――――もし。

 外で待っているソウがアメーリアを引き連れ、デパートに入っていったのであれば、彼はここに居なかったかもしれない。

 ――――もし。

 レンカがあの時、ほんの少しの弱さを見せなければ、ここに居なかったかもしれない。

 

 なら何故、ここに居るのだろうか。

 正直、研一にも分からない。一階に近付くに連れ、後ろ髪が引かれる思いに駆られた。

 だから、進み出た。

 恐い。

 目の前に存在するのは、実在するとは考えても居ない、3mの異形。今まさに自分に蹴り飛ばされ、睨みつけてくる男の目には、明らかな狂気の色が宿っている。

 正常な人に、恐怖を与える存在。畏怖と恐れを感じさせ、身体を竦ませてしまう、非日常の権化。

 対する研一は、全く自分の力も持っていない、いたって普通の人間。

 ソウのように三回行ったことを完璧にこなすような才能も無ければ、戦闘に関する才能もない。才能があったためしも無ければ、何かを探そうとした事もない。

 結局、「ない」人生だ。

「だから、どうした」

 階段を下り始めた頃、研一が口にした言葉が、其れだった。

 ヘンドルシとその『王様』は、何の罪もない皐を襲うだけではなく、人質として利用しようとしている。その事実だけで、十分だった。

(………俺は逃げ「ない」)

 「ない」だらけの人生なら、そう生きてやる。「ない」のなら、「ない」まま、無理やり突き進んでやる。

 たった一人の、好意を向けている存在に対して、何も出来「ない」のなんて。

 たった一人の、弱みを見せてくれた存在に対して、助けられ「ない」なんて。

 

 そんなのは、嫌だから。

 

 そして何より、一生懸命に戦おうとしているレンカに対して、嘲笑った存在に対して。

「俺が相手だ」

 宣戦布告を、告げた。

 

 

 

 

「帰るぞ」

「………はい?」

 突然、ソウはそう切り出し、踵を返した。訝しげに振り返るアメーリアは、その言葉が本気な事に気が付く。

たとえ何があっても、彼は振り返る事も無い、というのを理解した。

 しかし、目の前に起きていた状況は、其れを許してくれるような、生易しい状況ではなかった。

現状は、最悪にちかい。

唯一戦えるレンカは『断ち切れぬ因果の糸(グロール・フォーチュニア)』に捉えられている。たとえアメーリアでも、あれほどの糸に絡まれては満足に動けないし、人質がとられては、若干手間取ってしまう。

とはいえ、負ける気もなかった。レベル六ごときが、レベル八の自分に勝てるわけがない。

しかし、今は研一という、ソウ自身が認める親友が、危機に陥っているのだ。今はまだとはいえ、もうすぐそうなるのも、時間の問題である。

 それでも、ソウは立ち止まらなかった。その背中へ、アメーリアは問いかけた。

「どうしてですか? 状況は最悪ですが………」

「状況は最悪でも、アイツは負ける」

 そう、迷いもなく断言する。

そのソウの根拠が分からず、訝しげに思っているアメーリアへ、ソウは不敵に告げた。

 

「俺が世界でもっとも敵に回したくない相手の逆鱗に、触れたんだからな」

 

 

 

 

 

 研一は、サッと辺りを見渡す。

 観覧車の箱型の一つに、蜘蛛の糸に絡まった皐の姿がある。やや後ろには動けないレンカの姿があり、その顔には驚愕の色が張り付いていた。

 そのレンカが、叫ぶ。

「何をしているッ! 研一ッ!」

 明らかな怒りの声に、研一は少しだけ顔を向けると、無理やり笑みを浮かべた。

「何って、君の言葉を聞か「ない」だけだよ」

 そういいながら、研一は視線をまわりに向けた。お目当てのものを見つけると、視線を横に向けた。

 今まさに、ヘンドルシが自分の『王様』に近付いていったところだ。ヘンドルシの毛むくじゃらの脚の一本を掴みながら、『王様』は口を拭った。

「クソッ! ただの人間の癖にッ!」

「てめぇも一緒だろうが」

 そう吐き捨て、研一は隙を窺う。圧倒的な立場に居る『王様』独特の、威張り腐ったような性根を垣間見ながら、研一は静かに体勢を立て直した。

 左足に体重を乗せ、一気に駆け出す。

 一瞬の行動で、眼を瞬かせる『王様』に、どこか余裕ぶった笑顔で状況を見据えるヘンドルシのそれぞれを置いて、研一は飛び込んだ。

 滑り込むように研一が飛び込んだのは、観覧車の操縦室。

様々なスイッチがザッと並ぶ中、稼動ボタンを押し込んだ。

 

