彼等は、本当にすごい人達だ、と思います。

 ソウ君は、私なんかよりもずっとずっと凄い人です。料理だって出来るし、一人暮らしまでしています。円卓、という恐い争いでも、全く怯まずに挑戦しています。

 でも、彼は其れよりも凄い人だ、と私は思っています。

 私が彼――――須々木 研一君と出会ったのは、皆と同じ転校初日でした。

 見た時は、なんと言うか、真面目そうな人だと思いました。瓶底眼鏡に坊ちゃん刈りといわれる髪型は、言い方は悪いのですが、昭和年代の「お坊っちゃん」を思わせる風貌でした。

 違う、と分かったのは、その日の帰り道に起きた、ほんの些細な事です。

 帰り道にある公園で、彼はベンチに座っていました。

転校して間もないから、お友達もいないのだ、と私は思いました。私だって、そんなにすぐお友達が出来るとは思ってもいませんし、話しかけようとも思いません。は、恥かしかったのです。

 でも、違いました。

 彼の視界には、小さな子供が数人、遊んでいたんです。お母さんは少し陰になるところで談笑して、子供に全く注意を向けていませんでした。

 それだけなら、ただの偶然かも知れません。でも、子供が公園を出て行くようなそぶりを見せた瞬間、彼は腰を浮かせたんです。

 結局、子供は公園から出て行かず、お母さんに手を引いてもらって公園を後にしたのですが―――――私には、その研一君の姿が、印象的でした。

 ホッとしたような、どこか寂しげな横顔。親子が出て行ったのを確認した後、自分も公園を後にしたのです。

 きっと、子供が出て行ったら、知らない子でも手を引いて戻ってくるつもりだった、と思います。自分がその所為で変な目を向けられても、見知らぬ子供達の安全を護ろうと、していたのだと思います。

 考えすぎ、とは、私は思いません。あの横顔を見た瞬間、私は確信したのですから。

 そして、彼を見ていることが、多くなりました。荷物を持って歩道橋を登るご老人の後ろにスッと立ったり、子供達と自転車の間に体を入れたり、車道に転がっているゴミを横に避けたり。

 きっと、やろうと思えばもっと上手く、最期までやれることもあったかもしれません。

でも、善意でやったとしても裏を読む悲しい世の中――――その中でも、彼はちょっとした優しさを持っていました。

だから、私――――如月 皐は、研一君のことを、好きなんだと、想います。

 だから―――――

 

 

 

 

「! 危ない!」

 レンカが何かを察知し、叫んだ瞬間、厨房から悲鳴と爆発音が聞こえた。

 響き渡る怒声と悲鳴、厨房から立ち上る黒い煙と警報機のけたたましい轟音が鳴り響く。突然の事に若干混乱しつつも、研一とレンカは、ボックス席から飛び出した。

様々な音の中、駆け出す人込みの向こう側に、その影はあった。

 黒い蜘蛛―――しかし、それは昨日見たあの蜘蛛ではない。蜘蛛の頭部が膨れ上がり、人の上体が乗っている、異常な形態を持つ、生物。

 逞しい男を思わせる引き締まった上体をみて、研一は瞬時に思う。

蜘蛛男。

 誰もいなくなったレストランの中で、レンカと研一がテーブルの下から這い出る。キッチンの奥で食品を食い漁っている蜘蛛男を見て、レンカが小さく呟く。

「………ヘンドルシ。貴様だったか」

 レンカの言葉に、蜘蛛男―――ヘンドルシが振り返る。ヘンドルシの身長は3m弱ほどだろうか、異様な威圧感と恐怖を煽る風貌を誇示するように、その身体を聳え立たせた。。

ヘンドルシはレンカを見下ろし、少しだけ笑うと、鼻に付くような声で口を開いた。。

「おや、誰かと思えば、落ちこぼれの『フレイム・キラー』じゃねぇか」

 落ちこぼれ、もしくは『フレイム・キラー』のどちらに反応したか分からないが、レンカの表情が強張るのがわかった。悔しいのか、歯軋りまで聞こえてくる。

 怒りと嘲笑の感情が、交錯する。その二人の鬩ぎ合いの中で、その場に似つかわしくない声が上がった。

「おや? 知り合いかい? ヘンドルシ」

 すっと、ヘンドルシの影から人影が、歩み出てきた。ヘンドルシの横に立っていた男――――狂気の色が宿った眼を眼鏡の奥に隠した、黒尽くめの長身の男が、研一とレンカを見ていた。

