男には、信念だけがあった。
他には、何も無い。才能も無ければ身体能力も無く、何かを耐え忍ぶ心も無ければ、他者を思いやる心すら無い。
在るのは、二つの信念。
男は、ただ愚直に、己が信念を鍛え続けた。それに必要な武具も手に入れたし、それに必要な技術も、手に入れた。
無いのは、何か。
うっすらと、眼を開ける。長袖の服を着込んだまま水の中にいるような鈍重な身体に、病み明けの心境のように、磨耗した精神力。
眼を開けば其処には、白い光だけが、浮かんでいた。
なんで此処にいて、なんでこんな事をしているのか、わからない。記憶と精神力が磨耗し、すりきって、すりきって、無くなった先に自分は、いた。
分かる。此処に何か衝撃を与えれば、俺は楽に慣れるんだ。
知っているのだ。自分が齎すのは、破壊だけだ、と。
ゆっくりと、両手に持つ武具が、光の粒子に吸い込まれ――――――。
この瞬間、一つの【世界】が、消え去った。
これは、破壊だけの物語である。
朝、鏡に映る自分を見ながら、彼女は髪を束ね、笑顔を浮かべた。
「おはよう~」
「おはよう、なのは」
「おはよう」
いたって普通の家族である高町家で、次女として生まれた高町なのはは、いつもどおり両親に声をかけてから、道場に向かって兄と姉に、声を掛けていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、朝御飯だよ」
微妙に浮いている、と感じてしまう彼女は、それでもその一家が、大切だった。
その日の放課後。彼女の人生を一変させる出会いが、起きていたとしても。
彼には、全く関係の無い話では、あった。
田神 零石(タガミ・レイコク)は、自分の顔をムスッとした表情で見ていた。
水面に映っているのは、黒髪黒目の何処にでもいる、子供の顔。黒目は白い部分とはっきりと分かれ、見た目は完全に威圧しているようだった。
スッと視線を降ろしてみれば、黒のタンクトップと白いズボンが視界に映った。
タンクトップは千切れ、白のズボンは薄汚れている。汗でべたっとした髪の毛に付いている木の葉を落としながら、彼は静かに周りを見渡した。
最初に出た疑問は、一つだった。
「此処………どこだ?」
見た目的には、小学三年生の子供は頭を?くと、周りを見渡す。
川辺。森と川が混雑しているような場所で、彼は更に注意深く、周りを見渡した。
地面に突き刺さっているのは、四本の黒い棒。変な所で寝ていた所為で痛む腰をさすりながら、ゆっくりと立ち上がると、其れを引き抜いた。
長さも反りも違う、四本の棒―――木刀。持ち手と刀身の近くに横筋が入っている以外、特に目立つものも無いその四本を拾い上げると、小首を傾げた。
一本目は、自分の二の腕近くまでの直刃。ほとんど反りの無い、真っ直ぐの棒。
二本目は、自分の腕を伸ばしても少し長いぐらいの、反りも控えめな棒。
三本目は、其れよりも長く、反りも深い棒。
四本目は、自分の背よりも長い、そりが最も深い棒。最も深いといっても、それぞれ湾曲も少なく、四本目が日本刀で言う古刀を模したようなものだ。
ややあって、眉を潜めた。
「………これ、俺のだよな?」
誰に問うわけも無く、勝手に自分のだと判断し、それぞれを引き抜く。近くに落ちていた自分の上着らしき白い布で其れをくるむと、改めて頭を?きながら、周りを見渡した。
「………だから此処はどこだっつうのッ!」
男の子の声に、鳥が飛び去る音だけが、響いた。
―――――分からない。
とりあえず河の流れに沿い、進みながら、零石は小首をかしげていた。
自分の名前は、分かる。田神 零石という、自分でも気に入っている名前だし、間違えるわけも無い。
分からないのは、自分がどうして此処にいて、倒れていたのか、だった。
首をかしげながらも、チョコチョコと歩いて行く。四本の棒がかなりの重さで、それほど体力の無い零石の体力を奪って行くのだ。
何より、腹が減っていた。汗を?きすぎて凄く臭うし、何より酷く疲れていた。
