四、敵



 

「魔法使い≠ヘ、混血なんだ。魔法遣い≠ニ普通の人間の間に生まれ、人間の血が多くなると現れる」

 諦めたような声音が、耳に響いた。

「………魔法遣い≠フ血が多いと、普通の人間と変わらないから、混血の魔法遣い≠探す事は、困難だった。外見も、魔法もつかえない魔法遣い=\―――それを探すために、西洋ではバンパイアが生まれ、姿形は違えど、日本でも、他の国でも血をすする怪物が生まれた。それらは全て、魔法使い≠ェ魔法遣い≠飲むために、行なってきたことだ」

 吸血鬼―――日本でも、人の肝を食い、力を増す妖怪もいる。それらは全て、魔法遣い≠探して生き血をすすった、魔法使い=B

 人間が、人間の血をすする―――その光景に、背筋に寒気が走った。

「彼らでも、それなりの力を手に入れられた。………君の血が、どれほど貴重なものか、分かっただろう?」

 絵梨の言葉が、頭の中にぐるぐると回り、吸収されていった。

「この町に、魔法使い≠ェ集まる理由――――本能的に、君の血を求めているんだ。数は多くないとはいえ、それでも世界で異常なほど多い。………私も、その一人なのかもしれないな」

 自嘲めいた言葉を聞いて、翔は言葉どころか、思考すら停止していた。

「ど、どうやってそれを証明するんだッ!」

 ようやく搾り出した言葉―――それに、絵梨はたいして悩んだ様子もなく、小さく微笑みながら答えた。

「………魔法遣い≠ヘ、記録に残らない。どこか、思い当たる節はないか?」

 記録――――杏樹の部屋で見た、自分の消えた写真。あれ以外、翔がうつった物など一つも無い。

 しかし、それよりも驚きの事があった。自分自身、一番の信頼を置いていた親友である彼女から明かされた事実は、信じられるものではなかったのだ。

 指から火花しか出せない、この血が持つ、ひとつの可能性――――それらの理由が全て、分かった。分かったが、あまりにも突飛過ぎる現実―――――。

「とにかく、逃げ出そう。話はそれから―――――」

 

 

「お前は――――どうなんだ?」

 

 

 翔は、その言葉を言った後、水村が驚いて振りかえった顔が、忘れられなくなった。

 驚愕の顔から、淋しさを感じさせる、儚い苦笑―――それを見て、翔は自分の言葉を、自分自身を呪った。

「ちが――――」

 

 翔の言葉をかき消す、破壊音。鉄製の扉が吹き飛び、盛大に砂埃を巻き上げた。薄暗い工場内部を映す紅い光を背に、その男が入ってくる。

「逃がすと思うのか? 魔法遣い=v

 歩いてきたのは、無論、エアゾル。不敵に微笑みながら、翔との距離をつめつつ、言葉を続ける。

「しかも、完全な純粋種――――ふふふ、ははは、ハァーハッハッハッハッ!」

 盛大に笑うエアゾル。

刹那、それに向けて、絵梨が何かを投げた。

 瞬間、エアゾルの眼が細められ――――白い刃が、翻される。それが何なのか、翔には理解できない金切り音と共に、絵梨が投げたものが真っ二つに裂ける。

その瞬間には、辺りに何かが撒き散らされた。

 ペットボトル。恐らく水であろう、それが盛大にエアゾルにかかり、辺りに撒き散らされた。

「………ほぅ」

 感心したような声にこたえる事無く、エアゾルが絵梨の方に向き直るよりも早く、彼女は動いていた。

 口にくわえたパイポを、相手に投げつける。エアゾルがそれを叩き落とし、地面に触れるまさにその瞬間―――――絵梨が微笑んだ。

 刹那、パイポが宙にとまった。地面に触れるよりも早く、なにか、眼に見えない箱に入ったように、空中を少しだけ転がっている。

「………どうやら、発動条件の一つらしいな」

「つぅッ!」

 忌々しそうな声―――それと同時に、絵梨が翔の手を引いた。慌てて体を引かれた翔は、思わず倒れそうになる。

 が、全てはそれまでだった。翔も絵梨も、動こうとした瞬間の格好のまま、静止したのだ。そのまま、地面に叩きつけられる。

 驚きを隠せない二人へ、エアゾルは深く微笑みながら、告げた。

「俺の能力を教えておこう。俺の能力は、『空気』。その場に空気の壁を作ることもできれば、動かしてカマイタチを作ることもできる。今、お前達は一トン近くまで圧縮された空気の壁に囲まれているんだよ」

