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巨大な黒い腕が振るわれ、地面に突き刺さる。其れを寸でのところで避けた零石は、ほんの少しだけ距離を取った後、顔をあげた。
「でっかいな………」
小さく呟きながら、零石は布を広げる。重力に従い、地面に突き刺さった四本の刀をそれぞれ引き抜くと、身体に纏った。
なのはは、前と同じ服装で、大きな犬と対面していた。紅い宝玉がついている杖を振るうと、叫んできた。
「れ、零石君!? あ、危ないよ!」
慌てて走り出そうとしたなのはの前に、もう一度黒い犬が落ちてきた。はっとしたなのはが構えた瞬間、犬が大きく構えると、薙ぎ払うように前足が振るわれた。
なのはの身体の前に光が走り、腕が弾き飛ばされる。弾き飛ばされる様を見ていた零石は、半眼を向けた。
「随分、便利なものだな? 俺も欲しいぜ」
『零石には無理だよ。『魔力』全く無いし』
そうかよ、と小さく吐き捨て、零石は走り出す。なのはの近くに向かうと、犬のほうに視線を向けつつ、言った。
「とりあえず、あいつを砕くぞ!」
そう宣言し、零石は夏月を引き抜いた。
零石の身長では、やや大きめの刀身を輝かせながら、スッと眼差しを細めた。
起き上がる、犬。その口に生える、赤い夕日に輝く犬歯と、その両手両足にある爪、それら全てを見据えた後、零石は口元をゆがめさせた。
そして、不敵な言葉を、吐く。
「てめぇの武器、全て砕いてやる」
それが、零石の「力」だった。
夏月が、火花を散らす。
顔面に向かって振るわれた刀身は、犬の塞がった歯によって弾かれた。ジュエルシードの『魔力』によって強化された歯は、鋭く尖れた零石の刃を弾く。
ほんの僅かに浮かぶ、傷跡。其れを見た時、零石は眼を見開いた。
犬が、叫ぶ。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
唾液と凄まじい声量で打ち出された其れを、叫び返した。
「あああああああああああああああああああああッ!」
負けずに放たれた言葉が、気迫と共に犬を押し返す。その咆哮に怯んだ犬に向かって、零石は左腕で春月の合口を切ると、腕の反動だけで打ち出した。
歯の硬さによって、ほんの僅かにだけしか刺さらない、春月。犬が驚き、顔をあげるよりも早く、零石は冬月を引き抜くと、一気に躍り出た。
「グルアアアアアアアアッ!!」
痛みと怒りが混じった音と共に、前足が振るわれた。ほんの一瞬だけ早く反応した零石は、左腕を構える。
次の瞬間、凄まじい音が、鳴り響く。質量の差から、抵抗すら出来ずに零石は吹き飛び、神社の境内にある狛犬の像に、突き刺さった。
口から、血がこぼれる。小さく舌打ちすると、そのまま躍り出た。
「零石君ッ!」
なのはが飛び出すよりも早く、零石は腕で制した。それに驚いて動きを止めたなのはの眼前で、零石に犬が、襲い掛かる。
夏月を納め、冬月の鞘頭を蹴り飛ばす。反動で跳ね上がった刀を受け止めると、零石は眼を前に向けた。
振り下ろされた前足を、背中に背負った冬月で受け止める。両足で何とか踏みとどまったのも一瞬、零石はそのまま押し潰された。
地面に突っ伏す瞬間、冬月の鞘先を地面に突き刺し、肩に掛ける。梃子の原理を使い、犬の腕を弾き上げた。
犬の体勢が崩れた瞬間、零石は足の下から逃げ出す。転がるように前へ出た零石へ、追撃とばかりに犬の前足が振り下ろされた。
その瞬間、紅い壁が光を発し、其れを弾き飛ばす。眼を見開く零石の前に、なのはの顔が映った。
ほんの一瞬だけ迷いの色を見せると、すぐに視線をそらした。
「迷うな」
なのはの眼が見開いたのは、その言葉が響いた時だった。キョトン、とした眼を向けるなのはヘ、零石は不敵に笑う。
「安心しろ。俺は誰も殺さない」
それを見た時、零石は動き出していた。視線をそらしたなのはが、頭にその感触を受けたのは、ほぼ同時だった。
