約三時間後、言葉の速見表が完成した。漢字みたいな難しい物は無いらしく、略字などを入れてもそれ程難しくは無い。

 次は、歴史書を探そうとして、暗くなってきたことに気がついた。

 何か明かりを、と思ったところで、扉のノック音が響いた。

「暗くなってきたので、明かりをつけます」

 シャロルが、皿を取り出しながら告げてきた。腰から下げた封筒を取り出すと皿に液体を注いだ。底にしめ縄をつけ、火種を近づけて、火を点けた。

「どうぞ。溢さないよう、御気をつけて下さい」

 紅坂に皿を渡すと、シャロルは部屋を出て行ってしまった。紅坂は皿を見ながら、少しだけ鼻で笑う。

(未だに蝋燭も無いのか………。それとも、俺には勿体無いと思ったか?)

 どちらにしろ、紅坂には興味は無い。今あるのはこの世界の歴史と価値観だ。

 階段を少しずつ登りながら、注意深く本の背表紙を読んでいく。

「あった………」

 最上階の一歩手前で、埃を被った本を見つける。服の袖で埃を払うと、表紙を見る。

【スウィルス・ガーデンの歴史】と書いてある。この世界の事は分からないが、関係ないとは思えない。

 一ページ目を開いた。其処には、こう書かれていた。

 

 

 この世界は、光と闇で生まれた――――――。

 書き出しを読みながら、紅坂は息を吐いた。

地球の観点から行けば、こんな話は胡散臭くて仕方ない。しかし、今の科学でも解明されていないので、否定しきれないのも事実だ。

 その後は、長々と世界の有り様が書かれ、今の情勢が書かれていた。

 要約すると、次のように書かれていた。

世界は、黒―――つまり悪と、白―――つまり正義が混ざり合って、出来た灰色である。神々は三つの大陸を作り、其々に王を置いた。

『人間』の王である、リュート。

緑の民(エルフ)』の王である、ハルド。

魔属(デヴィル)』の王である、ハザート。

三人の王は、其々の大陸を治め、長い間の平和を培った。

しかし、『魔属』の王であるハザートは、自分の領土を他の大陸まで伸ばした。

好戦的な『魔属』の前に、『緑の民(エルフ)』達が標的になり、大陸を追われてしまった。

彼らは平和主義なので、傷つけられないのだ。

その後、人間たちが大陸を追われそうになる。しかし、彼らは最後の最後で『魔属』を押し返し、今は『森の民』達と平和に暮らしている。

リュートは、五人の『王座』を設けた。大陸を五等分し、其々に『王座』を置き、政治を行わせた。

鍛冶の国『フィト』。水の国『アクネス』。丘の国『ウィルス』。闇の国『ハザマ』。そして正義と光の国『ロウ』。

それが、今の大陸である。

 

 

 

 

紅坂は、頭が痛くなった。訳の分からない話が、頭で整理されるにつれ、溜め息が再度出る。『緑の民(エルフ)』だの、魔属(デヴィル)』だの訳の分からない夢物語が展開されているのだ。

しかし、書を進めていくと、どれも『人間』だということに気付く。

つまり、平和主義が『緑の民(エルフ)』で、好戦的なのが『魔属(デヴィル)』。中立なのが『人間』だということだ。

 だからなんだ、と紅坂は思う

そして、地図を見る。今居るのが丘の国『ウィルス』、大きさはかなり曖昧だが、一つ一つの大陸がユーラシア大陸ほどあるのだろう。宇宙から見ている確かな情報ではないので、何とも言えない。

(世界征服、か)

