ヘンドルシを貫いた、確かな手ごたえを、レンカは感じていた。

 致命傷。レンカが持つランスは間違いなくヘンドルシの体を貫き、その一撃によって内部に損傷を負ったのか、ヘンドルシの口から吐血が弾け飛ぶ。

 そのまま、槍ごとヘンドルシを、隣のビルの壁に向け、突き飛ばす。槍に刺さった蜘蛛は、加速していく勢いをそのままに、壁へと突き刺さった。

 高速で飛来する自分の体は、屋上の外にある。箱型が吹き飛ばないことだけを祈りながら、レンカは手に持った『断ち切れぬ因果の糸』をしっかりと握る。

 カーブを超え、急に箱型が速度を落としていった。ぶん、と大きく振るわれた自分の体に驚き、思わず悲鳴をあげた。

 と同時に、制止――――たるんだ糸がそのまま、宙を泳ぐ。レンカの体もそのまま前に飛ばされ、ゆっくりと少しだけ上に浮かび――――前のめりに叩きつけられた。

「〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 声にならない、叫び。慌ててかけてきた研一と皐、二人の気配を感じながら、レンカは震えていた。

 震えが、止まらなかった。

 

 ジェットコースターの機体が、慣性によって大きく、外側に歪む。内側のレーンに張り付けられていた研一は、其れよりも早く中心に向かって自分の体を投げ入れていた。

 蜘蛛の糸に固定されていたので、落ちることは無い。それどころか車輪が其れを引き千切り、研一はそのまま地面に落ちていった。

「研一君ッ!」

「あ」

 丁度、操作室から飛び出してきた皐と行き会う。そのまま二人で、少しはなれた場所に飛び降りたレンカの元へ、駆け寄った。

 体が、震えている。恐かったのか、はたまた緊張が解けて恐怖が戻ってきたのか分からず、とりあえず研一が声をかけた。

「大丈夫か、レン――――」

「研一ッ!」

 研一の言葉が終わらぬうちに、レンカは研一の顔を抱きしめた。一瞬だけ、研一は言葉をなくしてしまったようだが、レンカは気にしない。

 そのまま、キョトンと眼を見開いている皐も、抱き寄せる。二人の身体を抱きしめながら、レンカは叫んだ。

「勝ったんだ! 私が、ヘンドルシにッ!」

 未だに契約を終えていない、この身で。自分よりもレベルが高い、あのヘンドルシに!

 その事実が、レンカにとって嬉しい事だった。嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。

 其れが伝わった二人も、目を合わせた後、笑った。レンカが嬉しいのは勿論、ようやく安全が確認されているので、気が緩んだのだ。

 

 

 ――――誰も、其れを疑いすらしなかった。

 

 

