「では、食事が終わったので作戦会議をおこなう」

 クウザが食事の後にそう言ったのを聞いて、紅坂は動きを止めた。食事を終えた紅坂は、クウザにつれられ、席を立つ。

場所は、食堂の隣の翔隊長室で行われ、その場には見慣れない顔が四人居た。翔隊長室と呼ばれたここは、食堂と同じ大きさで、テーブルの変わりに円卓と羊皮紙、羽ペンとインクが置かれていた。

 円卓の周りに、其々が座る。その場には、シャロルは無かったが、紅坂は特に気にした様子もなく、椅子を引いて勝手に座った。

 王女を欠いて、其れは始まった。

「『翼彫隊』隊長、ライ・メルーリス出席しました」

 短い黒髪をゴーグルで押さえつけている男が、そう告げてきた。歳は三十前半、屈強に見える体躯とは違い、何処か軽い感じがする男だ。その眼は、一時期紅坂を捉えていたが、今では円卓の上座、中心に座するクウザとガルズへと向けられている。

「『猛攻隊』隊長、クロス・セイズ出席」

 無数の傷がある男が、紅坂を見ている―――――いや、男ではない、と紅坂は判断した。

 鋭いともいえる体のラインが、女性だと示している。後ろで一本に止められた髪が、左右に揺れていた。妖艶と言うよりは恐ろしい眼差しを持つ、女性だ

「『残光隊』隊長補佐、マナ・リークス入ります………」

 気の弱そうな男が、そう言ってくる。左腕が無い、何処か物静かな男で、周りに比べると印象が薄い感覚がする。歳は、紅坂と同じぐらいだろうか。

隊長が集まっている中で、補佐が出ているのはこの隊だけだ。

「『疾走隊』隊長、クラス・ハジス出席いたしますッ!」

 ただ一人、情熱に溢れている男が居た。城の中だというのに、白い重装甲鎧を着ている。端整な顔立ちなのに、ほとばしるほどの情熱があだとなって、暑苦しい印象を与えていた。

 全員の声に続き、クウザ、ガルズが静かに答えた。

「『攻衣の騎士団』団長、クウザ・ハードナー、出席した」

「『銃撃団』団長、ガルズ・マッケンジー、出席したぜ」

 これで、全ての兵士団長(一人は補佐)が出席したことになる。これほどの兵団が在りながら、城の内部で余り見かけたことが無いことを、紅坂は怪訝に思ったが、すぐにセゼルの策略によるものだったのを、思い出した。

「敵は、もう目の前の谷まで迫ってきている。猶予は余りないと思ってもらいたい」

 クウザが、真剣な表情で告げてくる。

その言葉に、全員に緊張が走ったのを、感じていた。それを見て満足げに頷いたクウザは、円卓の中心に近辺の地図を広げ、指揮棒で指し示す。

「谷を渡る道は三つある。本来ならば其処で戦えば、数の少なさはカバーできただろうが、もう遅い。その先の大平原での全力対抗と成るだろう」

 ガルズが、告げた場所は、ウィルスの城下町を囲む、草原だった。ウィルスの険しい山々を北に置き、そのほかの三方を草原に囲まれているその場所は、見晴らしはいいのだろうが、包囲しやすいともいえる。

 確かに、その回りには渓谷が広がり、三つの大きな道しかない。大きいと言っても、少人数でカバーできるのだから、確かに塀の少なさはカバーできる。

どちらかと言えば紅坂は、何時ものへらへらした表情ではなく、真剣な表情で威圧感を持っているガルズのほうが、珍しかった。

それをまじまじと見ていると、声が上がった。

「相手の数は完全武装した兵士が、五万四千。対して私たちの兵士は二万千が良い所。勝ち目は少ないな」

 ライが、冷静に分析をしている。その意見に反対意見が出ないところを見ると、この国の隊長は、どれもこれも自分の隊を過信していない事が窺える。

紅坂は其れを評価しながら、近くの人間に尋ねた。

「『翼彫隊』てのは、何なんだ?」

 紅坂の言葉に、クラスが答えた。

「はいッ! 『翼彫隊』は、スバル≠駆って敵の錯乱と情報収集する部隊ですッ!」

 スバル≠ニいう生き物については、調べてあった。ツバメが巨大化したようなもので、特徴ある鶏冠を持つ、この世界の航空手段である。数は圧倒的に少なく、警戒心が強いので手懐けるのが大変らしい。