 

 皐が眼を覚ましたのは、研一がボタンを押したのと、ほぼ同時だった。

重い音を立て、震動する壁に、白い何かで貼り付けられた状態であることを自覚するのに、数十秒かかる。

 そして、研一が―――雰囲気は、随分変わっていたが―――自分に向かって駆けて来るのも、ほぼ同時に認識できた。

「え?」

 自分の体が、丁度観覧車の扉に張り付けられているのだから、混乱するのは当然ともいえる。しかも、現状がおかしいのだから。

 蜘蛛のような下半身を持つ異形と、男の向こう側に、研一がいるということ。

 そして、彼は真っ直ぐ、皐のほうに走っているということ。

 混乱しないほうがおかしい状況は、まだ変わり続けていた。

「うおッ!?」

 ガコン、という重い音と共に、レンカの体が揺れた。ヘンドルシが「ちッ」と舌打ちすると『王様』を抱え、その場を飛びのく。

ゆっくりと動き出し、徐々に加速していく観覧車――――その中で、皐が張り付けられている箱型へ、研一は全力で駆け寄った。

「うおおおおおおおおッ!?」

 その横を、どんどん引っ張られていくレンカがついて来た。観覧車に張り付いていた糸に引きずられているようだが、その糸は研一にも見えないので、滑稽である。

 皐の張り付けられているドアを、思いっきり開け、自分も身体を滑り込ませた。次いでレンカが乗ろうとし。

 

「定員オーバー」

 

 研一の言葉が、其れを遮った。

 

「何ッ!? 定員とは――――」

 何かをいうより速く、上昇を始める観覧車。外で何かを叫ぶ声が聞こえてきたので、研一は身を乗り出した。

「け、研一! このままでは私は宙吊りに――――」

「剣借りるぞ? レンカ」

 返事も聞かずに、蜘蛛の糸に引きずられている彼女の愛剣を手繰り寄せる。その様子に素っ頓狂な声を上げたレンカを無視し、研一は剣を手に視線を中に向けた。

 目の前には、眼をキョトンとさせている、皐の姿があった。とりあえず手に持ったレンカの剣で彼女の蜘蛛の糸を、丁寧にはがしていった。

「け、研一君?」

「そうだよ。皐さん、どこか怪我は無い?」

 研一の言葉に、いまだ状況がつかめていないようだが、とりあえず頷き返す皐。彼女の返答に満足した研一は、そのまま扉を外に押し出すと、視線を眼下に向けた。

 其処には、なにやら恨めしそうに見上げてくるレンカの姿が在った。糸自体は見えないので、彼女が浮いているようにも見えるが、彼女自身は其れが面白くない様子である。

「と、いうわけで。レンカ、頭は冷えたか?」

「――――ッ! 逃げろといったではないかッ!」

 研一の言葉に、怒りの言葉を返すレンカへ、研一は大きくため息を吐くと同時に、眉間に皺を寄せた。

 そして、言ってやる。

「助けに来なかったら、どうなってたんだか。とにかく、手伝うから」

 研一の言葉に、レンカが息を飲むのが分かった。若干口調が変わっている研一の事も聞きたいが、今は其れを言っている場合ではない。

 なので、強い口調のまま、言い放った。

「そんな危険なこと、させられるかッ!」

 強情だ、と研一は苦笑する。彼女のこういうところは嫌いではないが、其れとこれとは別だった。

 理由はどうあれ、彼等は研一の逆鱗に触れたのだから。

 観覧車は、ようやく稼動が終わったのか、急激な加速も終わり、ゆっくりと昇っていた。眼下にいるヘンドルシ達は移動したのか、姿は見えない。観覧車に乗っているところを襲うつもりは無いようだ。

「け、研一君!」

「まって。今、解放するから」

 やや口調を押さえて、研一は眼下にいるレンカへ、口を開いた。

「君の【王】になるつもりは、ない」

 それは、拒絶の言葉だった。その言葉を聞いたレンカは、ほんの少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに眼を伏せると、自嘲めいた笑みを浮かべた。