「喜ぶのは、まだ早いぞ? コラ」

 そんな、歓喜に震える一つの言葉が、その場に響く。ハッとしたレンカが二人をそのまま抱きかかえ、その場を飛びのいた瞬間――――黒い脚が、地面を抉った。

 蜘蛛の巨脚。其れを認めた瞬間、レンカは顔をあげた。

 壁に突き刺さっていたのは、自分の槍とヘンドルシ――――の下半身。

 そして、突然現れた蜘蛛の上には、人間に近しいヘンドルシと『王』の姿が、あった。

 そういえば、と研一は気がつく。まさか、ヘンドルシのような体で街中を歩くわけにも行かないのだから、人間に近しい身体を持っていても、おかしくないのだ。

 蜘蛛は、先日神社で襲ってきたものに近い。それに気がついた皐が震えた瞬間、レンカがスッと彼女を放し、研一へ押しやった。

 鋭い眼光。それでも今までに無い余裕を見せながら、レンカは口を開いた。

「やめておけ。お前の武装は打ち破った。武装も無しに、勝てるとは思っていまい?」

「う、うるせぇッ!」

 分かっているのか、ヘンドルシの声が震えている。それだけ、武器に対する割合が大きいのかもしれない。

 とはいえ、眼前の蜘蛛は、昨日レンカを倒したことがある。またもや分が悪いのか、と思った。

 が、意外にもレンカは、怯みもしなかった。不敵に笑みを浮かべると、スッと研一へ、手を差し出した。

「研一、剣を。………私は、大丈夫だ」

「………ああ」

恐らく大丈夫だろう、と研一も思ってしまった。

 レンカが、自信を持っているということは、分かる。其れが虚栄心ではなく、確信を持った力だということも、理解できた。

 何故かは、分からない。分からないが、レンカはもう、負けないのだ。

ヘンドルシが普通の男性と同じ能力しか持たないなら、直接的に殺す方法は少なくないはずだ。たとえ蜘蛛を使っているとしても、だ。

武器を持ち、鎧で身を固めているレンカのほうが有利だ。研一は素直にレンカの後ろの先にあるゴミ箱の陰へ、皐と一緒に隠れた。

「………本当は、使うつもりも無かったんだが」

 そう言って、『王』が手を振るった瞬間、ヘンドルシの身体に異変が起きた。

 ブワッと、体が膨張する。一瞬で膨れ上がったヘンドルシの体が黒く変色し―――破裂した。

 蜘蛛が、何体も現れる。分裂というよりは増殖―――五体に増えた蜘蛛は、瞬時に辺りに散らばった。

「殺す」

 殺気を込め、レンカを睨みつけるヘンドルシへ、レンカは不敵に笑みを深めると、剣を構えた。

「いいだろう。相手になってやる」

 炎を纏った刃を持つ刀剣を片手に、レンカは跳躍した。

 迎えうつ蜘蛛を一閃の元に、切り捨てた。蒼白い体液が吹き荒れるが、それを盾で遮り、次の相手へ向き直った。

 跳躍。その場を飛び退いた瞬間、蜘蛛の黒い体が先ほどまでいた場所に、突き刺さる。

 地面に足が付いた刹那、思いっきり前に跳躍―――体が交差する瞬間、蜘蛛の体躯を切っていた。

いける、とレンカは胸中で叫ぶ。

 蜘蛛は、動きが緩慢だった。もともと夜行性の昆虫だし、彼ら自身の戦闘能力は、その巨躯以外、皆無に等しい。

 吐き出す糸を注意深く避けながら、斬撃を繰り返す。巻き散らかす体液を鎧につけつつも、レンカが地面に剣を立てた瞬間には、蜘蛛は全滅していた。

「こんなものか? ヘンドルシ」

 余裕のレンカの言葉とは違い、ヘンドルシは苦々しい表情を浮かべていた。

(なんで、こいつがこんなに強えッ!)

 理不尽な、現実。事実なら自分のほうが圧倒的に強いはずなのに、なぜ今、自分はこうも苦戦しているというのだ。

 だが、まだ勝ち目はある。それをもくろんだ瞬間、レンカの表情が一変した。

 鎧に張り付いた体液が、白い糸となって固まっていた。鎧の接合部に掛かった所為か、左腕が動かなくなっている。

蜘蛛は捨て駒だった。奴らの狙いは、蜘蛛の身体の中にある体液でレンカを動けなくする事だ。

 しかし、レンカは怯みもしない。そのレンカの表情を見て、ヘンドルシは胸中で怒りを滾らせた。

「何だってんだよ! お前はよッ!」

 ヘンドルシは今度こそ苛立ったような声を、上げた。

「お前は、どうしてそこまで戦う!? 自分でも分かっているんだろッ!? 今回参加した奴らの中で、もっともレベルが低いお前が、勝ち進めるとでも思っているのかッ!?」

 ヘンドルシの言葉に、レンカはスッと眼差しを伏せた。

 確かに、自分は弱い。向こうの世界では落ちこぼれと言われ、仲間は愚か同族にすら相手にもされなかった。

「確かに、私は弱い。最低レベルで、勝てないかもしれない」

 だが、今は、どうだ?

 レベル六のヘンドルシを、確実に追い詰めている。契約している相手に、契約していない、『仲間』がいる自分が、だ。

だから、レンカは下をずっと、見続けなかった。真っ直ぐな眼差しで、相手を見ると、不敵に微笑む。

「だがな、不思議と今は、負ける気がしないんだ。自分でも、不思議だがな」

 なぜか分からないが、力が溢れる。今背中に感じる二つの意志さえあれば、負ける気がしない。

 ハッと鼻で笑い、ヘンドルシはレンカに近付く。そのヘンドルシの歩みに対して、レンカはそっと眼を閉じた。

(――――私は、炎ではない。小さな、小さな火だ)