 納得しながら、言葉を続ける。

「じゃあ、『猛攻隊』と『残光隊』、『疾走隊』は?」

「『猛攻隊』は奇襲戦部隊で、『残光隊』は夜襲突撃部隊で、『疾走隊』は騎馬戦闘隊ですッ! 数的には『翼彫隊』二〇〇〇、『猛攻隊』八〇〇〇、『残光隊』は二〇〇〇、『疾走隊』は一九〇〇ぐらい………ですッ!」

 自信が無いのか、最後の方は声が小さくなっていたが、クラスのお陰で戦闘隊の数と運搬方法は分かった。軽く礼をすると、クラスは「気にしないでくださいッ!」と警戒に答えてくれるだけだった。

後は、自分に出番があるかどうかだ、と紅坂は息を吐く。それを気にした様子もなく、他の隊長格は作戦会議を続けていた。

「今回の敵は、城下町二キロ近くに広く包み込むように広がると思われる」

 クウザが地形図を持ち出しながら言う。

背面の大きな山を除いて、この地形は基本的に平らだ。丘を下るように広がっていく地形に、相手の予想軍配備を書き込む。

 退路はない。それを把握するのに、そう時間もかからなかった。

「前面交戦か?」

 ガルズが真剣な面持ちで聞く。クウザは、考え込む。

「俺に任せればこんな奴ら、いくらでも倒してやらぁ!」

 ライが、自身満々に告げる。その発言で、紅坂はほんの少しだけ評価していた内点を、ひそかに引いておく。

しかし、其れを冷ややかに見ていたのはクロスであり、冷静な口調で告げた。

「相手もスバル≠駆る。数は同隊、貴様の隊に任せてはいられない。私がやろう」

「待て、『猛攻隊』が撹乱に回れば、誰が戦闘をするんだ?」

 隊長達が其々の部隊を先に出そうとする。その度に紅坂は冷ややかな視線を送る。話は決まらず、さらに熱の篭った話が始まる瞬間―――――――――。

「待て」

 クウザが、呟くように告げた。

その声は不思議とよく通り、会議室は沈黙に包まれ、その場の誰もがクウザを見る。クウザは微笑を浮かべたまま冷静に宣言した。

「王女の伝言により、今回の作戦の指揮はコウサカ殿に任せるそうだ」

 一同が騒然とした。

其れも同然。見知らぬ男に全権を預けるのだ。

文字通り、この国の命運を賭けた戦争で、全ての実権を与えるのだ。

「これは最終決定だ。俺様とクウザはそれに同意している。後は、各隊長だけだ」

 ガルズが、不敵な笑みで一同を見渡す。一同は騒然としながらも、やがて各々口を開いた。

 最初に口を開いたのはクロスだった。

「話を聞き、興味を持ったのも否めないな………。『猛攻隊』クロス、異議は無い」

 次に口を開いたのは、熱血漢のクラスだ。彼はかなりの大声で、感涙を眼に溜めながら紅坂に告げてきた。

