どうもこんばんは、高町 なのはです。よい子はもうすぐ眠る時間なのですが、そうは行かない事情がおきてしまいました。
私は今、自分の部屋の隣の部屋の入り口前で、立ち尽くしています。
なぜか、というと、とても深い理由があるのであります。
「で、忍と俺が見つけたときには、もうこんな格好だった。一日たってこうなるって事は、まず間違いないと思う」
そうそれは、田神君の事です。
今、私の前の座席で横になっている田神君には、お姉ちゃんが持ってきた布団が掛けられています。ほんのちょっと前まで、テーブルの上まで詰まれた料理を食べていて、今は満足そうに眠っていました。
田神君は、家に帰っていないみたい。昨日の様子や今日の様子を見ていれば、確かに、そんな感じもしますが、でも、そんなことあるのかな?
ちいさな男の子が、一人っきりで生活なんて、悲しいけど、テレビの向こうの話だと思ってた。
でも、でも――――。
「しかし、鳴滝でそんな子供がいるなんて、聞いていないし」
「いない、と思いたいし、ね」
お父さんの言葉に、お姉ちゃんが続きます。う、ん。確かに、そんな子がいるとは、私も思えないです。
(もしかして、田神君は今までずっと、独りで居たんじゃ………無いかな?)
『念話』でユーノ君に聞いてみると、ユーノ君も小さく頷いて答えてくれました。
(そうかも、知れないね。でも、だったらなんで?)
田神君は最初、『ジュエルシード』を知らないで集めていました。ユーノ君が集める理由を知っても、其れを渡してくれるような素振りは無かったです。
田神君にも、何か目的がある。そう、ユーノ君と結論付けたんです。
(ここで、その目的を聞きたいんだけど………)
(無理、だね)
当の田神君は目の前で熟睡中だし、お母さんはその様子を寂しげに見守っています。とてもではないですが、話し合うような環境ではありません。『念話』は使えないそうですし………一体、どうすれば―――。
「うちで引き取りましょうか? 部屋ならたくさんありますし、上手くいけば、親御さんが見つかりますよ?」
忍さんの申し出に、皆が顔を向けました。確かに、すずかちゃんの家はとても大きいですし、大丈夫そうです。
その言葉に、お母さんが答えました。
「いいわよ、気にしなくても。家にも開いてる部屋があるもの。ご家族の方が見つかるまで、家で引取るわ」
お母さんの考えは、流石です。ですが、忍さんはちょっとだけ躊躇いながら、言葉を濁していました。
「いえ、ですが、しかし」
「家で預かります!」
―――気がついたら、そう叫んでいました。
叫んだのは、私。勿論の事、回りからは絶大な視線を浴びまくっています。
特に、お兄さんとお父さんの視線はかなり痛いです。其の大半は田神君にそそがれていて、何か、うなされているようですが………?
と、とにかく、此処は誤魔化さないと!
「え、えと、私の友達だし! し、心配だったんです!」
かなり厳しい、言い訳だと、自分でも思います。男の子なんかと話したことも、家族以外ではほとんどありません。
「………そっか。そういえば、なのはが最初に零石君とあったんだっけ」
お姉ちゃんから理解が広がり、何とかこの場は切り抜けることが出来ました。お父さんとお兄ちゃんからは、未だに燻りのようなものを感じますが、何ででしょうか?