 自分が炎など、おこがましい。

たとえマッチのような小さな火だとしても、燃やせる。今、自分には追い風が吹いているのだから、その小さな火だって、燃え盛るのだ。

 ヘンドルシが近付いた瞬間、一閃――――レンカの剣が、煌めいた。

レンカが唯一動かせる右腕で、握り締めた剣をヘンドルシの首めがけて振るう。一瞬早く反応したヘンドルシだが、その斬撃は思いのほか早かった。

 ザッと飛び退く。一瞬の間を置いて、ヘンドルシの首から一筋の血が流れた。

「………貴様!」

 ヘンドルシに宿る怒りを睨み返し、レンカは告げた。

「諦めるのは、もうやめた」

 一緒に歩いてきた男が、怒りの表情で叫んだ。

「この雑魚がッ! テメェ、みてえな玩具が、反抗するんじゃねぇ!」

 その言葉は駄目だ、とレンカはほくそ笑む。もう一つの小さな火に、油を注ぐようなものだ。

 期待に違わず、研一がその『王』を蹴り飛ばす。それに驚いたヘンドルシを、レンカは研一同様、蹴り飛ばした。

 ザッと、研一とレンカが二人、立つ。

 二人はそれぞれ、微笑んだ。

 

 

 

 ヘンドルシは、初めて円卓≠フ恐ろしさを、噛み締めていた。

 落ちこぼれの『フレイム・キラー』が、これほどまでに手強くなっている。契約しているとはいえ、得体の知れないその強さは、間違いなくあの男達から感じていた。

 契約以外にも、強くなれる。その強さが何なのか、ヘンドルシには予想も付かなかった。

(――――もう、俺は駄目だな)

 武装は砕け、使い魔の子蜘蛛は死んだ。『王』もあの男に脅えているし、勝ち目もない。

(でも、な)

 この戦い最弱の『フレイム・キラー』に負けたまま、生きて帰っても、笑い種にされるだけだ。

 円卓≠ノかける一族の思いは、強い。負けて帰って、帰る場所などないのだ。

 なら、これを使うしか、ない。

 

「王」

 訝しげな表情を浮かべる『王様』に対して、ヘンドルシは運命の言葉を口にした。

「『最終決戦奥義(ファイナルスキル)』、『奈落の地獄糸(ファムリア・ヘルフェル)』発動を、申請する」

 この言葉は、死の言葉。自分の身を犠牲にして、全てを終わらせる諸刃の刃。

 其れを聞いた『王』は、訝しげに口を開いた。

「其れをやれば、許可すれば――――やつ等を殺せるのか?」

「ああ」

 それは、間違いない。契約の時に聞いた其れならば、間違いなく殺せる。

 だから、頷いた。

「だから、『許可』をくれ」

 一緒に、死を。

「ああ」

 全てに、死を。

「『許可する』」

 男がそう告げた瞬間。

 死の花が、咲いた。

 

 

 異変は、ヘンドルシの顔から起きた。

 グポッという音と共に、口が膨らみあがる。眼が飛び出すほど見開き、膨れ上がる顔面。それに、『王』が駆け寄った瞬間。

 全てを飲み込む黒が、噴出した。其れは、『王』の顔に触れた瞬間、白い煙を上げ―――――削り取った。

 そして、絶命する。異界の戦士を手に入れ、好き勝手に暴れようとした男の野望が、此処で潰えた。

 

 

 そして、その球体は宙で、花咲いた。

 

 

 

 

「おい、あれなんだ?」

 群衆の言葉に、回りが慌てだす。傍観を決め込み、近くの縁石に座っているソウと、警察が退いたらすぐにでも突っ込もうとしていた美袋、少し上を見ていたアメーリアがそれぞれ、同時に顔をあげる。