 大気圧――――空気の圧力が、翔の体を押し付けているのだ。

「く………」

 呻き声がもれる。

 エアゾルは、翔の頭を掴みあげた。空気に押し潰されそうなアバラの軋みを聞きながら、翔は視線を上げる。

 エアゾルの、にやついた笑顔――――一瞬だけ訝しげな顔をし、絵梨のほうへ向いた。

「純粋種に手を出していないな? 何でだ?」

「………黙れ」

 苦々しそうに、絵梨が告げる。それを聞きながら、エアゾルはひょうひょうとした態度で、嘘らしく顔をしかめた。

「おお、怖い、怖い。魔法遣い≠ウん、早いところ、俺へ魔法を使ったらどうだ? 純粋種なら、さぞかし素晴らしい魔法がつかえるのだろう?」

「………」

 翔は、答えない。ここで、自分の魔法―――『指を擦り合わせれば火花が出る』ということをしても、この状況が打破できるとは思わなかった。

 エアゾルの手が動く――――その刹那、異変が起きた。

 地面から何かが迫り出し、エアゾルを巻き込む。それらは翔と絵梨を包み込むと、廃工場の壁を破壊し、外へ押し出す。

 夕日に照らされている影――――それは、『木』だった。それに驚くよりも早く、声が聞こえた。

「あっぶねぇな。さすがに、死んだと思ったぜ」

 そこにいたのは、淵東。彼は肩を絵梨に貸しながら、翔へ声をかけていた。

「立てるか? 立てるなら、早いところ逃げよう。エアゾル相手に、これも長く持たない」

「これ、お前の能力なのか?」

 立ち上がりながら聞いた翔へ、淵東は小さく頷いた。

「俺と黒木の合作だ。ほれ、早いところ逃げる――――」

 淵東がそういった瞬間、木の壁が爆発した。

 爆発の中心―――木の壁の焦げた場所から、エアゾルが顔を出す。不敵な表情のまま、口を開いた。

「お前たち二人か。面倒と言えば面倒だが、勝てるとは思っていないんだろう?」

 そして、右腕を前に出す―――否、何かを投げた。

「黒木ッ!」

 それは、黒木の巨体だった。酷い火傷を負った黒木だが、どうやら生きているらしく、体を微かに上下させていた。

「もともと、黒木は『木』の間を行き来できる能力だったな。そして、貴様は植物を成長させる能力――――良い組み合わせだが、俺とはレベルが違う」

 エアゾルの言葉に、淵東が忌々しそうに呻いた。

 この二人が相手にならない、絵梨ですら、歯も立たないのだ。

(………どうする?)

 打開策を、考える。発動条件というものがあるらしいが、エアゾルのそれが分からないのなら、どうしようもない。自分自身の非力が恨めしく、腹ただしかった。

 なら、どうするのか。

「………淵東。話が在る」

「………? 何だ?」

 水村 絵梨を抱えた淵東が、訝しげな声をあげる。そちらには振り返らずに、翔は小さな声で少し相談をした。

 翔の言葉を聞いた瞬間、淵東が言葉を失った。一瞬後、慌てて首を振る。

「それは、無理だぜッ! いくらなんでも――――――」

「安心しろ」

 そう言いながら、翔は絵梨を眺める。

 

 傷つけてしまった、親友。

 

自分を助けるため、身代わりになった彼女。あの寂しそうな横顔を思い出し、翔は目を閉じた。

 

何故彼女は、ここまで自分をかばってくれていたのだろうか。

 知りたい。彼女の口から、全てを聞かなければならない。

 眼を開く。かつて無いほどの決意に身をたぎらせ、口を動かした。

 

「―――――俺は、魔法遣い≠セ」

 

 次の瞬間には、翔は駆け出していた。

 エアゾルは、翔のほうに顔を向ける――――刹那、淵東が地面に手をつけた。黒木の体を持ち上げるように、巨大な大木がそそり立ち―――壁が、エアゾルを囲んだ。

 エアゾルは、つまらなそうに鼻を鳴らす。次の瞬間、周りの大木がはじけ飛んだ。

 激しい空気圧縮―――プラズマ。空気を急激に圧縮する事により、熱が膨大してはじけ飛ぶのだ。先ほどからも、これを使っていた。

 すでに、辺りに人はいなかった。木々に支えられた黒木の姿も、すでに消えている。

 しかし、廃工場の中に気配があった。それは間違いなく、『魔法遣い=xの気配。

「手前の相手は、俺がしてやるぜ」

 反響した、魔法遣い≠フ声。ゆっくりと、工場の中へ足を入れた。誰もいない廃工場―――――小さく、舌なめずりした。

「狩りの、始まりだ」

 