「って、俺、これからどうするかねぇ」
思考がようやく落ち着いてくると、考える事は先の事だった。
幸いに、常識的なことを忘れては、いないようだ。若干、腑に落ちないこともあるが、気にしていられるほど、彼の精神力は高くなかった。
「何はともあれ、腹減った」
近くに生えていた木々から葉を引き千切ると、口の中に入れる。二、三回咀嚼すると、一気に飲み込み、眉をしかめた。
「不味い」
まずは腹ごしらえ、と彼は周りを見渡した。
森は、深い。あとどれくらい歩けば街に出られるか分からないし、街に出られるかも保障されていない。
「どうせ分からないんだから、ゆっくり行こ。暇だし」
自分が何処から来て、何故此処にいたのか、零石の頭から消えていた。もともと悩む事は得意ではないし、考えるのも面倒で嫌いだ。
少し歩いたところで、腰掛けられる大きな石が置いてあったので、そこで飯をとることにした。
さて、問題は食料である。布に包んだ棒を適当に放り投げると、視線を下に向けた。
足元には、紫色のキノコと赤と黄色の混じったようなキノコが、並んで生えていた。それにジッと視線を向けると、口を開く。
「どっちを食べるべきか………」
零石はあろう事か、いかにも毒キノコに見える其れを、食べようとしていたのだ。
彼にしてみれば、この夜の中は食べられるものと食べられないものの二つにしか分かれていない。さらにいえばキノコは食べられるものとカテゴライズされており、其れがどんな色だろうが、キノコはキノコだった。
「問題は、どうやって食べるかだ」
もはやどちらかを選ぶ、という考えは吹っ飛び、手段を思考し始めていた。
「火があればベストだが、生憎とライター、マッチの類はないしな。いいや、生で」
特に深く考えず、零石は適当にキノコを引き抜くと、口の中に放り込んだ。最初に襲い掛かる苦味を、「良薬は口に苦し」と適当に考え、河の近くまで行って、一気に水を流し込む。
また布を担いだ、その時だった。不意に、空耳が聞こえてきたのだ。
『――――願いをかなえよう』
「断る」
適当に答え、零石は歩き出そうとして、止まった。
「――――誰だ」
問いかけではなく、確認。肩に担いでいた布をスッと下ろすと、四本の棒を腰に添えた。
ベルトを通す穴へ一本ずつ差込み、手を添えた。比較的長い棒を腰の左右に、一番短いものを腰の後ろに差し、二番目に短い棒を手に持つ。
何度も感じたことがある、この空気。何で、と考えるよりも早く、ブワッと、風が吹いた。
風に吹き飛んだ先には、鼠が胡坐をかいて、座っていた。
「………は?」
ネズミ。ネズミである。
灰色に染まった身体に、細い尻尾は間違いなく、ネズミだった。
棒で、突いてみる。あう、という音を零しながら、木刀の先から逃げようとしたネズミは、がっと胡坐をかくと、叫んだ。
『ってやめいッ! 願いをかなえてやろうって相手に、何て狼藉!?』
「願い?」
扱いに不服なのか、ネズミが叫ぶ。その灰色の存在を見下ろしながら、零石はボケッと、空を仰いだ。
(世の中、広いもんだなぁ。朝起きたら森の中にいるし、喋るネズミは出てくるし。ま、世界は広いから、何があったって不思議じゃないが―――――腹減った)
そういえば、ネズミは哺乳類だっけ、と思考が歪む。
零石の悪い癖は、思考が至る場所に行ったり来たりして、素直に考えられないということだ。
基本的に何でも興味を持つが、興味を失うことも早く、基本的に自由。そして何より、自分本位だった。
その彼の思考は、ネズミが食べられないのは細菌が問題で、食料にされていないが、本当は食べられるので、火を通せば何とかなるんじゃないか、と考え始めていた。
そのネズミは、零石の考えなど露知らず、その赤い眼を向けると、口を開いた。
『願いは何だ?』
「火をくれ」
じゅるり、と、思わず涎が毀れてしまった。
其れを見たのか、はたまたその願いが思っていたものと違うのか、ネズミが疑問符をあげた。