 その先にあったのは、巨大な蜘蛛の巣の華。大きく広がった其れは、闇のように黒い色をしている上、間に広がっている空間ですら糸で塞がっていた。

 それをみたアメーリアが、初めて驚きの表情を見せた。すぐにソウに近づくと、腕を振るう。

「ソウ様、お下がりください。アレに触れてはなりません」

「………ほう」

 感心したように声をあげたソウは、腰を上げた。その蜘蛛の糸を見た人間も、本能的に距離を取り出す。

 そして、その蜘蛛の糸がゆっくりと落ち始め、建物に触れた瞬間。

 煙を立て始めた。そして、周りの雑踏が強まった瞬間、異変に気がつく。

「お、おいッ! 解けてるぞッ!?」

 美袋の叫びどおり、蜘蛛の糸が触れている場所から煙と共に、消えていった。其れと同時に落ちてきた黒い液体が地面に触れた瞬間、音を立てて溶け始めたのだ。

 絶叫が、辺りに木霊した。悲鳴とともに逃げ出す雑踏を眺めながら、ソウはアメーリアへ、口を開いた。

「あれが、例の『最終決戦奥義(ファイナルスキル)』か」

「ええ」

 そういいながらも、アメーリアには若干の驚きの色が見て取れた。今でも信じられない、と言った眼差しのまま、口を開いた。

「驚いたことに、レンカは契約もせずに、ヘンドルシを追い詰めたようです。これほどまで、とは………」

 アメーリアの驚きを見ながら、それでもソウは、表情を変えなかった。若干の時間が経った後、口を開く。

「ま、しかし、其れもこれからだな」

 ソウの言葉に、美袋が疑問符をあげた。

「は? どういうことだよ? 『最終決戦奥義(ファイナルスキル)』ってのは、何なんだよ?」

 未だに円卓≠フことを把握しきっていない美袋の質問に、ソウの眼差しに促されたアメーリアが、答えた。

「『最終決戦奥義(ファイナルスキル)』は、自分の身体に内包する全ての能力を、たった一度の攻撃に宿して放つ、その名のとおり、最後の攻撃です。その威力は絶大で、効果は終わるまで絶えません。あれは恐らく、全てのものを溶かしきらないと消えない、呪いの一種です」

「なッ! そんなの卑怯じゃないかよ!」

 話を聞いた美袋の感想は、その通りだった。ただでさえ人外の強さを誇っている相手なのに、その内包する力を全て打つのだ。効果は見ての通り、最悪に近い。

 しかし、アメーリアは表情を曇らせたままだった。その表情を見て、美袋も疑問の声をあげる。

「いえ、そうではありません」

 そう、首を横に振る。「ハァッ?」と疑問の声をあげる美袋へ、ソウは立ち上がりながら、答えた。

「アレの発動条件は、一つ」

 その眼は、厳しい。その見たことがないソウの眼差しに、美袋が言いようのない不安に包まれた瞬間。

 その言葉が、続いた。

「本人の死、だ」

 

 

 

 

 

 其れは、とっさにでた、としか言いようがない。空に黒い華が咲いた瞬間には、レンカが研一と皐を引き連れ、屋上の入り口へ駆け出したのだ。

 しかし、『糸』が邪魔で、向かえない―――そう判断したレンカは、研一と皐を放すと真下に眼差しを向けた。

 剣を引き抜き、力を込め。

「はああああああああッ!」

 撃ち降ろす。

 一撃の下に、分厚いコンクリートに穴が開く。ぽかん、とする皐と研一へ、レンカが叫んだ。

「急いで下へ!」

 レンカの言葉に従い、研一と皐が其処から飛び降り、レンカが飛び降りた時、回りから何かが弾け飛ぶような音がした。

 そして、熱湯が煮えたぎるような音。そして、天井に空いた穴から垂れ下がって来た黒い糸。

 ヤバイ、と直感で悟る。落ちて足を捻ったのか、うずくまっている皐を、慌てて引き寄せた。

「きゃッ!」

 皐が軽い悲鳴とともに、研一の腕の中に入った瞬間、何かが溶け出すような音が響く。

 その音に驚いた皐とレンカ、研一の眼には、床が溶け出している様子が映っていた。さらに、頭の上から響く発泡する音―――――レンカが、叫ぶ。

「外に逃げるぞッ!」

 十二階あるキクヤから、最低でも二階まで駆け下りるのが、最善の策だった。レンカの言葉に、皐を抱きかかえた研一が立ち上がって、階段の方にかけようとした瞬間。

「危ないッ!」

 目の前に、黒い糸が垂れ下がって来た。其れを認めた研一は、とっさに身を反転、その場を飛びのく。

 上を見ると、今も広がり続ける黒い穴―――逃げ切れない、と研一が把握した瞬間。

「すまん!」

 その言葉と共に、研一の足元が崩壊した。「へ」と素っ頓狂な声をあげた皐を抱きかかえた研一と、今まさに研一と自分の足元を破壊したレンカは、そのまま下の階の床を、壊す。

