(らしい)男は、脅威だった。特徴から言って、雄一が新幹線で遭遇した人物に間違いない、と確信している。

 この時になって、自分の不甲斐なさを知った。あの時、戦って倒しておけば、こうやって正体に悩むこともなかったのだ。変に逃がしたからこそ、不安要素として際立つ。

 そして、月詠という名の神鳴流剣士。

おそらく、二度と血≠ノよる捕縛は、通じないだろう。おそらく、というよりは確信めいた感じだ。それだけ、彼女は―――強い。

 雄一の神妙な表情を読み取った真名は、注意を引くように大仰にため息を吐くと、口を開いた。

「………ふぅ。やれやれ、私も本格的に準備をしておかないと、辛そうだね」

 そうぼやく真名に、雄一は苦笑した。ここで「申し訳ない」などといったら、睨まれるだろう。

 だから、雄一は違う言葉を選んだ。

「頼む、真名。………おそらく、今回は木乃香に付きっ切りになると思うが、他の生徒に被害が及ばない可能性がないとは、言い切れないからな。この穴埋めは、必ずするから」

 雄一の言葉に、真名が嬉しそうに微笑む。

 雄一が素直に、他の誰かに頼る。それが自分に向けられていると分かれば、悪い気はしなかった。

わざとらしく両目を瞑ると、口元に微笑を残したまま、口を開く。

「へぇ? なら、一つ、頼みを聞いてくれるかな?」

「おう? 何だ?」

 ほんの少しは躊躇うと思っていた真名だったが、瞬時に答えた雄一の問いに、少しだけ気恥ずかしそうに頬を掻きながら、告げた。

「さ、最終日で―――その、い、良いんだが、わ、私と、その、一緒に、観光で………も、どうだい?」

 自分の戸惑っている声に、真名は胸中で嘲笑った。

(やれやれ。これじゃあ、本当に、恋する乙女だ)

 しどろもどろに言葉を口にする真名を見て、雄一は軽く目をぱちくりさせた。どうって事はない、といわんばかりに、答えた。

「ん? それぐらいなら別に良いぞ? たぶん、最終日には片付いていると思うし。そのときは、真名の労いもしてやらなくちゃな」

 雄一の笑顔を見て、真名は珍しく嬉しそうに微笑んだ。こういうところを見ると、彼女もまだ中学生なのだ、と雄一は思う。

根本的な問題として、雄一はなぜ真名が嬉しいのかは、わかっていない。

 其れを知っていても、真名は気にした様子もなく席を立った。

「なら、頑張るとするよ。さて、雄一先生。そろそろ朝食の時間だ。大広間で食事のようだし、行こうか?」

 真名の言葉に、雄一は頷くと、立ち上がる。

「おう、そうだな」

 珍しく上機嫌な真名と一緒に、雄一は大広間に向かって歩きだした。

「雄一!」

 その途中で、今度は階段から降りてきた明日菜に、呼び止められた。

真名は、微笑んだまま明日菜に向かって軽く手を上げると、横を通り過ぎて広間に向かう。

明日菜は、その真名に驚いてはいるものの、気にはしていないようだ。雄一の近くまで歩み寄ると、口を開く。

「怪我、大丈夫――――そうね」

 ぴんぴんと動いている雄一を見て、明日菜はため息を吐いた。

 どうやら、雄一のことが心配だったようだ。昨日の今日とはいえ、傷だらけになった雄一だったが、傷のふさがりも、早い。

古傷だらけの身体に傷が刻まれたが、雄一にとっては、当たり前なのだ。

 雄一は、苦笑する。

朝方会った真名や刹那、そして明日菜やネギなど、自分を心配してくれる存在が、ここに居ることが、嬉しかった。

 そして、思う。

 自分は、その仲間であるはずの皆を――――――置いてきたのだ。

 その事に思考が至った瞬間、明日菜が声をかけてきた。

「大丈夫? ………なんか、辛そうだけど? 傷が痛むの?」

 心配そうに覗きこむ明日菜へ、雄一は苦笑を向けると、首を左右に振った。

安心させる為にやったのだが、引きつっていたのだろう―――雄一を見る目は、仲間をみるそれだった。

 その眼に、雄一が言葉を無くす。ほんの一瞬の躊躇いの後、口を開いた。

 その眼に、雄一は――――

「………大丈夫だ。悪いな、明日菜」

何も答えられそうに、なかった。

 

