『いいか、零石。神克流は、弱い』

 今よりももっと幼い零石へそう告げた男は、不敵に笑う。両腕を組み、足を肩幅よりも広く開けて、男はいった。

『神克流はな、人を斬る為の剣技じゃない。それ以外を斬る剣術だ』

 目の前には、それぞれ並べられた四本の刀。四季の名前を持つ月の刀を手で示しながら、口を開いた。

『四振りも使うのは、折れたときや使えなくなったときのためだ。まぁ、ゆえに素手で戦う事も少ないと思うが、とりあえず体術は叩き込んでやるからな』

『剣はどうした?』

 半眼で突っ込みを入れる零石へ、男は豪快に笑いながら叫んだ。

『剣では神克流は全く勝てん! だからこそ、他で補うのだ! 武器を破壊したら失神するまで叩く! 男なら拳で語れ!』

『本末転倒だな』

 子供なのに、毒舌を吐く零石に、男は気にした様子も無く、豪快に笑って答えた。

『構わん構わん! 信念を破るぐらいなら、死んでおけ! 折れないからこそ、この流派は―――る!』

 台詞の中で、思い出せない部分がある。そのときに鋭い痛みを感じたが、視界には違うものが映し出されていた。

 顔が真っ黒に塗りつぶされた、笑顔。辛うじて見える口元が、不敵に笑っていた。

『だが、な。だから――――』

 そこからだ。自分の記憶を手繰り寄せていた零石は、小さく眼を見開くとため息を吐いた。

 記憶を呼び戻してすぐに思いつく場面が、男との会話。世界最弱の剣技であり、零石が使う神克流を教えた男の顔だが、未だに思い出せない。

 だから。

「さぁて、どうすっかなぁ」

 ポリポリと。

 かいた髪から、白い粉が落ちる。ふけだなぁ、と意識の外で考えながらも、零石は呟いた。

 風。頬に辺り、白い粉が後方に飛んで行く中、目の前で鎮座する少女は、双眸に涙を溜めている。

「刀置いてきた」

「前前前前ッ!? 眼をそらさんといてッ!」

 右に曲がるところを、零石は重心をそらすことによって、曲がる。ついでに、壁を思いっきり蹴り飛ばすと、二人を乗せた車椅子はさらに加速した。

 狭い通路は、倉庫の広さに比較して、かなりの長さを誇っていた。後ろから男達の怒号が聞こえるが、わざわざ近くの曲がり角で曲がったとは思えず、反対の方向へ走って行ったようだ。

 春月を彼女の太股の辺りに投げ込みながら、零石は足を踏み込んだ。

 摩擦によって、車椅子は減速する。それと共にもう一度重心を右に掛けると、そのまま近くの部屋に入っていった。

「っというわけで、ブレーキ、ブレーキ」

 軽い言葉と共に、零石は足で車椅子の車輪前についているブレーキを、かける。自分の持ち物からか、はたまた今までの傍若無人な態度に限界が来たのか、少女が叫ぶ。

「ええ加減にせいやッ!? 何やねん!? うち、何かしたかッ!?」

「まぁまぁ、いいじゃねぇか。あそこにいたら、お前がどうなったかも分からないし。とりあえず、その刀――『春月』をもってくれねぇか」

 零石の言葉に、少女は言葉を詰まらせ、頷く。太股に乗っている刀を器用に手元に持って行くと、其れを逆手に持つ。

 持った瞬間、何かの感触が走った。ハッとした先には、背中に回された腕を思いっきり後ろに出して、逆手の刀に両腕を下ろした。

「あ、やべ。きれた」

「いややああああああああああッ!?」

 向きがほんの少しだけずれ、零石の手首が切れる。それと同時に紐も切れていて、ようやく零石は自由になった。

 血で紅く染まる刀身を呆然と握り続ける少女へ、零石は満面の笑顔を浮かべつつ、刀を取り上げながら告げた。

「ありがとうな。優しい少女A。君の事は忘れない」

「血ッ!? 血ッ!? っていうか、うちは見捨てるのかいな!?」

 血に悲鳴をあげつつも、部屋を出て行こうとする零石に叫ぶ少女へ、零石はふりかえりざまに、答えた。

「そうじゃねえ。忘れ物とりにいくだけだよ」

 フッと笑う零石に、少女が言葉を無くす。呆然と見届ける彼女へ、零石は口を開いた。

「俺の名前は、田神 零石。お前は?」

「や、八神 はやてや!」

 零石の言葉に、若干戦きながらも答える少女――八神に、零石は手を振りながら、告げた。

「んじゃ、待ってろ。終わったら、飯でも食わせてくれ」

 

