部屋の造りは、質素な物だった。幾つかの松明が燃えている以外、光源になるような物は無い。

机に、調度品、後はテレビでよく見る貴族のベッドみたいな物が置いてある。

 紅坂は、まず自分の鞄から食料を取り出す。健康食品だが、カロリーは高めで、紅坂がよく愛用する物だ。

 一欠けらを、口に入れると、残りを大切な物のように包む。この世界の食べ物の安全性が確認されない限り、食べる気も無い。

 静かに、横から布団に潜り込むと、息を吐いた。一日のうちに色々在り過ぎて、頭がつかれきっていたので紅坂は、すぐにでも眠れるような気がした。

 その時、違和感を覚えた。

自分以外の呼吸音と、右腕の方に、変な温もりを感じたのだ。

紅坂は決して慌てず、ベッドから出る。そして、呼吸を整えると、ベッドの布団を跳ね除けた。

 其処には、白い寝巻きを巻き、幸せそうに眠る女性の姿があった。気持ちよさそうに肩が上下し、お世辞にも恥かしくない、といえないような姿で寝ている。

 それが王女だと気付くのに時間は掛からなかった。

紅坂は頭痛を感じながらも、布団を投げるようにベッドの上に投げとばした後、布団はゆっくりと王女に覆いかぶさった。

 そのまま紅坂は部屋を出る。

シャロルが怪訝そうな表情で「如何しました?」と聞いてきたので、答えた。

「ベッドに王女が寝ている」

 シャロルは、訝しげに紅坂を見てきたが、紅坂にベッドの横に連れてかれると、思わず口を開けてしまった。

人がいるのが、その時点で判る。

紅坂が布団を剥ぎ取ると、其処には寝巻き姿のマイアが、幸せそうな顔で寝ていた。

◎○×◆◎×☆ッ!!!?」

 シャロルは、完全に混乱しているようだ。

紅坂はとりあえず落ち着かせると、諸悪の根源を起こした。

「こら。起きやがれ」

 紅坂に揺らされ、意外にも王女はすぐに眼を覚ました。

王女は目を眠そうに擦りながら周りを見渡し、紅坂を認めると笑顔で尋ねてきた。

「遅かったですね。先に寝てしまいましたよ」

「お、王女ッ!」

 シャロルが眼を逆立てながら、怒りの表情を向ける。王女は誤魔化すように笑うと悪気も無く答えた。

「仲を深めるには寝取るべきだと思いまして。私も、仲良くしたいですから」

「寝取る、の意味を取り違えすぎだ」

 王女の意味を知り、紅坂は嘆息しながら告げた。王女は怪訝な表情で紅坂を見ていたが、紅坂はそれを気にせず、王女を摘みあげる。

「どちらにしろ、貴様の相手をするほど体力は残ってない。さっさと床につけ」

 シャロルと共に部屋の外に押し出しながらも、マイアは聞いてきた。

「どうしたら、信頼してくれますか?」

部屋の外に押し出し、扉を閉めながら紅坂は叫ぶ。

「悪魔と誓約でもしろッ!」

 

 

 扉を見ながら王女は、本当に困ったような声でシャロルに尋ねた。

「どうして、怒ってらっしゃるのかしら?」

「王女………………」

 シャロルは肩の抜ける思いをしながらも、何とか持ち直すと、王女を立たせると通路に手を向けた。皿に油を注ぎながら、王女に呟く。

「部屋まで送ります。どうぞ」

「よろしくお願いします」

 のほほんと、王女は笑った。

 

 

「はあ………………」

シャロルが大きな溜め息をつく。今日は色々な事が在り過ぎて、疲れてしまったのだ。

「一番は、コウサカか」

 違う世界の人間だということはわかった。そして、自分以外に興味の無い、最悪の人間だというのも。

―――――俺は、一人でいい―――――――

 コウサカの言葉が、重く胸に圧し掛かった。

―――――昔から何でも出来た――――――

 いいではないか、とシャロルは思う。

何でも出来なかった私は、辛い思いをしてきた。自分の親さえ、護れなかった。何故、不満がある? そうシャロルは感じていた。無意識に、額の傷に触れている。

―――――物覚えがよく、頭もよかった――――――

私は、物覚えが悪かった。騎士団に入るのですら大変で、人の五倍は頑張った。

 そして、今の地位が手に入ったのだ。コウサカの言っていた、自分から動かない、弱虫ではない。

 コウサカの言葉を苛立ちながら否定していく。思い返せば、頭に来るような事だらけだった。

(しかし………………)