『そんなことでいいの? ほら、他にも、気に入らないあいつを倒したいとか、空を飛びたいとか、世界征服したいとか――――』
随分と荒っぽい願いをいうんだなぁ、と思いながらも、零石の想いはもはや「食」のみだった。主に、動物性たんぱく質。
「俺には自殺願望ないし。いいから、火をくれ」
零石の頼みに、ネズミは小首をかしげながらも、石で囲んだ中心に眼を向けた。
次の瞬間、轟っと焔が舞い上がる。
「おお」と感心の声をあげた零石は、ふんぞり返るネズミへ視線を落とした。
『どうだ。さ、願いをかなえてやったのだから――――って、御前、何をする?』
零石の行動を疑問に思ったのだろう、ネズミが声をあげた。
零石はネズミを掴むと、身近にあった棒に添えていたのだ。もったいないが、巻いていた布を切り裂くと、布を引き伸ばし、縛りつけたのだ。
困惑するネズミへ、零石は素晴らしいまでに爽やかな笑顔を浮かべると、口を開いた。
「そのまま俺の礎となれ」
『えッ!? 喰う気ッ!? 世界で最も汚い哺乳類をッ!?』
スッと火に近づけながら、答えた。
「火を通せばなんでも食える」
『何その原始人も吃驚な思考回路!? っていうか、本気で食べる気ッ!? 熱いッ! 物凄い熱い!』
「ぎゃあぎゃあ煩い。っていうか、黙れ」
『何で喋る生物食べようって思うのぉッ!?』
「俺が食べようって思ったから」
『ぎゃああああああああああああッ!?』
こんがり上手に焼けました。
「げぶ」
火を消しながら調理現場(殺人現場ともいう)を片付け、零石は満足げな表情を浮かべた。
久しぶりの動物性たんぱく質を満喫した零石は、先程よりも元気な足取りで、歩き出した。
ちなみに、零石が骨の髄まで食べつくしたネズミから、青い宝石を取りだしたのは、つい先程。其れを適当に手で弄びながら、零石は腹をさすった。
『呪ってやる』
「やめとけ。食い物の恨みは恐いが、お前は石だ。自分じゃ動けないだろ?」
『ぐぬぬ………』
自分でも分かっているのか、恨めしそうな声を出す石。其れを適当に手でもてあましながら、零石は口を開いた。
「んで? お前は何なんだ? 喋る石?」
『今更ですかッ!? 宿主をこれ以上無く食べつくしてようやくですかッ!?』
声に続くように、ブルブルと震える石。其れを適当に聞き流しながら、零石は答えた。
「いいだろ、別に。お前は食わなかったんだし」
『かなり恐かったんですけどッ!? ………うう』
やはり焼かれた後に頭から食べられるというのは、かなりの恐怖だったらしい。未だに震えているような思考を有りっ丈の言葉で吐き出しながら、青い石は口を開いた。
『うう………。他の皆、ごめんね。もう、見つけられそうに無いよ』
何か言っているが、零石は無視した。聞く必要も無いし、聞こうとも思わなかったのだ。
何故なら目の前には、道路が見えたからだ。
「怪我はそんなに深くないけど、随分衰弱してるみたいね。きっとずっと一人ぼっちだったんじゃないかな?」
動物病院の院長先生の優しい言葉に、高町なのはは安堵の息を吐いた。
「よかったじゃない、なのは。心配も、晴れて」
「うん! ありがとうね、アリサちゃん!」
金色の髪の毛に、気の強そうな眼差しをもつ親友へ、なのははパッと輝くような笑顔を向けた。それに続くように、おっとりとした表情を浮かべている少女が、声を掛ける。
「でも、何であんなところで倒れていたんだろう? 危なかったよね?」
「どうせ、カラスにでも襲われたのよ」
少女―――月村 すずかの言葉に、アリサがムスッと膨れたような顔で答える。
放課後、塾に向かう途中の森の道で動物を拾った三人は、そのまま動物病院に駆け込んだのだ。
その動物は、フェレットといわれる愛玩動物だった。
診察の間、ずっと意識を失っていたフェレットに気をもむ事はあったが、委員長の太鼓判をもらえて、ようやく安堵できるようだった。
なのはは改めて院長へ顔を向けると、頭を下げた。
「院長先生、ありがとうございます」
そのなのはの言葉に続くように、アリサとすずかも頭を下げる。