 

 

 

『………なのは。まだ、気にしているの?』

 少女の部屋らしく、かわいらしいものと明るい装飾が多い部屋のベッドの上で、ずっと座っているなのはに、ユーノがおずおずと、口を開いた。

『悪かったと思うけど………。この世界でも犯罪の銃刀法違反だし、質量兵器を持っているんだ。どちらにしても、危険な相手だし』

 ユーノの言葉に、なのははほんの少しだけ笑顔を浮かべ、答えた。

「………うん。零――田神君が間違っているのは分かっているけど、どうして分かり合えないのかな、って思って」

 心優しいなのはにとって、零石の決別の言葉は、付き合いの深さ関係なく、辛い。

とはいえ、なのはもユーノの言葉を信じると決めているので、どうにかして彼を止めないといけないのだ。

 どちらにしろ、危険なものを持っているのなら、其れを封印して管理しないといけない。封印したジュエルシードは二つとも、彼が持っているのだから。

 膝を抱えながら、なのはは表情を切り替えた。いつまでも黙っているのは自分らしくないし、落ち込んでいられないと考えたのだ。

 ぐぐっと背伸びしたとき、声が掛けられた。

「なのは〜ぁ、ご飯よ〜」

「あ、はぁ〜い!」

 桃子の言葉に、なのはは反射的に言葉を返す。みてみれば、外はどっぷりと日が沈み、時間も丁度良く夕食時を差していた。

 そこで、思い出す。

「田神君、何処に行ったんだろ? ご飯、食べてるのかな?」

 何となく、宿無しの零石のことを気にしてしまった。

 

 

 

 

「さて、どうするかな」

 ぶっきら棒に肘をつけながら、零石はため息を吐いた。胡坐をかいた零石の視界の下には、冬月と夏月、秋月を持った太郎と次郎の姿がある。

 場所は、大きな貨物庫。懐中電灯を片手に、倉庫の中を徘徊する二人を見て、零石は再度、ため息を吐いた。

「大体、何で下を探しているんだ? 自分たちで2階に入れたくせに」

『誰も近くに隠れているなんて思わないんじゃない?』

 青石の何気ない茶々話に、零石は小さく唸った。腕を組みながら、どうしようかと思考する。

『でも、気をつけたほうがいいよ? 『魔導師』がいないから』

 青石の言葉に、零石は眉を潜めた。『魔導師』という存在を思い出しながら、口を開く。

「魔導師? あのなのは見たいなやつか?」

『そ。でも、結構遠くにいるから、今は気にしなくてもいいよ。様子を窺ってる』

 その言葉に、小さく舌打ちをした。真っ向から戦っても成り立てのなのはに勝てないのだ、それ以外に勝ち目はない。

「大体、あの壁みたいなのは卑怯だ。剣戟が効かない」

『………普通、質量兵器にあんな耐性のある壁はほとんど無いけどね。零石だけならまだしも、もしかしたら戦車の大砲だって弾くかも』

「世間話は終わりだ」

 言うや否や、零石は春月を引き抜くと、飛び出した。

 降り立った先には、丸い球体。それの周りに足を組むように飛びつくと、そのまま前に体重を回し、蹴り上げた。

「うぉ――――」

 言葉を発するよりも早く、太郎がぐるりと反転した。地面に転がるように体勢を崩す太郎から、冬月を取り返す。

「て、テメェッ!」

「次郎か」

『あっちが太郎だったりして』

 慌てて飛び出してきた男が、鞘に納めた秋月を構える。零石にとってはかなりの長物だったが、成人男性だとちょうどいい長さのようだ。

「納得いかん」

 半眼で呻く零石へ、次郎(太郎?)がにやりと笑う。その鞘と持ち手をしっかりと掴むと、不敵な言葉を発した。

「今宵の虎鉄は血に飢えておるわ。たたき――」

 喋りだすや否や、零石が駆け出す。喋っている暇が無いと察した次郎(太郎?)は、鞘から引き抜こうと――

「あ、あれ? 抜け―――」

 メキョ。

 顔面に、冬月が叩きつけられた。もんどりうって倒れる次郎(太郎?)へ、零石は冷たく言い放つ。

「これを抜くには、ちょっとしたコツがあるんだよ。ま、教えんがね」

 その表情には、冷淡とした感情が込められていた。

 男達から刀達を取り返した零石は、最初に連れ込まれた部屋から布を取り戻すと、刀にまきつける。腕の部分に刀身を入れると丁度良く、裂けた服が丁度腰に巻きつけられる長さなのだ。