その鋭い眼差しをレンカに向け、じっくりと見る。ややあって、その表情を醜悪にゆがめた後、口を開いた。

「なかなか、可愛いじゃないか。よし、決めた。僕の奴隷にしてやろう。ヘンドルシ、君に任せる」

「わかったぜ。『王様』、俺に任せろ」

 そう告げた瞬間、蜘蛛男からブワッと白い紐が膨らむ。それらはレストランのいたるところに張り巡らされ、一瞬で蜘蛛の巣を創り上げていた。

 とっさの状況の変化と、その男自身に驚く研一の横で、紅い光が輝いた。

 慌てて横を見ると、レンカの様相が変わっていることに気がついた。灼熱を思わせる紅い眼差しと、赤みの増した髪、そして体にはすでに、昨日ボロボロになっていた鎧を着ていた。

刃の欠けた剣を引き抜くと、辺りが熱気に包まれる。僅かながら熱を持っていることに気が付くと同時に、レンカが叫んだ。

「罪も無き人間に手を出し、私を慰み者にしようとは、言語道断! 相手になってやる!」

 そう勇ましく叫ぶものの、彼女の横顔にはべったりとした汗が滲んでいる事に、研一は気がついた。

 そうだ、と研一は思う。今は何とも無いとはいえ、昨日の時点で右腕は折れているし、武具だって劣化している。

 そのレンカは研一を見ずに、告げた。

「気をつけてくれ、研一。奴の能力は――――『捕縛』と『操縦』だ。私が隙を作るから、その間に逃げろ」

「な――――」

 レンカの言葉に、研一が絶句した次の瞬間。

蜘蛛の糸が一斉に襲い掛かった。

 飛来する蜘蛛の糸を、レンカは剣で薙ぎ払う―――が、刃こぼれしている所為で切れ味が悪く、すぐに蜘蛛の糸が絡みつく。

レンカは舌打ちをし、叫んだ。

「『発火』!」

 そのレンカの掛け声と共に、その剣に灯が燈る。火が燃え上がり、蜘蛛の糸が燃え尽きる――――かと思われたが、実際はマッチの炎ぐらいしか燃え上がらず、糸を焦がす間もなく火が消えていった。

その自分の炎を見て、レンカは舌打ちする。忌々しく表情を歪め、胸中で叫んだ。

(この程度では―――ッ!)

焦燥に思考が駆られた刹那、再度噴出す蜘蛛の糸。それを左腕の甲に備えていた盾で遮りつつ、レンカがヘンドルシに近付こうと、跳躍する。

近付いた瞬間、彼女は思いっきり、跳躍した。盾に絡みつく蜘蛛の糸を無視し、剣を大きく振りかぶった。

 一閃すれば、頭を叩き潰せる距離。いくら切れ味が悪かろうが、防具も何も無い頭部なら、レンカでも間違いなく潰せる。

しかし、ヘンドルシはニヤリと笑うと、叫んだ。

「『王様』ぁ! 『断ち切れぬ我が因果』発動を進言!」

 ヘンドルシの言葉に、空中にいたレンカが表情を強張らせた。それを見たのか、はたまた確信していたのか――――男が小さく、呟く。

「『許可』する」

 その瞬間、レンカの視界に広がったのは、文字通り蜘蛛の巣だった。

 蜘蛛の粘着質のある糸を全身で受け、レンカは舌打ちをする。しかし、すぐに表情を戒めると、顔をあげ、剣を突き出し勢いに任せ、突貫した。

 勢いに任せ、ヘンドルシを貫く――――つもりだった。

 しかし、その刃がヘンドルシに届く事は無かった。部屋中に飛ばされた蜘蛛の糸が身体に絡みつき、身動きと勢いを完全に殺していたのだ。さらに、じたばたと暴れるレンカの腕や脚に絡みつき、その動きをさらに鈍くしていった。