「いいのよ。それに動物たちを助けるのが私のお仕事なんだから」
そういい、穏やかな笑顔を浮かべる院長を見上げ、なのはがもう一度頭を下げたときだった。
「あっ、起きた」
今までずっと一人フェレットを見守っていたすずかが声をあげたとき、ゆっくりとフェレットが顔を持ち上げたのだった。
なのはは勿論、アリサまでフェレットの眠っている診療台に駆け寄っていった。
「顔をあげようとしてるね」
寝台の上でうつぶせに寝ていたフェレットは、なのはの言う通りゆっくりとだが顔を上げようとしていた。
フェレットの胸元では紅玉がカチリと音を立て、夕焼け色に染み込んでいった。
起き上がったフェレットはゆっくりと辺りを見渡し、そして、なのはに眼を留めた。
愛玩動物らしい、可愛い仕草になのは達が、はあっと感激したような声を漏らす。それを見て何かを感じたのか、フェレットは、何かを迷うようになのはを見始め、小首をかしげ始めた。
「なにか迷ってるみたいね」
「えっとえっと」
自分でも見られているとわかったなのはは、とりあえず安心させてやろうと手を伸ばした。
おどろかせてはいけないとゆっくり伸ばされた指先を、フェレットが興味深そうに顔を伸ばし、一考した様子を見せた後、舌をだして、ぺろりと舐めた。
それに、なのはの顔がパァッと明るくなった時、フェレットが再び倒れてしまった。
「「「あっ」」」
心配そうな声をあげる三人へ、院長はフェレットに触れた後、顔を向けて答えた。
「しばらく安静にした方が良さそうだから、とりあえず明日まで預かっておこうか?」
その言葉に、三人は揃って、お願いしますと答えた。自分達では飼えない、と理解しているからか、表情のぎこちない三人へ、院長は相好を崩すと、口を開いた。
「よかったら、また明日様子を見に来てくれるかな?」
その院長の言葉に、なのはが力強く、笑顔で頷いた。
「わかりました!」
その時だった。ふと時計を見上げたアリサが、声をあげたのは。
「あ、やば。塾の時間!」
「本当だ!」
時計を見たアリサが塾を思いだし、二人に眼を向けた。それに気付いた二人は、慌てて荷物を持つと、バッと、院長に顔を向けた。
「先生、よろしくお願いします! また明日様子を見に来ますね!」
「うん。気をつけてね」
手を振るなのは達に答え、院長先生も手を振り返す。
その後ろでただ、紅い石だけが、輝いていた。
「ジュエルシード?」
「お前は何なんだ?」という零石の問いかけに答えた青い石の言葉に、眉を潜めた。怪訝な表情を浮かべる零石へ、青い石が答える。
『そう。ある世界で生まれた情報思念体の結晶石。基本的には、周りの生物の願望をかなえるために情報を変換させていくプログラムの一種なんだ』
難しい言葉の羅列に、零石が辟易したようなため息を吐いた。延々と続く道路を進みながら、四本の棒を確認するように振るいながら、言葉を返す。
「んで、その願望をかなえるために、その生物に寄生するのが、御前等か。だからお前は、ネズミに寄生してたわけか」
ジュエルシード。
全部で21個に分かれている其れは、『魔力』の結晶体と高度なプログラミング技術、同調能力を持っている、古代遺産の遺物。
願いを叶える宝石の種。
――――しかし、違う、と、青い石は口を開いた。
『願いをかなえるのは、自分のためなんだ。どんな願いでも、ね』
意味ありげな言葉に、零石は眉を潜めた。丁度その時、道路を車が通り過ぎて行くところで、ほんの少しだけ身体をそらした。
「は? どういう意味だ? そりゃ?」
その零石の疑問の声に、青い石が答えた。
『生まれた文明が、滅んだんだ』
予想外の言葉に、零石の脚が止まった。
『寄生能力がなくなったお陰で、自我が目覚めた。だから言えるけど、寂しかったんだ、皆。どのくらい長い時間かわからない間、ずっと封印されていて、寂しくて………』
創られた時、危険だと判断され、封印された後、文明が滅んだ。
失われた技術、そして文明。その二つの要因を持って、青い石達はずっと、眠っていた。
