「今日ね、面白い男の子に会ったのよ♪」

 晩御飯の席で、桃子がいった言葉に、恭也と美由紀が反応した。其れよりもさらに反応したのはなのはであり、ユーノですら顔をあげている。

 父親である士郎は、苦笑の表情を浮かべると、言葉を紡いだ。

「面白い、っていうか、なんていうか、なぁ? まぁ、いまどきの子供にはない、自由な空気を感じたな」

 士郎の言葉に、桃子も嬉しそうに手を叩きながら同意した。

「とっても優しい子よ。きっと。でも、家が無いみたいなの。今頃、何処で何をしているのかな? なのはは、知らない?」

「う、うん………。でも、本当に、大丈夫かな?」

 しゅん、と何故か項垂れたなのはに、桃子も困ったように首を傾げた。零石が本当の意味で宿無し、と知っている人物は此処にはおらず、精々家出している男の子だけだと考えていた。

「今度、もう一回、会わないとね?」

 桃子の言葉に、恭也と美由紀が顔を合わせた。

 

 

 

 

―――静まり返った埠頭の場所で、紅狼状態のアルフは、金色の長い髪を持つ少女へ、擦り寄った。

「………大丈夫? フェイト?」

「あ、う、うん」

 若干の戸惑いの後、フェイトはそう答えた。アルフの身体に手を回し、その温度を感じながら、眼を閉じた。

 フェイトの予想は、的中していた。

 突然介入してきた男の子は、核であるジュエルシードがある部分を的確に攻撃すると、二度、はじき出した。

 一度目は、取り出したと同時に宿主の身体に押し戻した。

 理由は、バルディッシュの封印モード起動。横目で其れを判断した男の子は、危険だと知っていても、其れを元に戻した。

 あのまま外に出しておけば、フェイトが封印していたはずだ。アルフにその旨を伝えていたフェイトは、改めて自分の考えが正しかったことを、知った。

 あの男の子は、危険だ。バルディッシュが発したはずの封印は引き千切られ、その男の子は海に落ちて、消えた。

 探索魔法を掛けようにも、彼は『魔力』がない。それどころか、ジュエルシードの『魔力』ですら探知できなかった。

 追う術も持たず、得たものは何も無い。完全に自分が敵だ、と証明したぐらいだ。

 ただ、恐ろしかった。

 得体の知れない、相手に。

「帰ろう? アルフ」

「………うん」

 二つの影が、闇夜に紛れ込んだ。

 

 

 

 

「………勝った」

 二つの影が去った後、零石は頭を海面に出した。

 フェイトと呼ばれた存在が放った魔法≠ェ直撃した零石は、水に落ちた後、そのまま『ジュエルシード』を抱いて、隠れていたのだ。

埠頭の堀に張り付くようにもぐっていた零石が、四本の刀を纏めた塊を上にあげ、自身も堀に上がる。汚れと海水でしみったれた服に辟易しながらも、這い上がった場所で大きく息を吐いた。