 

 

 

 朝、クラスの生徒が昨日の失態を取り返そうといつもの倍以上に騒がしく食事を取る中、雄一だけは、上の空だった。

「ねぇねぇ、雄一先生。一緒に回ろうよ〜〜〜」

 その雄一にすがりつくように身を寄せ、今日の自由行動に誘っているのは、鳴滝 風香だった。姉のそれを見て、妹の史伽は、慌てた様子でその姉を引き剥がそうとしている。

「お、お姉ちゃん、先生、疲れているようだよ!? や、止めていたほうが………」

 史伽の言葉に、雄一がようやく状況を把握する。口の中に入れていたものを一気に飲み込むと、答えた。

「………いや、大丈夫だ。史伽、悪いな。ああ、後、今日は五班についていくことになっているからな。代わりに、チャチャゼロを「貸ストカイウナヨ? 雄一」――――まぁ、諦めてくれ」

「「ええ〜〜〜〜〜〜〜」」

 不満そうな鳴滝姉妹と、視界に映る楓。

他にも誘おうとしていた生徒ががっかりした様子を見せている。その中で、エヴァと真名から殺気を感じるのは、どうしてだろうか、雄一には分からなかった。

 ちなみに、大広間に来てすぐ近づいてきたチャチャゼロは、雄一の頭の上に載っていた。何が楽しいのかわからないが、雄一の頭の上がいたく気に入ったようだ。

 その雄一を見て、違う歓声を上げていたのは、パルだった。

「やったじゃん! 誘う前についてきてくれるなんて! 以心伝心よ!」

 ハルナの言葉に、ようやく頭が回りだした夕映が、口を開いた。

「………いささか疑問は多いですが、まぁ、良しとしておきましょう。ところでのどか。先ほどから微動もしていませんが?」

 二人が、ゆっくりと視線を隅ののどかに向け、絶句した。

 宮崎 のどかは、完全に口から魂を出していた。半透明のそれが、光り輝く階段の前まで進み――――――――――

「って、のどかストップ! いくらなんでもオーバーすぎだよ!」

 慌ててパルがその光を包み、のどかの口に押し込む。

ややあってしっかりと意識を取り戻したのどかは、急に慌てだす。両目に涙を浮かべると、叫んだ。

「ど、どどどどど、どうしよう! いいいいいいいつ」

「落着くです、のどか。一緒の班だとしても、まだデートが決まったわけじゃないです」

 夕映の言葉に、のどかがほんの少しだけ落ち着き、深呼吸を開始する。深呼吸をするのどかを置いて、夕映は思考した。

(たぶんですが、おそらく明日菜さんが関係しているでしょう。ネギ先生も一緒に居ることから、何かあるようですが………)

 意外に鋭い夕映の思考に気づくはずも無く、クラスは騒がしかった。

 

 

 

 