悠久の時間を、ただ過ごすだけの存在。世界で最も無駄な、存在。
『皆、同調能力はあっても自我が弱いから、寄生した宿主を頼るしかない。願いをかなえて、満足して、ずっと一緒にいてもらおうとしている』
寂しかったから、寄生する。その頃のジュエルシードには、自我が互いに支えあって生きようという思考は全く無く。
『本当は、皆で世界を創りたかった。でも、人が其れを許してくれない。自由をくれない。だから、寄生して、自由を得るの』
「………へぇ」
歩を、進める。
「んじゃあ、お前は俺の願いを叶える代わりに、何をさせるつもりだったんだ?」
どこか怒りの滲んだ感情をむき出しにする零石へ、それでも青い石は口を開いた。
『皆を、助けて欲しい』
その言葉に、もう一度、足を止めた。
『発掘した人達は、封印してきた。でも、皆、もう封印が解けている。だから、一緒に探して欲しい。そして――――』
青い石の視線、思考、興味全てが、上に向いた。限りなく続く空の先を見据え、言葉が続いた。
『旅をしたい。世界を、創ってみたい』
もう、零石は何も言わなかった。青い石も、ほんの少しだけ神妙な思念派を発散した後、黙りこくってしまった。
どのくらい、歩いただろうか。
『零石は、旅でもしてるの?』
青い石の問いかけに、零石は四本の棒を布で包みながら肩に背負うと、答えた。
「なんでそう思う?」
『武器持ってるし、泥だらけじゃん。結構、手馴れているみたいだし。………野生動物を食べるの』
延々と長い道路を歩きながら、零石は頬をかいた。ジッと視線を前に向けたまま、答える。
「旅なんてしていない。ま、暇だから旅でもしようか、って考えているところだ」
零石には、明確な目的意識も無い。自分が何処から来て、何をしていたのか見つけに行くのも一つの手だと思ったが、自分のためにそんなことをしようとは思えなかった。
今の自分にあるのは、四本の棒に喋る石、そして身体にしみこんだ動きのみ。青い石との出会い頭で、ほんの少しだけ感じたあの違和感が、それを証明していた。
一般常識ぐらいは、ある。小学生ぐらいの自分が生活する為には、警察に身を寄せるのが手っ取り早い――――が、其れは自由が無くなることを意味している。
「ま、何をするかは―――――」
ふと、零石は歩みを止めた。怪訝そうな意識を向けてくる青い石へ、零石は微笑を浮かべると、口を開いた。
「あそこで決めるか」
視界には、張り付くような町並みが、広がっていた。
町があれば、食べ物もある。公園で水場を借りれば髪の毛も顔も洗えるし、隠れる場所があれば生活できる。問題無いといえば嘘になるが、少なくとも自由な生活を無くすようなことだけは、したくなかった。
とりあえず。
「飯、食いたい。疲れた」
半眼でそう呻き、ガクッと頭を垂れた。
お腹が、空いていた。
時刻は夕闇もどっぷりと沈んだ、夜。いたるところから晩御飯の匂いが届き、零石の空腹をこれでもかと刺激していた。
はっきり言って、身元不明、お金も全くない小学生が食べられるものなんて、無かった。四本の棒を包んだ布は完全に不審者扱いだし、補導されかねない。このまま歩いているだけでも、危険である。
だからといって、数少ない荷物を手放すような事は、したくなかった。どうしようか、と考えながら、とりあえず公園へと向かっていった。
平日の夜という事もありながら、周りには人がいなかった。目立つのは不味いと思い、公園に身を隠そうと思ったのだが、杞憂に終わるようである。
公園に着いた零石は、まず水のみ場で水を補給した。それで腹を膨らました零石は、静かになった石へ、問いかけてみた。
「そういや、何で俺の名前知ってんだ?」
『………だって、ネームタグついてるじゃん』
青い石の言うとおり、零石の胸元には、ネームタグが付いた鎖のネックレスがぶら下がっており、そこには確かに『レイコク・タガミ』と書かれていた。
それは、零石に疑問を与えるものだった。
(?)