 腰にかけながら、零石はそのまま部屋に戻り。

「うわあああああああああッ!?」

 ガン。

 後頭部に、重い一撃が入った。もんどりうって倒れそうに成る零石へ、言葉が響く。

「え? 嘘ッ!? 田神君やないかッ!? 本当に倒してきたんかッ!?」

「………気絶だけだがな。危うく、失神させられそうだったよ」

 見てみると、入り口近くまで自力で進んできた八神の姿と、その両手に力強く握られたガラス瓶が見て取れた。ロープはどうやって切ったのかと思うと、少しはなれた場所に割れた窓ガラスが見える。

 なるほど、と納得すると、零石は痛む頭を押さえながら、口を開いた。

「ほら。もう安全だし、そろそろ飯食いに行くか」

「え? あ、ああ。そうやったな」

 零石は、八神の後ろに回ると、車椅子を押す。そのまま部屋を出て行くところで、八神が口を開いた。

「そういえば、ウチのバッグが無いわ。お金もあんなかにあるし、探してぇな」

「何ッ!? それは如何ッ! すぐに探そう! 今すぐ探そう!」

 零石の反応に、八神はくすっと、笑う。八神の言葉を聞いて、零石は眉をしかめたが、それでも気にしなかった。

 八神の車椅子を押しながら、零石は口を開く。

「ま、どうでもいいけど、報酬は守れよ? 俺は約束が守れない奴が一番嫌いなんだ」

 零石の言葉に、八神は微笑んだ。心の奥から込み上げる優しい感情で、振り向いて答えた。

「うん。大丈夫や!」

 八神が、そう答えた。

 

 

 

 結局、八神の保護者代わりの人への連絡の後、警察が駆けつけ、誘拐犯はお縄となった。

 零石は警察が来る前に、姿を消していた。それに八神が気がついたのは警察が付くほんの一瞬前で、何時の間にか消えていたのだ。

「――あれ? なんか、約束しとった気がすんやけど………」

 時期に、八神はその言葉を忘れる。それと同時に、今晩起きたことも、忘れるのだ。

 

 

 

 

