科学とは、全ての事象を説明できるものである。

 これは、現代を生きるものなら、誰もが知っていることだ。鉄の塊であるはずの飛行機も、何百トンもある荷物を難なく運ぶ船も、全ては化学の結晶だ。
 コンピュータのメモリーだって、言い換えれば唯の石だ。
 何百年も昔の人から考えれば、それこそ夢物語である。

 その夢物語を実現したのが人間であって、『科学』なのだ。人の想像する力と、実現しようと言う意志から生まれた、『科学』。

 しかし、全ての事象を『科学』で説明など、出来はしない。現に今も、心霊などは深く信仰され、どう考えても『科学』で立証できないものもあるのだ。

 つまり、『科学』は唯の物差しでしかないのであって、超能力も、心霊も、いる可能性はあるのだ。同じ事で、『ここ』と違う世界もあって、そこでは『超能力』が日常的に使われていてもおかしくは無いのだ。宇宙人だって、否定できない。

 それ程に、人間の世界は奥が深い。人間が人間である限り、解明はされないのだろう。

 『科学』は『真理』ではない。全ての事象を説明できるものなど、この世には無い。

すべての者がそう思い、夢を見てきた。

 だから、人間は空を飛べる、海を渡ってきたのだ。そして、舞台は宇宙にまで広がっている。

 この話は、違う世界の話であって、宇宙の話ではない。

 一人の少年の考えと、世界の可能性を示唆するものなのだ。

 

 

―――――――現実は小説よりも奇なり。そして、小説も奇なるものだ―――

 この言葉を、捧げよう。

 

 

 



 

 平成十八年十二月二十四日、奈良県奈良市伏木町。

年の暮れが近づきながらも、クリスマスという世界的イベントを控え、町は派手に煌めいていた。道路脇の街路樹はライトで飾られ、色鮮やかな光で夜を照らしていた。

雪も今年は降り積もり、道路脇には山積みで置かれてあった。夜でも、繁華街からは人の気配は消えない。

其処を、黒いコートを着た少年が歩いていた。雑踏の中でも、彼の所だけは少しだけ開けられているように、奇妙な存在感があった。

まるで全てを睨んでいるような鋭い眼光、染色を全くしていない真っ黒な髪が、雪が掛かり、湿っていた。

紅坂(こうさか) (はじめ)

歳は十八歳、奈良宗教大学在学の、ごく一般的な少年である。今日は塾の帰りに、深夜のコンビニのアルバイトを終えた所だ。

彼は、黙々と道を歩いた。脇目は余りせず、真っ直ぐと自分の住むアパートに向かっているようだ。

「なんだっ!? こいつッ!」

 いきなり―――――静寂を切り裂くような怒声が耳に届いた。紅坂は少しだけ立ち止まり、横に視線を動かした。

 暗い路地裏の方で、何人かが、誰かを取り囲んでいた。不良風の少年が、サラリーマン風の男を取り囲んで、大声を上げている。サラリーマン風の男は怯え、見るからに弱々しい物腰で怯えている。

「さっさと金を出せって言ってンだよ! お・じ・さ・ん」

 何処から拾ってきたのかは分からない鉄パイプを地面に擦りながら、威嚇している。男が財布を取り出したところで、紅坂は顔を元に戻した。

(詰まらん)

 歩みを始めようとしたとき、また大きな声がした。

「おい、其処の兄ちゃん。少し面かせや」

 歩みがまた止まる。

紅坂が後ろを振り向くと、男たちがニヤニヤした笑いを浮かべながら紅坂を見ていた。

その中でもリーダー風へ、紅坂は視線を向ける。熟れたニキビの痕が黒ずんでいる上、脂っぽい食事しかしていない様な、てかてかした顔を見て、紅坂は男を勝手に『ガマ男』と命名する。

 ガマ男が、さっきのサラリーマンの財布をひらひらと振りながら、紅坂に告げた。

「お兄ちゃんも金貸してくんねえか? 最近厳しくてよ」

 周りの手下――――五人が、ニヤニヤ笑っている。紅坂を、がり勉のひ弱男だと判断したらしい。

 紅坂の眼が更に鋭くなる。ついでに闘気も放ってみるが、誰もそれに気がついたものはいない。その時点で、紅坂の興味は消えた。

 溜め息を付いた紅坂を見て、男が更にいう。

「ビビッテルのか? 金さえ出せば無事に帰れるぜ? お坊ちゃん」

「自分で働いて稼げ、阿呆が」

 男の言葉が終わった瞬間に、紅坂がやや怒りを含んだ声で答える。紅坂の言葉で、眼に見るように男たちの顔が厳しくなる。其々が獲物を持ちながら紅坂を取り囲もうとしている。