「そう「でも」―――」

 レンカの言葉を、区切る。

その言葉に驚いて顔をあげたレンカは、前を真っ直ぐ見据えている研一の姿を、見た。

ようやく傾き始めた日の光を後光に、迷いなく力強い眼差しを向ける研一――――その姿を見て、レンカは息を飲んだ。

そして、研一の口が動いた。

「でも、君を助ける事はできる」

 それが、研一の答えだった。

 研一は、レンカの剣を片手に持つと、皐を手招いた。

「さ、行こうか」

 その姿はまるで―――――騎士に見えた。

 

 

 

 

 研一と皐は、一週廻って降りてきたタイミングを見計らい、レンカを縛っている糸が在るところに剣を振るい、皐と一緒に飛び降りた。

 二階と同じ高さから、皐を抱きかかえて飛び降りた所為で脚が痺れたが、復活するまでヘンドルシは姿を見せなかった。

 レンカ自身は、突撃槍(ランス)を引き出すと、其れを構えた。剣を返そうとした研一へ、レンカは若干ぶっきらぼうに答える。

「研一に貸しておく。銘は無いが、なかなかの業物だ。研一でも、扱えるだろう」

「………なんか、怒ってない?」

 言葉に若干の棘を感じた研一の呟きに、レンカは笑顔で頬を引きつらせながら、答えた。

「怒ってなどいないぞ。けっして、高い場所が恐かったわけでは無いからな」

 そういいながら、レンカは研一に引き寄せられている皐へ、視線を向けた。

「どちらにしろ、彼女を中に入れておかなければ、な。此処は、危険すぎる」

 レンカの言葉に、研一は頷いて答えた。

「そうだな」

「え?」

―――――レンカと研一が、動きを止めた。

 素っ頓狂な声を上げたのは、皐自身だった。二人から驚きの視線を浴びている皐は、シュンと成りつつも、おずおずと口を開いた。

「で、でも、また襲われたら………」

 皐は一度、ヘンドルシに襲われているので、恐いのかもしれない。その言葉を聞いたレンカは、ハッとしたように表情を変えると、顎をさすりつつ、口を開いた。

「――――そうだな。逆に、此処の方が安全かもしれない」

「レンカ!」

 皐を危険な場所におきたくない、という考えの研一に、レンカは真剣な表情を向けて告げた。

「ヘンドルシが何処にいるか分からない今、此処で逃がしてもすぐに捕まってしまう。今度こそ、捕まったら終わりに近いからな」

 真剣な眼差しをジッと見つめていた研一は、やがてため息を吐くと、

「………わかった。レンカ。皐さんをきちんと護ってくれよ」

 研一の言葉に、レンカは頷く。次いで視線を皐に向けると、彼女も力強く頷いてくれた。

 なぜ皐が此処に残ると言い出したか分からないが、確かに眼を離した瞬間、襲われる可能性もある。実質、レンカしか戦えない今、離れ離れになったほうが危険だろう。

 とにかく今は、此処を脱出するのが得策だ。その旨を伝えると、二人も頷いた。

 入り口を、見た。此処からならそう離れていないので、レンカが行こうとしたが、研一が其れを引き止める。

「あの見えない糸が張り巡らされているはずだ。なら、向かうのは非常口だろ」

 そういい、丁度反対の隅のほうにある非常口を指差す。皐を引き連れ、そちらのほうに走り出す研一の背中を、レンカはどこか納得いかない様子で見ていた。

「………私のほうが強いんだが、な」

 釈然としないまま、彼女も走り出した。

 

 

 

 