 さて、雄一とネギ、カモ、刹那を加えた五班は、奈良公園に来ていた。ちなみに、六班のメンバーであるエヴァと茶々丸は別行動で、三班の警戒をしていてくれた。

 多くの鹿が放し飼いにされている、奈良公園。

その中には、有名な東大寺があり、雄一たちは南大門に来ていた。東大寺の相聞で阿形と吽形の金剛力士像は、「阿吽の呼吸」という言葉であまりにも有名である。

 どうでもいいこと―――ではないのだが、鹿せんべいは、京都府が認めているものではない。餌を与えないでくださいと、きちんと注意書きがされているほどだ。

 というわけで、雄一は頭にチャチャゼロ、片手にガイドブックという昨日の異様な格好で、説明をしていた。

「有名な奈良の大仏―――正式名称は「盧舎那仏坐像」で、天平時代から何度も損傷を受け、小さくなってきたが………それでも大きいよな?」

真剣な言葉とは一変、適当な言葉遣いに、ガクッと皆が肩透かしを食らう。ぼりぼりと頬を掻く雄一は、適当なところで軽く手を鳴らすと、告げた。

「っつうわけで、解散。各自自由行動で良いぞ?」

 幸い、周りには人が適度に多い。固まって行動すれば関係ない生徒を巻き込みかねないし、其処まで手が回るかと聞かれれば、答えはNO、だ。

 木乃香の護衛に力を入れよう、と頭の上のチャチャゼロと目を合わせた瞬間、パルが雄一の頭の上に居るチャチャゼロに、叫んだ。

「ゼロっち! 一緒に鹿でも見に行こう! ほらほら〜〜♪」

 パルはそう叫ぶと、雄一の頭からチャチャゼロを引き剥がす。当のチャチャゼロは、慌てた様子で雄一の髪の毛を掴み、首に足を回した。

 そして、叫んだ。

「ア、コラ、ヤメロ、雄一! ドウニカシテクレ!?」

 しかし、一番大変なのは、雄一だった。首を締め付けるチャチャゼロの足と、頭皮に壊滅的な刺激を与える手に、口から悲鳴が、零れた。

「し、死ぬ………」

 ほんの一瞬だけ、綺麗なお花畑が脳裏をよぎった瞬間―――――。

「って、やめい!」

 パルを振りほどき、チャチャゼロの腕と足を弾き飛ばすと、雄一は咳き込む。ぽん、という軽い音共に放り出されたチャチャゼロを左腕で抱きかかえながら、雄一は息を整えつつ、諸悪の根源へ半眼を向けた。

 そして、恨みがましい口調で、告げた。

「何のつもりだパル? 俺を殺せとガクエンチョウにでも言われたか?」

 しかし、パルは目にも留まらぬ速さで雄一からチャチャゼロを奪うと、引きつった笑顔で口を開いた。

「い、いや、新しい仲間であるゼロっちを祝おうとして、さ。あ、明日菜ぁ〜〜〜向こうにある喫茶店行くよ! ほらほらほらほら!!!」

「ちょ、ちょっと、パル。引っ張らないでよ〜!」

 悲鳴をあげる明日菜と一緒に、刹那とそれを追い掛け回していた木乃香を連れて、夕映やネギとともに行ってしまう。

学園五柱の内、二人を連れて行くとは、パルも侮れないな、と不思議な面持ちで見ていた。

 ちなみに、学園五柱というのは、雄一が勝手に決めた危険人物のことである。真名、刹那、エヴァ、チャチャゼロ、クウネルの五人の事だ。一番危険なのはチャチャゼロで、一番安全なのは刹那だったりするのだが、この際、どうでもいい。

 残ったのは、雄一とのどかだった。

互いに顔を合わせ、雄一は苦笑する。のどかは分かっていないのか、きょとんと雄一を見た後、突然顔を紅くすると、顔を下に向けた。

忘れられたのか、置いてけぼりを食らったのどかを置いて、木乃香の護衛に回るのは気が引けた。向こうにはネギと刹那、チャチャゼロが居るのだから、雄一より安心だろう。

 なにより、雄一から言い出さないと、素面(しらふ)ののどかは、顔を真っ赤にしているだけだ。会話を始めるきっかけのため、声をかける。

「ま、せっかくだし、どっかでお茶でもするか。いこうぜ? のどか」

「あ、はい!」

 こうして、パルの陰謀は始まった。

 

 

 

 

「くっくっく! さすが雄一先生! 期待を裏切らないね!」

 がさがさと、茂みに隠れていたパルが顔を出す。それに伴い、明日菜、刹那、木乃香、チャチャゼロ、夕映と次々と顔を出してくる。

 遠くに行っていたように見えたが、実は曲がり角で戻ってきて、様子を見ていたのだ。

 服についた木々を払いのけながら、明日菜が文句を言う。

「んで? 何のつもりなの? パル。………事と次第じゃあ、空に行くことになるわよ?」

 右腕を掲げて言う明日菜の問いに、パルは腕を組みつつ、指を一本だけ立て不敵に微笑む。カッと目を見開くと、彼女の眼鏡の奥が怪しく輝き、叫んだ。

「何を隠そう! のどかは雄一先生へ告白しようとしているのよ!」

 大声で自信満々に叫ぶパルへ、ほんの数十秒、誰も答えなかった。

知っていた夕映とネギは、その反応にいぶかしげに小首をかしげ―――――

「「「えええええええええええええええええええええええええええええッ!?!?(何イイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ!?!?」」」