 悪魔のような顔に、企みの色が宿る。魔法などの超常能力の無い、何も知らないこの世界なら、覇王にすら成れるのだ。

退屈な生活が一変して、薄い世界に色が燈ったような気がした。

 その時、ドアを叩く音がした。

「失礼します。食事の時間です」

 下の方からシャロルの声が聞こえる。紅坂は本を片付けると、階段を下りる。シャロルが、見覚えのある鞄を持って、不機嫌そうに立っていた。

「これは、貴公のです。食堂に案内しますので、ついて来て下さい」

 鞄を手渡された。中身は塾の参考書とライター等の日用品が入っている。それを背負いながら紅坂はシャロルの後をついて行った。

 通路を抜け、ロビーに出ると、今度は正面―――――つまり入り口から向かって左の扉に通された。

いきなり広く広がる部屋に、大きな食卓が置いてある。天井からは硝子で出来たシャンデリアが吊るされており、上座の方には天使の像が二つ、立っている。

 上座には、マイアが座っていた。その横にはクラウストが立っており、その奥の方には長髪の男と、右側の方には脂を顔に浮かべた、中年太りの男が座っている。虫を見るような眼で、紅坂のほうを見ていた。

 その視線に、紅坂はムッとする。眉間にしわが寄り、体中に力が充実してきた。

「止めておけ」

 紅坂の肩に、手が置かれた。後ろを見ると、いつの間にかいた片目の男が、紅坂をなだめる様な笑顔で言う。

 黒肌だが、しっかりとした顎鬚と、右目に走る傷跡、筋肉で染め上げられた体躯は、幾戦練磨の風貌を醸し出している。

 紅坂は小さく舌打ちすると、距離を取る。男は余裕の表情で声を掛けてくる。

「良くも悪くも、奴は軍師だ。我々は手が出せねえ」

 脂を浮かべた中年男性が、険しい顔を見せる。

「ガルズ。席についてくださいね?」

 マイアが、傷の男に声を掛ける。彼女の言葉遣いから見て、かなり信頼された人物のようだ。ガルズが左側の席に着くと、シャロルは紅坂を下座に促した。

 下座に座り、紅坂は静かに待っていた。左の方には、シャロルが立っている。

「では、御紹介しますね、ソウ様。こちらの………」

自分の左手――――――つまり、紅坂から向かって右の人間の方に手を差し出す。

「御老輩の方が、セゼル・クラウミー。我が国の軍師と、私の教育係を勤めています」

 仰々しく、ワザと白々しく頭を下げる。紅坂は、挨拶もしない上、見向きもしなかった。

ガルズが、含み笑いをしているのが、聞こえてくる。マイアも気にしないで先に進めた。

 セゼルの、歯軋りの音が聞こえた。

「此方の、護衛をなさっているのが、この国一番の剣の使い手、クウザ・ハードナー。騎士団隊長を務めております」

 此方は礼儀正しく、礼儀作法に則った礼をする。金髪、長髪の優男だ。紅坂は、鋭い視線を向けるが、彼は冷ややかに受け流す。警戒に値する人物である。

 そのやり取りをほのぼのと受け取ったマイアは、喜々と次へ続ける。

「此方がガルズ・マッケンジー。国で一番の射撃手です」

「よろしくな」

 此方は気軽に話しかけてきた。仏頂面の紅坂に構わず、不敵な笑顔で告げてきた。此方は、何を考えているのか、分からない。警戒は、必要だ。

「さて、夕食にしましょう。持って来てくださいね」

 付き人に、マイアが言うと、次々と料理が運ばれてきた。其々の前に料理が置かれ、席が整った。マイアは嬉しそうに言った。

「さて、いただきましょう」

 其々が、出てきた料理――――――パンのような物と、スープに得体の知れない肉。そしてワインの様な飲み物。食器類が三つ。スプーンや二股のフォーク、ナイフが出された。其々が好きなように食べだした頃、紅坂は腕を組みながら黙っていた。