「ソウ!」

 《キクヤ》入り口付近、空中通路の階下に歩いていったソウは、その叫び声に脚を止めた。

 駆け寄ってきたのは、美袋だった。人混みを掻き分けて駆け寄ってきた彼女は、ソウとアメーリアを見ると、叫び声をあげる。

「何だってんだよ! これは! これも円卓≠ニやらかッ!?」

「ああ、そうだ」

 察しが良い美袋に感心しながらも、ソウは答える。切羽詰っている状況なのに、その軽い口調を聞いた美袋が、叫び声をあげた。

「そうだ、じゃねぇだろうが! さっさと皐を助けに行ってくれよ!」

 現状を打破できる存在は、ソウしかいない――――その美袋の言葉は、アメーリアも正しいと思っていた。

 しかし、自分のマスターであるソウは、不敵に笑うと、口を開いた。

「あそこには、昨日の騎士と研一がいる。しかも、キレてる、な」

 その、アメーリアとしては全く意味を持たない情報に。

「――――マジかよ? 研一が、か?」

 美袋の顔色が、変わった。ある程度考えを張り巡らせるような表情を浮かべた後、美袋は真上を見上げた。

 そして、視線を戻した時に彼女の顔に宿っていたのは、怪訝そうな表情だった。

「お前は、大丈夫だって、判断したんだな?」

「ああ」

 即答する。その言葉に、大きくため息を吐きながら、美袋はその双眸をさらに険しくしていった。そのまま、口を開く。

「………お前、研一を巻き込むつもりか」

 アメーリアとは違う心配の言葉に、ソウは不敵に微笑むと口を開いた。

「さあな。少なくとも――――」

 上を見上げ、言葉を紡いだ。

「あいつが参加すれば、面白くなるのは必須だな」

 それは、迷いもない、力強い言葉だった。

 

 

 

 

 

 研一とレンカ、皐は、園内施設の影を縫うように、慎重に歩を進めていった。

 ヘンドルシの『察知』できない糸対策に、近くにさしてあったポールを引き抜いて、前に大きく振るいながら、進んでいた。
『察知』できないので其れほど効果は無いかもしれないが、何もしないよりはマシだった。

 やがて、ジェットコースターの入り口に付いた時、研一は眼前の光景に、舌打ちをした。

「………やられたな。これを作るために、襲ってこなかったのか」

 ジェットコースターは、屋上園内を囲むようにコースが設置されている。その外側にある非常階段までは、どうしてもそのコース下を通らなければならないのだ。

 しかし、目の前には浮いている空き缶の姿が、あった。見つかってもいいようにわざとらしく浮いている空き缶を見て、研一は舌打ちをする。

 恐らく、レンカが屋上に駆けつける前に、この包囲網を作っておいたはずだ。入り口は屋上園内内部にあるので、今封鎖すれば良い。

 つまり、逃げるにはジェットコースターのコースに出て、外のフェンスを伝って降りるしかないのだ。

 しかし、コースはその場所の関係上、発着場しか昇るところがなく、しかも見通しが良い。

 そして、丁度その時、その存在を見つけた。

「………あそこか」

 勝利を確信しているのか、コースの中腹―――丁度、非常口の前辺りのコースで仁王立ちしているのだ。

 『王様』は、コースの外側。あそこなら、レンカの直接攻撃は全て、『糸』が防いでくれる上、非常口に近いので、脱出も容易である。

 それらを見て、研一は思考を開始した。

(さて。問題は、あのヘンドルシとかいう奴だ………)

 『察知』できない糸はもとより、普通の糸ですら人間一人ではどうすることも出来ない、強固なものだった。外側からなら容易に剥がせるが、内側からは絡まってしまい、難しい。

「私が正面突破「出来なかっただろうが」―――むぅ」

 騎士道精神からか、正面突破を提案するレンカを、一言で切り捨てる。

 レンカの言う正面突破は、実をいうとかなり効果的なものだ。色々策略を練っていたとしても、正面から挑んでいけば、その時々に解決策が講じられるし、対処できることも多い。