ということで、田神君は今、空き部屋となっている部屋で、横になっています。
長くなりましたが、私こと、なのはは、ユーノ君と一緒に、其の部屋の前に立っているのです。
お話によると、お兄ちゃんとお父さんが「丁寧に」体を洗って、ゆっくり眠っているとのことです。武器や荷物の類は、道場のほうにおいてあると、お兄ちゃんは言ってました。
「………お邪魔します」
断りを入れて、私は部屋に足を踏み入れました。
「ん?」
そこでは、起き上がった田神君の姿が、在りました。肩には綺麗な毛並みの猫ちゃんが乗っかっています。その猫ちゃんは綺麗な青い眼をしていて、綺麗な毛並みで、抱きついてなでなでしたい風貌です。
そして、その猫ちゃんを肩に乗せた田神君は、今まさに窓の縁に脚をかけて、外に向かって飛び出そうとしているところで―――――。
「って、なにしているですかッ!?」
私の叫び声に、田神君は露骨に顔をしかめます。
「っち。さすが、俺の永遠のライバル。そう簡単に逃がしてくれないか」
そのまま外に飛び出そうとする田神君の腰元に飛びつき、取り押さえます。そんな私をライバル呼ばわりしながら暴れまわる田神君は、かなり危険です。
「い、いつライバルになったんですかッ!? こ、こんなところから降りたら怪我しますよ!」
知ってのとおり、田神君は裸足です。荷物は全部預かっていますし、逃げ出したところで生活は出来ないのです。
必死に抱きつくのですが、田神君は関係無しに体と腕を振るいます。
「ええい、離せ! この覇王がッ! どうせ俺を飼い殺して食べる気だろうがッ!?」
「覇王って何ですかッ!? 食べませんよ!」
何時の間にかそんなことを叫んでいる田神君に、流石の私も頭にきました。
「先生いぃー!! 此処に痴漢がいますよ!」
「先生って誰ですかッ!?」
大きな叫び声に、誰かが起きてきた気配がしました。流石の私も、慌てます。
「―――なに騒いでるの?」
お姉ちゃんの声が聞こえた時には、私の頭は限界でした。
「いい加減に――――」
危険なので、思いっきり引っ張ります。真後ろに向かって引っ張るのですが、田神君は若干上の位置にいたので、引っ張れば勿論、体勢を崩して―――
「してくださいッ!」
「ぬおっ!?」
そのまま、放り投げるように体をそらして、田神君を――――
「グゲッ!?」
地面に、投げ飛ばしてしまいました。
とっさに体を反転、廊下に飛び出す勢いで扉を開けると、顔だけを出しました。
「あ、なのは。どうしたの? 何か、凄い音がしたけど?」
「だ、大丈夫! た、田神君とちょっとふざけていただけだから!」
私の言葉に、お姉ちゃんは少しだけ疑問符をあげていましたが、適当なところで納得すると、引き下がってくれました。
部屋に戻るお姉ちゃんを見送った後、私は、後ろを振り返りました。
身体をくの字に折り曲げて、しかもいつもなら何かをいってくるはずの田神君が倒れているのを見て、私は。
「………なにか、とてつもなく嫌な予感がするのですが?」
膨れ上がる怒気に、私は冷や汗をかくのでした。
「そうか。かなりの手練、ということか」
恭也の話を聞いた高町 士郎は、話を総合して、ため息を吐いた。
「あの年で、お前の速さに追いつけるが、打ち返すほどではない、か。成程、やはり」
「父さん………ッ! やはりって、何か心当たりがあるんだな?」
恭也の言葉に、士郎は視線を回りに這わせて、小さく頷いた。
場所は、道場の入り口近く。美由紀や桃子はもう就寝していて、この話を聞いているのは、恭也だけだった。
気配を察した後、士郎はややあって、口を開いた。
「気になる事があって、知り合いに文献を漁ってもらっていたんだが、『タガミ』という名前が見つかった」
自分の父親に色々な知り合いが居るという事は、知っていた。その相手、というのは未だに知らないが、かなりの情報網を持っていることが、推測できる。
「神克流家元、田神家」
聞きなれない、其の言葉。怪訝な思いを抱いた恭也だったが、とりあえず名前と家元が分かったという事は、身元はもう見つかったも同然だった。
「じゃあ、彼はそこの―――」
「江戸時代に、もう滅んでいる」
士郎の言葉に、恭也が言葉をなくし、押し黙った。その様子を見届けてから、士郎が口を開く。
「日本建国以来、ずっと存在を唱え続けているだけで、全く表舞台に出てこなかった、闇の剣術さ」
「じゃあ、陰術の?」
暗殺術と呼ばれる、闇の武術。その流れを持って、しかも建国以来存在するといわれれば、否が応でも気が引き締まる。
しかし、士郎は頭を左右に振ると、口を開いた。
「いや、そういうものではない。確かに、ある意味有名な剣術で、な。なんというか、つまり―――――」
「?」
歯切りが悪そうな士郎に、恭也が眉を潜めた。
ややあって、口を開いた。
「――――世界最弱の剣術として、な」
恭也の眼が点になったのを見て、士郎はため息を吐いた。
「本当にお前って容赦ないよな」
「申し訳ございません………」
ただひたすらに零石へ頭を下げ続けるなのはに、零石は首の辺りをさすりながら、ぶつくさ文句をいう。
「大体、お前の兄貴は何なんだ? 俺を探していただの、いきなり襲い掛かってきたぞ?まぁ、帯刀している俺が言うのもなんだが、危険だぞ? あれは」
「大変申し訳ないのであります………」
ひたすら頭を提げつづけるなのはに、零石の小言は続いた。
「お前が俺の敵だと認識したのにお前はお前でジャーマンスープレックスを投げ飛ばすし首が痛いし腰も痛いし眠いしご飯は美味しかったし暴れるし殴られるし痛いし眠いし―――」
(意外と、根に持つタイプなのかな?)