はっきり言って、零石に見覚えはない。つけていたのも、今気が付いたほどだ。
それほど気が抜けているわけでもないのに、何故か抜けている。自分の違和感が強まるのを覚えながら、零石はとりあえず、思考を打ち払った。
「とりあえず、寝るか」
そういって、視線を回りに向けて、寝ようとしたときだった。
『! 気配がする!』
いきなり、青い石が叫びだす。それに辟易したような表情を向けた零石は、とりあえず回りに注意を見渡しながら、声をかけた。
「どうした?」
『兄弟がいる!』
そう叫んだ時だった。
世界が、漆黒の色に包まれた。
其れは、巨大な影。うねうねと広がる黒い影に、張り付いたような紅い眼光。相手を覆い尽くすような体躯を持つ其れを見上げ、零石は動きを止めた。
「………なんだ? 在れ?」
『暴走体ッ!?』
その時だった。黒い影が、鋭いその触手のようなものを、突き出してきたのは。
とっさに、零石はその場を飛びのく。一メートル先で足をつまずかせ、倒れそうになるのを、手を地面へ突いて回避し、そのまま駆け出す。
そこで、バッと振り向く。ようやく相手の全貌を見て、絶句した。
黒い球体。まるで毛玉のようなその存在に、零石の眼差しが鋭くなった。
何が起こっているのかは、分からない。が、それでも事情を知っているであろう青い石へ、声をかけた。
「おい、どういうことだ? この規定外鉱物」
『思念体が暴走してる! 他の生物を取り込んだら、大変なことに―――――』
しん、と、急に青い石が、押し黙った。それに怪訝な表情を浮かべた零石へ、青い石が口を開く。
『〝魔法〟、使えるわけ――――ない、よね?』
「当たり前だ」
その瞬間、影が真上に飛び上がった。それと共に公園の土が舞い上がり、漆黒の空へ、その姿を消した。
決死の判断で、その場を飛びのく。一瞬遅れてドシン、と地面に突き刺さった黒い影を横目で追いながら、小さく舌打ちする。
「んだぁ? あの球体は? 警察を呼ぶべきか?」
『そういうわけには―――ッ! ッツぅ! い、意識が、持ってかれるッ!』
青い石が沈痛な声を挙げた時、黒い影が咆哮をあげた。何事だ、と思ったとき、黒い影の身体から青い光が発せられていた。
「おい、どうしたッ!?」
『暴走体の思念が強すぎるッ! 寄生能力は無くなってるけど、共鳴がッ!?』
零石は冷静に、周りを見渡した。
人影は、なし。大声で叫んだところで救援はこないだろうし、呼んだところでどうなるか、分からない。
何度も襲い掛かる黒い影。背筋に走る寒いものを感じながら、零石は叫んだ。
「ありゃあ! 御前の一種か! 何が起きてるッ!」
『………寄生だよ。寄生しようとしてる。暴走しているんだ!』
その言葉に、零石の眼が見開いた時、黒い槍が空気を貫いた。
一直線に加速する槍を、零石はとっさに肩に担いだ布の塊で防ぎ、弾き飛ばされた。
自分の体重や重心、それらを全て無視して、零石は勢いで回転、地面へと叩きつけられる。
地面に叩きつけられ、一瞬だけ意識を失う。眼を反転させているうちでも、声が響いた。
『に、逃げて! 上ッ!』
「ク、ソ―――ッ!」
声を噛み締め、零石はそのまま前に転がる。一瞬後、凄まじい衝撃と共に地面が揺れ、体勢が崩れた。
更に突き出される、黒い槍。それらを固まった布で防ぐが、その威力は凄まじく、零石の身体は無理な体勢のまま、茂みへと突き飛ばされた。
茂みに突き刺さり、身体に痛みが走る。ギリッと噛み締めた奥歯が、悲鳴を殺した。
「………止めらんねぇのか? ………おい? おいッ!」
突然、青い石の声が消えた。ポケットに突っ込んでおいた青い石はそのまま入っているが、やかましいほどまでに騒がしかった音が、消えていたのだ。