「………むなしい勝利だ」

 零石の手のひらには、青い石と、ちょっとだけかけた烏賊(いか)が握られていた。零石に握られ、ビチビチと暴れている烏賊を見下ろして、再度、ため息を吐く。

『え? そっちの方が心配なの?』

「当たり前だ。ちくせう………」

 小さく呻きながら、海に向かって烏賊を開放してやった。小さくなった烏賊に興味はない零石は、再度、もう片方の石を眺める。

 今までの二つと違い、輝きが数段増しているように見えた。其れを眺めながら、口を開く。

「今回は、封印されていないみたいだな」

『あ、う、うん。………とりあえず、危ないから、同じ袋に入れておいて。こっちで、何とか力を抑えておくから』

 歯切りが悪そうに言葉を返す青石に、零石は眉を潜めた。

「どうした? なんか、気になるのか?」

 そういいながら、青石の入っている巾着袋にジュエルシードを入れたときだった。

 青い光が、かすかに燈る。その輝きは徐々に力を増し、やがて拡大した。

 その青い光が集束し、膨れ上がった瞬間、破裂した。

 その先には―――――

『にゃあ』

 猫が、いた。

 零石の手のひらに乗るぐらいの、子猫。黒い毛並みにアクアマリンのように青い眼が特徴的な子猫は、零石の前に飛び降りると、口を開いた。

『封印していても、皆危険だからね。こうすれば、『封印』された皆も安全だし、零石も石扱いしなくていいでしょ?』

「………」

 驚いているように眼を見開いていた零石は、やがて眼を下ろすと、口を開いた。

「美味そうだな………」

『ッ!?』

 脅える青石(猫)に、目を怪しく輝かせる零石。

 やがて、零石は青石(猫)を首元で引っ掛けて持ち上げると、そのまま頭の上に乗せた。キョトン、としたような感じをだす青石(猫)へ、零石は告げた。

「ま、荷物は増えても、石よりはまだマシだな。石にも戻れるんだろうし、しばらく、そうしておけ」

 猫状態なら石状態よりも、なのはやフェイト達にばれないかもしれない。食費だって必要も無いだろうし、石に話しかける人間よりはマシだろう。

 零石は、上着を脱ぎながら――青石が着替えに巻き込まれたが――口を開く。

「なら、もう青石も卒業だな。今度から、蒼露(あおろ)って呼んでやる」

 姿が変わったから、それ相応の名前を提案する零石に、青石改め蒼露は、今までの疑問を尋ねた。

『………ていうかさ、青石って、何?』

「知らないか? ほら、あの神社や古い家の入り口にある踏み石だ。一個、大体五千円ぐらいだ」

『何ッ!? 適当につけたわけじゃなくて、結構考えてつけたのッ!? 其れにしても酷くないッ!?』

 上着を絞りながら、零石は辺りを見渡す。流石に寒いし、夜も深くなり始めていたので、そろそろ寝床を探さないといけないだろう。

 そう判断した零石は、そのまま埠頭の倉庫の中へと入っていった。

 

「――――こんなところか」

 埠頭にある管理室の一室で、零石は辺りを見渡した。

誘拐の拠点と使われていただけあり、もう長い間使われている気配は無かった。管理室の物置置くから、虫に食われていない埃塗れの毛布を引っ張り出してきていた。

 服は、上着と下着、ズボンを脱いで部屋にある机の上に広げておいた。今は、置いてあった作業着を引っ張り出して、着込んでいる。一緒においてあった紐で四季の刀の鞘を結びながら、零石はため息を吐いた。

「腹、へった………」

『何でこっちを見るの? ねぇ?』

 蒼露は今、零石が用意した毛布の上で丸まっていた。蒼露の状態だとある程度行動できるのだが、『魔力』がすこし漏れてしまう。といっても、稀にいるという動物のリンカーコアが発する『魔力』程度だということである。

 ちなみに、戦闘能力は皆無。見た目と気配は動物の其れだが、『魔導師』に捕まってしまったらすぐに分解されて、元に戻されてしまうらしい。

「………結局、お荷物には変わらない、か」

 蒼露には聞こえない、小さな呟き。そう呻いた零石は、疲れからか毛布の上に転がって、眼を閉じた。

 記憶は、戦うたびに鮮明になっていく。しかし其れは、自分にとってはるか大昔に起きたような記憶でしかなく、自分の身元を決定付けるものではない。

 ふと、思い出す。高町夫婦――両親という存在を知る良しも無い零石は、ほんの少しだけ、羨ましかった。

 そして、眼を閉じる。

 長い一日が、こうして終わったのだった。

 

 

 

 