「頑張りましょう! 『疾走隊』の命運は任せます!」

 そして、次に口を開いたのがライだった。どうやら心配そうな表情だが、それでも不安は無いようだ。

「クウザ様とガルズ様の信頼を置いている人物だ。『翼彫隊』も、異議は無い」

 最後に残ったのは気の弱そうな、片腕の男だ。全員の視線を受けながらその男は溜め息をはきながら答えた。

「『残光隊』マナ・リークス………。異議なしです」

「………まあ、王女の命令じゃ仕方ないか」

 実際に戦争の指揮を取るのは初めてだが、紅坂はこの上ない緊張感と、高揚感を感じていた。

とはいえ、軍隊を指揮する事など、生まれてこの方、無い。それが当たり前では在るが、紅坂はそれを気にもせず、自分の脳内にある情報を組み立て、作戦を立てていく。

やがて、近くに居たクラスに声をかけた。しばらくの間問答をしていたが、それはクラスが驚きの表情を浮かべたところで、終わった。

そして、紅坂は、彼の象徴ともいえる悪魔のような笑顔を持って、口を開いた。

「これは時間勝負だ。まずは………………」

 この辺りの地図を開きながら紅坂は作戦を話していく。その話の中で、その場に居た全ての人間が、青ざめ、驚嘆の表情を浮かべた。

 文字通り、人の考える作戦ではない。否、作戦と呼ぶにはあまりにも稚拙で、愚かで、それゆえ恐ろしいものだった。

 作戦を話し終えた時、クラスが大声で叫んだ。

「危険すぎるッ!? 王女様とクウザ様の命はどうするのですかッ!?」

「必ず俺が助ける―――――――――といっても納得するはずが無いな」

 紅坂はクウザのほうを見ながら聞いた。

「お前はどうだ? 一人ぐらい護れるだろう?」

 クウザは苦笑しながらも、冷静に分析した様子を見せた後、静かに頷いた。

「五万四千人から――――――とはいかないが、助けに来るまでなら護りきれよう。任せてくれ」

 その言葉により、それは決定した。

 全員の気合が充実し、殺意が蠢く翔隊長室の中で、空気がピリピリし始め、全ての人間の目に光が燈る。気合は十分だ、と一人内心で不敵に笑いながら、紅坂は告げた。

「作戦開始は今より二時間後、明朝には敵の驚く顔が見れる。各々の作戦を間違いなく遂行してくれ」

 紅坂が、声を張り上げながら呟く。

全てのことが初めてで、全てのことに嬉しさがこみ上げていた。

「次に逢うのは祝勝会だ。それ以外ではない」

 ガルズが、不敵に口を開く。其れを聞いた紅坂は力強く笑い、全ての人間を引き付けるような、まるで悪魔のような嘲笑を浮かべた。

「悪魔を、信じろ。信じた分は働いてやる」

 各々が、席を立った。

 

 

 