―――――――俺が努力すればするほど、人は、俺から遠ざかっていた、周りからは誰も居なくなり、親すら俺を避けていた。その時、俺は人と付き合うのを止めた――――

 どれだけ、悲しかったのか、どれだけ、苦しかったのか、シャロルには想像もつかない。

人に気に入られるため、親に褒めてもらうために頑張ったのに、裏切られた。その時、彼の心はどのくらい傷ついたのだろうか。

 それは、彼の言っていた努力を全て否定したものだ。

そして彼は、人から離れたのだ。

「結局、私は何も知らない」

 コウサカのことも、コウサカの世界のことも――――――。

 紅坂の居る部屋の前にある椅子に座りながら、シャロルは、階段の踊り場にある窓から見える宵の月を、ただぼんやりと見ているだけだった。

 

次の日、紅坂が眼を覚ますと、其処にはまた王女の顔があった。朝日が降り注ぐ窓、鳥の鳴き声が、すがすがしい朝を造っているのに、マイアの顔で夢へと変わる。

「………………」

「おはようございます♪」

 悪い夢、と決めた。もう紅坂の冬眠を止める者は居ない。寝始めようとしたとき、王女が「朝ですよ?」などといいながら布団をはがしてきた。

「………夢ではない、か」

 紅坂は体を持ち上げながら頭をかく。そういえば、風呂に入っていない。

「よく入ってきたな。シャロルが五月蝿いだろうに」

「ええ、窓からです」

 確かに、窓は開いていた。昨日、空けておいたのだろうがどちらにしろ、行動力溢れる王女だな、などと柄にも無く感心し、立ち上がる。

 王女は、蒼のドレスを着ていた。動き易そうだが、彼方此方が破れている。

「朝っぱらから………」

 紅坂が頭を働かしながらそう呟く。すると、王女が聞いてきた。

「ご飯にしますか? 今日は大丈夫だと思いますけど」

「大丈夫かも、とかいう時点で食いたくない」

 その時、廊下からクラウストの声が聞こえてきた。

「王女、王女ッ!」という叫びと、その慌てようを見れと、隣に居る諸悪の根源を探しているようだ。王女は気がついたように、立ち上がる。

「それでは、行きましょうか」

「朝はいらない――――――って言っても聞いてないか」

 無理矢理手を取られながらも、命令ではないので、拒絶できない紅坂だった。これで強制的な命令でもしていれば、女子供関係なくぶん殴る事もできるというのに。

引っ張られるように部屋を出てくると、律義にシャロルは挨拶をしてきた。

「おはようござ――――――」

 最初に顔を出したのが王女だということに気がついたのだろう、シャロルの顔が硬直する。紅坂は我関せず、といった顔でそれを眺めているだけだった。

 そのマイアは、笑顔で答えた。

「おはようございます。シャロル」

◎○×◆◎×☆ッ!!!?」

 昨日と同じ反応をしながら、シャロルは固まる。マイアがシャロルの目の前で手を振ると、気がついたようだ。

 早朝だと言うのに大きな声で叫ぶ。

「何やっているんですかッ! 昨日あれ程――――――」

 シャロルが何か言おうとしているうちに、王女は階段を降りていた。「早く行きましょう」と満面の笑顔で手を振る。

彼女を見て、シャロルが口をパクパクさせていると、王女は振り返り、笑顔を見せるとこういってきた。

「早くしないと、冷めますよ?」

 完全に固まったシャロルの肩を叩きながら、紅坂は同情に満ちた顔で告げる。

「諦めろ。あれには絶対勝てない」

 互いに初めて、共感できた気がした。

 

 

「はい、どうぞ♪」

 食堂で、王女がそんな事を言いながら紅坂にスプーンで食べさせようとする。紅坂は知らん顔していたが、クウザとガルズが笑っているのが聞こえてくる。クラウストは顔が引き攣っており、シャロルは我慢の限界のようだ。セゼルとか言う脂男は震えている。

 紅坂は、これ以上事態が悪化しないように歯止めをかけることにした。

「王女」

「はい?」

 やっと構えてもらったのが嬉しいのか、満面の笑顔で答えてくる。紅坂は気にもせずに不機嫌そうな声で聞いた。

「何でこんなことをしている?」

 紅坂の疑問を、本当に怪訝そうに王女は首を傾げた。

「何故って………食事に毒が入っていないのを確かめるために、私が毒見を――」

「王女がすることではありません!」

 クラウストの言うとおりで、王女のすることではない。其処は紅坂ですら、大いに同意していた。

 最初は、王女が手招きをしていたのだ。上座の横に椅子があるので、今の状況になるのは絶対だ、と紅坂は睨む。

 なので、紅坂は下座の自分の席に着いた。王女ががっかりしていたが、諦めるはずが無い。あろう事か、彼女は自分の席を持って紅坂の隣に座ったのだ。

「さっさと自分の席にもどれ」

「ですが、二度も食事を取らないと体に悪いですよ?」

 ああいえば、こういう。しかもそれが本当に紅坂の体を心配しているので、更に性質(タチ)が悪い。突っ張っていると終わりそうにも無いので、話をあわせる。

「毒が入っていないのは判ったし、ちゃんと食べるから、席に着けよ」

 彼女は納得したらしく、席を持って戻っていった。紅坂は嘆息をしながら食事に手を出す。思ったよりも美味しく、地球の物とそう変わらない。

「では、いただきましょうか」

 王女が自分の食事を食べようとしたとき、紅坂はフッとセゼルに眼をやる。

 