「やがて、目覚める時までね」

「テメェ、何してやがんだよ」

 気がついたら零石は、一人になっていた。眼下では警察の車によって運ばれていく八神の姿があり、もう心配する事も無いだろう。

 あっという間の出来事だった。何気ない会話をしている間に近づかれ、一瞬で屋根の上まで連れ去られたのだ。

それと同時に八神の近くに何かを投げつけると、青白い光が走った。

 そして今、零石の目の前に、黒い服を着た男が立っていた。テトラ・アルスパインではないようだが、それでも『魔導師』に違いない。

 ピリピリとした、空気。それが何なのか、零石に分かるわけもなく、零石は布を解こうとする。

 それを、黒い影が手で制したのは、八神を乗せた車が走り出すのと、ほぼ同時だった。車が遠ざかって行く中、男は懐に手を入れると、口を開く。

「君はなぜか、私が何者なのか知っているようだね。だが、別に構わない。私は、彼女以外に興味が無い。これをもって、彼女から別れてくれ」

 男が懐から取り出したのは、かなりの暑さがある茶封筒。そこから覗く、茶色の紙がゆらゆら揺れた瞬間、其れがバラけた。

 逆手で抜き放った抜き身の刀身が、其れを切り裂いていた。その刀身は、男の右腕近くでぴたりと動きを止めている。

 それを振るった零石は、鋭い眼差しを男に向けると、口を開いた。

「その紙切れで腹が満たされんのかよッ………! 俺の飯、邪魔したのを―――後悔させてやるッ!」

 最後の言葉を皮切りに、冬月を鞘に納めたまま引き抜く。引き抜き様に放たれた一撃を一歩跳び避けた男は、そのまま空中を舞う。

 小さく舌打ちし、春月を引き抜くが、そこで動きを止めた。

 投擲したとしても、恐らく一撃では倒せない。ここで打ち出せば、間違いなく海に向かって飛んでいってしまうし、追撃も不可能だと判断したのだ。

 空に飛び上がった男は、黒い布を振り払うと、口を開く。

「何者かは知らないが、もう二度と会うことも無いだろう。では、またな」

「逃がすか―――ッ!」

 言葉が終わるよりも早く、男が光に包まれ、消えた。

 静寂――――。

 静けさが戻った埠頭の倉庫屋根上で、零石は再度、刀剣を布に纏め、地面に向かって投げ落とした。倉庫の淵を伝うように地面に降り立つと、頭をかく。

「さて、どうやって戻るかな」

 現在の居場所すら分からない零石にとって、其れは死活問題だった。

 腹を押さえながら、呻く。

「腹、減ったな」

 そう告げたときだった。

『! 零石! 向こうで仲間の反応があるッ!』

「――――ジュエルシード=Aか」

 宝石の種――青石の仲間であり、なのは達が集めているロストロギア。しばらく虚空を眺めた後、小さく口を開いた。

「………行けば、なのはに拾ってもらえるかね」

『あそこまで敵対しておいて今更ッ!?』

 青石の言葉を無視して、零石は歩き出した。

「空腹に勝る屈辱はない」

『何気に名言っぽいけど、思いっきり後ろ向きだよね』

 どうでもよさげな零石は、ふらふらと歩き出した。

 

 

 

 暗闇の中、白い巨体と紅い閃光、金色の光が蹂躙する。幾つもの白い触手が深緑の海から覗き、ねっとりとした輝きを従えながら、うねりあがっていた。

 紅い閃光が、地面に降り立つ。その光が晴れた先にいたのは、巨大な犬だった。特徴的な毛並みを持つその犬は、顔をあげると、唸り声を上げる。

 それに答えるように、金色の光が止まった。

 現れたのは、露出の多い黒い服を着た、黒マントの金色の髪を持つ少女。潮風にマントをなびかせながら、手に持った金色の鎌を、握りなおす。

(厄介だね、フェイト。あの足、思いの他多いよ)

「………うん」

 フェイトと呼ばれた少女は、眼下で蠢く白い影を見た。

 烏賊(イカ)。おおよそ十メートルはあろうその巨躯を持つイカは、まるで奇声を上げるように、大きく足を振り上げた。

 足は十六本。白い身体には薄っすらと鱗に包まれ、その硬さは折り紙つきだった。フェイトのインテリジェントデバイスであるバルディッシュの刃が、全く通じなかったのだ。

「フェイト! 電撃だよ! 雷で倒しちゃいな!」

 パートナーである狼――アルフの言葉に、フェイトは頷き、バルディッシュを構えた。

 瞬間的に構成を組み立てるバルディッシュに、絶対的な信頼を示しながら、フェイトは叫んだ。

「フォトン――――」

 体の回りに収束する、電撃。其れを感じながら、フェイトは叫んだ。

「ランサー!」

Photon lancer Full auto fire.

バルディッシュの機械音声と共に、其れが一つの固まりになり、一気に撃ち出された。

 無誘導高速魔力弾。それは、凄まじい発光を弾かせながら、イカへと飛来し――――。

 次の瞬間、イカが腕を振り上げると、津波が舞い上がり、電撃が手前の海面に直撃した。無論、塩分を含む海水は、凄まじい勢いで電撃を四散させ、それにイカが巻き込まれる―――が、それだけだった。

 その光景に、フェイトの眼が見開いた。

 イカは、自分の両足を大きく広げ、受けた電撃を文字通り、海中に逃したのだ。その受けた電撃は、イカの鱗を通っていったのか、ダメージは薄そうだった。

「フェイト!」

「………大丈夫」

 とはいえ、無効化できたわけではない。海の中だから逃げることが出来たのだから、海中から引きずり出せばいいだけの話だ。

 問題は、あの質量を陸に上げるほどの威力を持つ技が、無いという事。真下から全力で集束型の魔法でも撃てればいいのだが、フェイトの魔力変換資質である「電気」は、必然的に四散、威力が落ちる。アルフなら人型になって掴みあげ、投げ飛ばす事も可能だが、その前に掴まるのは、眼に見えていた。

 厄介な相手―――そのイカを、そう判断した時だった。

 