 次の日。

 起きた蒼露は、寄り添って眠っていた人物が消えていることに気がついた。寝ぼけた顔で周りを見渡すと、気がつく。

 外はすでに、紅く染まっている。それが、夕方だと気がついたのは、周りに落ちている時計からだった。

 時刻はすでに、夕方四時。

 倉庫の屋根の上に続く窓が開いていて、向こう側では零石が静かに眼を閉じて、立っていた。

 夕闇を背に、ただひたすら立ち続けている。それだけだというのに、蒼露には其の姿が、陽炎のように揺れて見えた。

 慣れない身体を持ち上げ、蒼露は歩き出す。

 蒼露が近付くと、零石が眼を開いた。振り返る零石へ、蒼露が言葉を掛ける。

『何してたの?』

「訓練だ。体中の筋肉を自分の意思で動かす奴で、な。最近は動きがとろいと思ってたが、まさか、此処まで動かないとは………」

 零石の言葉に、蒼露は顔を撫でながら、小首を傾げた。

『どういうこと?』

「………説明が面倒臭いから短絡的に言うが、俺の身体は骨を主体に使うんだよ。そうすれば、ほとんど予備動作無く、力を使えるからな」

 神克流は、古流の流れを汲む。ゆえに、骨法という『コツ』を使いこなす古流武術も含まれ、其れは拳闘でも絶大な威力を誇っていた。

 むしろ、零石の場合、拳闘の方が強い。そのことを昨日の戦いで把握していた蒼露は、再度、眉を潜めた。

(『でも、零石は………変だよ』)

 何が変なのかは、分からない。いうなれば、戦い方を知っているわりには何かを戸惑っているようだった。

 そして何より、読めないのだ。

 確かにリンカーコアは、素質がある存在しか持っていない。零石にはそれが無い―――――としか、判断できないということ。

 つまるところ、零石にリンカーコアがあるかどうか、見ることが出来ないというのだ。

 人間の姿は、『感知』できる。その中にあるリンカーコアも存在するのであれば、一緒に『感知』できるはずなのだが、『感知』できない。

 しかし、零石からは時おり、『魔力』の因子を感じ取ってしまうのだ。

 つまり、隠している、というのが結論だが、零石を見てみれば、隠していないのは見て明らかだ。ただ、暗闇のように黒く塗り染められているだけ。

 だから、零石が何者かは、分からない。

 その闇に、何が潜んでいるのかも。

 訓練も終わり、零石は荷物を纏め、埠頭を後にした。

 事務室においてあった非常用の持ち出し袋に毛布、様々な器具をつめたリュックを担ぎながら、ホクホク顔で零石は埠頭を後にした。

「さて、当面の目的だが――――」

『みんなの回収だね。今後はこっちで『封印』できるから、いくらでも大丈夫だよ』

「飯だ」

 嬉しそうに切り出した蒼露に、淡々と違う言葉を返す零石。頭の上でこけた蒼露に向かって、零石はさも当然のように言葉を返した。

「腹が減っては戦は出来ぬ。当たり前の事だろうが」

『………当然のことを零石に言われると、相当頭くるよね』

 零石の行動パターンを知っているとしても、未だに理解しきれない蒼露を置いて、零石は海鳴市の中心部に向けて、足を向けたのだった。

 それほど離れているわけでもなく、いつもの公園に戻ってくるのに、それほど時間は掛からなかった。

 とはいえ、時刻はすでに夜七時。はっきりいって、何かを探すのには適さない時間帯だった。

「というか、どれほど近くをうろうろしていたんだ? あの犯人?」

 頭の上で眠っている蒼露は、返事をしない。蒼露をひょいっと下ろすと、告げた。

「寝るなら石になれ。動くと思ったから猫にして置いたんだぞ?」

『うぃ………』

 気だるそうな言葉と共に、光が溢れ、収まった先には普通のジュエルシードの四倍はあろう、大きな青い石があった。それを巾着袋に納め、首から提げたところで零石は顔をあげる。

「さて、飯だが………」

 コンビニと呼ばれる場所の近くなら、無料で飯が手に入ると太郎と次郎の話から知った零石は、そのコンビニというものを探そうとしていたのだ。

 零石は、そのまま通りに出る道を歩き出そうとする。汗のせいでかなり臭いがきついのか、無論のこと零石は気にしない。鼻はもう、使い物にならないのだ。

(――――?)