 声を上げたのは、明日菜と刹那、チャチャゼロと彼女につながっているエヴァの三人だった。

チャチャゼロはともかく、エヴァは突然叫んだのだ。向こうでは、道行く観光客の奇異の目線にさらされているところだろう。

 予想以上の反応に、パルの触覚がピンと伸びた。「ラブ臭」を察知したのか、驚いてそうなったのかは、定かではない。

 ただ、刹那は呆然としていた。あまりに突然の事過ぎて、頭が追いついていないのだ。

(ゆ、雄一さんに告白―――!? まさか、いや、でも、しかし)

 のどかが雄一に対して、恋心を抱いているのは、知っていた。しかし、それは思春期特有のものであり、目上の者に対する憧れに近いものだと考えていたのだ。

雄一に近づこうとして、その間にある大きな溝を知り、諦めていたと思っていた。

 雄一に近づこうとすれば、他の誰もが気がつく、溝。その溝が一番浅いのは、自分だと思っていたからだ。

 しかし、あの引っ込み思案ののどかは、その溝を飛び越えようとしていたのだ。

何故かわからないが、物凄く――――焦る。少なくともこの一瞬、木乃香の事を忘れていた。

「ほ、本屋ちゃんは良い子だけど………まずくない? 生徒と教師よ?」

「そ、そうです! それは不味いのでは!?」

 戸惑う明日菜の言葉に、刹那が高速で同意した。

その二人へ、パルは「ちっちっち」と指を振るうと、彼女は不敵に叫んだ。

「だからいいんじゃない! 禁断の恋! く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜燃えるわ!」

 眼に燃える火を輝かせながら叫ぶハルナの言葉に、明日菜と刹那が何かを言うより早く。

「! 移動するです。皆さん、行きますよ?」

 雄一とのどかが移動したのを見て、夕映が声を潜める。あまり大声を出すわけにもいかず、放って置く訳にもいかず、邪魔するわけにも行かず――――全員は、雄一とのどかを追いかけていった。

 

 

 