「ちょっとまったああああああああああああああああああああッ!?」

 

 叫び声が、響き渡った。

 

 

 立っていたのは、小さな身体に不釣合いな四本の刀を携えた、男の子。

 白い巨躯の前、埠頭の堀手前にある広い場所で仁王立ちした零石は、不敵な笑みを浮かべると、眼を光らせた。

「イカの刺身、イカの五色汁、イカの和え物、イカの粕漬け、イカの酢味噌和え、イカと大根の煮物、イカのしょうゆ漬け、イカの一夜干し―――」

『なんでそんなに知ってるの? 何? また食べる気?』

 ブツブツとイカ料理をあげていく零石に、青石の突っ込みが入る。しかし、零石はその言葉どころか、今まさに警戒心を向けてくる二人ですら、完全に無視した。

 四季の刀を、それぞれ構える。イカにしか見えない巨躯だが、その表面に広がった鱗を、零石は見逃さない。

 その、隙間も。

「!」

「アルフ」

 視界の隅では、金色の髪を持つ女の子が、犬を宥めていた。なにやら話しかけたと思った途端、犬の表情が一変する。そしてそのまま、ゆっくりとこちらを見た。

 完全に、無視。今は、反れどころではないのだ。

「イカの海苔巻き揚げ、イカの団子、イカの塩辛、イカのしょうゆ漬け、イカの茶漬け―――」

 スッと、春月を逆手で引き抜いたとみた、その瞬間。

 刀が、消え―――イカが、奇声を上げる。ハッと視線をイカに向けたフェイトの眼差しには、鱗の間に挟まった刀が、映し出されていた。

「キユアアアアアアアアアアアッ!?!?」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 奇声に負けじと放たれる、獣の声。其れが男の声だと判断した時には、零石は飛び出していた。

 イカの脚が、薙ぎ払われる。其れを上に飛んで避けた零石へ、さらにもう一本の脚が、襲い掛かった。

(やられるッ!?)

 タイミングは、絶対。確実に一撃を受ける場所に飛びこんだ零石は、脚が薙ぎ払われた先には、いなかった。

 しかし、イカは知っている。その眼差しは、ギロリと視線を上へ向けた。

 そこには、イカの触手に秋月と夏月を突き刺し、ぶら下がっている零石の姿が、あった。

 無論、イカの触手にも鱗は、ある。その鱗は零石の四季の刀いずれを使っても、傷つけられない。

 しかし、零石の刀は確実に、イカの脚を貫いていた。

 鱗と鱗の、ほんの隙間。真っ直ぐ打ち込むのではなく、斜めに付きこまれたその一撃は、鱗と鱗の間をすり抜け、柔らかい身体を貫いている。

「キ「オオオォォォルルルッラアアアアアアアアアアアッ!」」

 奇声を気合の叫び声で、かき消す。其れは、ただの叫び声だったが、ただの叫び声とは思えない気迫が、込められていた。

 脚の勢いを借り、そのまま夏月を引き抜き、手を離す。秋月を無視し、そのまま一気に飛び込んだ零石は、体勢を立て直した。

 ドシン、と、鱗によって奇妙な感触を持つ身体へ、張り付いた―――が、すぐに鱗ですべり落ちた。

 ドボン、と大きな水音を立てて、零石は海の中に落ちていった。

 静寂が、あたりを包み込む。ゴポゴポと、気泡が生まれては弾け、消えて行く。

「………死んだ?」

 犬―――アルフの言葉が響いたときだった。

「うるるるるらアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ドバァン、と、水が弾け飛ぶ。それと共に、口に何かを銜えた零石が、一気に駆け上がっていった。