チラッと眼を向けたなのはの先には、ぶつくさと文句を言いながら後ろに下がる零石の姿が在った。窓の近くまで寄ると、くるりと体を返した後、窓に脚をかけていて―――。
「だから駄目ですー!」
「グアッ!?」
再度、ジャーマンスープレックスが、命中した。
「――――つまり、俺に『ジュエルシード』を渡してこの件から手を引け、と?」
「ハイです………」
両腕で首をさすりながら、零石はなのはの申し出を聞いていた。実を言うと、集めている『目的』を聞かれたのだが、零石は即行で「別に無い」と答えたので、この申し出が出たのだ。
対する零石の答えは、一つ。
「ふざけるな。そんな申し出を出せるほど、お前は偉いのか? ああん?」
超至近距離で、眉間に皺を寄せて睨みつける零石に、ちょっと顔を外しながら、なのはは複雑な表情を浮かべつつ、答えた。
「申し訳ございません」
平謝りするなのはが、ちらりと視線をあげると、小言を言いながら窓に手を掛ける零石の姿があって――――
「だから駄目です!」
「ギャアッ!?」
零石は首を両手で押さえながら、言葉を紡いだ。
「だから、あの時言っただろ? 俺とお前の思想は相容れないし、其れが当たり前なんだ。だからこそ、勝者が決めれば後腐れがないだろ?」
「勝者が決めて言いなんて事は何一つないです!」
なのはの言葉に、零石はため息を吐いた。ぼりぼりと頭をかきながら、半眼で呻く。
「お前はどうしてそう、非現実的なのかね。互いに主張が相容れないんだから、競い合うしかないだろうが。甘ちゃんだよ、お前は。貝でも獲ってろ」
『なのはに何て―――って、止めてッ!?』
口を挟んできたユーノは、猫状態の蒼露に追われていた。蒼露の言葉通り、この二人には『ジュエルシード』である蒼露が、それだと分からないらしい。
ユーノは蒼露に任せていいのだろう、と零石は判断する。眉間に皺を寄せながら、口を開く。
「どうせこの世は弱肉強食。弱い奴が死に、強い奴がはこびるんだよ」
『蔓延る、ね』
蒼露の指摘を無視しながら、零石はなのはに視線を向けた。
なのはは、ジッと言葉を押し留めているようだった。謝罪の時の正座を崩さず、両手を握りこんで耐え忍ぶように、口を紡いでいた。
恐らく、彼女は何かをいいたいのだろう。しかし、三度も怪我をさせている上、相容れないと知っているからこそ、何もいえないのだ。
だから。
「いってみろよ」
「え?」
ずさっと、なのはの前に零石が胡坐をかく。まっすぐとなのはを見返すと、口を開いた。
「俺とお前は『ジュエルシード』を通じての、ライバルだ。言葉を押し込む必要もなければ、暴言に気をつける間柄じゃない」
だから、と零石は、不敵に笑う。その笑みに、なのはの眼が見開いた。
「言いたい事は言え。あと、敬語はいらん」
「―――では、言わせていただき――言わせて貰うよ」
零石の言葉に、彼女らしい屈強な眼差しを取り戻した。その彼女に安心しながら、零石は言葉に備える。
「そ、その、田神君は、『ジュエルシード』に集めて欲しいといわれて、集めているんでしょ? それは、私には聞こえないの?」
なのはにとって一番の疑念は、零石が聞いているという『ジュエルシード』の声。もし其れが本当に在るのだとしたら、なのはは零石のことを信じられる気がしたのだ。
なのはの言葉を聞いて、零石は顎をさすりながら、答えた。
「ああ、そういえば、そんな事いってたな。デバイスには何かが付いてるとか、虫の便り程度とか」
決して、単純な相手にしか聞こえないということを教えない。これでなのはまで聞こえたら、自分は完全に単純な人間になってしまう。
特に気にした様子もなく答えた零石に、なのはは神妙な表情を浮かべた。その神妙な顔が解せない零石は、なのはに視線を集中させる。