それでも、弱々しい声が、響く。
『皆………』
その瞬間、影が一瞬、動きを止めた。それに怪訝な表情を浮かべた瞬間、黒い槍が零石の足元を、狙い打った。
反応が遅れた瞬間、ズボンが引き千切れる。右足の太腿が除くほど広がったズボン――――――それを捉えた触手の先に、青く輝く宝石が、煌めいていた。
小さく舌打ちし、棒を引き抜こうとした、まさにその時だった。
「ッ!」
何かが、公園へ飛び込んできたのだ。其れは、亜麻色の髪の毛を持つ、小さな女の子で、その肩には小さな動物が乗っており、その現状を見ていた。
その時にはすでに、黒い影が動き出していた。
とっさに、零石が前に飛び出し、包みを前に掲げた。次の瞬間、凄まじい衝撃が腕を襲い、身体に衝撃が走った。
しかし、吹き飛ぶと少女にぶつかってしまう。力を込め、何とか踏みとどめる。
響く衝撃に、何かが込み上げてきた。踏みとどまったと思った瞬間に、真横から衝撃が走る。
薙ぎ払う、触手の一撃。右腕に鈍い痛みを感じながら、零石は吹き飛んだ。
そしてそのまま、地面に転がる。
「きゃあああああああッ!?」
女の子の悲鳴が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
塾から帰ったなのはが、夕御飯を食べた後、部屋に戻っていた。
夕食の折、フェレットを飼って良いと両親の許可を得た彼女は、上機嫌に親友へメールを送っていた。
「ふふふ。楽しみだなぁ♪」
そういい、なのはがベッドに顔を沈めた瞬間だった。
『聞こえますか、僕の声が。急いでください!』
「誰ッ!?」
唐突に聞こえた、何かの声。ガバッとベッドから顔をあげたなのはは、周りを見渡す。
『急いでください!』
「夕べの夢と、昼間の声と同じ声………?」
空耳と思っていたその声に続くように、なのははベッドから立ち上がった。
分かる。声の聞こえる方向、距離、そして存在がいると、何故か理解できた。
そのときにはもう、家族に隠れて家を飛び出すなのはの姿があった。
時間帯は、すでに九時を回った所だ。小学三年生のなのはが外出許可をもらえるはずも無いからだ。
初めて夜に一人で外出するからか、なのはの心臓が鼓動を早める。いけない、と顔をぺチンと両手で叩くと、そのまま駆け出した。
声が届いて以降、何も聞こえてこない。聞こえてくることに恐怖を感じず、声が聞こえないことが逆に恐かった。
一体何が起こっているのか、なのはは精一杯頭の中を動かし、見慣れた街を街灯だけを頼りに、走っていく。
そしてようやく、見えてきた病院の看板。夕刻に見たあの看板の場所へ、足を勧めたとき、頭が割れるような音と共に、耳鳴りと痛撃が、二人に襲い掛かった。
「つぅッ!」
足をもつれさせ立ち止まると、頭を抑えて音が止むのを待つ。
数秒後、音が鳴り止んだ頃には世界の色が変わり果てていた。
自分はなんともないのだが、辺りにもやがかかり、すべての動きが止まっていた。
つい先ほどまで確かに合った生活の音も、遠くに聞こえた車の音も、ない。それどころか人の気配も、獣の気配も無かった。
次の瞬間、病院の庭先に建っていた木が爆発して四散した。驚いて見上げた先には、黒い影と白い影がそれぞれ、飛び出すところだった。
「フェレットさんッ!?」
白い影をフェレットだと判断したなのはへ、フェレットが身をよじって体勢を変え、跳躍する。そのままなのはの手に収まったフェレットが、顔をあげた。
そして、あの声が、響く。
「きてくれたんですね、ありがとうっ!」
「しゃべった?!」