 詰まったのか、と怪訝な思いを抱いた零石が、鼻に触れる前に、止められた。

「話、いいかい?」

 其処には、黒髪の男が立っていた。

 

 

 

 最初に見た時、彼だ、と理解した。

 なのはだけではなく、父さんや母さんまで話題に出していた、男子。あのなのはが、寂しそうに告げた男子。

 兄として見逃せない―――そう考えた恭也は、自分の恋人である月村 忍の力を借りて捜索、すぐに見つけることと相成った。

 忍は、若干離れた場所で監視中。付き人であるノエルも、自分の本懐である護衛の為、控えているところだ。

 歳は、なのはとそう変わらないだろう。黒髪黒目で、中心が若干長い髪型をしている彼は、自分の身長と同じぐらいの長い棒状のものと、毛布の包まったリュックサックとボロボロに千切れた服と、まるで浮浪者のような格好をしていた。

 しかし、其の眼を見た瞬間、身体がざわついた。

 ――――剣。

 携えているのではなく、抜き身としてそのまま存在するような、確かな存在感。切っ先がこちらに向けられていると同時に、その何処にも刃が無いような、不思議な感覚。

 なのはの態度や言葉から察するに、四刀流などと不可解な剣術を使うのは、彼に違いない。

 どちらにしろ、できる―――そう考えた恭也は、小太刀を模した木刀を逆手に構えた。

 彼―――田神 零石は、当然のことながら、警戒している。自分の腕を掴んでいる手を軽く払いのけようと振るが、当然ながら、恭也は放さない。

 顔をあげ、彼は小さく呟く。

「誰だ?」

 其の半眼は、底の知れない沼地のように暗く、しかし光が宿っていた。其れをしっかりと見据えながら、口を開く。

「高町 恭也。まぁ、何かと縁があるみたいだが、なのはの兄だ」

 その名前を口にした瞬間、男の子――零石の眼が見開いた。

 そして、一気に――――火花が散った。

 

 

 

 反応が間に合ったのは、奇跡としか言いようが無い。

 男――――話によると、あのなのはの家族らしい恭也の一撃は、全くの死角から一気に振るわれていたのだ。

 もし、今日丸一日訓練に身を投じてなければ、身体が追いついていかなかった。眼では追えても一撃を受けて、失神していたかもしれない。

 最初に動いたのは、零石だった。つかまれていた腕を鞭のように振るい、攻撃を加えたのだが、結局は、打ち負けていた。

 速い、否、疾い。

 肩に担いでいた四季の刀を引き寄せ、恭也の斬撃を弾き返したが、小さな身体では弾き飛ばされてしまった。

 とはいえ、すぐに体勢を立て直すと、零石は身体に纏う全てのものから、身体を引き離した。

 リュックサックと上着が後ろに飛び、右腕には四季の刀が納められている布が、在った。降り立つ前にその結び目を解くと、夏月と春月を手に持った。

 残りの二本は、地面に突き刺さり、立つ。相手を油断無く睨みつけながら、零石はその二振りを、構えた。

「………悪かった。反射とはいえ、思いっきり攻撃してしまったな」

「何言ってんだか」

 自分でも予想外の事に謝罪をいれる恭也に、零石は吐き捨てるように言葉を返す。春月を逆手に構えながら、眼を細めた。

 相手は、小太刀一刀。主に防御に使われるものだが、一本だけ、というのがかなり引っかかる。

(恐らく、もともと二刀流なんだろうな)