 

 翔は、廃工場の奥にある倉庫に来ていた。

(………さて、戦えるのは俺だけか)

 淵東には、警察を呼びにいってもらった。下手をすれば被害は増え、最終的には魔法使い≠竄辯魔法遣い≠竄轤ェ世間一般にばれるが、この際気にしてもいられない。

 相手は、空気を操る。ただ、それにも制限があった。

(………アイツ、操るといっても密度だけだ。構成まで変えられるなら手をうてないが、そんな事は無い)

 空気圧を増やしたり、圧縮してプラズマ化したりするのも、全ては空気の圧縮――――構成式を変えられるわけではないのだ。工場内部の空気を操られ、酸素不足になれば、行動不能は、眼に明らかだ。

 なら、アイツから逃げ切ればいい。十分足らずで、警察はここへ踏み込んでくる。

「………やめよう。希望観測は」

 そういい、翔は首を振った。どれにしても、自分に対抗策はなかった。

(………俺の血が、世界を変えるって言うのに、俺自身には力が無いんだな)

 それなら、それでいい。今までだって、自分の能力に頼った事など、ないのだから。

「………やってやるぜ。 誰が好き好んで、死んでやるかッ!」

 

 

 

 エアゾルが足を踏み入れたのは、車庫。廃棄された重機が何台か残るその場所で、エアゾルは小さく唸った。

(手としては、重機を動かすだろうが………燃料も何にもないからな。陰から不意打ちが、関の山だ)

 なぜか分からないが、魔法遣い≠ヘ魔法を使わない。魔法遣い≠フ魔法がどんなものかは分からないが、それを使ってこないのなら、負けることがない。

「おい」

 突然の声――――見上げる。二階部分に張り巡らされたデッキに、翔はいた。

 彼が、手に持っているものを軽くこちらへ放った。それは円を描いて、地面に触れる――――瞬間、爆発した。

 白い粉―――それがあたりに舞い上がる。それは、重機のある倉庫を包み込み、二階にまで充満する。

(………これは、何の粉だ?)

 降りかかった粉――――真っ白い粉で、少しきめが細かい。

 見上げた先の魔法遣い≠ェ、何かを手に持っている。それが、ペットボトルだという事に気がついた。

「ほれ」

 今度は、確実にエアゾルを狙って、それでも山なりの軌跡を描くペットボトル―――エアゾルは、軽く手を振った。

 空気と空気が擦れ合い、その場所が真空状態になる。それは、全てを切り裂くカマイタチとなって、ペットボトルを切り裂く。

 中からはじけだす水に――その、なんでもない、ただの水に、背筋へゾクッと何かが這う。一瞬の逡巡の後、目の前に大気の壁を作り上げた。

 刹那、水のかかった白い粉から白い煙と白色の炎が舞い上がった。それに驚きながらも、エアゾルは手を振るう。

 大気の歪み―――全ての粉を吹き飛ばしながら、エアゾルはデッキの上にいる翔を見上げた。

 不敵に微笑み、見下ろす翔――――ニヤニヤとしながら、デッキの手すりへ体重をかけている。その光景を見ていた翔は、不敵に告げた。

通常は漂白剤として使われる『ベクスライト』も、水を降りかかれば硫酸のように発熱

する。まぁ、よく気がついたな」

「貴様………ッ!」

 怒りの眼差しを向けるエアゾル―――――それを挑発するように、翔は不敵に微笑む。

 そして、踵を返した。そのまま、奥の部屋に走っていく。その後姿を見て、エアゾルが叫んだ。

「待ちやがれッ!」

 デッキを駆け上がり、老朽化した通路を走っていく――――瞬間、脚が宙を踏んだ。

 外れた鉄板―――刹那、空気を圧縮してその鉄板を支えた。しかし、体勢を崩して倒れてしまった。

 通路の先で、不敵に待つ魔法遣い=\―――――それが、笑った。

 ブチッ――――――何かが切れる異音が、耳に響く。

「死ねッ!」

 刹那の叫び―――――それと共に繰り出されたカマイタチは、怒りのため、見当違いな方向を切り裂いた。それを予想していたのか、魔法遣い≠ヘ笑顔のまま、奥の部屋へ逃げていく。