なのはの頭を使い、跳び箱を跳ぶ要領で飛び上がり、秋月を鞘に収めたまま、引き抜く。紅い壁の張っている場所の裏から飛び出した零石へ、犬が顔をあげたとき、眼を見開く。
歯に突き刺さっている春月の柄頭向けて、叩き込む。動く物体の、柄頭という小さな的に向かって打ち込まれた一撃は、一気にヒビを入れ、砕け散った。
砕けた歯の破片と共に落ちてきた春月を、受け取る。砕かれた歯に驚き、咆哮をあげる犬を背に、零石はなのはへ、視線を向けた。
「俺の剣術は、武器を砕く剣術だ」
振り向かずに振り下ろした冬月が、犬の爪を砕く。その冬月は、抜き身の刀身を輝かせ、力強く輝いていた。
その時にはもう、口の犬歯が修復し始めている。それを見上げて、大きく息を吐いた。
「やれやれ、面倒くさいな。ま、生えてきたなら――――」
春月を引き抜きながら、笑う。
「砕くだけだ」
不敵に笑う零石へ、青石の嬉しそうな言葉が響く。
『暴走体の『魔力』を消すのは難しいけど、再生しているなら、かなりの『魔力』を消費させるはず。………まぁ、大変な労力だけどね』
犬の腕が振るわれ、地面を抉る。その攻撃を、ほんの一瞬の機微で前に飛び込んだ零石は、そのまま夏月を引き抜くと、隙だらけの腹部に突きを入れた。
生身とはいえ、かなりの頑強さを誇るそれに、ダメージはない。しかし、零石は腕の力で突き刺すのではなく、手放した。
その夏月の柄頭を、蹴り上げた。腕よりも力のある蹴りは、強固な肉体に突き刺さり、獣が悶絶の声をあげた。
いくら体躯差があろうとも、所詮は生身の肉体。腹部に突き刺さった夏月を引き抜くと、そのまま相手の下から這い出た。
「もういっちょッ!」
意識が覚醒し、勢いに乗った零石が、春月を引き抜こうとした時だった。
「レイジングハート! お願い!」
その声が、響く。其れを聞いて、一番驚いたのは零石だった。
「まて――――」
零石が言葉を発するよりも早く、紅い風が零石と犬の動きを止める。凄まじい風圧に、零石が踏ん張っていた時だった。
その言葉が、また響いた。
「リリカル、マジカル! 封印すべきは、忌まわしき器。ジュエルシードッ!」
「やめろ! クソなのは!」
夏月を引き抜くが、どうやっても届かない。紅い壁は、零石のどの攻撃をもってしても、打ち破れないと知っているからだ。
「Sealing mode. Set up」
レイジングハートから、無情にも機械音声が鳴り響く。それと共になのはの杖の先が形を変え、桃色の羽根が映し出される。
なのはが無情にも、其れを突き出したとき、桃色の光条が引き伸ばされていった。それが犬を包み込み、締め上げた瞬間、額に文字が浮かび上がる。
「シリアルナンバーⅩⅥ、封印!」
桃色の光が包み込んだとき。
零石には確かに、『悲鳴』が聞こえた。
「ふぅ………」
なのはは、緊張の糸をようやく解いた。
封印した先には、小さな子犬。恐らく飼い主であろう女性は、零石の戦いの最中、なのはが安全な場所に移動させたのだ。
其れに気がついたのも、零石が戦闘を買って出た時の、視線。
零石が頑張って戦い続けてくれたお陰で、自分は無傷。その代わりに傷だらけになった零石が、これ以上傷つく様は、見ていられなかった。
零石は、迷うな、といった。なら自分は、迷わず自分の出来る事をするだけだ。
そう考え、振り返ったとき。
「protection」
『あぶない! なのは!』
「え?」
二つの声が続き、眼前に紅い壁が迫り出し―――――刹那、光が弾けた。
紅い壁の向こうにあったのは、零石の手のひら。なのはを掴みあげようとした零石は、紅い光に弾かれたのを無視して、そのまま手を押し込む。
断続的に弾かれる手を無理やり押し込み、零石は口を開いた。
「テメェ………封印するんじゃねぇよッ!」
「えッ!? で、でもッ!」
予想外の言葉に、なのはが戸惑っていた時、何かが動き出した。