「少し、時間をくれないか?」

 クウザが、席を立つ紅坂を引き止めた。他の隊長格はそれぞれの任務を果たすため、急いだ様子で自分達の詰め所へ走っていく。

二人だけ残った会議室は静かで、重苦しい空気が流れていた。言いたい事も分かっているので、紅坂は特に気にした様子もなく、口を開く。

 やがて静かに、クウザが口を開いた。

「シャロルは、戦争に参加させないのか?」

 紅坂の眉が動く。何を言っているのか分かりあぐねたが、紅坂は冷然と答えた。

「貴様の部隊だろう。好きなだけ使え」

「今はコウサカ殿の護衛だ。私の一存では動かせんよ。其れぐらいは、分かっているはずだ」

 まるで冷やかすように言ってくるクウザの真意を捉えきれない紅坂は、苛立つように尋ねた。

「何が言いたい?」

「貴公がこの国の人間ではない限り、シャロルの使命は終えない。つまりは、私の部隊ではないので、彼女に敵討ちをさせられない。………此処まで言えば分かるだろう?」

 真意が分かった。

「………つまり、奴を連れて行け、というのか?」

「その通りだ」

 クウザが間髪要れず、答えた。紅坂は嘆息しながらも、告げる。

「民の護衛も大事だろうが。此処が落ちれば、其れこそ女王の心配が傷つくだろ」

「その通りだ。女王は民の犠牲を好まない。………そういう意味では、コウサカ殿の作戦は最適と言えるだろう」

 クウザが、立ち上がりながら呟く。紅坂に近づきながらも、続けた。

「だが、デジスというあの男を殺すのは、ライかコウサカ殿だ。その時点で、シャロルの敵討ちは未来永劫、不可能になる」

「たった一人の私怨のために、全てを危険には曝せない」

 紅坂は、詰まらないといったように席を立つ。そのまま扉に歩いていくと、クウザが口を開いた。

「―――――――――身内の命を絶たれた者は、どうすればいいと思う」

 紅坂の手が止まった。扉のドアノブを回す手を戻しながら、紅坂は告げた。

「怨め。それだけで、最悪の決断で手を下すよりは何倍もマシだ。その恨みだけで人は生きられる」

 紅坂は冷たく言い放つと、ドアを開け放った。

「ただし、あいつが決めることだがな」

 紅坂は、ちいさく呟いた。

 

 

 

「――――――そうですか」

 マイア女王が、神妙な面持ちで頷いた。それを確認した紅坂は、静かに頷き、彼女を作戦地へ誘うように、首を動かした。

 辺りはもう暗闇に覆われ、暗く長い王室前の空中通路の途中で、紅坂は告げた。

「泣き言は聞かん。お前にも協力はしてもらうしな」

「コウサカ、それは少し言い過ぎではないですか?」

 マイアについていたシャロルの言葉に、紅坂は静かな笑いしか浮かべない。それを見ていたマイアは、事も無げに頷くと笑顔で答えた。

「ええ、それぐらいは構いません」

 そういうと、マイアは少しだけ面白そうに笑みを深めると、口を開いた。

「囚われの身の女王、一度やってみたかったんです」

「………その様子なら、問題ないな」

 フッと笑う紅坂に、心配そうなシャロルの眼差し。その二つに見守られたマイアは、空中通路の窓に手を置きながら、見上げていた。

星空の下、すでに国は包囲され、明日の朝には五万四千の兵が押し込んでくるのだ。

階下に広がる街には、戦えない町民三万が、静かに行動を起こしているはず。女王としては、気が気ではないだろう、と紅坂は改めてマイアが女王だと言う事を、実感した。

「………大丈夫なのか、聞かないのか?」

 紅坂の問いに、マイアは驚いた表情を浮かべるが、すぐにそれを崩すと、ぴょんと窓に腰掛ける。そして、笑顔で答えた。

「ソウ様は、私の事を信頼しておりませんでしたね。ですが、私は最初から信頼しております。ね? シャロル」

 マイアの笑顔が、月夜に浮かんだ。それに呼応したように、後ろを歩いていたシャロルの鎧が音を立てる。

 振り返った先には、シャロルの真剣な表情があった。まだ迷いは見えるが、その眼は、完全に紅坂を捉えている。

「はい。私も、騎士の名に――――――ではなく、私の持てる全ての武にて、信頼します」

 シャロルの言葉に、マイアは満足げに頷いた。そして、紅坂を見ると、笑顔で続けた。

「私を、初めて女王以外で見てくれましたから」

 マイアの言葉は、紅坂にとって意外なものだった。紅坂にとって女王など肩書きに過ぎず、外れもなく興味がなかったが、それは紅坂だけであり、マイアにとっては侮辱されているものだと考え居ていたからだ。

 それなのに、マイアはそんなに深く考えていなかったのだ。ただ単に、紅坂自身を見ただけで、此処まで信用してくれる。

 久方に忘れていた、この気持ち――――――まさか、異世界で昔を思い出そうとは、紅坂は想いもよらなかった。そして、それを実行するのも。

「安心しろ」

 紅坂は、久し振りに優しく笑った。

「絶対に勝つ」

 人の為に戦う。

 

 

 

それも、悪くない。

 

 

 