 靴。其れを口に銜えた零石は、鱗にあるほんの僅かな隙間に足の爪をつきたて、一気に駆け上がってきたのだ。

 一気に駆け上がり、春月の刺さっている場所まで走る。イカの中腹、中心部に突き刺さっている春月をみて、青石が叫んだ。

『あの中心部! あそこをこじ開ければ、見つけられる!』

 夏月を引き抜くと同時に、一気に飛び上がった。それと同時に親指の爪が剥がれたのか、血が飛んだ。

それでも、十分な高さを得た零石は、春月が突き刺さってほんの僅かに覗く白肌へ、一気に夏月を突き刺す。

「キュアアアアアアアアアアアアッ!?」

 奇声の悲鳴をあげるイカが、大きく仰け反った時だった。

「神克流、殺技―――」

 ガチリ、と、異質な音が埠頭に鳴り響く。イカの懐に飛び込んだ零石が、冬月を構えた、ほんの僅かの逡巡の後。

 長い刀身を巻き込むように、身体を捻って、背負う。

 夏月と春月の柄頭へ、肩に峰を当てた冬月を。

「弥生」

 叩き込んだ。

 突き刺さった春月と夏月が交差し、イカの中枢へと深く突き刺さる。それと共に捲りあがり、剥がれ落ちた鱗が輝き、水面へと落ちて行く。

 ゆっくりと倒れて行く巨躯の中から、青白い光が零れ落ちる。其れは、零石の目の前に飛び出して来て―――――。

 零石は其れを、白いイカへと、手のひらで叩き込むように、戻した。

『ええええええええええええええええええええええええッ!?』

 青石の叫び声が、零石の耳に突き刺さる。其れを心底やかましそうに眉を潜め、零石は舌打ちをした。

『舌打ちしたッ!? 舌打ちしたよねッ!? っていうか、再生しているよ!? っていうか、食ってんのッ!?』

 零石は、鱗と共に剥がれ落ちた白いイカの身体を、口に入れていた。咀嚼を繰り返す零石が、満ち足りた眼差しを虚空へ向けている間にも、イカの体は再生を始めていた。

 春月と夏月を足で器用に挟み込むと、引き抜くと同時に、そのまま海の中に飛び込む。バシャン、と、水飛沫を立てて沈み込んだ零石は、イカが再生する間に岸に上がった。

 濡れた髪を振るいながら、大きく息を吐く。それぞれの刀を鞘に納め、懐の中に入れ込んでおいた鱗の根元に付いたイカの身をかみながら、零石は見上げた。

「喰いがいのあるイカだぜ」

『それは、再生し続けるからね』

 くっちゃくっちゃとイカを噛み締める零石へ、何者かが、歩み寄ってきた。

「………ん?」

 視線の先には、黄金色の髪の毛を持つ、少女――フェイトが立っていた。それに視線を向けた零石は、手に持ったイカの身と彼女を見比べると、咀嚼を止めて口を開いた。

「あ、お前、花子さんか」

「誰ッ!?」

 突然謎の名前を呼ばれたフェイトが、思わず聞き返す。イカのうろこを吐き捨てた零石は、もう一枚の鱗の根元にある身を噛み締めながら、答えた。

「お前、自分も分からないのか? 便所のところにいただろうが。花子さんはな、全国の女子トイレに現れる変人さんで、十回の質問に答えた後の問題に答えないと二十歳の前に死んでしまう三種類の紙だぞ?」

 わけのわからない零石の言葉に、フェイトが混乱している時だった。

「フェイト! 危ない!」

 その言葉と共に、フェイトと零石の間に紅い狼が飛び込んでくる。零石に向かい、警戒の唸り声を上げながら睨みつける狼を見て、零石は視線を戒めた。

『………食べるとか言わないの?』

「はぁ? お前何いってんの? 人の飼ってる動物食ったら犯罪だろうが」

「く、喰うッ!?」

「あ、アルフッ!?」

 青石の言葉は二人に聞こえるわけも無く、零石の言葉に二人が過敏に反応した。

 二人が過敏に反応するのには、理由がある。

 まず、零石から全くといっていいほど、『魔力』を感じないことにある。それ自身は『リンカーコア』が無いから、という根本的な疑問で解決できるのだが、深く『解析』していくと、どうしても魔法≠フ因子を感じてしまうのだ。

 其れはひとえに、自分の『リンカーコア』を無理やり隠し、実力を隠しているようにも見えたのだ。

 何より、『魔力体』であるはずの暴走体が、一度倒されているのだ。何でジュエルシードを体内に戻したのかは分からないが、一気に、確実に。

 そして一番警戒している理由は、三つのジュエルシードだった。

 三つ、零石はジュエルシードを持っている。その内二つが封印されている事を考えれば、自分でしたのか、もしくはもう一人の魔導師≠ゥら奪ったのかの二つしかない。

 しかも、一つは解放状態。封印すらしていないジュエルシードがどれほど危険なものなのか、知識だけでもゾッとする。

 其の時だった。

「キアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 奇声が上がり、風が唸る。見上げた零石の視線の先には、復活したイカの姿があり、その足が今まさに、零石へと振り下ろされる瞬間だった。