 二階分の高さから、研一は落ちた反動で足が痺れる。その痛みに耐えている研一の首根っこを、レンカは引き寄せた。

 息が、途絶え途絶えに聞こえてくる。もう一度、剣を振りかぶったレンカだったが、その腕にはもう、力が篭っていなかった。

「………ぐっ!」

 くぐもった声とともに振り下ろした剣は、今度は床を砕く事もできなかった。

「ッ! こっちだ!」

 レンカを引き寄せ、研一はその場を飛ぶ。レンカがあけた穴から黒い糸が零れ落ち、床に煙を立てる。

「か、階段は?」

 切羽詰っている状況は把握できているのか、皐が提案するが、研一は首を振った。

「そうしたいのは山々だけど、無理だよ。階段は、上が崩れてきたら助からなくなる。なにより、俺が間に合わない」

 その研一の言葉を表すように、遠くから何かが崩れ落ちる音が鳴り響いた。ズズン、という重い音と共に、其れが階段の崩壊だと、理解する。

 研一は隣のビルに視線を向けた。

 若干、距離が遠く、研一では届かない。皐をレンカに任せて脱出させるにも、移る場所がない。

 絶対絶命。その言葉が、研一に浮かんだ時、小さな声が、聞こえた。

「――――契約≠キれば、あるいは」

 その言葉に、研一と皐が、顔をあげる。ポツリと呟いたレンカは、一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべる。

しかし、すぐに真剣な表情を浮かべると、口を開いた。

「『ファイナルスキル』に対抗するには、『ファイナルスキル』しかない。いくら私とはいえ、あれならばどうにか――――」

「ふざけんな!」

 レンカの言葉に、研一が叫び返す。叫び声に、ハッとしたレンカへ、研一は鋭い眼差しを向けたまま、口を開く。

「死ぬ為なんかに、使うんじゃねぇよ! そんな、そんなこと――――」

「其れしかないんだ!」

 その叫び声は、研一のものよりも大きい。その言葉に眼を見開いた研一へ、レンカは真剣な眼差しを向けたまま、口を開く。

「敵は、自分の命を賭けて、これを放った。対するには、私も同じものを放たなければならん」

「でも――――」

 ――――言葉が、続かない。

 研一は、分かっていた。レンカは、絶対に退かないし、決めた事は必ず遣り遂げるのだ、と。

そのレンカの眼差しを見ていた皐は、気付く。彼女の眼差しは、研一の眼差しと同じもので力強く、そして頑なな物だった。

 若干の逡巡の後、研一は、口を開いた。

 

「レンカ、契約≠オよう」

 

 蒸発と発泡の音でざわめく周囲の音に対して、研一の言葉は不思議と、通った。其れを聞いたレンカは、驚愕の表情を浮かべながらも、すぐに表情を緩めると、口を開いた。

「ありがとう、研一」

 レンカは、覚悟していた。恐らく今回の円卓£、最弱の力を持つ自分と契約してくれる人間など、居ない。いるとしたら、優しすぎる研一だけだろう、と。

 なら、その者のためにこの命を投げ出すのも、悪くは無い。

 助けてもくれなかった元の世界の周囲の者よりも、あれほど恋焦がれた神様への道よりも、研一と皐を助けることが出来るという事を、レンカは誇れるような気がした。

(――――ああ、そういうことか)

 そして、気がつく。自分が徐々に、人間に憧れ始めているのだ、と。

 そして、待っていたのかも知れない。研一が契約≠オてくれるよう、切り出してくれるのを―――彼を、助けられる場面を。

 しかし、自分は弱い。

弱い『従者』が『王』を護れるとは思えない。なにより、彼は争いを好まないほど、優しい性格だし、今の状況だって、自分が巻き込んだようなものだった。

その優しさを利用して、何が得られるというのか。

得られる物がないのであれば、それを護ろうではないか。

 しかし、予想外にも研一は怒りの口調で、告げた。

「君は弱くない。は、知っている」

迷う暇も、ない。

「け、研一。眼を閉じてくれ」

 迷う暇もないのだが―――――恥かしい。

 レンカの言葉に、研一は小首をかしげながらも、目を閉じた。其れとほぼ同時に真上の発泡音、そして蒸発音が鳴り響く。

「早く!」

 研一が慌て、そう叫ばれた瞬間だった。

レンカは、自分の思うまま、行動した。

(すまん、研一)