零石の身体が、吹き飛ぶ。軽く飛び上がるような衝撃で吹き飛んだ零石は、そのまま境内に転がった。
フェレットであるユーノが、零石に威嚇していた。毛を逆立てて体勢を低くするユーノは、油断無く零石を睨みつけると、叫んだ。
『何をするんですか! なのははッ! 貴方を助けるために!』
ユーノの非難の言葉に、零石は震える腕を地面に付きたてながら、答えた。
「………助けてなんて、一言でも言ったか? コラ………ッ」
震える手を使い、何とか立ち上がる。境内に転がった時に切れたのか、額から血を出していたが、適当に拭う。
零石は、ユーノに視線を向けると、醜悪な笑顔を浮かべた。
「まぁたテメェか、白ネズミ………ッ! いい加減、食われてみるか? コラ?」
指を鳴らしながら、零石の目元が黒く染まりあがる。怪しく輝く
『―――ふざけないでください! 僕は、真面目にジュエルシードを集めているんです! 関係ない人は、手を出さないでください!』
ユーノの言葉に、零石は眉を潜める。「はぁ?」と言わんばかりに、眉間に皺を寄せた零石は、静かに見上げているユーノに視線を向けた。
静かに、口を開く。
「関係ない? 俺は関係、大有りだね」
『ふざけないでください!』
ユーノの言葉が、響く。いい加減な色も感じる零石の言葉に、ユーノは叫んだ。
『分からないのですかッ!? このジュエルシードの恐ろしさがッ!? あんな子犬でも、あれほど凶暴な獣に成ってしまうんです! それがどんなに純粋な望みでも、あれは捻じ曲げてしまうんです! 封印しなければ、そうなる可能性があるんですよ!?』
ユーノの真剣な眼差しに、零石は大きく息を吐く。ずっと威嚇の態度を隠さないユーノに、零石は背を向け、ほんの少しだけ距離をとると、冬月を肩から降ろした。
両手で拾い上げ、肩に担ぐ。鋭い眼差しを向けると、口を開いた。
「言っただろう? 俺はこいつと約束した。こいつの兄弟を、全員助ける、ってな」
零石の言葉に、今度こそユーノの怒りが、頂点に達した。
『助けるって―――まだいってるんですかッ!? ジュエルシードに意識はありません! 貴方は、騙されているんです!』
ユーノの叫びが響いた時には、零石は動き出していた。
ズン、と、零石とユーノ、なのはの間に冬月が突き刺さった。
なのはの視界の奥には、揺るがない決意を抱いた、男の目を持つ零石の姿。その零国から、自分を護るように立ちふさがっていた。
零石は、ゆっくりと手を広げた。その手の中には、いまさっき封印したジュエルシードⅩⅥが、握られていた。
それをポケットにしまいながら、零石は口を開いた。
「どうせ、お前は俺の言葉を信じない。俺だって、お前らを信じているわけじゃねぇ」
なら、といい放ち、零石は春月と夏月を、引き抜く。無論、鞘をつけたままだが、その切っ先は確かに、なのはに向けていた。
にやり、と笑い、口を開く。
「これで決めようや。後腐れも無いし、丁度いいだろ?」
「そんな!」
なのはが悲鳴をあげるが、ユーノは戦う気なのか、体勢を低くした。
そして、次の瞬間、光が発した。
零石が振り下ろした夏月を、ユーノが張った魔法力場で弾いていたのだ。小さく舌打ちした零石が、春月を腰に差しなおした後、秋月を引き抜いた。
地面を抉るように、ユーノを弾き飛ばす。魔法力場はユーノを中心に、小さく展開されていたので、そのまま吹き飛ばしたのだ。
浮き上がったユーノを、零石は蹴り飛ばす。魔法力場でその蹴りは防がれたが、空中に浮かんでいるユーノは、そのまま吹き飛んだ。
体勢を立て直し、地面に降り立ったユーノが、小さくうめき声を上げた。まだ傷が癒えていないのか、苦しそうな声をあげるユーノへ、零石が好機と見切り、飛び掛った。
振りかぶった秋月が、ユーノに襲い掛かろうとした、その瞬間。
紅い壁が、零石の秋月を、弾き飛ばした。
「………ようやく動き出したか」
零石の不敵な笑みに、なのはが眉を潜めた。零石の言葉に威圧されながらも、なのはは口を開いた。