 ――――笑った。判らないように、だが、確実に笑った。

 

チィィン。

 

 金属の摺れるような音と共に、王女がスプーンを落とした。ガルズが何かを投げたような格好で居るので、多分、彼が投げたのだろう。

 真っ先に、セゼルが叫んだ。

「ガルズ殿ッ! 危ないではないかッ!」

 セゼルの前に座っていたガルズは、悪びれた様子もなく、椅子に座りなおしながら告げる。

「悪い、手が滑った」

「気にしないでください」

 王女が困ったような笑顔で、笑った。

その時、食器が落ちた。

 みてみると、紅坂が、テーブルクロスで顔を拭いていた。皆が見ていると紅坂は気がついたように辺りを見回す。

 そして、軽く手を挙げて、口を開いた。

 

「悪い。顔を拭いていた」

 

 ぜんぜん悪びれた様子もなく、紅坂は告げた。

ガルズとクウザが堪えきれない笑顔で声を押し殺し、耐えている。シャロルの顔は怒りで限界まで真っ赤になり、震えているのが眼に入った。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 セゼルの怒りが頂点に達したようだ。顔が真っ赤になり、申し訳程度に残っていた髪の毛が逆立っている。

 彼は呆然とするマイアへ、叫んだ。

「王女! 食事の邪魔をするものに、処罰を!」

「えっ?」

 マイアが怪訝そうな表情を浮かべる。セゼルが怪訝な表情を浮かべると同時に、驚いたような顔でマイアは答えた。

「でも、ソウ様の世界では、テーブルクロスで顔を拭くのですよ?」

 食堂に、ガルズの笑いが響き、セゼルがいきり立つ様に食堂を出て行ったのは言うまでも無い。

 