 それを見たマイアが、怪訝そうに尋ねる。

「どうかいたしましたか?」

 紅坂は、厳しい表情で料理を睨んでいた。それを見て、マイアが思い出したような感じで言う。

「あっ、食べ方が分からない、と?」

「そうじゃない」

 紅坂が、そう断言する。少しだけ周りを見回しながら、仏頂面で何の気負いも無く告げた。しょうがない、といったような感じで。

「これに、毒が入っていないという保証がないのでね。手をつけないだけだ」

 ざわっと食堂がどよめいた。マイアは今度こそ驚いた顔で紅坂を見ている。紅坂はその表情を見ながら、笑う。

「だって、そうだろうが。あんた達にとって俺は全くの『不明分子』。少なくとも俺なら食事は出さないで、地下牢に放り込むからな」

 隣で、シャロルが動くような気配がする。それを警戒しながらも、全員の顔色を見回した。

 マイアは、眼をぱちくりさせ状況を把握できないようだ。クウザは、我関せずと言ったような表情で聞いている。

ガルズに至っては、笑っているのを必死に押し殺していた。

 セゼルは、顔を真っ赤にさせながら憤怒の表情で立ち上がった。

「これ程までに失礼な男は、初めてだ! シャロル、構わん! 斬ってしまえ!」

 セゼルの言葉を聞いて、シャロルは剣を引き抜いた。紅坂が、応じようとすると、食堂に声が響いた。

「止めてください」

 決して大きな声ではないが、それでも良く通るその声は、シャロルの剣を確実に止めた。皆が、マイアに注目する。

「………ソウ様はこの世界の人間では有りません。その上、信用できる者もいないでしょう。ですので、ソウ様の言うことは正しいのです」

 そう言ってから、マイアが悲しそうな表情を紅坂に向けた。寂しいような、哀れむような眼が、紅坂に向けられている。紅坂の、最も嫌いな視線だった。

「ですが、せめて私だけでも信用してください。私は、ソウ様を信用しています」

「黙れ」

 紅坂が、怒りの籠もった声でそう告げた。怒りに身を震わしながら、紅坂は続ける。

「俺は、今まで親すら信用したことも、信頼したことも無い。この世界でも、信用するような人間がいる様には到底思えない」

 席を立ち上がり、出口に向かう。その姿を見て、マイアは少し慌てた様子で言った。

「このままでは、独りぼっちになってしまいます」

扉を開けながら、紅坂は恐怖を植えつけるような悪魔の表情をしながらこう断言した。

「俺は、何処でも一人だ。一人で十分だ」

 扉が、重々しく閉まった。しばらくの間、食堂に静寂が訪れた。しかし、それが破られるのは、唐突だ。セゼルが、叫ぶ。

「あのような悪魔、早々に追放するか処分した方が良い! でなければ、この国の崩壊の引き金に成りかけぬぞ、マイア! 『魔属(デヴィル)』の進行があると言うのに!」

 まるでヒステリーに駆られた様に叫ぶセゼルを冷たく見ながら、ガルズは嬉しそうに言う。

「俺は結構気に入ったぜ。あれで、中々切れるような奴だ」

 紅坂の料理のスープに人差し指をつけ、嘗める。毒は無いが、やや腐った臭いがした。

「ヘンゼルの葉が腐りかけていたんだろう。言われなければ絶対に分かるはずの無い微量な臭いを、嗅ぎ分けやがった」

 感心したように言うガルズの言葉を聞いて、マイアはシャロルに言った。

「追いかけてください。本来ならば、私が行きたいのですが、狙われているのが分かっている今、動けないのが現状ですので」

「了解しました」

 シャロルが、扉を開け走りぬける。それを見た後、マイアは、クラウストに声をかけた。

「クラウスト。私は、ソウ様の事を本当に信用しているのでしょうか?」

 クラウストが、少し考えながらも、律義に答えた。

「分かりませぬ。知っての通り、彼の者は違う世界の人間」

「そう………」

 悲しそうな声を出すマイアの方を見て、優しく付け加えた。

「ですが、此方が信用しなければ、相手は絶対に信用してくれません」

「………そうですね」

 マイアは、少しだけ笑顔を取り戻したようだ。しかし、クラウストは、少しだけ難しい顔をして、呟く。最後の、紅坂の悪魔のような顔を思い出す。

(彼の者が、人間ならば―――――――だが)