ややあってなのはから出た言葉は、零石にとって意外な言葉だった。
「………田神君は、今、何処に住んでいるの?」
なのはの問いかけに、零石は小首を傾げた。
文脈が、つながっていないのだ。今までは『ジュエル・シード』の事だったのに、今では零石の生活にまで口を出してきたのだ。
しばらく、なのはの真意を探っていた零石は、ある思考に至った。
――――眼を見開く零石は、戦々恐々とした表情で、口を開いた。
「お前、俺が眠っているうちに焼き討ち「しません!」―――」
なのはの眼差しは、意外にも真剣だった。その眼の色は、映っている人間の事を本当に心配している色で、零石にとってとても懐かしいものに感じたのだ。
零石は頬をかきながら、やがて答えた。
「お前と出会った場所、あの公園だ」
零石の言葉に、なのはが言葉を無くした。
「田神。其の名の通り、田んぼの神様として、この日本の土地に生まれた。詳しい経緯は良くわからないが、歴史の表舞台に出てきたのはたった一度。何度か介入したと思われる戦争もいくつかあるにはあったが、確たる証拠がなかった」
士郎はそういいながら、道場の隅に追いやられた零石の荷物を、見た。
どうやっても抜けない、四本の刀。何で作られたのかわからない鞘は、今まで数多の戦場を駆け抜けていった傷跡が、残されていた。
それを眺めながら、士郎は口を開く。
「その剣術の特徴としては、四振り無いし六振り、最大で十二本の日本刀を持ち、力のない農民を助けるためにだけ、振るっていたらしい。そして、その最大の特徴は――――」
士郎が取りだしたのは、恭也の木刀。中心部からぽっきりと折られ、もう一本は砕け散った木刀を見せながら、口を開いた。
「武器破壊」
恭也の表情に、かげりが見えた。
日本刀は本来、斬るということに特化した武器だ。それゆえ、西洋のものとは比べ物にならないほどの切れ味を誇る。
だが、それゆえに、切れ味が鋭ければ鋭いほど、脆い。刀同士が打ち合えば、確実にどちらも刃毀れを起こし、劣化するはずだ。
しかし、零石の持つ四季の刀には、其れが見えなかった。
「銃口に突き刺さったという話を聞けば、其の切れ味は最たるものだと推測できる。それだけの業物を持ちながらも、お前とノエルさんには、全くの刀傷がない」
理由は分かるか? と、暗に込めた士郎の眼差しに、零石は一瞬だけ戸惑った後、思考を張り巡らせた。
確かに零石は、ノエルの銃や木刀にしか、抜刀をしていなかった。主な攻撃は打撃、もしくは鞘に収めてからの斬撃だった。
鞘に収めて攻撃すれば、それだけ中の刀身が痛む。鞘は刀を納めるものでしかなく、本来、武器ではないのだ。
「しかし、神克流は其れを武器とした」
恭也の思考を先読みしたのか、士郎が言葉を紡いだ。真っ直ぐの眼差し、鋭い眼差しで、言葉を紡ぐ。
「殺人でも活人でもない、世界で最も気高く弱い剣術。それが、神克流だ」
「父さん」
恭也の言葉に、士郎は視線を戻した。真っ直ぐ見据える自分の息子の眼差しに、士郎は口を横一文字に結んだ。
「なんで、そんなに詳しいんだ? いくら話を聞いていたとしても、それでは余りにも「俺が殺した」――――え?」
小さな言葉に、恭也が聞き返す。
見上げた父親の眼差しには、憂いの色が宿っていた。まるで何かを懺悔するような、辛い横顔を見せながら、口を開く。
「最後の一人を、俺が―――『不破』が、殺したんだ。いや、殺したはずだったんだ」
その横顔は、いまだかつて見たことの無い、父親の横顔だった。
「か、家族は?」
「覚えてねぇな」