「止めて! ユーノ君は、怪我してるの!」
そのなのはの叫びに、零石は叫び返した。
「怪我しているからって、戦いの手が止まると思うなよ!」
そう叫び、零石を突き飛ばすように、杖を前に押し出した。それと共に、零石の攻撃を防いでいた紅い壁が膨張し、零石を押し飛ばす。
押し戻された零石は、小さく舌打ちしながら、降り立つ。ユーノの眼前で、杖を斜め前に振るったなのはは、零石に今までとは違う眼差しを、向けていた。
力強い、意思の篭った眼差し。そのなのはの眼差しに、零石は意識を締めなおした。
「………どうしても、渡してくれないの?」
「ああ」
零石に、退くつもりは微塵も無い。その事実に、青石が怪訝な思いを抱いたが、誰か答えてくれるような状況ではない。
それに、答えてくれるのは零石自身。未だに、誰も零石の行動を理解していないが、零石の行動は、青石にとって希望の光に見えた。
その零石が、口を開いた。
「互いの主張が相容れない今、相手ごと叩き潰すしかねぇな?」
「そんなことッ! だって、まだ私達、話し合えるよ!」
なのはがまだ、言葉を掛けようとする中、ユーノがなのはの肩に飛び掛ると、なのはに向かって口を開いた。
『無駄だよ、なのは。彼はもう、僕達の話を聞いていない』
ちなみに零石は、はっきりいって、人の意見を聞いていない。実の所、なのは達の話も本当だと理解しているし、放って置いていいものではないと知っている。
だが、零石はなのは達と、対峙しているのだ。
理由は、零石しか分からない。
とはいえ、零石も馬鹿ではない。どうせ勝てる要素も無いのだから、どうやって逃げるか考えている途中だった。
(さて、大見得張ったのはいいが、あのユーノとか言うフェレットだけすら倒せないんだから、なのは覇王には勝てないよな)
戦って分かったのだが、あの犬の一撃は重すぎる。其れを難なく弾き返したなのはに、零石が勝てる要素は全く無かった。
と、いう訳で。
零石は、体勢を低くすると、そのまま走り出した。なのはが、とっさに杖を構えた時、零石は冬月を引き抜くと、そのままなのはの眼前に投げた。
なのはが紅い壁を張った瞬間、冬月が地面に突き刺さる。怪訝な思いを抱いたなのはの前に、零石が柄頭に飛び乗り、足を載せていた。
「んじゃ、またな」
タン、と軽い音と共に、なのはを飛び越えた。其れを見送ったなのはが、振り返るよりも早く、紅い壁に何かがぶつかる。
冬月の布が、ほどけていた。其れを引っ張った零石の手に、冬月が収まった瞬間―――――。
「ぬおおおおおおおおおッ!?」
階段を転がり落ちるように、零石が落ちていった。階段を転がり落ちて行く零石の姿を、階段の真上から見ていたユーノが、慌てて駆け出そうとする。
『あ、待てッ!?』
「ゆ、ユーノ君! 怪我してるんだから、無理しないで!」
なのはの言葉通り、ユーノの傷は零石の攻撃で、開きかかっていた。突然の魔法行使は、流石のユーノにも負担がかかっていたようだ。小さくくぐもったユーノの言葉を聞いて、なのはは視線を真下に向けた。
階段の下には、もう零石の姿はない。真下に転がり出るまでかなり掛かるほどの、高い場所にある神社だというのに、零石は消えていた。
なのははこの時、ほんの僅かに感じたという。
この先、零石とはもう二度と会う事無く、会ったとしても戦う運命にあるのだ、と。
「………これは、上手く隠れられたのか?」
零石は、まだ神社の敷地の中にいた。正確に言うと、神社の階段の脇にある、茂みの中に突っ込んでいたのだ。転がる途中で、秋月と夏月がぶつかって軌道がそれたのだ。
天と地が逆転した視界に、心なしか落ち込んだ様子のなのはが、降りて行く。
ユーノは零石のことに気がついていたようだったが、これ以上戦うつもりはないようだ。無視している。
『………いいの? なのはちゃんと分かれて。台詞だけだったら、完全に敵側に回った台詞だよ?』