 ほんの僅かに前に出た左手を見て、零石はそう判断した。半身で構えるのは片手の刀剣の基本なので分かるが、僅かに重心が向かって右、前に向けられているのだ。

 適当に納得しながら、構える。とはいえ、その構えは基本どころか適当すぎて隙だらけだった。

 相対した恭也に、怪訝な思いが生まれた。

 だが、そんなこと、どうでも良かった。

 神克流は、そういう剣術だから、だ。

「剣で来るなら………相手になってやらぁッ!」

 其の言葉と共に最初に動いたのは、零石だった。右手に構えた春月を逆手に構え、顔面に向かって振るわれた瞬間、剣戟が其れをはじく。

 其の瞬間、零石の顔面に何かが迫った。ほとんど勘に近いもので避けた零石は、その動きに絶句した。

 同じ、右手。零石の弾いた動きそのままで、攻撃を加えたのだ。

 続けざまに、もう一撃、振るわれる。疾いが、それでも辛うじて剣を構えることが出来た。

 だが、それと同時に、零石は違和感が走った。

 痛み、衝撃。それがそうだと理解したときには、零石は吹き飛んでいた。木刀の横薙ぎ払いがまともに直撃した腹部に激痛を残しながら、吹き飛んだ。

 地面に転がる前に腕を着き、何とか体勢を立て直す。かなり手を抜いていたのか、まだ立つ零石に驚きの視線を向けるほどの余裕が、見て取れた。

 一気に、駆け出す。それと同時に、恭也を見失った。

 横からの気配、夏月を構えた。

 ほんの僅かに、零石の動きの方が速い。其れを受け流し、春月を叩き込もうとした零石へ――――。

 視界が、歪んだ。次いで訪れたのは、自分が吹き飛ぶ感覚に、激痛だった。

「―――ッ!」

 木刀で殴られたのだと理解したときには、身体の自由が戻った。慌てて体勢を立て直した後、降り立つ。

 恭也は、まだ距離を保って、零石を見ていた。無用心な切り込みは危険だと判断したのか、もしくは余裕からなのか、勝負の顔になった恭也から判断できない。

 気に入らない、と零石は睨み返す。口にほんの僅かに溜まった血を吐き捨てながら、零石は春月と夏月を腰に差し、秋月を抜き放った。

『喧嘩に剣術を使うな。殴れ』

 ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。いつもの、謎の男と共に流れた言葉が、どうしても脳に焼き付いて離れなかった。

 それと同時に、零石の腕が動いた。

「ッ!」

 火花と共に、何かが弾かれる。弾いたのは恭也、弾かれたのは投擲された春月――一気に、距離が詰まった。

 速さは、恭也に及ばない。振るわれた秋月を、逆手に構えた小太刀の木刀で受け止めたときだった。

 零石の左腕が、下がっていた。その手の先に夏月があるのを見て、恭也は身を引く。

 夏月が、振るわれた―――が、其れの狙いは、恭也ではなかった。

 ハッとした恭也は、もう遅いことを自覚していた。振りきっていた秋月が、刃を返して逆手に握られていた。

 軽い炸裂音と共に、其れが、舞い上がった。

――――恭也の腕に握られた木刀が、支点となった秋月、そして、振り上げられた夏月によって、打ち砕かれていた。

 それに、驚きの表情を浮かべる恭也へ。

「喧嘩は殴れよ! こらぁッ!」

 全体重を乗せた拳を、顔面に叩きこんだ。

 

 

 

「あれ? お兄ちゃんは?」

 夜、居間に下りてきた所で、なのはが声をあげた。キッチンに引っ込んでいた士郎が顔を出すと、警戒に笑いながら答えた。

「ああ、恭也なら、今、一手試合にいっている。なぁに、その内帰ってくるさ」

「え? 試合? こんな夜遅くに?」

 なのはの戸惑いは、当然の事だ。時刻はすでに八時過ぎ、出かけるのにも試合と練習をするにも、遅い時間帯である。

「ふぃ〜〜、なのはぁ、お風呂空いたよぉ?」

 其の時、姉の美由紀が、風呂場から顔を出した。

「あれ? お姉ちゃんは行かなかったの?」

 試合となれば二人で出かけるというのに、姉は家にいた。タオルで頭を拭きながら、メガネをかけつつ、美由紀が小首を傾げた。

「何? どうしたの? なのは?」

 状況がつかめていない美由紀を見て、なのはが顔を暗くした。

「………なにか、とてつもなく嫌な予感がするのですが………?」

『………僕も』

 なのはとユーノは、人知れず汗を流すのだった。

 