 完全に身動きが取れなくなったレンカは、忌々しく叫ぶ。

「『発火』ッ!」

 全身が赤く燈るが、蜘蛛の糸に変化はおきない。驚愕の表情を浮かべているレンカへ、ヘンドルシは喜々と叫んだ。

「その程度の炎じゃあ、細密化し、硬質化した糸を焼ききれねぇよ! 契約も出来ていないのに、勝てるか!」

 そう言って、自分の八本の脚を動かした瞬間――――突然、水が宙に舞った。

 ビシャッと辺りに撒き散らされた水。それは、水というにはあまりにも粘性が高く、体に張り付いていく。粘性の高いそれを訝しげに、ヘンドルシは水がかかった方向を見上げた。

 其れとほぼ同時に、青白い固形物が、辺りにばら撒かれた。それがなんなのか、ヘンドルシには分からない。

 ただ、ヘンドルシの視線の先には、研一が立っていた。右手に持っていたのは、業務用サラダオイルの缶と、バケツ。

そして、その左手に持っていたのは、入り口のカウンターにおいてあった、店の名前が書かれたマッチ。

―――今まさに、マッチが投げられた。

 瞬間。

店内に、今までとは比べ物にならない炎が、舞い上がった。

 

 

 

 

「少し、遅かったか」

 デパート《キクヤ》を見下ろしながら、ソウはそう呟いていた。動きやすい格好として選んだ革のジャケットの前を開けながら、階下でざわめく群集を見下ろす。

 隣に立っていたアメーリアは、黒い装束に身を包んだまま、申し訳無さそうに頭を提げた。

「申し訳ございません。特定に時間がかかってしまいまして」

 そのアメーリアの言葉に、ソウは腕を組みながら、顎に手を添えつつ、答えた。

「なに、お前が謝ることじゃない。………とはいえ、戦っている相手を見ると、そうもいえないか」

 デパートの七階にあるレストラン。

黒煙の間から見えるのは、間違いなく自分の親友―――研一だ。対峙しているのは蜘蛛男と狂気に駆られた男。

奇妙な図だ、とソウは胸中呟く。ほんの昨日までは、普通の学生だったというのに、だ。

 そして、デパートの入り口を見たところで、眉を潜めた。主人のその反応を機敏に察したアメーリアが尋ねるよりも早く、ソウが指を差し出した。

「………見てみろ」

 ソウの突然の命令。

訝しげにアメーリアが階下を覗き込むと、青い服を来た人間が入り口を封鎖していた。しかし、決して近付こうとはせずに、野次馬を追い返している。

 アメーリアは、ソウの言いたいことが分からず小首を傾げた。それを気配で察したのか、ソウは説明する。

「本来なら、中の消化器や道具で消すはずだし、これをテロ行為の一種だとして、特殊班でも突撃させるはずだ。だが、あいつらはそれをしようとはしない。………何故か、分からないか?」

 本来、デパートで今回のような火災が起きれば、まずテロ行為を疑う。警察だけではなく、自衛隊やSATまで来ていてもおかしくないし、もっと円滑にデパートの客を逃がすはずだ。

 しかし、実際には入り口を封鎖しただけで、中の人間を批難させているようには見えない。

その情報をソウから聞いたアメーリアは、小さく頷いた。

「―――つまり、戦いの邪魔にならないようにするため、ですか?」

察しがいい、とソウは頷く。まさか、円卓≠ェ国家公認の事象だとは思えないが、現状を見てみれば、日本の政府が何かしら噛んでいるのは明白である。

(裏があるか………。なんにしろ)

 ソウは、静かに、口を開いた。

「今は、傍観するか」

 このとき、ソウは知らなかった。

 このデパートの中で、知人がもう二人、いることを。

 

 

 

 そして、その所為で――――物語は大きく歪み始めたのだ。

 

 

 

 