 心臓が、跳ね上がる。顔がありえないほど紅潮しているのが、触れなくても分かった。

 

 契約≠ヘ、簡単だ。誓いの口づけを、思うままの場所にすればいい。

 

 口づけ――――そう思った瞬間、熱に浮かれそうになる。茹で上がったような自分の顔がどんな有様なのか分からないレンカは、静かに研一の顔へ、そっと手を添えると、眼を閉じた。

 そして、そのまま研一の額へ、自分の顔を――――

 

 

「駄目ぇッ!」

 

 

 柔らかい感触が、唇に伝わった。

 

 

 

 

 自分でも、何でそんなことをしたのか、分からないんです。えっと、その、混乱していたのかも、知れません。

 でも、研一君が、レンカちゃんと、その、………キ、キスするのが、凄く、恐かったんです。

 だ、だから、その――――ごめんなさい。

 

 

唇。焼けるように熱いそれは、まるで電流のように身体を駆け抜け―――――――――研一の視界に映ったのは、炎だった。

 舞い上がる炎。それは、研一を覆い隠すと大きく燃え上がり、風を巻き起こした。

 

 赤―――身を照らすその色の中心で、それはあった。

 宙に浮かぶ紅い炎。それが収束し、何かを作り上げる。

 紅い、翼。翼を燃したその紋章は、厳かに存在した。

 そして、声が聞こえてくる。

『我は紡ぐものなり。汝らのつながりであり、父であり、母であり、夢であり、死であり、希望である。問おう――――全てのものへ』

 そういうと、紋章は大きく燃え盛る。しかし、思考はそちらにもこの事象にも向いていなかった。

『何を望む?』

 そう問われ、レンカの契約者――――――如月 皐は、口を開いた。

「えっと………特にないです」

 そう、皐が答えた瞬間、静寂が訪れた。紋章が困ったような雰囲気を醸し出した瞬間、大きく燃え盛る。

次の瞬間、視界が開けた。

 

 

「意識領域投影。ラルトルア#ス映」

 視界には、部屋が戻っていた。今まさに天井が崩れ落ちそうな刹那の中、立っていたレンカの身体に、炎が纏わりついていた。

 サッと手を天井に挙げる。その腕の先で炎が収束し、弾け飛んだ。

 ランス。ヘンドルシを貫いたその馬上槍は、今までの壊れていたものではなく、刀身も煌びやかに、そして輝いていた。

 研一の前髪が、ちりちりと音を立てる。額に触れた瞬間、焦げ付く音がはじけた。

 彼女が、手のひらで顔を覆う。炎が巻き上がったと思った瞬間、それが弾け飛び、現れたのは、鎧の兜だった。

燃え盛る炎をたてがみに、砕けた鎧が光をともない、再生していく。

 圧倒的な炎の中、レンカが叫んだ。

「フレイム・キュルト=w煉獄の一撃』の発現を進言する!」

 睨み付けるような彼女の視線に、研一はギョッとし、――――彼女は叫んでいた。

 

「『許可』します!」

 

 次の瞬間、視界に広がったのは、炎だった。

 

 

 

 

 異常な高揚感が、身を焦がす。いまだかつて感じたことの無い充実した気持ちが、その場に具現化しているような気さえした。

(………これが、契約=\―――物凄いマナ≠セ)

 自分の身体に彫りこまれた聖痕≠ゥら、炎が巻き起こる。折れていた槍に光の粒子が伴ったと思った瞬間には、復元した。そして、覚悟を決める。

 自分の法具―――ラルトルア=B精神世界の奥に潜めておいた防具を聖痕≠ゥら具現化し、それを被る。

 

 しかし、納得がいかない。

 

(私は、研一を――――)