「すみませんな、ソウ殿。気がつかず………」

 クラウストが、紅坂に近付き、小さな声で言ってくる。

紅坂は、仏頂面で答えた。

「別に、俺の世界の習慣なだけだ」

 ガルズはすでに、周りを気にした様子もなく、腹を押さえながら笑っている。ずっと能面を貫いてきたクウザでさえ笑っているのだから、それほど愉快なことだったのだろう。

紅坂はすこしだけ苛立ちながらも、何も言えず、立ち上がる。それとクウザが声をかけるのは、ほぼ同時だった。

「助けてくれるのかい?」

 紅坂は、一瞬だけ戸惑った様子を見せた後、フッと笑うと、悪魔の笑みを浮かべながら答えた。

「貴様らの王が、悪魔に魂を売れば、な」

 マイアは、首を傾げていた。本気で分かっていないことは、紅坂ですら把握できた。

紅坂が部屋を出ると、シャロルが声を掛けて来る。

「待ってください」

 紅坂は、止まらない。変わりに、何かを舌打ちすると、歩を早めたぐらいだ。向かいの扉まで歩くと、強引に扉を押し開ける。

 蔵書室の扉が、力強く開けられた。後ろから追いかけてきたシャロルが、紅坂に尋ねる。

「一体、どうしたというのです? なぜガルズ様と、………その、コウサカ殿はあんな事をなさったのか?」

 コウサカの名前を呼ぶのに、いくらかの抵抗があったのだろうが、紅坂は気にしなかった。

逆に、紅坂はシャロルへ怪訝そうな表情を浮かべると、聞いた。

「………お前、気付いていないのか?」

「何のことです?」

 本当に気付いていないらしい。紅坂は嘆息すると、何かを言おうとする。が、すぐに止め、頭を掻いた。

「やめた。何故俺がそんな事を教えねばならんのだ」

「え?」

 紅坂は、蔵書室の螺旋階段を登っていってしまった。

自分が除け者にされているような気がして仕方なかったが、紅坂に聞くのは癪なので、聞かないことにした。

 扉を閉めて、椅子に座る。この仕事は予想以上に暇なので、何をするか決めようと思う。

そういえば昨日は、確か編み物をしていた、と思い出す。出来てしまったので、もう作れないな、等と考えていると通路の向こうからある人物が歩いてきた。

ガルズが、両手に菓子を持って歩いてきた。

シャロルが立ち上がって敬礼をすると、気恥ずかしそうに笑った。

「よせ、よせ。おもっ苦しい」

 シャロルにチョコレートを手渡しながら、扉を開けて入っていってしまった。シャロルは、チョコレートを口に入れると呟く。

「何の用かな?」

 その後、廊下から足音が聞こえた。シャロルが後ろを振り向くと其処にはクウザが歩いてきた。

 シャロルは驚く。手に持っていたチョコレートを落とすと、敬礼した。クウザは床に落ちたチョコレートを拾うとシャロルに手渡す。

 そして、いつもの優しげな風格を持って、口を開いた。

「失礼するよ。ああ、お茶を用意してくれたまえ」

「りょ、了解いたしました!」

 そのままクウザが扉を開けて蔵書室に入っていってしまった。

 とりあえず、チョコレートを椅子の上において茶を入れにいく。

 

 お茶を人数分(自分のも混ぜて四つ)に、コウロ茶を入れて戻ってきた。通路に差し掛かったとき、自分の椅子に誰か座っていることに気がついた。

 そして、近づくと、それが王女だということにも。

「って、王女!?」

 シャロルの言葉に、王女は詰まらなそうな顔をしている。何故か、チョコレートが口の周りについているが。

 シャロルがお茶を窓の前に置き、マイアの口を布で拭きながら聞く。

「どうしたのですか? 私が置いておいたチョコレートを食べるなんて」

「ごめんなさい」

 王女がいきなり謝ってきた。マイアは少しだけしょんぼりしながら告げた。

「部屋に入ったら追い出されました………。殿方だけの話だとか………」

 そういった後、すぐに扉が開いた。中からガルズとクウザが出てきて、紅坂が「また」などといっているので、親密にはなったのだろう、と把握する。

 マイアが「う〜〜〜」など唸っていたが、彼らは彼女に敬礼した後、その場を去った。

「王女、入りましょうか?」

「はい」

 王女は即答し、部屋に踏み込んだ。中では紅坂が書物を黙々と訳している。王女とシャロルが入ってきたのを見て、あからさまに嫌な顔をする。

「何で来た? 特に貴様はさっき追い出したろうに」

「昨日の約束です! ソウ様の世界のお話をしてもらいに来ました!」

 王女が叫ぶように告げた。紅坂は嫌そうな顔をしたが、確かに断りきっていなかったので、了承した。

「丁度、歴史の本を持っていたしな」

 紅坂はリュックから一冊の本を取り出すと机の上で開いた。シャロルの持ってきたコウロ茶(ダージリンに近い)を口に入れながら、一番初めのページを見せた。

 其処には、アウストラロピテクスが載っていて、だんだん人間になるさまが描かれていた。それを見た彼女たちは叫び声を挙げる。

「ええッ!?」

 シャロルとマイアがぎこちなくこちらを振り向く。その眼は「嘘」といったような表情だが、これは遺伝子の逆行による科学的根拠がある。

 それを永遠と教え込んだ。

途中、「遺伝子ってなんだ?」「どうやった?」「科学って?」などの当たり前の質問が飛ぶが、その度に紅坂が話で捻じ伏せる。

結局、話し終わったのは三時間後だった。昼食を外したが、紅坂の話に二人は夢中なので、気にもしなかった。

話し終えると、マイアは溜め息をついて紅坂に尋ねた。

「………………私たちも、アウステロ・・?」

「アウストラロピテクス―――又はそれに近いものが祖先である可能性は、高いな。ハッキリ言える事は、神様など居ないということだ」

「嘘を言わないでください!」

 いきなり――――――紅坂が神様を否定したとき、シャロルが叫んだ。余りの大声に、王女も驚いた。紅坂は冷たい表情で見ている。

「神が居なければ………、人間は何に頼って生きていけばいいんですか?」

「さあ、な」

 紅坂は、シャロルの言葉に答えなかった。それは、彼女が考えることであって、自分が教えるべきことではない。

「唯一つ、言える事は」

 紅坂が、教科書をパラパラと開きながらお目当てのページを見つけると、二人に渡した。それは、戦争の場面だった。沖縄戦、広島の原爆の被害と、今の地球の汚染の原因となった原子力発電所の爆発の惨状。そして年々ひどくなる酸性雨に、感染症にかかった人間の末路に、自然破壊。

 それを見ていたマイアとシャロルの顔色が悪くなる。紅坂は、二人に教えるように告げた。

「神様が居たら、人間は消されているはずだ。少なくとも、俺達、地球人は」

 二人は、何もいえなかった。

 

 

 

 

 

 


 







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