 クラウストには、断言できなかった。紅坂は、彼が会った全ての人間よりも、底が知れず、心も読めないのだった。

 彼が果たして敵なのか味方なのか、それすら分からない。

 

 

 シャロルは、城の外まで歩いてきた。紅坂を探していたのだが、城の中には居そうも無い。外を探してはいるが、暗くて何も見えないのだ。

「貴公ッ! 何処だ!」

 叫ぶように声を張り上げる。返事を期待してはいなかった。いなくなったのなら、それはそれで構わないのだ。でも、負けのままでは引き下がれない。

 やはり、見つけるべきだろう。そう思い立つと、丘の方に出た。此処は宵の星が出ているので、比較的明るい。夜空に輝く、巨大な三つの星だ。

 丘の上に、紅坂は居た。暗闇の中でも、最も深淵のように存在している。

「貴公………」

 近寄り難い雰囲気が、彼に漂っていた。しかし、彼女は近寄る。それが、命令だからだ。

「何故、お前はマイアの言葉に従う? 俺のことが、大ッ嫌いのはずなのに」

 不意に、紅坂が尋ねてきた。まさか声を掛けてくるとは思わなかったので、シャロルは驚いた。

「アイツとお前は、なにが違う? 同じ人間、同じ存在が、何故主従関係にならなくてはいけないと思う?」

「それは、あの人が、マイア女王、ですから………………」

 言いたくは無い言葉が、口から漏れる。それを聞いた紅坂は畳み掛ける様に言葉を続けた。

まるで、今まで溜め込んだ鬱憤を晴らすように。

「地位、名誉、金、権力! 力! それに一体どのくらいの価値がある? 護るべき価値があるのか!?」

 紅坂が、シャロルに詰め寄る。深淵の中でも、その眼は全てを睨むように、怒りを込めながら、全てを憎むように叫ぶ。

「護る物など! 自分以外にはありえないはずだ! 人に尽そうという奴は、自分から何も出来ない、腰抜けだ!」

 断言する紅坂に、シャロルは、反論する。

「違うッ! 私は、義によって忠誠を尽している! だからッ!」

「義? それにどれほどの価値がある? 守るほどの価値など、あるのか?」

 紅坂は、シャロルに詰め寄る。シャロルは、暗闇に完全に溶け込む悪魔のような紅坂に、怯えていた。

「自分から動こうとしない貴様が、どれほどの価値がある?」

 紅坂が、顔を逸らした。後ろを見ながら、肩を震わす。

 シャロルは、妙な感覚に囚われていた。紅坂の背中に、寂しさを感じたのだ。彼のことを知らない彼女だが、本能で、感じ取っていた。

 彼の、深い寂しさと、気が狂いそうに暗い場所に居るような、そんな得体の知れない悲しみに、少しだけ触れられた、ということを。

「貴公は――――――コウサカは、今までどのように育ったんですか!? 何故そこまで全てを憎むのです?」

 

 シャロルが、初めてコウサカに尋ねた。

 それは、好奇心からではない。何となく、それを聞かなければいけない気がしたからだ。

紅坂は振り返らず、小さな声で答えた。

 

「俺は―――――子供の頃から何でも出来た。でも、人並みにで、決して天才と呼ばれるような物ではなかった。しかし、物覚えは人の何倍もあり、頭はかなりよかった」

 紅坂が、座り、足を伸ばした。丘には、温かい夜風が流れている。

「人一倍、努力した。遊ぶことはしないで、多くの事を覚え、知恵を蓄えた。虐められないよう、嘗められないよう、人の五倍以上訓練した。親は、そんな俺を危険視していた。誰も、俺に近寄ってこなかった」