 《ファト》の軍勢が、丘の国《ウィリス》を包囲したのは、朝が開けてすぐだった。

 総勢五万四千の、完全武装した兵が城壁を囲んだ。すでに城下町を越えたが、逃げ出していたのか、人の姿はなかった。

 人っ子一人もいない、街。昨日までは市でも開かれていたのだと判断できる露天商がいくつもあったが、商品はそのままに、人の姿が消えていた。

「どういうことだ………?」

 赤髪に、緑の眼を持つ《ファト》軍師団長―――カール・レバンが、隣に居る魔属(デヴィル)』、デジスに話しかけた。

 デジスは、その雰囲気に気が付いてはいたものの、特に気にした様子もなく隣を歩いていた。その周りには、何重にも張り巡らせた兵士の群を見ながら、デジスは呟く。

「………ふむ。すでに王女ごと逃げていたかもしれない。それは考えてなかったな」

 さもおかしそうに笑うデジスを見て、カールは眉を潜めた。気にしても仕方ない、と思いなおしたのか、近くの兵士に伝令をかける。

(………とはいえ、そんな風に逃げ出す人間とは思えなかった)

 先日見た、あの人離れした眼光の鋭さ。自分と同じ寂しさを知り、さらにその全てを叩き潰してきた男の、文字通り悪魔の眼。

 逃げる、という選択肢を選ぶとは思えなかった。

 五万四千の兵士が、包囲網を縮めるように城の敷地に入ってきた。其処まで兵隊がいない事を考えると、逃げ出したのだろうか。

 そのまま、城下に入り、真っ直ぐ王座の間に進んだ瞬間。

 

 違う、とデジスは其処で確信することになった。

 

 王座の間に、マイア女王とクウザが居た。兵士として、聞いたものが居ないといわれるほど武名高い獅子皇<Nウザは、王の間まで繋がる廊下に、重鎮していた。

「さて、君達には少々酷だが、すでに君達は、術中にいることだけ、教えて置こうか」

 獅子皇<Nウザが、剣を構えた時だった。

 それとほぼ同時に、巨大な爆発音と共に、王座へ続く廊下が崩れ落ちていった。その場に居た兵士は残骸と共に、滝壺へと落ちていく。

 その瞬間―――鬨の声が、多岐に響きかえるほど大きな音となって、降り注いだ。。

 

 

 

 

「『疾走隊』は全軍、囲むように展開ッ! 『猛攻隊』はその後からだッ! 『翼彫隊』は空中戦闘準備を始めろッ!」

 紅坂の指示がとんだ瞬間、《ウィルス》の軍隊が散開した。

城下町の外を囲むように立てられた城壁に、昨日のうちに仕掛けられた穴から、なだれ込むように『疾走隊』が突撃していく。不意打ちを打たれた敵勢は、戦う前に浮き足立った。

 その光景を見ていた紅坂に、ガルズは不敵な笑みを浮かべて、聞いた。

「しっかし、敵勢を城下町に押し込んで包囲しようなんて、よく思いつくぜ」

 そういったガルズに、紅坂は面白くないように言った。

「本来なら、投石器を設置しておけば、城下町だけを犠牲にすれば良いんだが、あいつはそんなのを考えなかったんだろうな」

 紅坂の考え付いた作戦内容は、こうだ。

 昨夜のうちに、町民などを裏山の向こうに逃がしておく。その後は城壁に穴を開け、軍隊を裏山に逃がす。裏山に逃げる道は幾らでもあったので、左程大変ではなかった。

 しかもこの裏山は、本来避難民用に用意されていたもので、城下町から滝に向かい、その後ろをとおる以外行く方法がない。裏山を抜けると其処は平原なので、いそいで包囲を組んだのだ。

 外道、としか言いようがない。本来護るべき城を捨て、その中に敵を追い込むのだから。

 さらに、この作戦には、紅坂しか浮かばない思惑があった。

戦闘慣れしていない《ウィルス》の兵士と、戦闘経験が豊富だという《ファト》の兵士と戦うとしたら、慣れている市街での戦いと、絶対に勝つという使命感を持たせることだ。自分の街を秤にかけられたら、命がけで戦うだろう。