 強靭な蜘蛛の糸も、さすがの大火力で悲鳴をあげた。炎を無効化できるレンカは、これ見よがしに蜘蛛の糸を振り払う。

 直後、店のスプリンクラーが反応して水が降り始めた。

火が完全に鎮火した時には、ヘンドルシはレンカと研一の姿を見失っていた。自分の『王』を護るためとはいえ、とんだ手際の悪さだ。

 『王様』は、静かに服装を整えると、厳しい眼差しで告げた。

「クソ! 仲間がいたか!」

「………ありゃ、子蜘蛛が見た人間の一人だったなぁ。でも、誓約≠オているわけじゃない。つっても、逃げられたら面倒――――どうすっかねぇ」

 忌々しそうに辺りのものをけり散らす王様と違い、ヘンドルシは冷静だった。助力者がいる以上、もう少し警戒して戦わないと、こちらの身も危険になるのだ。

 なにより、レンカの居場所が分からない。どうやって探そうか、と悩んでいる間に、王様は動き出していた。

「いくぞ」

「いくぞって、何処ですかい?」

 ヘンドルシの言葉に、王様は不敵に笑って、答えた。

「屋上だよ。こうなったら、虱潰しに探してやる」

 

 

 

「そろそろ、いいだろ」

 研一の言葉に、体勢を崩していたレンカは、苦心してその場から外に出た。

 実の所、研一とレンカは、すぐ近くのテーブルの下にいたのだった。

『王』が上にいったとなると、上から順番に階段を使ってレンカを見つけようとしている、ということである。つまり、ヘンドルシはデパートの中を探しに行ったことになり、しばらくは現れないだろう。

 テーブルから這い出て、研一は辺りを見渡す。さすがに御客さん全員が逃げ出したので、中は完全に静かだった。

 幸いに、死傷者はいないようだった。其れでも数人怪我をしているのを、研一は見ていた。

「………とはいえ、このままじゃあ、危ないか」

 ふと、レンカのほうを見る。彼女は、研一と座っていたボックス席を見て―――わなわなと震えていた。

 何故、と研一は思う。怪我をしたようには見えないが、明らかに影を背負っていた。

 覗きこむと、燃え尽きた布が眼に入った。どうやら、先ほどの炎で買っていた服などが全て燃えてしまったらしい。

「あ、ああ………」

 わなわなと震える彼女は、突然叫んだ。

「絶対に許せん! あの蜘蛛男!」

 駆け出そうとするレンカを、研一は慌てて羽交い絞めにした。凄まじい力で振りほどこうとする彼女へ、叫ぶ。

「燃やしたのは僕だよ! いいから落ち着いて! このままだとさっきの二の舞になるだけだ!」

 研一の言葉に、レンカが「うっ」とうめき声を上げて、止まる。もう駆け出さないのを見てから、研一は腕を下ろし、声を掛けた。

「今は、現状を把握しよう。あいつを倒す、倒さないにしても、ここじゃあ―――」

 研一の言葉がいい終わるよりも前に、レンカは地面に剣を、突き刺した。その音に研一が驚き、振り返った彼の視線の先では、レンカが力尽きたように座り込んでいた。

そのまま、足を抱いて、塞ぎこんでしまった。

 何故、と研一が思った瞬間――――レンカは、口を開いた。

 

「私では、勝てない」

 

 その言葉が、耳に響いた。

「――――え?」

 そのレンカの言葉に驚きの声を挙げたのは、研一だった。レンカのいった言葉の意味は分かるのだが、脳で理解できず、混乱を起こしていた。

 レンカが、勝てない? その事実を肯定するように、レンカが言葉を繋げた。

「私達には、レベルの概念がある。私のレベルは、五。ヘンドルシのレベルは六。星一つでも差があると、勝率は下がってしまう」

 それに、とレンカは言葉を区切った。自嘲するように、口を開く。

「私は、落ちこぼれなんだ。騎士でも、なんでもない、んだ」

 

 其れは、予想だにしていない、告白だった。

 

 