「なんだって? 聞こえないぜ? 坊ちゃん?」

「なら耳鼻科行け。それで駄目なら山にかえって猿としてでも生きろ」

 紅坂が、荷物を下ろす。ガマ男達が取り囲んだのを見て、鼻で笑う。

「まあ、そもそも一人でなにも出来ない奴らが、たむろった所で猿の群か?」

 鼻で笑ったような声で相手を挑発する。完全に相手は頭にきたようで、一斉に襲い掛かってきた。

 この時点で、紅坂の勝ちは決まった。唯でさえ狭い道路で、全員が其々鉄パイプ等を持っているのだ。

 紅坂が、一番手前の男が鉄パイプを振りかぶった瞬間に、手を蹴り上げた。靴底が、鉄パイプの底に当たり、吹き飛んで、後ろの男に当たった。

 驚いている男に、そのまま踵で顔面を蹴る。骨の砕ける感触と、血が飛び散るのを見届けて、紅坂はさっき飛んでいった鉄パイプに当たった男を拳で殴り付ける。

 残りは、ガマ男を含めて三人。

 しかし、所詮は虚勢だけの男達、仲間の二人は悲鳴を上げ逃げ出した。

「て、手前ら、逃げたら後で――――――」

 男が何か言う前に、紅坂が襟首を持ち上げた。鋭い眼が、更に鋭くなる。

「貴様らが人を脅して金を取ろうが、弱い奴をとっ捕まえて金を脅そうが、俺には何の興味もない。だが、な――――――――――」

 眉間にしわを寄せ、無愛想な顔が更にあくどく彩る。

「俺に、手を出すんじゃねえ」

 最後に思いっきり、拳を固めて、顔面を殴りとばしてやった。壮絶に血を出しながら倒れる男を見ながら、紅坂はふん、と鼻を鳴らす。

 其処に、先程のサラリーマンの男が恐々と出てきた。ガマ男が完全に気絶しているのを見て、紅坂に感涙の声を上げる。

「ありがとう、助けて――――――」

 その男が何か言い切らないうちに、紅坂は男の襟首を持ち上げ、悪魔のような眼差しで言った。

「俺は貴様などを助けるために戦ったんじゃねえ! こいつが邪魔だから消しただけだ!

貴様も、大人ならこんな奴らに獲られるんじゃねえ!」

 その男を乱暴に突き飛ばし、紅坂は道路に流れた。

 

 

 紅坂 創をどんな人間か、と知っている人間に尋ねれば、五人に四人は必ず、「悪魔のような奴」と答えるだろう。

昔から習っている古流武術で連戦連勝、神童と呼ばれるぐらいの知能と、武将を勤められるぐらいの兵法を持っている、まるで悪魔そのものの男だ。

 しかし、五人に一人は、「静かな人」と答える。

意味のまま、彼は、余り人付き合いが良い方ではない。その上、自分の事を第一に考えるために、人との接触を避けることもある。

だが、不良などとは決してつるまない。

 まさに「触らぬ神に祟り無し」を体現した様な男だ。

 それでも、彼は決して楽をしてその性格を守っているわけではない。逆に、血の滲むような努力と、血を吐くような辛い生活をしてこそ、培った力なのだ。

 