なのはの戸惑いながら放たれた言葉に、何事もなかったように言葉を返す零石。神妙な表情を浮かべるなのはと違い、零石は耳の穴をほじりながら、完全に馬鹿にしているような態度だった。
その零石の態度に、なのはの頬が膨らむ。不機嫌な様子のなのはは、口を開く。
「さ、寂しくないの? 一人なんですよ?」
孤立する事が多いとはいえ、なのはは家族の事が大切だ。それゆえ、天涯孤独だという零石の言葉が信じられないようだった。
しかし、零石はそんな感情を微塵も見せず、鼻で笑った。
「はん。俺は両親の顔すら満足に覚えていない、史上最低の男だよ。どうせ」
零石の余りの物言いに、なのはが眼を見開いたとき。
「だから、俺は探す」
零石の言葉に、なのはの動きが止まった。
「いつになるかは分からんが、とりあえず〝約束〟を紡いでいけば、必ずあの場所にたどり着ける」
夢に見る、滅びの場面。いつ、何処で、どうして起きたかわからない其れを、零石は知らなければならない。
気がつけば零石は、肩に猫を乗せながら、窓の縁に腰掛けていた。窓の外には欠けた月の光だけが映され、街は沈黙している。
暗闇に包まれた、漆黒の世界。映し出された月明かりに照らされた少年は不敵に笑う。
「だから、俺は行く。また会おうぜ? 【宿敵】」
「あ、待って――――」
なのはが止めるのも振り切って、零石は窓の外へ、自分の身体を投げ出した。
感じなれた、闇夜の気配。視界は大きくぐるりと回ると、突然現れた壁に手をついて、飛び出す。
かなりの高さにある場所から、地面に降り立つ。膝をクッション代わりに、地面に降り立つと同時に脚を折るが、流石に子供の脚で全てをいなせるわけもなく、鈍い痛みが走った。
ほんのり広がる、熱。其れを意識の奥で噛み砕いた後、視線を上に向けた。
眼を見開き、心配と驚愕の色を込めた視線を送るなのはへ、零石は不敵に笑うと、口を開いた。
「また会おうぜ、なのは。これは、競争だ。先に集めた奴が勝つ―――シンプルな、な」
その零石の肩へ、猫が降り立つ。零石の首の裏を通り過ぎ、反対側の肩に乗った後、小さく鳴いた。
零石は、不敵な笑みを浮かべる。其れは、どこまでも自由で、楽しげで、そして、まともな眼差しだった。
其の時、なのはは始めて、知った。
誰も、遊んでなど居ない。零石は、どこまでも本気だったのだ。
だから、なのはは――――。
「私が、勝つよ」
真剣な眼差しで、なのはは答えた。
思えば、この時からだった。高町なのはと田神零石が、互いを『好敵手』と呼び始めたのも。
そして、互いに認め合ったのも。
「じゃあな」
零石はそのまま、闇に沈んだ。
結局、士郎の言葉の意味は、分からなかった。
田神家最後の一人を、自分が殺したと宣言した士郎は、それ以上何も言わず、恭也に寝るように伝え、その場を去っていった。
恭也は、道場から自分の家の通路の途中で、空を見上げていた。
田神 零石は、実に不思議な戦い方をしていたと、思う。斬撃はほとんど使わず、武器の破壊を目的にだけ抜刀する。その抜刀速度は速く、恭也ですらギリギリで反応できたほどだ。
四刀を使い、相手の武器を破壊するだけの剣術。
武器を振るえば、確実に身を斬っていたはずだ。それほどまでに、神克流という剣術は奇怪で、完成していた。
あれが殺人のために振るわれれば、間違いなく最強の一角を担う剣術に違いなかった。
しかし、神克流は「世界最弱の剣術」だと、いうのだ。
と、その時だった。
「げ」
「? 君は―――」
丁度其の時、なのはから逃げ出していた零石と鉢合わせた。
零石は、猫を頭の上に乗せながらもポリポリと頬をかくと、手を差し出しながら、告げた。
「俺の武器と道具、返してくれないか?」
「何?」
零石の言葉に、恭也が眼を反転させる。その恭也へ、零石は腕を組みながら、不敵に笑った。