 レンカ達の世界では、様々な『人種』が居た。

ヘンドルシのような『悪魔』の亜種に始まって、『神族』、『魔族』、『巨人族』、『人族』と区分されている。

 その中でレンカは、『人族』だった。

 対するアメーリアは、『神族』の一人である。

 彼等は基本的に、五大元素を操る事ができる。

 『神族』、『魔族』はその操り方に長け、『巨人族』は時にはそれらを上回る身体能力に長ける、と民族それぞれの特徴を持っているのだ。

彼らの中で、『人族』は職人体質だった。五大元素に属したものならば、その道を、それ以外のものであれば、それを極めるのに適した存在なのである。

レンカはその中でも、『炎』の『能力』を持って生まれてきた。

しかし、彼女は落ちこぼれだった。生来、持ちえるはずの炎の力があまりにも弱く、存分に操れない。その抵抗力はあっても、圧倒的な力の前では、無力だった。

「そして何より、私は、破壊しか生まないこの『炎』の力が、嫌いだった」

『フレイム・キラー』と呼ばれる彼女の家系の中で、彼女は稀代の「落ちこぼれ」であった。

別に、彼女にとって『炎』が使えない仔と自体は、悪くなかった。

だが、周りはそう見なかった。

円卓=Bレンカの家族はそれに参加させ、勝たせるためだけに彼女を教育し、また、其れを強要してきた。

「―――必死で体得しようとした剣技も、中途半端なところで師匠が死去してしまった。なら多芸に成ろうとしても、突撃槍を習う間に円卓≠ェ始まってしまった」

 参加者の中でも最弱を誇っていた彼女だが、何とか扉≠フ権利を取ったところでアメーリアに奪われてしまう。

 そして、あるはずの無い、一〇九個目の扉≠通って、此処にきたのだ。

「………だが私はッ! 結局、か細い蜘蛛の糸ですら焼ききれない、未熟者なのだ!」

 その所為で、研一を巻き込んだ―――その言葉は、奥歯で噛み砕いた。

「基礎中の基礎である『発火』も満足に出来ない、この私が―――あいつに、勝てるわけ無いのだ」

 だから、と言葉を小さく区切る。レンカは、スッと研一の顔を見上げ、口を開いた。

 

「私は―――――弱いんだ」

 

 泣き出しそうな、零れ落ちそうな笑顔。切なく、苦しく、周りの重圧に耐え続けてきた彼女が見せた、初めての弱音。

 其れが、研一の胸に、突き刺さった。胸の辺りに、言い様の無い虚無感が、訪れる。


 ――――何かを、言わなければいけない気がした。


 最初に出会ったときのように荒々しく、それでも弱いものを助けようと戦っていた彼女の姿、今日買い物をしてはしゃいでいた彼女の姿、弱音を吐く今の彼女の姿、様々なレンカを知ってしまった研一が、感じる言の葉。

「―――――ッ」

 

 しかし、研一には其れを、言葉に出来なかった。

 

 言葉とは、責任が付き纏う。今此処で、自分が思う言葉を口にしても、きっとレンカには重荷にしかならない。

 研一の沈黙を肯定と受け取ったのか、レンカが口を開いた。

「私が、囮になる。その間に、研一は逃げてくれ」

 レンカが言った時、研一は静かに頷く事しか出来なかった。

 そう、研一は、見送る事しかできない。

 今まさに、階段に向かって歩き出す彼女の背中を、見送る事しかできない。

その背中から寂しさや弱さを感じることなんて、研一にはできない。

 前は、いつだってそうだった。

 やる前から、諦めていた。苛められていたときだって、誰かが助けてくれるのを待っていた。

 そして、「主人公」は自分では無く、ソウみたいな人間だと、知っていた。

 自分は、「主人公」ではない。かつあげする人間を助けようとしても、結局最期まで助ける事だって出来ないし、好きな人に好意を向けることすら、出来なかった。

 なにも、出来ない。「ない」ばかりの、人生。

(………僕が言ったって、彼女は聞かない。僕が行ったところで、何も出来ない)