突如人間の言葉を喋りだしたフェレットに、なのはは思わず手に持ったフェレットを投げ出しそうになった。
しかし、その時だった。黒い影が降り立った先が、あわただしい事に気がついたのは。
「何ッ!? 何が起きてるのッ!?」
それと同時に、フェレットが口を開く。
「君には資質がある。僕に少しだけ力を貸してくださいッ!」
「僕に、って、一体、どういうことッ!?」
混乱を極めるなのはに、フェレットは戒めるように、告げた。
「今回だけで良いんです。迷惑だと思ったら、忘れてくれても構いません。僕の持っている力を、魔法の力を」
「魔法っ!?」
未だに混乱が冷めないなのはが我に帰ったのは、人の声だった。同時に気がついたフェレットが、なのはに顔をあげると、口を開いた。
『急いでッ! 誰かが襲われてるッ!』
「で、でも、私何も――――どうすればいいのッ!?」
運動神経がほぼ皆無に近い自分が行っても、何も出来ない。そう考えているなのはヘ、フェレットは首元にぶら下がっている宝石を取り出すと、口を開いた。
『これを!』
紅い、宝石。ほのかに熱を帯びた其れを見つめるなのはヘ、フェレットが口を開いた。
『僕に続いて!』
ユーノは続けて、口を開いた。
「我、使命を受けし者なり」
「ん………っ! 我、使命を受けし者なり」
その瞬間、紅い風が身体を包み込む。それに驚く間もなく、フェレットの言葉は続いた。
「契約の下、その力を解き放て」
「契約の下、その力を解き放て」
心を焦がすほのかな熱に、穏やかな紅い光。世界が一気に切り開くような爽快感を秘めながら、なのはは言葉を発した。
「風は空に、星は天に。そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」
その瞬間、光が紅く、染まりあがった。そして、今まで聞こえていない機械音声が、鳴り響く。
『OK master. Stand by ready. Set up』
紅い光が空を貫き、世界を燈す。真っ直ぐに伸びて行く光条を見て、なのはが眼をぱちくりさせている間に、フェレットは叫んだ。
『落ち着いてイメージして!。君の魔法を制御する武器の姿と、君たちの体を守る強い衣服の姿をッ!』
「そ、そんな事急に言われても」
一瞬迷いを見せるが、なのはは精神を統一させるために、瞳を閉じる。そうする事で、それは自然と、姿を現せた。
その刹那、なのはの腕から伸びていた光が集束し、身体を包み込み始めた。
『よし、成功だ』
次の瞬間、光から現れたのは、純白の衣と青に縁取られた服を着た、なのはの姿だった。
「え、え………? う、嘘ッ!?」
着ていた衣服が一瞬にして替わり、腕には紅玉の輝く杖を握ったなのはが、自分の服に目を落とした。
学校の制服を元に思い浮かべたその服に、柄の両端が桃色で彩られ、先端には大きな紅玉と、それを囲む金色の鉤爪のような、杖。
戸惑う間もなく、フェレットが叫んだ。
『人が襲われてる! 助けないと!』
その言葉に、なのはは戸惑いながらも、歩き出し、駆け出した。
公園にいたのは、自分と同じぐらいの男子。ボロボロの服に、薄汚れた身体を持つ彼は、なのはを視線に向けると、眼を見開いた。
黒髪、黒目。鋭くも、どこか力の抜けたその眼差しは、遠くからでも分かるほど、はっきりとした形を成していた。
そしてその人物は今まさに、自分を庇って吹き飛んだのだ。
そして、出会うことと成った。
高町 なのはと、その存在が最も恐れる、〝天敵〟と。
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