「………ちッ」

 焦りすぎた、と自分でも思う。焦って功を仕損じる性格なのは分かっているのだから、それほど慌ててやる事ではない。

 なにより、魔法遣い≠ェ魔法を使う事がない、と証明されたのだ。どれほどかかっても、自分が負けるはずがない。

 大きく息を吐くと、今度はゆっくりと歩き出した。

 

 

「おらおら、次は、どんな悪戯をしてくれるのかな? 魔法遣い=H」

 エアゾルの冷静な声――――それを聞いて、翔は舌打ちをする。怒り狂って襲い掛かってきてくれれば、隙をつく事だってできるかもしれなかったのだ。とはいえ、そこも予想の範疇だ。

 決戦の場所は、最初でも最後でも、この場所―――――すでに、下準備は終えていた。

「おや? もうお手上げかい?」

 翔のいる場所は、建物内のクレーンなどを操作する個室。六畳半ほどの部屋で、スイッチやレバーなどが置かれている場所なので、前面窓ガラスだった。それでも、割れていないので密室空間といえる。

 その場所を外から、エアゾルが見ている。下手に入って違うところのガラスを割って逃げられても、どうしようもないからだ。なにより、何か仕掛けられているものを警戒していたのかもしれない。

(馬鹿が。鉄板が抜けたのは、ただの老朽化だよ)

 翔が用意したものなど、ベクスライトだけだった。水の入ったペットボトルは、何かの薬品だ。

 しかし、それが結果的に相手へ警戒心を生ませることに成功していた。内心微笑みながらも、静かに口を開く。

「………お前、俺の血を吸って、本当に強くなるのか?」

 翔の言葉に、エアゾルが怪訝そうな眼差しを向け―――納得したように頷く。

「そりゃ、そうか。お前は強くなるために血を吸う必要も無い――――いいぜ。答えてやる」

 そう言いながら、エアゾルは笑顔を見せた。

「俺は、今まで五人の混血魔法遣い≠フ血を吸ってきた。………あの、黒木や淵東みたいに、一人も吸っていない奴らとじゃあ、天と地の差もある」

 エアゾルの言葉を聞きながら、先ほどまでのことを思い出し、納得する。黒木や淵東の合作能力や、応用力のある力を見れば、間違いないだろう。

 彼らですら、そうなのだ。何人かの血を吸ったエアゾルの力は、想像の範囲外だろう。

「血を吸えば吸うほど、能力は高まり、反動も少なくなる。発動条件ですら減っていくというのに、聯合や総連は血を吸う事を禁忌としている。何故だか、分かるか?」

 エアゾルの問い――――それを聞いて、翔は首を振った。分かるはずもなければ、知りたくも無いと思っていたからだ。

 エアゾルは、笑顔のまま―――――呟いた。

「理性を無くすんだとよ。ハッハァッ! 魔法遣い≠フ血は、どうだろうかねぇ」

 その笑顔を見たまま――――翔は、無言だった。恐怖や怒りが込み上げても、その場所を動かない。

 眼に籠もる狂気――――それら全てを翔に向け、体勢を正した。

「さて。そろそろ死ぬか?」

次の瞬間、翔は一気に後ろへ跳躍した。その行動に、迷いはない。

穴。人一人が通るのにギリギリの穴へ、体を滑り込ませたのだ。

 逃げられる――――そう思った瞬間だった。自分の考えが浅はかだったのと、相手の能力を侮っていた事が瞬時に分かったのだ。

 エアゾルが突き出した右腕―――そこから空間が歪み、ガラスが割れると共に、翔の身体へ幾重もの切り傷が奔った。

 刹那、ガラスの破片が降り注ぐ。反射かどうか分からないが、両手で体をかばう―――――瞬間、体に激痛が走った。

 そのまま、壁を突き破って一階に落ちていく。その先には、ビニールとダンボールの空箱で造られた山があった。しかし、あまり衝撃を緩和するものではなく、地面に叩きつけられる激痛と衝撃が、翔を襲った。

 気が遠くなるような激痛―――それが、逆に意識を覚醒させた。

ダンボール箱を掻き分け、這い出る。その先に、エアゾルがいた。

 一瞬――――どうやって移動しているのかはわからなかったが、その移動能力は早かった。

「死ね」

 エアゾルは、ゆっくりとその右手を振り上げる――――――――瞬間、影が襲い掛かった。

「グッ!」

 さすがのエアゾルも、その不意打ちには反応できなかった。

 よろめいた彼へ、もう一度の影の突撃。質量全てを持っての一撃が、エアゾルを吹き飛ばす。エアゾルはそのまま、近くの荷物の山へ飛んでいった。

 