 他の皆のことを考え、雄一は大仏殿の見える休憩処に、腰を下ろした。来るまでの会話でようやく緊張が解けたのか、のどかと談笑するところまで来た。

 ふと、雄一が思う。ほんの一瞬の疑問を感じた雄一は、口が動いていた。

「そういえば、パルたちはどこに行ったんだ? なんか慌ててたけど、何かあったんかな?」

「た、多分、大丈夫ですよ。きっと、すぐ来ます」

 のどかが苦笑交じりに言葉を返す。いぶかしげに思いつつも、雄一は視線を大仏殿へ向けた。

 しんみりとした表情で、つぶやく。

「懐かしいなぁ………」

 雄一の言葉に、のどかが顔を上げた。純粋な疑問の顔と口調で、口を開く。

「雄一先生は、前に来た事があるんですか?」

 のどかの言葉に、雄一は苦笑交じりに肯いた。両足の太ももに腕を乗せると、懐かしむように空へ視線を向けると、口を開く。

「俺は、茨城生まれなんだけど、早々と両親と死別して、な。当時、八歳だった俺は、義姉と一緒に、京都の祖父母に預けられたんだ」

 雄一の口から出る、身の上話。それは、雄一とのどかの後ろにある茂みに隠れていた六人にも、届く。

 雄一の身の上話を聞くのは、ネギ共々、初めてだった。その真意を掴み取れないのどか達も、疑問を抱く

 神妙な面持ちののどかに笑いかけ、雄一は言葉を続けた。

「こんな都会じゃなくて、完全に山の奥でね。冬は寒かったけど、森は広かったし、綺麗で―――――楽しかった」

 その時、すでに雄一の【世界】は、『戦争』をしていた。歴史上最悪と呼ばれる大虐殺を経て、長い混乱の時代が続いていた。

その頃、雄一も冷厳槍月流最後の師範と出会い、その心得と戦い方を、習っていた。

 夜遅く、梟が鳴くまで川岸で槍を振るう自分と、それをやさしく見守る師範、そしてその帰りを待っていてくれた、祖父母。

それは、時代と逆行した生活であり、それでも嬉しい存在だった。

その戦火から程遠い場所にあった祖父母の家も、次第に広がる戦火に呑まれ、消えていった。

 森は焼かれ、川は干上がり、生物は死滅する。その頃にA級『ルシフェル』になっていた蓮が助けてくれていなければ、雄一は死んでいた。

 そして、祖父母は、死んだ。のどかには本当のことを言うわけにもいかず、天寿を全うした、と言った。

「………勉強をしないで中学生の高学年までなったけど、結構、荒れていたかも。んで、NPO団体に所属して、学園長に雇われたんだ」

 そういう設定を、ガクエンチョウと決めていた。 

本当の雄一の過去は、高校に行ってから『ルシフェル』と『アカツキ』の存在を知った。自分の義姉が最強の『ルシフェル』だと知ったのも、その頃だ。

 そして―――――ここに居る。戦争が続くその場所から、逃れ。

 後悔と自責の念がこもった雄一の横顔を見て、のどかは胸が締められる思いを抱いた。

 雄一が抱く悲しみや重さは、彼女にどうすることもできないものだった。そして、それは、あまりにも、遠く、重く、そして辛い。

「………先生」

「でも、な。今は、この状況も、楽しいんだ」

 雄一の出た言葉に、のどかが顔を上げる。

視線の先。やさしく微笑む雄一を見て、のどかは思考が止まるのを、感じた。憧れた横顔で、全ての優しさを惜しみなく他の人へ向ける、あの笑顔。

その笑顔に至るまでの過程を、のどかは知らない。ただ、その声だけは、心に刻む。

「高畑と会って、明日菜と会って、ネギと会って、のどかと会って、刹那と会って―――数え切れないほどの出会いをして、毎日、楽しくて――――。本当に、幸せものだよ、俺は………………」

 その言葉と、横顔を見て、のどかは、寂しさを感じた。

 まるで、自分たちとは『違う』世界で生きてきた存在のような、その儚い存在に―――――――のどかは、触れた。

 不意に腕をつかまれた雄一は、のどかに向き直る。今にも泣き出しそうなのどかは、キッと口を紡ぐと、搾り出すように、告げた。

「………雄一先生は、………先生は――――」

 言って欲しい。

好きな人間でもなんでもなく、ただ雄一を見ている存在として、それを知りたかった。何を隠し、何に疎外感を覚えているのか。

本人の口から、言って欲しかった。

 茂みに隠れていた明日菜やネギ、刹那も、同じ気持ちだった。幸せだ、と言い切った彼の横顔に浮かんだ、あの寂しさを、知りたかった。

 のどかが大きく息を吸い、何かを言おうとした、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 

 閃光が、輝いた。

 

 

 

 

 雄一が一瞬早く反応し、のどかを抱きかかえ、その場を飛びのく。とっさの雄一の行動に、のどかが眼の色を反転させながら、顔を真っ赤にした。

 その瞬間、雄一たちの座っていた腰掛が、吹き飛ぶ。

その爆音に、辺りに居た客が騒ぎ出す。悲鳴をあげ、逃げ出す人達もいたが、他の誰かを狙う事無く、雄一の方へ幾つもの光が、突き刺さった。

雄一は、一瞬だけあたりを睨む。不審な人物はわからないが、他の誰も狙わないところを見ると、間違いなく狙いは、雄一だった。

「ゆ、ゆうい―――「静かに。………息苦しいかも知れないけど、眼、瞑っておきな」」

 次の瞬間、雄一が空を、駆け出す。

全力の『瞬動』を使い、人の居ない方向へ飛ぶ。のどかを巻き込んでしまったが、ここで下手に降ろすよりも、近くにおいておいたほうが安全だ、と判断したのだ。

もしもの場合、エヴァに記憶を消してもらえばいい。必要なのは、安全だ。

 今は、何があっても生徒を護る―――それが、雄一の考えだった。

 

 

 

 