それが、紅坂の思惑だった。

 この時に大切なのは、敵の退路として一方向残しておく事だ。そこから崩れた軍勢が逃げ出すので、留まって決死の覚悟で戦う人間も減るだろう。

 そして、戦況は紅坂の思った通りの展開になっていた。司令部が後ろになかったのは残念だったが、此処まで上手くいけば良いほうだろう。

 

 そう。

全ては、王女を囮にする、誘導作戦だったのだ。攻めづらく、護りづらい地形を逆に使った、大胆不敵な行動でもある。

 ただ、これは被害が大きい。市民たちは逃げているが、建物には酷い被害が出るだろう。それも、予想済みだが、紅坂の知ったことではない。

「………それじゃあ、行くか」

そういって、紅坂は近くの女性に向き直る。その場所に居た、『翼彫隊』隊長ライは、不敵に微笑むと、自分の駆るスバル≠見上げた。

「コウサカ殿は、これに乗ってくれ。シャロル殿なら、上手く動かせるはずだ」

 紅坂とシャロルは、王女とクウザの救出にまわる。いくら攻撃の手段が少ないとはいえ、相手の集団真ん中にいるあの二人は、早めに助けなければならない。スバル≠ネら、滝ノ下を通るように移動すれば、被害も少なく戦えるだろう。

 スバル≠フ背中に乗った後、ライが不敵の微笑み、声をかけてきた。

「随分、見所がありそうね。今度、一緒に飲みましょう」

 妖艶な隻腕の女性にそういわれ、紅坂は不敵に微笑み―――告げた。

「未成年なんでね」

 そのまま、一匹のスバル≠ェ空を駆け出した。

 

 

 

「………やってくれるな。あの悪魔」

 兵士長たちの喧騒――――逃げ場の無い戦場。すでに奇襲で浮き足立った兵士は、それぞれ本当の力の一割も出せずに、三割の兵力が削れたようだ。

「………仕方ないッ! 一点突破だッ! 所詮は戦いなれない兵士―――力づくで押し返せッ!」

 カールの叫びを聞いて、デジスは小さく舌打ちをした。

 崩壊した廊下の向こう―――スバル≠ノ乗った兵士の攻撃を剣一本で捌くクウザを倒すのにも、時間がかかるだろう。

 そして、異変は起きていた。

 兵士が、全く相手にならないと気が付いたその時、その号令が、耳に入ってきた。

「な、何故だッ!?

 そこにも、紅坂の策略があった。

 

 

 

 一般兵は、できるかぎり身軽にした。身重な鎧を外し、一対一のときは出来る限り撹乱して剣で突き殺す、という形式を取らせたのだ。全員に、盾を持たせてはいるが。

 元々、鎧は生存確率を高める―――――が、それで動きが遅くなるのなら、着ないほうがましでもあった。以前、紅坂が広場で攻衣の騎士団を倒したときと同じ理論だ。

 その他にも、多くの改善点を出来る限り酷使させた。それが、上手く動作しているらしい。

 なにより、地形を知っているのが一番の強みでもある。銃撃団(火縄銃だった)が安全な所から狙撃できるのも、地形の利だ。

 そしてなにより一番今までと違うのは、相手を殺さないというところだった。

 戦争慣れしている相手と違い、未だに人を殺すのに戸惑うこの国の人間には、一人一人縄を持たせ、捕獲する事を推奨する。風の国だけあって、鳥を捕獲するのに長けているので、人間など楽々のようだ。

 いくら兵士が戦争慣れしているとはいえ、相手が捕獲しかしてこないのなら、少なからず動揺する。それも、狙いだった。

 そうして、敵の捕虜は増えていく―――どうしてもダメなのは、『猛攻隊』がどうにか蹴散らしていくしかない。そこは、ガルズに任せていた。

 それらは全て上手く機能し、敵は崩れていった。元々、国を捨てるような陽動作戦と奇襲だけでも、十分すぎたのだ。

 そして、それを考え付いた悪魔は――――その場に着いたのだ。

 

 

 