 

 

 恭也が遅れをとるとは、その場にいる零石以外の誰も予想していなかった。

 文字通り、全体重を乗せた其の一撃は、武器が破壊されて動揺する恭也に、直撃した。鍛錬による反射行動で僅かに半身をそらすことが出来た恭也だが、全てをいなせるわけも無く、さすがにダメージは在るようだ。

 その前で、殴り飛ばした零石は、拳を振りかざしながら口を開いた。

「男なら拳で語れ、この野郎」

「………完全に、自分を棚にあげた言葉だねぇ」

 もう一人の言葉に、零石が顔をあげた。

 視線の先には、長い髪の毛をもつ青みのある瞳を持つ女性が、立っていた。森の中で隠れていたのか、はたまた今来たのか、零石にとってはどうでもいいことだったが、怪訝な思いを抱いていた。

 相手を見て、直感的に身体が反応しそうになったのだ。正確に言えば、手に持つ夏月を引き放って、首を切り落とすまで、危険な気がしている。それは、今でも、だ。

 ジュエルシードや、暴走体を前にしたときよりも、しっかりとした危険な気配。油断無く視線を向ける零石を無視して、その女性は隣に倒れている恭也へ、口を開いた。

「ほら、恭也。いつまでも驚いていないで、早く立ちなさい。私の彼氏なんだから、さ」

「ああ。悪かった、忍」

 そういい、恭也が立ち上がる。其れを横目で眺めながら、零石は内心で舌打ちした。

 その零石を無視して、忍と恭也はなにやら会話を始める。その内容も零石には聞こえていたが、余りの糖分過多でイヤになり、途中から無視し始めていた。

 ひっそりと逃げ出そうと踵を返した零石は、そのまま白い何かに激突した。

「申し訳ございませんが、もう少しだけ待っていただけませんか? 恭也様が、貴方にお話があるそうですので」

 零石が見上げた先には、端麗とした女性の顔が在った。その顔立ちに似合う紫色の髪の毛と、気品ある雰囲気を醸し出す彼女を見て、零石は眉を潜めた。

「あ、ノエル。わ、忘れていたわ」

 その女性――ノエルの言葉に忍が、今気が付いたように、振り返った。忍という相手もそうだが、この相手もかなり違和感の覚えた零石は、誰にも気付かれないように距離を取った。

 三人並ぶと、流石に違和感が際立つ。無論、そう感じるのは零石だけだが、その違和感は拭いきれなかった。

 いうなれば、ジュエルシードと同じ、非日常的な気配。

「………やれやれ、俺は、平穏に生きたいんだけどなぁ」

『零石じゃ無理だね』

 零石の小さな呟きは、流石に目を覚ました蒼露の言葉によって、掻き消えた。やがて、零石に向かって体を入れ替えた忍が、零石の頭へ手を置いた。

 そして、笑顔で口を開いた。

「君が田神 零石君だね? ごめんね、脅かせちゃって。あ、私は月村 忍。こっちは使用人のノエル=エーアリヒカイト。よろしくね」

 そう、告げる相手へ、零石は―――背筋に、寒気が走った。

 手を、振り払う。裏拳で、思いっきり腕を薙ぎ払ったのだ。

 過剰に反応したのは、恭也とノエル。二人が反応するよりも早く忍の手が動いたが、その眼差しにははっきりとした戸惑いが、見て取れた。

 怪訝な表情を浮かべる、忍。戸惑いながらも、相手の真意が読み取れないのだろう。

 零石は、今が瀬戸際なのだと、肌で感じていた。

 この違和感を無視すれば、事は安く収まるだろう。言ったところで何も解決しない可能性もあるし、危険しか増えない。

 冬月を、拾い上げる。鞘に通したベルトを押さえながら、秋月を脇に、夏月と春月を腰に差した。

 言う意味など、何一つ無い。

 だが、それでも。

『田神であるには―――』

 