「敵襲ッ!?」

 とっさの判断で木乃香を掴み、刹那は伏せると同時に、彼女へ睡眠の札を貼り付けた。ネギは杖を、チャチャゼロは夕映、明日菜はパルを掴み、木の陰に逃げ込む。

ついでに、チャチャゼロが当身をして、夕映を眠らせていた。パルは、腰掛が爆発したとき、吹き飛んできた破片がこめかみに命中し、気絶している。

翻弄される雄一と、研ぎ澄まされたような紅い光条。その射出地点を見定めたチャチャゼロは、軽快に笑った。

「ケケケ。遠距離カラノ攻撃カ。タイシタ腕前ダ」

『ゲッ!? 姉御! 敵はあの山から討ってやすぜ!?』

 驚愕の声で叫び、指を差すカモ、視線のその先には、山があった。

 が、その距離は半端ではない。直線距離にしても、五〇〇mはあるだろう。

「………マジ?」

 普通に考えて、この距離で殺傷能力を持たせた矢を放つのは、不可能だ。しかも寸分違わず、雄一に向かってだけ放つなど、人間業ではない。

 しかし、その存在に、ネギとカモは心当たりがあった。昨日の敵だ、と瞬時に判断すると、叫ぶ。

「この間の襲撃者です! 雄兄と、のどかさんが危ない!」

 ネギの言葉に、刹那は瞬時に判断する。

(話を聞く限り、その男は西の刺客との接点は、無い)

 もし、男が西の刺客なら、ネギを追って旅館まで来ていたはずだ。狙いが雄一であるのを見ても、西の刺客である可能性は、低い。

「明日菜さん! 木乃香お嬢様を頼みます!」

 ネギが杖に跨り、浮かぶと同時に、刹那が駆け出す。チャチャゼロは、ちゃっかりとネギの杖に乗っていて、二人の姿が一瞬で掻き消えた。

 明日菜がキョトン、と眼をぱちくりさせた後、バッと顔を向けた。

 雄一はすでに、森の中に消えていた。

 

 

 

 

 のどかにしがみ付かれた雄一は、できる限り矢の射程距離から遠のくように移動していた。のどかを連れ、相手と戦えるほど、雄一は自分の力を過信していない。

 しかし、相手も移動しているのか、だんだんと気配の距離が近づいてく。発射の音が、耳に響いたのだ。

「拙い、な」

 雄一がそうつぶやいた瞬間だった。

 森の奥から、いまだかつて無いほどの巨大な焔が舞い上がり、瞬時に飛来した。

避けきれない。そう判断した雄一は、のどかを護るように、背を向け――――それが、雄一の背を貫き、焼いた。

「ぐああああああああああああああ………ッ! クゥ………」

「先生ッ!?」

 悲鳴をあげる雄一に、のどかが叫ぶ。突然のことと、そして今目の前で人が傷つくのを見て、のどかは恐怖した。

 ぴちゃり、と、のどかの顔に血が張り付く。左肩から、ほんの僅かに滲み出す紅い血痕と、輝く矢じりが覗いていた。

 平和な自分の世界観を変える出来事。

自分を置いて展開する世界―――――

「相変わらず、甘ちゃんだな。………『ルシフェル』」

 それを打ち砕いたのは、白い羽を持つ、『天使』だった。

 あまりの恐怖に、のどかは雄一に抱きつく。引きつるように身をすくめる彼女に、雄一は眼差しを向けていた。

 恐怖。未知なる相手に、万人が抱くその思いを見て、雄一の胸が、震えた。

――――気がつけば、雄一はその頭へ、自分の手を載せていた。のどかにとっては、大きな、暖かい手。

自分の体温ではないそれは、かすかに震え、濡れていた。

「怖い、よな」

 震える足を奮い立たせ、雄一は、立つ。

激痛に身を焼かれながらも、左肩に突き刺さった矢を引き抜くと同時に、腰のホルダーに填めておいた十字架を引き抜くと、のどかに顔を向けた。

「辛い、よな」

 人を安心させる、笑顔。自分が始めてみた、あのやさしい笑顔。

「護る、から。待ってろ」

 全てから護るように聳え立つ、巨大な体躯。何倍も大きく見えた、その体躯を持つ男は、踵を返した。

 そうして、振り返ったその背中は大きく――――――儚かった。

 

 