青石にとっては嬉しいが、結果としてはなのは達と根別れしたことを意味していた。
それに、これ以上ジュエルシードの捜索を続ければ、確実になのはと衝突することになる。
そのときは、もう戦う事しかない。それら全ての覚悟を、零石はしなければいけないのだ。
零石は、不敵に笑う。
「まわったさ。それも、完全に。問答無用で、な」
冷酷にとって、なのはは嫌いな人間ではない。純粋だし、あれほど他人を心配できる人間もいないだろう。将来的には間違いなく、美人さんだ。なにより、高町夫婦のことを裏切ったみたいでイヤだったが、とりあえず気にしないことにした。
「それより、晩御飯どうすっかな? 【翠屋】にでも行くか?」
『初っ端前言撤回!? 何でまたッ!?』
青石の突っ込みを受けながら、零石は茂みの中から這い出る。這い出た時、階段を降りてきた女性と犬と眼が合ったが、無視しておく。
階段を降り、大きくため息を吐いた。暗くなっていく街を見上げると、呟いた。
「とりあえず、服、だな」
零石の服はもう、ボロボロだった。上着はもうほとんど紐のようなものになってしまったし、そうでなくても先刻の戦いで貰った服がボロボロになっていたのだ。
「んで、寝る場所」
場所は、公園がいいだろう。あそこは死角が多いから、テントを張っても見つかりづらい。少なくとも、宿無しの人が家を作っていたのだから、問題無い。
「どっかで、ダンボールを引っ張ってくるか」
『完全にホームレス思考だね。そういいながら公園に向かう零石が素敵』
青石の言葉を完全に無視しながら、零石は歩き出す。
結局、戻ってきたのは先日の公園。公園に着いたときは六時過ぎなので、夕食時だったが、食いだめしていたお陰であまり腹は減っていなかった。
この公園―――海鳴公園には、ホームレスの姿はない。小奇麗な公園だが、それだけホームレスがいると思っていた。
しかし、意外にも人影はない。その代わりに警察官が立っているようだった。
(まぁ、どうでもいいけどな)
茂みを匍匐前進しながら、零石はそう呟いていた。
(『どこまでも我を通すね。いい加減、どこか行かない?』)
そんな青石の言葉が、零石の耳に届いたときだった。
「ちょっと! 止めてぇな!」
目の前で、誰かの悲鳴があがった。怪訝な思いを抱いた零石は、茂みの中を匍匐前進しながら、声の元に向かう。
茂みから顔を出した先は、黒いワゴン車が止まっていた。そのワゴン車の後部座席は大きく開かれており、そこには今まさに、連れ込まれそうな少女がいた。
亜麻色の髪の毛に、特徴的な髪留め。母性の溢れる眼差しを、今は険しくゆがめている。
「ちょっと! ウチなんか攫っても、身代金なんか、せしめれへんで!」
関西弁の怒声を聞いても、その男達は動こうとしていなかった。ただ、確実に女の子を捕まえ、ワゴン車に積み込んでいた。
『ちょ、零石! どうするッ!? あれ、誘拐でしょ!?』
零石が、眼を細めた。
いつもどおり、図書館から家に帰る途中やった。
突然、男達がワゴン車から降りてくると、いきなりウチを羽交い絞めにすると、車に連れ込もうとした。当然やけど、ウチは勝てるわけもなく、叫ぶしかなかった。
運悪く、回りには誰もおらへんかった。最終的にはウチも乗せられてしもうたし………うう………。
「ウチなんか攫って、何するつもりや?」
ウチの言葉に、人攫い二人組の片方が、言葉を返してきた。
「さぁな。お前を連れて行けば、俺らは金がもらえるんだよ」
当然のことながら、相手は顔が分からないようにマスクをしている。あやしいやん、絶対に。
その間にも、二人組の言葉が聞こえてきた。うぅ、ウチの気持ちなんか、知るわけ無いのに。
「でもいい仕事だよな。子供攫うだけで百万だぜ?」
「全くだよ。ま、俺はこいつがどうなってもいいけどな」
「景気のいい話があるもんだな」
「そうだよ、ったく。いい話だぜ。なぁ、兄弟」
「なぁ、兄者」
「なぁ、他人」
………。
あれ? 声、一つ多くない?