「やれやれ。来た時には、すでにピンチか?」

 

 人を小ばかにしたような、呆れかえった言葉――――その足音を聞いて、翔は力無く顔をあげた。

 そこにいたのは、レイ。薄暗い廃工場の中に解けるような黒い狼は、翔をかばうように立っている。

「狐………」

「わざとだろ? ………まぁ、そんなことをいえるのだから、まだまだ元気だな」

 そう軽くいい、レイは翔の顔を嘗めた。その瞬間、緊張がほどけたのか翔の体が動くようになった。

 驚きながらも、立ち上がる。それを見てから、レイは満足げに頷き、告げた。

「よし。早く逃げよう。………奴に、今の俺では」

「勝てないってか? キメイラ」

 刹那、レイの体がはじけた。立て続けに、二発―――――体から血が吹飛ぶ。

 レイが、忌々しそうに舌打ちをし、体勢を立て直す。血が吹飛んだとはいえ、傷は浅いらしく、すぐに唸り声を上げた。

「ったく。キメイラは丈夫ですかないぜ。とはいえ、勝てるとは思う―――――」

 エアゾルの言葉が全て紡がれる前に、レイの姿が消えた。

 次の瞬間、エアゾルの右わき腹に突き刺さる影―――それに驚きの顔を見せ、エアゾルは仰け反った。

 刹那、影が一蹴、また姿を消す。消えた方向へ顔を向けたエアゾルの背中に、また影が突き刺さった。

 二、三度――――それらがエアゾルの身体に突き刺さる。

「――――っそたれッ!」

 忌々しそうな叫び声―――それと共に、エアゾルの腕が振るわれた。見えない何かが、工場の壁に叩きつけられ、その場所のチタン板が吹飛んだ。

 しかし、影はその場所にいなかった。すでに翔の近くに立ち尽くして、毛繕いをしている。

「やれやれ。それぐらいの能力を手に入れるために、五人の命を奪ったのか」

 一瞬後、エアゾルはそれに気が付き、怒りの表情で笑った。わなわなと震える彼は、次の瞬間、絶叫を上げ、両手を翔のほうに向ける。

 翔が見ていたのは、刹那の世界。何かが迫ってくる圧迫感よりも速く、レイは翔をくわえ、跳躍していた。

 壁が、ごっそりと消し飛ぶ。それを見ていた翔は、背筋がゾッとするのを感じた。

 しかし、レイの動きはそれよりも速かった。次の瞬間からは、翔の視界は線だけで構成され、数秒後、それがとまったときには、風景が変わっていた。

 場所は、河川敷。川沿いの石だらけの場所に降ろされ、翔は声をあげた。

「うおおおお………。き、傷口に………」

「ああ、すまない。………口じゃなければ、抱きかかえているんだが………」

 そう言いながら、レイは翔の顔を嘗めていた。それをうっとおしく払いながら、翔は座りなおす。

 改めて、周りを見渡す。夕方から少しだけ暗くなり始めた河川敷に、今は翔とレイだけがいた。もともと人通りが全くない場所――――未だに、誰もここへこなかった。

「………振り切れたのか?」

 レイは、後ろ足で顔を掻きながら、何の警戒心もなく告げた。

「さぁ? 少なくとも、時間は稼げるだろう」

 そういい、レイは翔の横に腰を下ろした。

 しばしの、沈黙―――――翔は、それを破る。

「どうして、助けた?」

「魔法遣い≠ノ死なれては、俺の願いが叶わなくなる」

 確かに、レイは来た時からそんなことを言っていた気がする。少しだけ訝しげに思いながらも、自分の傷口を嘗めているレイへ、翔は適当に頷きながらもう一つ尋ねた。

「………その願いって言うのは、どうすれば叶うんだ?」

 レイの顔――――動物の顔が、どういう感情を持っているのか分からないが、恐らく驚いているのだろう――――そのまま、呆けた声が聞こえた。

「………まさか、翔からその話が出るとは、思わなかったな」

「放っておけ」

 そういいながらも、どこかおかしな自分がいた。命を助けられたからなのか分からないが、どこか心を許しているのかもしれない。

「………俺の開放条件に、翔が関係している」

「―――――血、か」

 考えられる事象――――それは、間違いないく魔法遣い≠ニしての、血。

 

 しかし、レイは静かに首を振ると、事も無げに告げた。

 