「テメェ………! いきなり襲い掛かってきやがって………!」

「ほう? まだ動けるのか? 相変わらず、面倒くさい奴らだ」

 事も無げにそういう男は、雄一が新幹線で会った男に違いなかった。その男の背中には、八枚の純白の羽が広がり、視界を埋め尽くしていた。

そして、男が身に纏っているのは、金と白の装飾が施された、鎧。

 手には、大鎌。舞い上がる焔が、空気に散っていく。

『天使』。その存在へ、雄一は、告げた。

「………その姿、気配から見て、『天使』だよな? 『アカツキ』じゃなさそうだが」

 縁があって『天使』を知る雄一の言葉に、彼はフッと笑みを深めた。

「当たり前だろう? 『咎人』。こちらの世界では、【禁忌】を犯していないのだからな」

 雄一の問いに、すべてを知っているかのように、男が答える。その男は、静かに大鎌を構えると、姿勢を落とした。

 スッと、眼差しが戒められた。冷たい眼光を輝かせながら、口を開く。

「事情が変わった。このままお前を放置すると、厄介なことになりかねん」

 男の顔には、軽い失望の念が見て取れる。いぶかしげに思ったのは、雄一だ。

「事情?」

 その雄一の疑問に答える事無く、男は静かに、答えた。

「とりあえず、死んでくれ。『咎人』」

 次の瞬間、雄一の手に持っていた十字架が、引き伸びた。

現れた、ガラスの十字槍。

それを構える雄一の背中を見て、のどかは、急激に恐怖が引いていくのを感じた。

 圧倒的な恐怖から、自分を護る、安心できるその背中。

その重さを確かめるように、三階ほど槍を振るった雄一は、その手応えに笑みを深めると、不敵に叫んだ。

「我が血=A楽に拭えると思うなよ?」

 次の瞬間、二人の間に火花が散った。

雄一の突き出した一撃を、大鎌の背で弾く。薄刃で受け流され、返す腕で振るわれる一撃を、雄一は寸でのところで避け、距離を取った。

 大鎌は、その武器の形状から、実のところ戦闘に向いているものではない。諸兄などで首を切り落とすのには適しているものの、刃の部分を当てるには、どうしても大振りにならざるを得ないからだ。

 しかし、男の大鎌は、違う。扱い方は雄一と同じで、狙うのは、雄一の首のみだった。

 雄一の裏に回る。それを追うように雄一は視線を向け、同時に、その手が伸びていることに気がついた。

 瞬時に判断し、頭を下げる。その雄一の残った髪を少し斬りながら、男の鎌が――引き付けられた。

 それに臆する事無く、雄一はざっと足を踏み込むと、槍を突き出す。

男は上半身を逸らして避けるが、十字槍の片翼を切り裂き、胸が裂けた。伸びきったところで振り下ろした槍は、横に逃げて避けたが、男の目には軽い驚きが滲んでいた。

追撃とばかりに、もう一度槍を突き出す。回転を加えたその突きは、男の大鎌で弾かれ、吹き飛んだ。

 再度、距離を取る二人。たった数合の戦いで雄一は、内心で舌打ちをした。

(………強い)