 「ない」ばかり、の人生なのだ。

 今、此処でレンカを助ける事だって、出来るかもしれない。でも、最期まで彼女のことを見守れる事は言い切れないし、きっと、助けられない。

 自分は、「主人公」ではないから。

 いつだって、自分は脇役だった。ほんの少し頑張ったところで、格好良く助けてくれるのはソウだし、そのソウに近付かなければ正しいことをしても、誰も見てくれない、理解してくれないのだ。

 そして、いつだって、ソウが中心に居た。

 つまらない社交界の殻を破ったのも、ソウ。

 誰かを助けることを教えてくれたのも、ソウ。

 いつだって、自分は脇役だった。

 階段の姿見に、自分の姿が映し出される。

 結い上げていた髪を、下ろす。首まで伸びた坊ちゃんヘヤーも、切ることすら出来なかった。

 周りから見たら変わったといわれるが、何一つ変わっていない。

 今もまだ、海藤 創の影が、纏わり付いているのだ。

 「主人公」らしい存在のソウに、圧倒的な敗北感を覚えながら、研一は階段を降り始めていた。

 その途中で――――アレを見つけるまでは。

 

 

 

 

 

 レンカは、自分の身が震えていることが、分かっていた。

 今、階段にはこれ見よがしに蜘蛛の巣が錯乱していた。恐らく先に居ることを誇示しているのだろう、一直線に屋上へ向かっている。

 屋上へ続く階段で、息を整える。

 本当は、分かっていた。

 研一を、『王』として迎え入れたかったのだ。

自分は、初めて触れた優しさに甘えていたのだ。もしかしたら、その優しさに付け入って『王』になって貰い、一緒に戦って欲しかったのかもしれなかった。

 研一は本当に心優しく、勇ましい。自分でも震えていたヘンドルシの『使い魔』から、友達を助ける為に勇ましく戦い、傷つきながらも立ち上がって、そして自分を支えてくれた。

 分かって、いる。これは甘えでしかなく、ただの幻覚かもしれないのも。初めて触れた人間の優しさに、戸惑っているだけかもしれないのだ、と。

屋上へ続く展望室に、出た。ガラス戸の向こう側に見える園内施設は、特に変化も無いが、ヘンドルシ達の姿もなかった。

「………死角が多い。だが、誰も巻き込まなかったのは、不幸中の幸いか」

 一人呟く、小さな言葉。いつの間にか横に居た、あの相手へ投げかけていたのだと気付くのに、そう時間は掛からず――――自嘲した。

(甘えるな。私は、研一を護って戦えるほど、強くない)

 自分が求める『王』は、アメーリアの『王』のように一人で戦える存在。

(―――――ッ!)

 すぐに、思考を打ち切る。寂寥感から来る寂しさだということを必死に否定し、レンカは両手で顔を叩き、剣を引き抜いた。

 そして、いつもなら子供の笑い声が耐えない園内施設―――屋上遊園地へ、レンカは足を踏み入れた。

先ほどまでのヘンドルシの行動から、彼らが相手を倒すため、どのような手でも使うはずだ。

レンカも最初は犠牲を厭わないつもりではあったが、其れは研一の出会いによって、変わっていた。

優しい、『人間』という存在。其れを傷つけるヘンドルシは、今まで以上の―――【敵】だった。

 ゆっくりと、一人で近くの施設に入っていく。大きな車輪の節々に、幾つもの箱がついた其れ――――観覧車を見上げ、レンカは眼を見開いた。

「――――彼女は」

 其処にいたのは、研一が必死の思いで助けていた少女だった。ヘンドルシの糸に絡まり、気を失っている彼女は、観覧車の箱型に張り付けられていた。

「はっはっは。何をそんなに驚いてやがる?」

 声のした方向へ、レンカは瞬時に振り返る。

遊園地の観覧車の中心部で、蜘蛛男がその脚を広げ、器用に張り付いていた。その背中には、ヘンドルシの『王』の姿が在り、二人は同様に卑下の表情を、浮かべていた。

「さっきはよくもやってくれたなぁ、レンカ。だが、それもここまでだな」

 余裕を見せるヘンドルシへ、レンカは小さく笑い声を上げた。自分の震える腕をなんとか隠す格好になってしまう、無様な嘲笑だったが、それでも意思の変えぬ眼差しで、睨みつける。