「って、お前誰だよ!?」
ギャギャギャ、と、タイヤが地面を流すような音が、外から響きだした。それと共に、二人組が慌てだす。
みると、助手席に頭が一つ、見えた。頭をおく場所の隙間から頭頂部が見えることから、ウチと同じ背格好だと、推測できた。
もうひとりおったんか、とウチが身体を構えた時やった。
「動くな」
シュラン、という音と共に、車のヘッドライトに照らされた何かが、男の首に突きつけられた。それは、触れただけでも切れてしまいそうなほどの輝きを持ち、確かな質感と共に男の首元に添えられている。
………っていうか、日本刀やん!?
「いい話してんじゃねぇか、兄ちゃん達」
気がつくと、ウチの真横に座っていた男の一人にも、すらっとした刀身が添えられていた。助手席と運転席の間から引き伸びた其れは、微動だにせず、男の喉下に突きつけられていた。
男の子。身長的にはウチと同じようやけど、その鋭い眼差しは、ウチと同い年には見えへんかった。
でも、ウチを助けてくれるんかもしれないやん。だって、男二人組は、完全に戦意を喪失しとるんやから。
まぁ、素手で真剣相手に、勝てるわけ無いもん。
でも、助けに来てくれた、その名も知らない男の子は、こういったんや。
「俺も混ぜてくれよ」
――――アンタ、誰や?
黒いワゴン車は零石と女の子を連れ、埠頭の倉庫に入っていった。零石の真剣にビビッてしまったが、さすがは大人と子供、あっさりと掴まってしまった。
両手を後ろ手に、きつく縛られている。どうやら、解けそうに無かった。
場所は、埠頭の管理室。結構な大きさがある部屋に、敷き詰められた机が整然と並べられていた。
少女は、入り口から真っ直ぐ先の壁に車椅子に乗せられたまま、縛られていた。
「はっはっは! 太郎の旦那! それ、真剣でっか!?」
「まさに真剣だ。次郎、切ってみるか?」
「これを切ってくれまへん? ―――うおッ!? マジ本物だべよ!」
今は、アジトという寂れた一室で、酒盛りをしていた。流石に酒は呑んでいないが、飲み物と食事だけだったが、零石の眼差しが向けられている。
ぐぎゅるるる、という腹の鳴る音に、零石はよだれを流していた。
「アンタ、何してん?」
「………ふ。作戦失敗だ」
「嘘付けッ!?」
両手を縛られ、不敵に笑う零石に、少女は涙目で叫び返す。しかし、零石の視線はずっと食べ物に注がれており、視線は動きそうも無かった。
(『零石。何で一緒に誘拐やろうとしているの? 何? 犯罪者になりたいの?』)
(失敬な)
コンビニの弁当をかき込む自分の姿を妄想しながら、零石は視線を辺りに見渡した。先程から睨みつけてくる女の子の視線は無視しておく。
今はその誘拐を指示した人間を待っているところだ。とりあえず、行動を起すとしたら、その瞬間を狙うしかない。
刺身を箸でつまむ自分を想像しながら、胸中呟く。
(金だけ奪って逃げるつもりだよ)
(『せめて女の子は助けてあげようよ!?』)
青石の言葉に、零石の眉がつりあがった。弁当をかき込みながら、胸中で答えた。
(何でだ?)
(『何でって――――。………零石に期待したのが馬鹿だったよ』)
青石は、大きくため息を吐く。意思らしからぬそのため息の音を最後に、零石は意識をそらした。
(………悪い人じゃないんだけど、自分本位なのかな?)