 ぶつかる直前に、横に飛ぶ。白い足は、倉庫と堀を砕き飛ばしたイカは、零石に眼を向けると、さらに足を振り上げた。

「お、おお、おおおおおおおおおおッ!?」

 最初の言葉で気付き、二番目の言葉で理解し、最後の言葉で駆け出す。その零石の背中向け振り下ろされた足を、零石は横に飛ぶことで避けた。

 地面に転がるように距離を開け、体勢を立て直す。それと同時に見上げると、また、脚が見えた。

「おいおいおいおいおい!」

 驚愕し、腰を浮かせた零石へ、イカが足を振り下ろした。右か左のどちらかに避けようとして、その先に脚があることに気がつく。

 脚の一本だけ通るほどの、隙間。何時の間にか脚を狭めていたのだ、と理解したときには、遅かった。

 眼を見開いた零石が見上げた瞬間、白い脚が押し潰すように視界を覆った。

 

 

『でも、だからこそ、見えるものがある』

 

 

 零石には、見えていた。

 ほんの僅かにある、イカの脚の攻撃速度のムラ。真ん中が一番に地面に触れたときには、零石は真後ろに向いていた。

 いくら一本の脚が通るとはいえ、全部が真っ直ぐ伸びているわけではない。足先には僅かながら隙間があるのだ。

『回りを良く見ろ。俺たちは何より、生き延びる事を優先しろ』

 身体が、覚えている。脚が全てを押し潰すより、ほんの刹那早く、零石はその場所から、飛び出した。

『武器は武器にして、武器にあらず。斬るな。砕け』

 日本刀は、斬ることに特化した武器。其れを斬る事ではなく、砕く事に集中するこの剣術は、確かに最弱だった。

 夏月を納め、脚に突き刺さっている秋月を、引き抜く。それと同時に秋月を、肩の動きだけで打ち出した。

 肩甲骨と腕の筋肉だけで放つ、投擲方法。身体が覚えていた投擲によって放たれた春月は、真っ直ぐにイカの眼と眼の間に、突き刺さった。

 秋月の持ち手を、力強く握る。何度も打ち込んだ春月の柄頭へ―――。

「うらあああああああああああああああああああああああああッ!」

 渾身の跳び蹴りを、叩き込んだ。

 イカの身体から、青白い光が毀れる。青白く輝く宝石は、イカの巨躯を影に、零石の向こう側に飛び出した。

 其の時、声が響いた。

「バルディッシュ」

 其の声を聞いた瞬間には、零石は動き出していた。

(分かる。こいつは、なのはと同類だ)

 なのはと同類―――つまり、敵。理由は知らないが、ジュエルシードを封印して集めようとする、零石の敵だった。

 春月、もしくは夏月を撃つわけにはいかない。

 だから零石は、そのままイカにしがみ付き、駆け上った。爪をつきたて、剥がれて砕けたが、気にしている暇も無い。

 何かの機械音声が響き、光が集束する。其れを横目で確認しながら、零石は――――。

 

 

 

 飛んだ。

 

 その瞬間、フェイトの杖から金色の光が引き伸び、空気を突き破り一気に伸びてくる。

 しかし、其れよりも早く、零石はジュエルシードを、抱きかかえていた。それに、フェイトが眼を見開き、金色の光が零石を包み込んでいった。

 そして、次の瞬間――――。

 

 

 

 光が、弾けた。

 

 

 

 

「―――結局、あやつはみつからなんだ」

 漆黒の、闇。どこまでも暗く、光など微塵も無いこの場所で、唐突に光が漏れた。

『テトラなど気にしなくて良い。どうせ奴は末席。まぁ、『管理』側もそれを知っているからこそ、奴を送り込んできた』

 其れに答えるように、波紋が広がる。それに続くように、声が響いた。

「どちらにしろ、我等の管轄外だ。自由にして置け。それに、末席とはいえ、あいつも『反逆者』。たとえ何があっても、目的は達するさ」

『我等は『傍観者』。行く末を見据えるのみ』

 声が、響く。質は違えど、其れは二つ――――響き渡った。

「なぁ? 《n》?」

 光の言葉に、波紋が笑うように、揺れた。

 

 





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