「―――テメェら、何もんだ? 特にそこの二人、人間か?」

 

 零石の言葉に、三人の眼が見開いた。

 ―――冬月を振り上げるが、それと同時に凄まじい衝撃と一撃が、腹に突き刺さった。

 ノエルと呼ばれた女の拳が、零石の腹に突き刺さっていた。それと同時に、恭也がもう一本の木刀である小太刀を薙ぎ払っていた。

 冬月で恭也の斬撃を止めるが、衝撃はそのまま伝わっていた。それとほぼ同時にノエルの一撃が、零石を吹き飛ばす。

 一瞬の交錯に、弾き飛ばされた零石は、地面に転がる。余りにも無慈悲な一撃に、流石の忍も声を荒げた。

「ちょ、二人ともッ! 子供相手にやりすぎだよ!」

「忍様、下がってください」

 忍の言葉にしまった、と気がついた恭也と違い、ノエルは憮然とした態度を崩さなかった。

 静かに手を振るうと、其の腕に銃火器が握られていた。

「………ぺッ」

 口に含んだ血を吐き捨て、零石は秋月を手に持った。ふらふらと脚を踏みしめながら、立ち上がると、口を開いた。

「図星刺されりゃ、すぐに攻撃か? はん、器が知れるな」

 適当に吐き捨て、冬月を肩から下ろす。一般成人の身長ならどうにか持ったまま戦えるのだが、この身長では流石に持ち歩くのも不便だったのだ。

 零石の言葉に、恭也の顔にまたもや、闘志が宿った。自分の恋人がけなされたからか、もしくは零石の物言いに怒髪が天をついたのか分かりかねるが、それでも零石は、立ち向かった。

 もともと零石には、あの二人が本当に人間かどうか、判断できなかった。其れを問いかけた言葉だったが、相手は其れに答えず、攻撃を返したのだ。

 ただ、自分の中の『声』に反応しただけだというのに、だ。

『零石! 大丈夫ッ!?』

「―――出てくんじゃねぇぞ」

 蒼露に釘を刺し、零石は夏月を引き抜く。其れを臨戦態勢だ、と判断した恭也とノエルが、構えた。

 恭也が一瞬で距離を詰め、ノエルが銃口を向ける。その両方の攻撃が放たれたときには、零石は合口を切っていた。

 火花と衝撃。受け止めたはずの斬撃の衝撃を感じながらも、零石は銃弾と木刀を受け止めていたのだ。

 木刀が食い込んでいる夏月を鞘に納め、押し込む。木刀がへし折れ、恭也が距離を取る。

 それに続くように、零石は飛び込んだ。零石自身が切り込むのを想定していなかったのか、反応が少しだけ遅れた。

 しかし、零石の腕はすでに、動いていた。

(まただッ!)