零石の性格は、つかみづらい。正義に燃えているかと思えば、今のように真逆のこともするし、優しいかと思えば、氷のように冷たく突き放す事もできる。人情味もあるようだが、それ以上に自分本位だ。
結局、身勝手な人間なのだ、と青石は零石を判断した。恐らく、彼の言葉通り、彼はお金だけ手に入れば、そのままどこかに行ってしまうだろう。
そんな青石の考えをよそに、零石は視線を前の二人に向けた。
(………喧嘩慣れはしてるみたいだが、真剣に怯むところを見ると、実践慣れはしてないみたいだな)
どこか冷めた様子でそんなことを考えながら、零石は視線を女の子に向けた。
車椅子に座らされ、縄で両手と身体を縛られている。斬る事は出来るが、零石には縄だけを斬るなんて器用な真似は出来ないし、どうせ無理だった。
ちなみに、零石の《四季の刀》は、男達に奪われていた。引き抜いた冬月と春月は二人に遊ばれているが、秋月と夏月はまだ引き抜かれていない。あの刀を抜くには、独特の方法があるのだ。
適当なところで区切って逃げよう、と考えたときだった。
「おい、捕まえてきたのか?」
そういい、陰から出てきたのは、黒い服装の影。
「あ?」
「うん?」
その人物と眼があった時、零石は動き出していた。
両手を縛られた状態で前に屈み、一気に立ち上がり、駆け出す。一気に距離を詰めた零石は、回転を加えて、蹴りを繰り出した。零石同様、動揺していた黒い影が腕で其れを防ぐ。
弾かれ、零石は地面を転がる。何とか慣性で立ち上がると、踏みとどまった。
「? てめぇ、テトラじゃねぇな?」
「………何者だ?」
頭の天辺から下まで、真っ黒の影。白いマスクをしている存在は、ゆっくりと零石へ視線を向けた。
「お、おいッ!?」
太郎と呼ばれた男が、慌てて零石を抑えようと、足を踏み出してきたときだった。
零石の眼差しが、スッと細められる。一気に振り返ると、太郎の握る春月を蹴り上げると、それを口で噛み締めた。
振り返り様に、もう一度蹴りを叩き込む。今度は影ではなく太郎で、太郎は腹部に突き刺さると、悶絶した。
鍛えとけ、と胸中で告げながら、零石はそのまま視線を前に向けた。
「フガフガフガフガ」
「………何を言っているか、分からんやけど?」
口に銜えて言葉を発するなど、人には不可能だ。両手は後ろで縛られているので、刀で切れそうに無い。
とりあえず、と零石は踵を返すと、飛び上がった。その零石の視線の先には、車椅子に座っている女の子の姿があり――――。
「へ?」
「フモフモフモッ」
げしっとブレーキを蹴って外し、零石は足を後ろの踏み台に乗せ、持ち手を脇で挟み込んだ。
「ちょ、くすぐった――危ないッ!? 刃物危ないわ!」
そして、そのまま―――。
「きゃあああああああああああああああッ!?」
壁を蹴って、一気に加速する。流石に予想していなかったのか、男達は慌てて動きを止めようとしていた。
しかし、零石は近くにあった壊れた机を蹴り飛ばすと、軌道を変える。ギャギャギャと、予想以上のスピードで走り出す車椅子は、入り口の扉を破ると、そのまま外に飛び出した。
「きゃあああああああッ!? 何でこんなに早いねん!?」
頭を振るいながら悲鳴をあげる少女へ、零石は後ろ手にまわしたものを、ひょいっと彼女の太腿へ、放り込んだ。
転がったのは、異様なにおいのするスプレー缶だった。その文字を読んで、彼女が叫ぶ。
「これ、オイルや無いか!? いつの間にッ!?」
「いや、そこら辺に転がってたから。面白そうだったから」
零石の言葉に、少女は甲高い悲鳴を挙げた。
「もういやや~~~~~~ッ!?」
「まぁまぁ。んで? お前の名前は?」
「今それかいなッ!?」
面白かったら拍手をお願いします!