 視線は下ろさず、真っ直ぐ前を見据えながら、紅坂は続ける。

「人とは、距離を取っていた。自分で間違えれば自分の責任だ。誰の所為でもない、自分の力不足だ。それを補うべく、その倍は努力した。いつしか、周りからは『神童』と呼ばれ、時に『悪魔』とも呼ばれていた。………我ながら、お似合いだと思うな」

 シャロルには、意味は少しも判らなかった。

だが、紅坂の見てきた一人の寂しさには、触れたのだ。触れただけで、寒気のする世界に、紅坂は、今までずっと一人で居たのだ。

 胸が、苦しかった。

「人は俺が努力すればするほど遠ざかった。近づこうとしても、距離は全然縮まらない。むしろ、人は離れていった。そして、努力しない人間は、俺を『悪魔』といって、見下ろしていた。その時、俺は人と触れ合うのを止めた」

 紅坂は、宵の星を見上げた。続けようとした話を、其処で区切って息を吐きながら唸った。まるで、自分を恨んでいるように。

ややあって、シャロルに言った。

「何で、こんな話をしているんだ、俺は? ………………寝室は何処だ? 疲れた」

「………………………あ、はい。今案内します」

 憎み始めていた男の言葉に、何の抵抗も無かった。シャロルは、気が削がれながらも、先を歩く。紅坂に声を掛けようかと思ったが、掛ける言葉も見つからず、先ほどまでよりギクシャクしながら歩いてきた。

 城に入ると、ガルズが立っていた。暗い白の中で、皿の上に僅か燃え上がる焔が、彼の顔を映し出す。

「遅かったな。何処まで行っていたんだ?」

「貴様に教える義務は無い」

 紅坂はそうとだけ言うと、シャロルに先を促した。シャロルが、礼をしながら先に歩いていく。シャロルに聞こえないくらいの声で、ガルズが紅坂に声を掛けてきた。

「セゼルに気をつけろ。お前は喧嘩を売りすぎだ」

「………何故、教える」

 紅坂が、怪訝そうに尋ねると、ガルズはおどける様に言う。

「マイアはお前を気に入っているようだからな。俺も、お前が気に入った」

 紅坂の肩に手を置きながら、そう告げると、通路の奥に消えていった。紅坂は、叩かれた肩をさすりながら、鼻で笑った。

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 シャロルの言葉に、珍しく返事しながら紅坂は部屋を目指して歩いた。城に入った所を右に曲がる所で、紅坂はあることに気付いた。リュックが、無いのだ。多分、食堂だろう。

「荷物を忘れた。取ってくるから、待ってくれ」

 シャロルにそういうと、城を目指していた。

シャロルは、後を追おうとしたが、紅坂は―――早くも暗闇に消えていた。

 

 城に入ると、右の扉に近づく。窓ガラスから月の光が差し込んでいるので、意外に明るい。

扉に近づくと、声が聞こえてきた。

 