「………文字通り、悪魔か」

 デジスの言葉に答えるように、一つの影が、崩れた通路から躍り出た。

 スバルの背中に乗っていた紅坂が、向側の―――敵の密集している通路に、飛び降りる。シャロルは、そのままスバルを駆って、クウザとマイアを助けに行った。

 一瞬の沈黙。

 敵勢、全ての前に現れた悪魔―――紅坂は、不敵に微笑みながら、立ち上がる。

彼独特の悪魔のような笑顔を浮かべ、告げた。

「よくも、まぁ、こんな策に引っ掛かってくれたな。とはいえ、完全に相手を嘗めきっている上、何の警戒もなくここに来たお前達が、迂闊だ。侮った時点で、お前達は負けたんだよ」

 その存在は、まさに悪魔の風格を醸し出していた。

敵の密集地帯で、たった一人不敵に、笑っているのだ。これを悪魔といわずして、なんと言うのだろうか。

 銃撃団は、すでに玉を装填していた。いくらクウザが落としたとはいえ、何十ものスバルが外に居る。完全武装した、手練の傭兵も周りにいた。

 しかし、デジスとカールに与えられたのは、安心でも安堵でもなく――――絶望に近い、敗北感だ。

「うわああああアァァァッ!」

 恐怖に耐え切れなくなった兵士が、紅坂に襲いかかる。剣を振りかぶり、距離を詰めきったその瞬間、紅坂は腕を動かした。

振り下ろした腕を掴み、反転させる。たったそれだけの行為だったが、それは誰も気付かなかった。

 通路に、鎧が叩きつけられる音が、響く。全く恐怖も負い目も感じていない紅坂は、一歩踏み出しながら、口を開いた。

「安心しろ。殺すつもりはない、が―――――」

 圧倒的な力と圧力が籠もった言葉が、その辺りを威圧する。

 ギン、と鋭い眼が光り、その言葉は放たれた。

「生かすつもりも無い」

 

 

 

 圧倒的な力。それは、『暴力』というのに、相応しかった。

 必要最低限の動きで、最大の効果を、紅坂は挙げていた。廊下には、投げ飛ばされ、武器を失くし戦意を失った兵士が、少なくとも三十人、座り込んでいる。

もともと、幅の狭い通路。被害を恐れてか、火縄銃の銃弾は、ほとんど撃たれなかった。

剣や槍を構え、突進してくる兵士を、武器を奪って投げ飛ばす。まるで夢のように体が軽く動き、敵を叩きのめした。

 外は、すでに大勢が決したようだ。それを肯定するように、『猛攻隊』の笛の音が、耳に入ってきた。

「コウサカ殿ッ!」

 マイアを送ってきたシャロルが、クウザと共に紅坂の援軍に来た。獅子皇≠ニ銘打たれるクウザという、止めのような援軍に、《ファト》の兵士たちの士気は、萎えていた。

 つまり、残すのは、カールとデジスのみ。総大将をここで叩けば、戦争は終わるのだ。

 それが分かったのか、はたまた分かっているのか、カールは、その長い槍を振り回し、構えた。

その後ろに立っていたデジスは、不敵に微笑むと、懐から何かを取り出す。

「其処までだ」

 三人の動きが、止まった。

 『銃』―――いい加減なつくりのそれは、この場所で、もっとも殺傷能力のある武器。

 シャロルが、剣を構える。怒りに囚われていないようだが、今度は脅えているようだ。クウザは、先程までの戦闘で、どことなく動きがぎこちない。

 それらを見透かしたように、デジスが口を開く。

「いくら粗末な品でも、一人は殺す能力がある。………動いたら、撃ち殺すよ?」

 その言葉に、三人は動けなくなった。鬼の強さを誇っていた三人が止まり、兵士たちが歓喜の声と共に、士気をあげていった。

 その中でも静かに、紅坂が口を開く。

「あの銃は、俺がどうにかしてやる。………シャロル、クウザ

 紅坂の声に、二人が驚きの顔をあげる。それを見返すこともなく、紅坂は告げた。

「………俺を信じて、突っ込め」

 紅坂の言葉に―――――二人は、不敵に苦笑した。力を取り戻したように、剣を握る手に力を込め、答えた。

「はい。………私は、全てを持って、貴公を信じます」

「ちょいっとは、格好良いとこ、見せないといけませんからね」

 二人の言葉に、紅坂は微笑み、少し置いて自嘲した。

(………俺を信じろ、か。………この世界に来て、俺も変わったな)