 とはいえ、其れは実力が拮抗、もしくは勝っている事が前提だ。名実ともに勝ち目がない以上、此処は絡み手で勝利するしかない。

 なら、利用するのは――――文明の利器だ。

 ジェットコースター。

 屋上園内ということで、かなりの小規模とはいえ、時速百キロは軽く出る。あの質量でその速度でぶつければ、いくらヘンドルシとはいえ、ただでは済まないはずだ。

 問題は、どうやって当てるか、だ。

 ヘンドルシはその巨体に似合わず、意外に機敏だった。さらに、蜘蛛の特性である、何処でも張り付けるという特徴を持っている。

 普通に走らせても、絶対に当たらない。逆に、逃げる時に危険性が増すばかりだ。

 しかし、それ以外に方法は、思いつかなかった。

 そして、研一は――――自身が持っているポールを見て、ある作戦を思いついた。

 二人を手招きし、身を低くする。訝しげに顔を近づけてきた二人へ、研一が口を開いた。

「作戦を、説明するぞ」

 研一の説明に、二人が声を上げなくても、驚くのが分かった。声を上げないだけ上出来、と感心しながら、研一も立ち上がる。

 レンカの剣を持ち直しながら、研一は顔を彼女に向けた。

「これは、君が信じてくれなければ成功しない。さらに、危ないし、命懸けだけど―――――それでも、やるか?」

「それは! 私ではなく、研一が決めるべきだろう!」

 研一の言い出した作戦で、もっとも危険なのは、研一だった。それに比べれば、他の二人は安全なように思えたのだ。

 しかし、研一は首を横に振った。

「危険なのは、君だ。知らない上に、全く責任感のない相手に命を掛けるんだから」

 研一の言葉に、レンカは眼を見開いた。

 しかし、すぐに表情を戒めると、自分の槍を引き抜くと、斜め下に向けた。

「研一。剣を、前に」

 レンカの言葉に、研一は訝しげな視線を向けたが、疑問を深める事もなく、その促された行為を行った。

 その研一の持つ剣の前で、レンカは槍を横にし、自分の肩の場所までむけると、降ろす。丁度、研一の剣がレンカの肩に当たるといった様子だった。

 レンカは、其処まで促すと、眼を閉じた。

 そして、小さな声で、はっきりと言霊を紡いだ。

「我は騎士。今此処に、剣の誓いを立てよう。護るものには勝利を、破るものには敗走を。偽りとはいえ汝をひと時の【王】と崇め、我が武を持って信を置き、答えよう」

 それは、誓いの言葉。騎士が自分を従える【王】に対して向ける、絶対的な忠誠心を誓う言葉だった。

 そして、レンカは眼を開けると、真剣な表情のまま、研一へ告げた。

「研一は、私を護ってくれた。この身、一時的とはいえ剣と化して、従おう」

 騎士らしい、自分の忠誠心を示したレンカに対する、研一の反応は――――。

 


「そんなもんいらん」



 そんな、冷めた様子の半眼の眼だった。拍子抜けしたレンカと、キョトンとした皐の二人を見て、研一は不敵に笑う。

「言っただろ? 君の【王】になるつもりは無い。俺が成りたいのは、君を助けることが出来る――――【仲間】だ」

 彼が望んだのは、忠誠心を盾に従える『従者』ではなく、苦楽を共にすることが出来る【仲間】だった。

 研一では、レンカを従える【王】にはなりえない。これは本人が認めることだし、レンカも其れを望んではいない。

 だが、研一は違っていた。引き連れていくのではなく、共に歩みたい、と思っているのだ。

 その研一の本心に触れたレンカは、眼を見開いた。

 自分はまた、研一という存在を違えていたのだ。勇ましい今の彼も、どこか気弱そうで流されやすい研一のどちらも、研一なのだ、と。

 そして、レンカはそれに答える。

「ああ。やろう。私も、研一を信ずる。【仲間】として、な」

 それは、確かな絆だった。

 

 

 

 

 ヘンドルシは、現れた存在をみて、少なからず驚いた。

 罠は、其処彼処に張り巡らされている。見えない『断ち切れぬ因果の糸(グロール・フォーチュニア)』も在るし、それ以外のアトラクションにも、其れ相応の罠は張っておいた。

 貧弱な『王様』も、安全圏内に存在する。本来は弱点である『炎』が使えないレンカなど、敵ではないのだ。

 しかし、現れたのはレンカではなく、研一だった。

 研一が現れたのは、ジェットコースターの点検用にある、鉄格子の床が張り巡らされた場所だった。発着場の連絡口から直接いける場所で、コース横、内側に全てに配置されている、長い連絡通路だ。

 レンカの姿は、見えない。

研一が囮で、『王様』をレンカが狙うつもりかと思ったが、あそこには『断ち切れぬ因果の糸(グロール・フォーチュニア)』で囲まれているので、遠距離攻撃がなければ、攻撃は不可能だ。

 研一の手の中には、レンカの剣がある。眼に宿る闘志は中々のもので、覚悟を決めた男の眼をしていた。

「んで? お前が俺の相手をするのか?」

「ああ」

 そういいながらも、ヘンドルシは研一の手が震えているのを、見た。其れを必死に隠そうとする研一に微笑みながらも、ヘンドルシは体勢を低くする。

「なら、お前から血祭りにあげてやらぁッ!」

 そういい、駆け出そうとするヘンドルシ――――其れを見て、研一は不敵に笑う。其れを見たヘンドルシが、何かあると身を固めた瞬間。

 研一が、踵を返し――――

「戦略的撤退!」

 

 逃げ出した。

 