「呪いを解くのに、そんな野暮な条件があるわけないだろう? 開放条件は――――」

 レイが、何かを言うまさにその瞬間―――――爆発した。

 爆発、というのは形容だけで、真実はレイの近距離突進―――次の瞬間に場所を確認したのは、対岸だった。

「逃げられると、思っているのか?」

 対岸に立っているのは、エアゾル。彼が掲げた右手の先の石が、粉々になっていた。

そこは、間違いなく自分がいた場所。レイがとっさに動かなければ、死んでいたかもしれない。

 ゾッとした。背筋ばかりが冷える日だと、苦笑する。

「その様子じゃあ、知っているようだな? キメイラ。………俺の、正体を」

「ああ。………厄介で、胸糞悪い能力を、な」

 唸るようなレイの言葉――――それに、翔は眉を潜めた。エアゾルの能力は空気で、確かに凄い能力だが、いまさっき圧倒していたレイが恐れるほどではないはずだ。

 そんなことより、レイがエアゾルの能力を知っている事に、驚いていた。それは翔だけではなく、エアゾル本人も訝しげな顔を向けていた。

 しかし、たいして気にした様子もなく、エアゾルは肩をすくめあげた。

「いい加減、死んでくれないか? 早いところ、お前の血をすって、黒木と淵東、そしてあの女を殺さなくちゃならねんだ」

 次の瞬間、声が聞こえた。

「それで――――」

 エアゾルでも、レイでも、翔でも無いその声。翔が聞き間違えようのないその声は、エアゾルの右側から聞こえてきた。

 視線を、ゆっくりと隣に向けるエアゾル―――――その先に、彼女はいた。

 いつものパイポ―――それを、河に投げ捨てながら、絵梨は、不敵な微笑を浮かべながら告げた。

「誰を殺すって?」

 刹那。

 河から、一筋の槍が、エアゾルの心臓を打ち抜いた。

 闇夜に煌めく水面の色――――そこに、真紅の色が混ざり合った。次の瞬間、槍がはじけ飛び、エアゾルの体が河川敷に転がった。

「………やれやれ、ここまで来てくれるのを、どれほど待ったことか」

 そう言いながら、絵梨は新しいパイポをポケットから取り出すと、くわえた。その後ろから淵東と、未だに気を失っている黒木が、河川敷の茂みから顔を出した。

 対岸で、不敵に微笑む幼馴染―――その無事を見て、翔は安堵の息を吐いた。

「生きていたか………」

 翔がそう呟いた瞬間――――レイが叫んだ。

「逃げろッ!」

 何故、レイがそう叫んだのか―――――その瞬間には、わからなかった。

 

 わからなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 異変に気がついたのは、淵東だった。心臓を貫かれ、力無く倒れていたエアゾルの体から、黒い霧が噴出す。

「離れろッ!」

 その声に、振りかえる絵梨。その霧は、後ろを見せた絵梨へ、襲い掛かった。

 包まれ、苦しそうに喉を押さえる絵梨の顔が苦痛に歪み、倒れこんだ。口を開こうともせずに、暴れまわるが、一瞬後―――静かになった。

「………ふ、ふふふ、ハハハ、ハァッハッハッハッ!」

 次の瞬間、鳴り響いたのはエアゾルの声――――それは紛れもなく、絵梨が発していた。

(………違うッ! 水村じゃないッ!)

 翔だから、親友だからこそ分かる、その違和感。

 絵梨が、淵東のほうに向く瞬間、二人が吹飛んだ。その能力は、間違いなくエアゾルの能力――――圧縮された空気の弾だった。

「ど、どうして?」

 翔の言葉に、レイが苦々しい面持ちで、答えた。

「………あれが、力におぼれた魔法使い≠フ末路だ」

 レイの言葉――――それに答えるように、絵梨―――否、エアゾルが口を開いた。

「俺は、血を飲んできた――――能力が増えるにつれ、俺はどんどん解放されていった。ついには、人間の体からも開放され、俺の意思体だけが、この世に留まったんだよ。永遠の命の、一つの形だと、思わないか?」

「………水村を、放せッ!」

 翔の、初めての怒りの声――――それを聞いて、エアゾルは深く微笑み、頷いた。

「俺は、お前の体が目当てだ。………あの工場で待っててやる。覚悟ができたら、きやがれ」

 そういった瞬間、エアゾルの姿が消えた。

 後に残ったのは、一つの亡骸と爆発の跡、そして、淵東と黒木の姿だけだった。

 

 









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