 レンカの契約者は、皐だった。皐の右頬には、契約者の証である聖痕≠ェ高校と輝いていた。

 研一に口づけする瞬間、彼女が割り込んできたのだ。ハッとした時にはすでに時遅く――――契約は、成された。

 苛立つのが、自分でも分かる。其れと同時に安堵している自分を否定するように、『王』へ、叫んだ。

「フレイム・キュルト=w煉獄の一撃』の発現を進言する!」

 伝わったかどうか、一瞬迷い、睨んでしまう。が、すぐに叫び声は返って来た。

「『許可』します!」

 槍を構え、盾を添える。馬上槍と呼ばれる円錐を伸ばした槍の途中にある四つの噴射口から、火が走った。あまりの火力に、辺りが紅く燈る。

 突然の大火力に研一が驚いて振り返った瞬間、レンカは真下に槍を向け、急速に加速した。

 文字通り、火達磨。その突進はスピードを落とすことなく、重力でさらに加速し、分厚い足場を貫いていった。

槍の切っ先が、地面に突き刺さった瞬間、炎が燃え盛る。すぐにレンカは上を向くと、落ちてきた研一と皐を、抱きかかえた。

 そして、その槍が通りすぎた後には、炎の燃え滓と焦げた地面以外、何も残っていなかった。

 炎の通り道―――その中心で、レンカは立っていた。

 研一と皐を降ろすと、彼女は震え―――――

「え?」

「………皐ッ!」

 皐を、睨んでいた。研一にすがってたつことしかできない彼女は、やや引きつったような表情を浮かべながら、両手を振るう。

「あ、その、えと………ごめんね?」

 其処でようやく、研一は気がついた。

「あ、皐さんと契約≠オたんだ」

「私は契約するつもりはなかったんだ! 其れを、其れをッ………ッ!」

 今にも泣き出さんばかりに震えるレンカに、研一は苦笑するしかなかった。皐は謝りながらも、どこか安堵しているようだ。

 しかし、と研一は思う。

 十階から一階まで貫いた、レンカの一撃は凄まじい。

 炎殺し≠ニいう異名、それは、彼女自身に炎を相克する能力があるが、それが彼女自身にも起きている事に由来していた。

つまり、自身の炎の威力が、自身の能力で半減しているという事象――――自分の能力を制御できていないという力不足の顕現だ。

 しかし、今の彼女にそれは起きていない。其れがどういう意味を持っているのか、研一は勿論、レンカも分からない。

 色々といいたい事はあるが、レンカは言葉を区切った。スッと表情を戒めると、しっかりとした表情のまま、口を開く。

「とはいえ、これで準備は整った。契約≠フ儀で聞いた私の『ファイナルスキル』ならば、あの糸もどうにか掻き消せるだろう」

 そういい、上を見上げる。他の糸に引っ張られ、今は落ちてこないが、蜘蛛の糸は迷いもなく一階ずつを確実に、消滅させていった。

「もういいだろッ! このまま外に逃げたほうが――――」

「駄目だ」

 研一の言葉を、レンカは断ち切る。真剣な表情を真上に向けたまま、レンカは口を開いた。

「あれは呪いだ。それほどの範囲ではないとはいえ、あれが地面につけば、此処は何も産み出せない、死の大地になりかねない」

 呪い、という言葉に、研一は言葉を無くす。それに、とレンカは言葉を続けた。

「入り口は、ヘンドルシの糸で固められている」

「嘘だろッ!?」

 レンカの言葉通り、入り口はヘンドルシの糸で、白く固められていた。はっきりとわかるぐらい、何重にも重ねられた糸は、そう簡単に貫けない。

 しかし、今のレンカなら貫ける―――が、レンカにはできない理由があった。

「もし仮に、私があそこを攻撃したら、外にいる人間に被害が及ぶ。術者が死んでからどのくらい続くか分かりかねるが、犠牲が出るようであれば、私は其れを許すわけには行かない」

 そういい、レンカは研一と皐へ、視線を向けた。

「………皐、いや、『王』。ほんの少ししか付き合いはありませんでしたが、貴女も人間らしい存在でした。そして、研一」

 兜から覗く、レンカの紅蓮の眼が、研一を捕らえる。研一と視線が合うと、不敵に笑った。

 

「初めて会った人間が、研一でよかった。ありがとう」

 