「悪いが俺は、ライバルと一緒に住む気もなければ、誰かの世話になるつもりも無い。というわけで、俺の四季の刀は何処だ?」
恭也は、知った。
目の前の子供は、また一人で生活しようとしているのだ。行く先も寝る場所も、食べるものですら放棄しようとしているのだ。
恭也は、体を前に向けると、口を開いた。
「君は、本気で言っているのかい? 家にも帰らずに、一人で生きていくつもりなのかい?」
「家なんか無いわい、あほんだら」
にべも無く、さらには何の感情も込められていない零石の言葉に、恭也は目を細め、告げた。
「………どんな理由があるかわからないが、家出は良くない。すぐに、帰るべきだ」
恭也の言葉は、この上なく正しい。零石は本来、保護者の観察の元、生活するべきなのだ。それが駄目だとしたら、然るべき場所で保護されるべきなのだ。
しかし、零石は恭也の言葉に、笑いだした。
「ぷ、ぷぷ。………はっはっはっはっは!」
唐突に笑い出した零石に、恭也は眉を潜めた。その恭也を完全無視して、零石はしばらく笑いつくし、やがて、納めた。
目じりに浮かんだ涙を拭いながら、口を開く。
「田神に、帰る場所なんてない」
――――スッと、背筋に寒気が走る。三白眼の、感情の篭っていない眼差しを向けてくる零石は、視線をそのまま上に向けると、笑った。
「この大地が、田神の居場所だ」
零石は笑顔を浮かべると、恭也に向き直った。ずいっと手を差し伸ばす。
「つぅわけで、返せ」
その言葉に、恭也は不思議と、何も言い返せなかった。
「―――結局、田神君とは、分かり合えなかったね」
『………なのはが気にする事じゃないよ』
ユーノ君は、いつもよりも毛並みを荒らして呼吸も乱しながら、そう答えてくれた。蒼露ちゃん、だっけ? あの子猫ちゃんに追っかけられていたみたいなのです。
田神君は、ここには住まないそうです。恐らく、すずかちゃんの家にも行かないでしょうから、一体、どこに住むつもりなんでしょう?
「………田神君は、家族が居ないのかな?」
『―――どうだろうね』
ユーノ君は、田神君のことを良くは思っていないみたいなのです。でも、複雑そうな感情も見せていますし、嫌いではないみたいです。
私は、空を見上げます。まだ温かいので風邪を引く事はないと思いまずが、どうにも心配です。
『でも………一人って、寂しいからね。いつか、彼とも分かり合えると、いいね』
ユーノ君の言葉に、私も頷いて、答えます。
「………そうだね。頑張ろう」
私には、仲間であり友達であるユーノ君が、います。
でも、田神君は、あの子猫ちゃん以外、何もいないのです。
「―――絶対に」
いつか、きっと、分かり合えるときのために。
「―――よぉ~し! 頑張るぞぉ♪」
『うん、そうだね。でもなのは、あんまり男の子の部屋に入るのは、感心しないよ?』
「え? どうして?」
『それは―――まぁ、一般常識としてね』
「? あ、早く部屋に戻らないと」
闇の道を、一人の男のこと猫が歩いて行く。
「飯は上手いし、あの御両人は好きなんだが、自由が奪われるのだけはいただけないな」
『ほんと、自由が好きだよね。零石は』
「当たり前だ。俺は、自由の為ならいくらでも頑張れる」
『………でも、本当に良かったの? なのはちゃんのところだったら、衣食住が保障されているのに』
「俺は自由が好きなんだっつってんだろが」
『零石。何者にも縛られないことが自由だとは限らないんだよ?』
「俺は俺の生きたいように生きる。行きたい場所に行って、居たい場所に居て、死にたい場所で死ぬんだよ」
田神は、そう生きて行く。
誰よりも、自由に。誰よりも、広々として。
面白かったら拍手をお願いします!