「――――――そろだ。我らの時代も」

 セゼルとか言うあの中年親父の声がする。紅坂は、耳を澄ました。

「五日後、鍛冶の国『フェト』の兵士が二万四千、此処に攻めてくる。その時、ドサクサに紛れて王女を殺せばいいんですね?」

 誰かと話しているようだ。

相手は、声すら出さない。電話などの通信手段があるはず無いので、相手は其処にいるはずだ。

 辺りを見回すと、現状を把握する。

構造上、二階に続く階段から、食堂の二階の回廊に繋がっているはずだった。階段を登るには、正面の階段を登らなくてはいけない。

それ程時間も無いので、二階まで思いっきり飛ぶ。今までに無い飛翔感を感じながら、二階の手すりに手を掛けた。

 身を捻ると、通路に体を押し入れる。二階のドアをそうっと開くと、灯火が見えた。

 相手は判らないが、ローブを着ているようで、その部分だけ異常に黒い。

「しかし、貴様の忠誠心も薄れたな。先代のときはあれほど手を出さずに静かにしていたものなのに」

 闇から声が聞こえる。声を意図的に変えて喋っているのか、性別を判定できる声ではなかった。が、相手の身長からして、自分と変わらない歳だと推測できる。

「私が忠誠を誓ってきたのは先代であって、あんな小娘ではありません。どちらにしろ、温い今の政治には飽き飽きしていた所です」

 と、セゼルが格好をつけて言う。

が、紅坂には嘘のようにしか聞こえない。互いに本心を言い合って居るようには思えなかったのだ。

二人の間に少しだけ笑い声が聞こえる。近づこうかと思ったが、それを制止する声が聞こえてきた。

「盗み聞きかね? 客人」

 紅坂は、胸中では驚いていたが、表面には出さず、後ろに振り向きながら尋ねた。

「荷物を取りに帰ってきたら中に居た。それだけだ」

 そこに居たのは、長髪の剣士、クウザだった。壁に身を任せながら中の話を聞いているようだ。紅坂はクウザだけに聞こえるような声で言った。

「貴様こそ、立ち聞きか?」

「失礼な。私は完全に盗み聞きだよ」

 不敵な笑みを浮かべながら、苦笑して答える。紅坂は、興味が無いので、その場を去ろうと立ち上がった。その時、クウザが声を掛けてきた。

「どう思う?」

「何が、だ?」

 聞かなくても、紅坂には判っているが敢えて尋ねてみる。クウザは不敵な笑みを浮かべると答える。

「今此処で、私があの二人を斬ってしまっても、兵の足は止まらない。しかし、この国には戦争を起こせるほどの兵力も無い。それを、どう思うか聞いているのだよ」

 紅坂は、立ち上がりながら答えた。

「滅びるしかないな」

 そのまま去ろうとした時、クウザが紅坂にある物を突き出した。

 それは、紅坂のリュックだった。それを奪い返すように取る紅坂へ、クウザは尋ねた。

「如何すれば、この国が存続できると思う?」

 紅坂は、その言葉に笑みを浮かべながら、断言した。

「悪魔と誓約するしかない。あとは、貴様が動けばいい」

 紅坂の表情を見ながら、クウザは不敵な笑みを浮かべ答えた。

「それは、困るな」

 紅坂は、後は何も言わなかった。しかし、クウザは確かに見たのだ。

―――――――闇夜に浮かぶ、悪魔の笑顔を。

 

 

「ありましたか?」

 シャロルが、紅坂を見つけるとそう聞いてきた。紅坂は、ただリュックを見せただけだった。それを見たシャロルは頷く。

「では、いきましょう。部屋は、二階の南側です」

 城をいったん出て、右に曲がる。白から入って左側の道だ。

 屋敷のような扉を開け、暗い廊下に小さな焔が燈る。此処の主流な点灯方法が薪なので、暗いのは仕方ない。

 二階へ上がる階段を登ると、直ぐの所でシャロルが止まった。

「此処が、コウサカの部屋です。不都合は無いように出来ていますが、何かあったら言って下さい。部屋の前にいますので」

 シャロルの当たり前のような言葉遣いの中に、不穏な言葉を見つけ、紅坂は尋ねた。

「部屋の前にいるだと? 部屋に戻らないのか?」

「私の役目は監視です。気になさらず」

 そう言って、部屋の前にある椅子に座り、頑固に眼を閉じる。もう、何を言っても無駄だろう。紅坂は気にしないで部屋に入ろうとしたが、そこで思い出したように聞く。

「セゼルとか言うあの中年、どういう人間だ?」

 シャロルは、少しだけ考えると、答えてきた。

「先代からこの城に仕えているらしいのですが、自分の利益を重視する様子もあります」

「ああそうか、わかった」

 紅坂は、頭を掻くと部屋に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 


 







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