「………って、逃げるのかよ!」

 ヘンドルシの叫び声を聞きながら、研一は叫び返した。

「追いつけられるなら追いついてみろッ!」

 明らかな挑発を聞いて、ヘンドルシはむっと表情を戒める。彼等の中で『人間』とは大切な存在であるが、【王】がいる今、下級な存在に侮辱されている感覚に陥るのだ。

「逃がすかッ!」

 ヘンドルシが追いかける為、レールに出る。八本の脚を器用に扱い、細いレールの上を器用に走ってきたヘンドルシは、あっとういう間に研一へ、追いついた。

 研一の背中に向け、ヘンドルシが『糸』を吐いた瞬間、研一の姿が消える。虚空に飛んでいく白い糸の先は、綺麗な放物線を描いて、デパートの外に飛んでいく。

 坂道。研一は急に下がっていく下へ向かって、駆けていったのだ。

 悪あがきを、とヘンドルシは思う。どんなに足掻こうが、逃げ道がないこの場所、追いつくのも、時間の問題である。

 案の定、研一の逃走は其処で終わった。曲がり角付近の連絡通路に立つ研一は、こちらに震える手で剣を向けていた。

 

殺せる―――そう、ヘンドルシが確信したその時ガコン、という音が、ヘンドルシの耳に響いた。

 

 訝しげに視線を向けた瞬間、其れが坂の上に見えた。

 赤と黄色、青色の派手な彩色が施された、箱が落ちてきたのだ。

 ――――否。急速な加速とともに、ジェットコースターが、ヘンドルシに襲い掛かってきた。

 二つの車両が、加速をかけて突進してくる。

 

 

 瞬時に、ヘンドルシは悟る。研一たちは、これを狙っていたのだ、と。

 確かに、あのスピードと質量なら、自分は死ぬ。いくら人外とはいえ、体の耐久力は蜘蛛と同じく、そう高くは無い。

 さらに、降下して加速を続ける箱型。

「うわあああああああああああああああああああッ!」

 急激に加速し、襲い掛かってくる死の顕現に、ヘンドルシが悲鳴に近い声を上げ、研一がほくそ笑んだ――――

 

 

 その、刹那。

 

 

「なんてな」

 

 

 ヘンドルシは、レーンをきしませるほどの力を込め、その場を飛んだ。

 一気に加速度を増していくジェットコースターは、高速で研一の横を通り過ぎていく。その暴風に眼を閉じた研一が、腕を上げた瞬間―――ドシン、という地鳴りが、響いた。

「残念だったなぁ。人間。確かにあれは、俺でも死ぬぜ」

 その声が響いた瞬間、研一の首が物凄い力で、掴まれた。空気すら吸えない、恐ろしい力で研一の首を締め上げたヘンドルシは、そのまま研一の身体をレーンへと、叩きつけた。

 その瞬間、二つの白い糸が、研一の腕をレーンに縛りつけた。

ハッとした研一が視線を向けた瞬間に、ヘンドルシが勝ち誇った表情を浮かべ、顔を近づけてきた。

「ハッハッハ! テメェで巻いた種で死ね!」

ジェットコースターは、唸りを上げてコースを疾走している。法定速度ギリギリのジェットコースターは、それほど大きくないコースをとおり、十数秒後には此処に戻ってくる予定だった。

その時、レーンが震動を始める。ゴゴゴ、と地鳴りをあげていくレーンの震動を感じる研一へ、ヘンドルシが嘲笑うような表情を浮かべた。

「馬鹿な人間だぜ! あんな落ちこぼれに肩入れするから、死ぬ事になる!」

 その眼は、明らかに研一を見下していた。そのヘンドルシへ、鬼の形相を向ける研一に対し、口を開いた。

 

 

「あばよ、馬鹿な人間さん」

 

 その言葉と共に、ヘンドルシはレーンの外側に向かって、跳躍した。

その、勝ち誇ったようなヘンドルシの目には―――。

 

「――――いや」

 恐怖に脅える研一の顔ではなく、死に絶望した人間の顔ではなく。

 

 

「俺達の勝ちだ」

 

 

 勝ち誇った研一の顔だけが、映っていた。

 

 ガコン、と、ジェットコースターの機体が、大きく軋む。ハッと視線を向けたヘンドルシに向かって、その姿が、飛び込んできた。

 騎士の鎧に身を包み、突撃槍を構え、その切っ先を自分の身体に向ける、「おちこぼれ」の『フレイム・キラー』―――――。

 

 レンカが、其処にいた。

(なんで、なんでお前が其処にいるッ!) 

 ヘンドルシの疑問に答えるものもなく、また、答える間もなく。

「うおおおおおおおおおおッ!」

 

 烈火の気合と共に、槍が――――蜘蛛の身体を貫いた。

 

 

 









 


 




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