 それに、研一が言葉を返すよりも速く、レンカは槍を構える。轟ッという唸りと共に噴出した火炎が、今貫いた壁に燃え移り、炎の勢いが増した。

 あまりの熱気と風圧に、腕で顔を遮っていた研一へ、声が響く。

「さ、『再燃』です」

「『再燃』ッ!?」

 口を開いたのは、皐。皐は、研一の腕の中で、しっかりとした表情のまま、口を開いた。

「炎属性の攻撃を二回同じ軌道で行った場合、攻撃力が増加するんです! 彼女は、炎の力がまだ弱いからッ!」

「これが狙いかッ!」

 今、レンカがどうして下に向けて攻撃を放ったのか、理解できた。

 契約≠オたとはいえ、レンカは落ちこぼれなのだ。炎の力も、実力も、まだまだ足りないのである。

 だから、『戦闘能力(バトルスキル)』で、補う。さらに其処に『ファイナルスキル』が加われば――――相打ち以上の威力は、出せるのだ。

 しかし、それにはレンカの死が、纏わり付く。どうにか研一が近付こうとした瞬間、脚に何かがしがみ付いた。

 皐。彼女は真剣な表情を浮かべると、叫んだ。

「危ないです! 今はもう、完全に炎の力を解放しているんです!」

「でもッ!」

 どうにかして、レンカを退きとめようとする研一へ、皐は叫んだ。

「レンカちゃんは今ッ! 初めて護れるんですッ!」

 その言葉に、研一は動きを止めた。

 契約≠ニいうのは、あらゆる情報を共通する事ができる。全部ではないとはいえ、契約者と『従者』は一定の感情を読み合う事ができるのだ。

 彼女は、レンカの気持ちを知っている。無論、命を賭けてでも護ろうとしているものが何なのか、理解しているのだ。

 だから。

「『灼熱の煉獄(エグ・ゾード)』、発動を申請すッ!」

 応えるのだ。彼女の、気持ちに。

 ありったけの声を、気持ちを込めて。

「『許可』します!」

 

 

 

 ―――――爆炎が、舞い上がった。

 

 

 

 私は、火でしかない。炎なんかでは、ない。

 小さな、小さな、ほんの少しの風で掻き消えるような、小さな火。

 でも、もう一つの火種があれば、炎に成れる。追い風があれば、燃え上がることが出来る。

 この身に、誇ろう。私は、初めて護りたいと思える者に出会え、其れを護れる力を手に入れたのだ。

 この身を焦がすのは、想い。この身を焦がすのは、復讐ではなく、守護の魂。

 視界に移るのは、いくつもの断層がある建物と、夕闇に染まった空を隠す、黒い蜘蛛の糸。

 因果の糸を、今まさに、燃やし尽くす。

 体の奥底から、指の先まで炎が巻き上がり、身を焦がす。ランスを静かに構え、大きく息を吸い込み、構えた。

 そして、口を開く。

「『灼熱の煉獄(エグ・ゾード)』、発動を申請すッ!」

 私は、横を見た。何かを叫んでいる研一と、其れを必死に抑えてくれる我が『王』。今この瞬間だけ、貴女が『王』であってよかったと、心から思う。

 そして、不意に―――何かが蒸発する音が、耳に届いた。

 ―――――なんて事はない。私は、泣いているのだ。別れたくなく、そしていつまでもいたいと思える人物から、離れていくのだから。

(これで、少しでも繋がっていれば、嬉しかったんだが、な)

 何となく、自分の『王』が憎い。そんなことを考えたと同時に、言葉が返ってくる。

「『許可』します!」

 ああ、許可が下りた。

 なら、私は滅しよう。私が護りたいもの達へ、ほんの少しでも被害を及ぼそうとする、全ての物を。

 自分の体が、炎と化した。

 

 

 

 

 

 

 その日、其れを見た人間は、数多いた。

 キクヤ、と呼ばれるアパートで謎のテロが起き、新しい生物兵器とも噂される消化液が其れを包み込む中、噴出した火柱。

 其れが、黒い糸をすべて飲み込み、吹き飛ばした。その威力は凄まじく、半径二〇m以内のビルのガラスが全て罅割れ、近辺のビルに衝撃が走ったほどだった。

 そして、見た人間は、こういう。

 あれは、翼だった、と。

 

 

 

 

 

 我は、炎。

 

 全てを滅ぼす槍であり、全てを包む翼である。全てを消し、生み出すものは、灰のみ。

 

 我は、炎。

 

 全てを生み出す母であり、全てを滅ぼす父である。幾度の文明が炎と共に生まれ、幾度の文明が炎で消えていく。

 

 我は、炎。

 

 たった一つの、小さな炎だ。

 

 そして我は、誇ろう。

 

 破壊のこの力で、護りたいものを護ったのだ、と。

 

 

 

 

 

 


 




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