 アパートの扉を開けながら、紅坂は息を吐く。体中の力を抜いて、靴を脱ぎ、部屋に上がると電気をつけた。

 四畳半の、狭い部屋が電灯の光で現れる。テーブルと冷蔵庫、本棚以外に私物は無い、質素な部屋だ。

 買って来た食べ物を、冷蔵庫の中にしまいながら、勉強道具をテーブルの上に投げる。

 その後、冷蔵庫から幾つかの材料を取り出すと、鍋を用意する。その中に、朝残しておいた米を入れ、卵、水、ササミ、ビーフジャーキーを入れると火をつけた。

 そして、紅坂は部屋を出ると、真っ直ぐ浴室に行く。服を脱ぎ、鍛えられた体躯を鏡に映す。

 タオルを持って、バスに入った。

 シャワーのノブを捻ると、冷たい水が流れ出す。その時点から紅坂は水を被っていた。少しの水も勿体無いとばかり顔を洗い、体を洗うと、蛇口を閉める。

 シャワーは、これで終わりだ。汗と老廃物さえ除けば、長く入る必要はない。

 タオルで寒気のする体を拭きながら、紅坂はすぐに服を着た。黒のパンツとぶかぶかに近いズボンを履いて、大きめの服を着る。

 浴槽から出たとき、鍋からコトコトという音がする。紅坂はふたを外すと、塩と醤油を入れて、火を弱火にして蓋をする。

「暇だ、な」

 紅坂が、思い出したように呟く。大学に入学してから約半年、その間は特に何も無く、自分の知っている事ばかりで、必要の無いことばかりやっている。

 両親には、一人暮らしを賛成されている。彼らも、紅坂が怖いのだろう。

「くっくっくっくっく………」

 ひとりでに笑いが込み上げてきた。今日の不良との抗争で思いだしたが、自分は強い。最初は明確な意思があって鍛えたのだろうが、今では何の意味も無く強くなっている。

 これ以上、俺が強くなって何をするのだ? 

総理大臣を目指すか? 

それとも世界征服でも企むか?

 どれも、興味を持てない。自分のするべき事ではないはずだ。

「じゃあ、俺は何をすればいいんだ? ………誰か、教えて欲しいもんだ」

 何度も考えた、自分の力の在り様。このまま社会に出て行っても、面白くない。しかし、やるべき事も見つからない。

 はっきり言って、生きている意味を見出せなくなってきた。

「いっそ、死んでやろうか」

 自分には、自分が死んだとき、悲しんでくれる人が一体どのくらいいるのだろうか。それすら、死んだ後のことなので興味が無い。

 鍋の音が変わった。出来たようだ。

「どちらにしろ、絶望的なのは変わりない」

 せめて、誰も自分に構うな――――そう考え、紅坂は鍋を持ち上げた。

 

 

 太陽が、極寒の空間である宇宙空間で、煉獄の焔を燃え盛る。それが、プロミネンスとして、多大なパルスを伴いながら弾ける。

幾億年もの間、何度も起きている現象。

 しかし、何の前触れも無く、過去最大といえる現象が起きた。

 観測史上最大――――――太陽が出来てから初めてと呼べるほどの、大規模なプロミネンスが、唐突に起きたのだ。それは遠くから見える太陽の形を大幅に変え、観測されたことの無い程の強力なパルスが、球状となって放射されたのだ。

 その殆どが、地球を逸れ、宇宙に拡散したが、たった一つ、本当に小さい球体が、地球に向けて飛んでいった。

 

 

 衝突は、十二時間後とされる。

 

 

 平成十八年十二月二十五日。

 紅坂は何時もどおり大学に出席した後、アルバイトを終え、家に帰るところだった。

 黒いコートに仏頂面がいつもよりきついように思える。会いたくも無い人間に会うのは、気が気で無い。今は火曜日なので、週末までは長い。 

 ―――――ふと、本当に偶然に寄り道がしたくなった。

いつもとは違う道、そこは河川敷を横にした、川沿いの道だった。夕暮れの茜色に染まった雪が、少しだけ赤を持つ。この景色が、柄にも無く好きだった。

ぼうっと、歩いていた。茜色の空が紫に染まっていく様を見ながら紅坂はしばらく振りの安泰を、感じられる。少しだけ、遅く歩く。

今日も、ありのままの人生が過ぎていった。暇だが、面倒くさい人生。

「違う所にでも、旅に出たいかもな」

 一人、呟く。その考えが、意外に良いような気がしてきた。外国語だって、英語なら流暢に話せるし、それ以外でも、それなり――――生活に困らない程度には話せるのだ。金など、旅先で貯めればいいのだ。

 そんな事を考えていると、急に暖かくなったような感じがした。それと同時に、耳鳴りのような音。そして、目眩。

 いきなり、明るくなった。それが余りに急な事で、何か分からなかった。とっさに見上げた空を見て、息を呑む。

 白い、白熱した光が、空を包んでいた。

 逸れに当たると同時に、体中の血液が蒸発した感じを受けながら、意識を失った。

 

 

 

 その後のニュースでは、こう伝えられている。

「十二月二十五日未明、突如発生した宇宙史上最大の球状パルスが、幾兆分の一の確率で、日本列島、奈良県奈良市に落ちました。被害は不明ですが、それを人体が受けた場合、脳障害を始め、様々な障害が予想されます。付近の住民は、外出を控え――――――」

 紅坂は、幾兆分の一――――――――いや、幾京分の一の確率に、見事当たったのだ。奇跡以上の、運命が、彼を試練へと飛ばした。

 

 


 







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