 恭也の眼ですら追いつけない、投擲。振りかぶるという動作が無い春月の切っ先は、ノエルの持つ銃口に突き刺さった。

 使えなくなった、と判断したノエルは、其れを捨て、エプロンドレスの中に手を入れた。黒い何かを取り出したときには、零石の冬月が、其れを突きさしていた。

 交錯する、零石とノエルの眼差し。不敵に笑う零石は、告げた。

「危険なもの持っているじゃねぇか、この野郎」

「――危険と判断、全力で排除します」

 カチャ、という音と共に、ノエルの腕が向けられた。顔面に向け、ノエルの瞳孔が収束した瞬間、零石はとっさに顔を横にそらし――――。

「止めなさい! 二人とも!」

 零石の首筋に木刀を向けている恭也とノエルの動きが、止まった。

 忍の、鶴の一声。ピタッと止まった二人に、まだ勢いが止まっていない零石がノエルに突っ込んだ。

「ノエル」

 忍の言葉に、ノエルは零石を抱きとめた。しかし、ちゃっかりと腕を決めて身動きを取れなくなっている。

 ノエルに抱きしめられ、身動きが取れない零石を無視して、忍は恭也に詰め寄った。

「子供相手にどこまで本気でやるつもりッ!? ノエルも! さっき、ロケットパンチ使おうとしてたでしょ!? 流石に駄目だよ!」

「………申し訳ございません」

「モガモゴモアガ〜〜ッ!」

 未だに零石を放さないノエルに、顔ごと掴まった零石がもがく。其れを見た忍が、呆れたようにノエルへ告げた。

「いいから解放して上げなさい。いい加減、限界よ? 其の子」

「………しかし」

「い・い・か・ら」

 忍の言葉に、ノエルがしぶしぶといった感じで、零石を放した。咳き込んだ零石が距離を取った時、自分の手元に在るべき武器がないことに、気がついた。

 四季の刀が全て、忍の手によって奪われていたのだ。小さく舌打ちした零石は、それでも両腕を拳で作り、合わせた。

 そして、告げた。

「だったら、拳で語ってやらぁ!」

 ―――結局、零石は恭也に吊るされた。気分的には首元をつかまれた猫のような感じで、心の奥からイヤになる零石がいた。

 その零石へ、忍がもう一度、屈んで顔を寄せた。ややあって、口を開く。

「なんで、私とノエルが普通の人と違うと、思ったの?」

「勘」

 適当な口調で、それでもあっさりと答えた零石へ、忍はきょとんとした後、笑い出した。零石をつるしている恭也も呆れた様子で見下ろしているし、ノエルはもう、無表情に戻っていた。

 忍は、スッと零石の頭に手を置くと、ほんの僅かの寂しさを垣間見せながら、口を開いた。

「ごめんね、襲っちゃったりして。でも、私達、君と話がしたくて此処にきたの。けっして、喧嘩をしにきたわけじゃないから、剣、納めてもらえるかな?」

 忍の言葉に、零石が眉をしかめた。ずっと押し黙っていた零石は、忍、恭也、ノエルと視線を回した後、はっきりとした口調で、答えた。

「飯」

「え?」

 怪訝な表情を向ける忍へ、零石は――――。

「飯、食わせてくれ」

 きゅるるるる〜〜〜。

 そんな音が、鳴り響いた。

 

 

 

 

「いやぁ。豪快に食べるねぇ」

「………」

「ほらほら、恭也もそんな恐い顔しないの。あ、お義母様、お邪魔してます」

「ふふふ、いいのよ、忍ちゃん。零石君、お代わりはどう?」

「零石様、お茶を零してますよ?」

『………』

 約二名、正確に言うと一名と一匹の無言の眼差しを完全無視しながら、零石は机に並べられていく料理を、無心に食べ続けていた。

 飯が食べたい、という零石をつれてきたのは、【翠屋】。本来喫茶店でしかないその場所で、凄まじいほどまでの料理が載せられた皿が、空になっていった。

箸を器用に扱いながら、並べて行く料理を片っ端から口の中に詰め込んではお茶を飲む零石に、元来優しく面倒見のいいノエルが世話を焼く。

忍は桃子とカウンターで談笑している。未だに警戒している恭也は士郎の手伝いでウエイター、目の前では睨みつけるような、なのはとユーノの姿が在った。

 其の眼は如実に、(何でここにいるのですか?)と訴えかけてきた。

それを、(お前の兄貴にぼこられて捕まって、飯が食べたいっていったらここに来た)という意味を込めて、返す。

その意味が伝わったのか否か判断できないが、なのはが眼をそらした。視線だけで会話を進められるような間柄ではないので、余り気にせず零石は食事に集中した。

 じっくり三十分後、零石は膨れ上がった自分の腹をさすりながら、口を開いた。

「んじゃ、俺、寝るわ」

 そのまま、なのはと零石は、互いに違う意味で机に突っ伏した。

 

 

 

 











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