 次の瞬間、紅坂は大胆不敵に、相手に向かって一歩、足を踏み込んだ。

 

 

 威風堂々と、仁王立ちする紅坂。恐怖するどころか彼は、まるで普通の通路を歩くように、いつもの調子のまま、歩き出した。

紅坂の眼には、恐怖や怒りなどの感情がなく、全くいつもどおりの色を、浮かべていた。

 デジスの眼が、驚愕の色に染まる。一瞬の間、誰もが戸惑い、眼を疑った。

 しかし、デジスは愚かではない。すぐに自分を戒めると、冷静に紅坂の頭部―――――――額に狙いを、定めた。

 そして、引き金を、引いた。

 

 

 血が、吹飛んだ。

 

 

 もともと、紅坂を撃つつもりだった。どう見ても、彼がこの戦争の指揮を執っていたし、一番の脅威であったからだ。

 しかし、自分は脅威を、侮っていたのだ。自分で一番の脅威だと認めていながらも、その大きさを、知らなかったのだ。

 

 銃弾は、確かに紅坂を貫いたが、それは、彼の頭部には届かなかった。

 

 一瞬の間に突き出された、左手―――それが持っていた海楼石≠ェ、銃弾によって、打ち抜かれた。もともと、人の体を打ち抜くのには、それなりの威力しか出せない銃にとって、それは、負けを意味している。

 水に浮くぐらい軽いのに、人を乗せても砕けない海楼石≠貫き、ほとんど勢いをなくしていた銃弾を、右手で掴んでいた。さすがに、少しの勢いが残っていたので、血が吹飛んだが、深くはない。それを持て余しながら、紅坂は微笑む。

「いっただろう? 侮った時点で、お前たちの負けは決まっていたって」

 次の瞬間、カールとデジスはそれぞれ、眼を見開く。

二人の懐に、シャロルとクウザが、飛び込んでいた。紅坂を信じていたシャロルとクウザは、デジスが引き金を引いた瞬間には、走り出していたのだ。

 デジスの、親の仇の驚愕の顔―――きっと、コウサカが、何とかしたのだろう。

 不思議な人間だ、と今は思う。圧倒的な力を持っていながら、この世界でもっとも寂しい存在。

それが、絶望的な状況から、国を救ってくれたのだ。

 

 今は―――親の仇を――――――――――――。

 

 どうするかは、決めていた。

 

 

 

 シャロルの剣が、デジスの体を、強かに打ちつけた。

 刃がない、峰打ち――――デジスの体が思いっきりはね、目が反転した。そして、もんどりうって倒れる。

 その背中を、息も荒く、シャロルは見送っていた。

 殺したくて殺したくて、殺したくて仕方ない相手。

でも、殺さなかった。その方が、デジスにとっても屈辱的で、最悪のものだろう。

 クウザは、カールを斬っていた。一瞬の間、迷ってしまった自分とは違い、見事なものだと、思わず苦笑する。ただ、カール自身も、息荒くも眼が開いているのを見て、生きているのは間違いないだろう。

 兵士達は、戦意をなくしていた。

 それはそうだ、とシャロルは思う。絶対的な強さを誇っていたデジスの銃、その銃弾を掴んだ男。そして、獅子皇≠ニ、迷いがなくなった私――――負けるはずが、ないのだ。

 絶望的と思われた戦争は、終わってみれば圧倒的優位な立場から、自軍への被害も最小限に、終わったのだ。

 

 圧倒的な勝利という、予想外の結末を経て、それは終わった。

 

 

 

 

 

 


 







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