 今までの敵とは違い、男は雄一の攻撃を、完全に見切っていた。

先ほどは、十字槍の特性により攻撃を与えられたが、その間合いも、二合目には見抜かれている。

 そして何より、武器としては未完成のはずの大鎌での、攻撃。

先の先をとる雄一とは違い、相手を中心において円を描き、隙あればテンポを遅らせた攻撃を仕掛けてくる、その完成された戦い方。

 男は面白そうに顔をゆがめると、口を開く。

「普通の人間にしか過ぎない男が、よくここまで戦えるようになったものだ。………クックック。人間とは、面白いものだ」

 その言葉に驚いたのは、雄一だった。雄一しか知りえない事実を口にした男に、怪訝な思いを抱いた瞬間、男が顔をゆがめた。

少しだけ雄一から視線を逸らしたその先から、光の刃が飛来する。

 男が裏に跳躍したと同時に、大鎌を振るう。斬撃とともに舞い上がった焔が、光の矢を打ち落とした。

 『魔法の矢(サギタ・マギカ)』。それとともに、烈火の気合とともに何かが、飛び出した。

「ハアアアァァァッ! 神鳴流、奥義!」

 突進するように飛び出して来たのは、刹那。

 『氣』を纏った夕凪を、肉薄した男へ、振るう。

「斬、鉄閃ッ!」

 螺旋を描くように放たれた一撃は、男の身体に向かってその渦が放たれ―――――

「―――――小賢しい」

 左腕を向けた瞬間、信じられないほどの『魔力』が、実体を伴って放たれた。

 ただの、『魔力』。魔法≠ノよって指向性も付加もされていないそれは、相容れぬ『氣』の一撃を吹き飛ばす。

とっさの判断で避けた刹那の後ろにあった木々が、吹き飛んだ。

 降り立った先ですぐに体勢を立て直し、振り返る。小さく舌打ちをし、見上げる刹那目に、男の「白い翼」が映った。

「その、翼は………!?」

 驚きに双眸を見開く刹那を、男はなにやら怪訝そうに眉をしかめたが、すぐに合点が行ったように頷くと、口を開いた

「………ほう。化生の物――――」

 男がゆっくりと口を開いた瞬間、刹那が飛び出した。見抜かれた、言われてはいけない、反射的な行動。

「うわああああああッ!」

大きな叫び声と共に飛び出す、酷く直線的な行動。

 その刹那のとっさの行動に、驚いたのは雄一だった。

「馬鹿ッ! ちッ!」

 飛び出した刹那を迎え撃つように、男が大鎌を、投げた。

 円を描くその軌道の直線上には、空中に飛び出した、刹那の姿。大きく眼を見開いた刹那には、避ける術はなかった。

煌めく刃が刹那の顔を斬るよりも早く、飛び出した雄一が彼女を右腕で抱きかかえ、左腕のグエディンナで、弾く。

 弾かれた大鎌を、何時の間にか距離を詰めた男が右腕で受け止め、肩にかける。面倒くさそうに顔をゆがめると、男は、大きく息を吐く。

 そして、上に飛んだ。背中にある八枚の翼を翻し―――男が、大鎌を振るう。

「貴様らの相手も、いささか飽きた。………そろそろ、消えろ」

 男の宣言とともに、手が振るわれる。

――――そして現れたのは、無数の焔の矢。雄一を狙っていたあの矢が、宙に浮いていたのだ。

 それは、まるで――――眼前に突きつけられた、『死』の象徴で、刹那と雄一は、言葉をなくしていた。のどかも、それを見上げているだけで、逃げられそうにも、無かった。

「雄兄ぃ!」

 『魔法の矢』を撃って走ってきたネギとチャチャゼロが、駆け寄ってきた瞬間――――男が、手を振り下ろした。

「来るなッ! ネギッ! チャチャゼロッ!」

 矢が動き出したのと、雄一が叫んだのは、ほぼ同時だった。

 降り注ぐ焔の雨は、どこまでも無慈悲で―――――美しく。

 

 

 

 次の瞬間、森が紅く、染まった。

 

 

 

 

 そして―――――――風が吹いた。

 

 

 

 

 

 『天使』は、終わったと思っていた。

 自身の能力である、『焔』を収束した矢の嵐。打ち出された瞬間に、それぞれの顔に浮かんでいたのは、絶望。

 本来、その感情を楽しむはずも無いが、存在が存在―――少しだけ、楽しかった。

 そして、煙がはれた先には、黒く染まった大地と―――――――

 

 

 

 

 轟と。

 ただ、風が啼いていた。

 あらゆるものを吹き飛ばしてたる地獄の業火。

―――雄一は、ほんの一瞬でネギと刹那を引き寄せ、のどかに抱きつき、自分の身体で覆う。今でも焼けるような自分の背中とは比べ物にならない火力から、せめて、生徒とネギだけでも、護りたかったのだ。

 しかし、その激痛はいつまでたっても、こなかった。訝しげに顔を上げた瞬間―――――胸に、懐かしい感触が浮かんだ。

 視界に映るのは、光。その外は黒い大地で、その内側は、全く変わらない、今までの世界。

 そして、雄一は、「それ」を知っていた。

 振り返る。

 記憶の中とは違う、短い銀色の髪を覆うようなイヤーカバーに、真四角の肩と身体を覆う蒼と白の装甲―――太腿まで膨らんだ布に、車輪が取り付けられたブーツのような、足。

 そして、その存在の肩には、この光の壁『防御力場』を作り出す、宝玉が輝き、昔から変わらないように、無表情をこちらに向けた。

 そして、彼女は――――――――――

「無事か?」

 記憶にある言葉を、口にした。

 呆然と見上げる雄一に、告げるその声に、雄一は―――【相棒】の名を告げた。

「………レウィ、ン?」

 搾り出すような雄一の言葉に、レウィンは確かに、微笑んだ。

 そして、不敵に、肯く。

「ああ、マスター。私は、ここにいる」

 異世界の、違う場所、違う時代で―――――二人は、再会した。

 

 

 

 




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