「己の為だけに犯した数々の愚行………ただで助かると思うな!」

 レンカの意思に呼応したように、鎧の節々が紅く色を宿す。ほんの少しずつ湧き上がる何かを感じ取りながらも、未だに勝ち目が見えず、脅える自分の考えも、自覚していた。

 

 たった一人で、此処に立っていた。

 

 

 

 

 皐と美袋が此処にきていたのは、本当に偶然だった。三階の本屋に寄ろうとした瞬間、警報が鳴り響き、多くの人間が逃げ出していた。

 其れに巻き込まれる形で、二人は離れていってしまった。美袋は人に押され外へ、皐は本屋の隅で突き飛ばされ、頭を打って失神していたのだ。

 おきたときには、整然とした店内だけが、目の前にあった。ぼうっとしていた皐は、自分の状況を思い出し、慌てて階段に向かおうとした。

 そして――――。

「こいつも、昨日いた奴らの一人だぜ? 『王様』」

「そうか」

 不幸なのは、警備室が三階にあり、その途中でそれらと出会ってしまったことだろう。

 その異形の存在が、目の前に映った。

 昨日、襲い掛かってきた蜘蛛よりも若干大きな、蜘蛛と人の肢体。そして、その蜘蛛の背に乗っている一人の男。

 その男は、静かに笑うと、口を開いた。

「餌にするか」

 次の瞬間、皐の視界を何かが覆い、絶叫すると同時に意識が途絶えた。

 その時――――自分の財布が、手からこぼれていた。

 

 

 

 研一がソレを見つけたのは、偶然だった。書店ブースが階段に近いこともあっただろうし、自分が注意深く周りを見ていたことも、関係しているだろう。

 其処に落ちていたのは、皐の財布だった。その近くに、蜘蛛の糸のようなものを見つけた瞬間、身の毛がよだった。

 ありえない、と研一は思考を駆け巡らせた。其れと同時に、滑稽無唐な考えばかりが頭に浮かぶ。

きっと、誰かが盗んで此処に持ってきたのだ。もしくは、逃げ出すときに落としていったに違いない。

 そうでなくたって、巻き込まれるはずが無い。まったく、どれだけ低い確率だと思っているんだ。

 もし、巻き込まれているなら、美袋が黙っていない。今すぐにでも研一に電話を掛けてくるだろうし、必死に助けようと叫んでいるはずなのだ。

 ありえ、ない。

「―――また、「ない」、か」

 自分の言葉に、呟く。

 ないないない、其ればかりの人生。恵まれている人生の中で、たった一人だけ、何かを期待して戦おうとしている。

 レンカに、道なんて無かった。『フレイム・キラー』として戦うために教育され、女の子として成長することすら赦されてこなかった。

 目の前には、二つの道。階段の昇りと降り、その二つだ。

下れば、平和、登れば、後戻りできない茨の道。

 何を、選べというのだ。

(――――其れほど親しく「ない」レンカのために、命を掛ける事なんて、僕にはでき「ない」)

 研一は、静かに足を地面に、降ろしていた。

 

 ゆっくりと、彼の体が沈んでいった。

 

 

 

 

 レンカがそれに気がついたのは、剣を振りかぶろうとした時だった。

 腕が動かない。状況を確認するために頭を回すが、それ以外のところは徐々に動きを鈍くして、最終的には動かなくなった。

 体に、違和感はない。在るのは、まるで固まったように動かなくなった自分の身体のみだった。

 レンカが身体を動かそうとするが、全く動かない。それこそ、コールタールのような重い液体に体を漬けているような感覚だった。

「………くっくっく」

驚きを隠せないでいると、ヘンドルシがかみ殺すような笑い声を上げた。

それに、レンカは察する事ができた。自分が術中にいたことに気がつかない自分自身と、眼の前にいる雲男にたして、忌々しく舌打ち―――叫ぶ。

「! 貴様の『能力』か!」

「ヒャーッハッハッハッハ! 気が付くのが遅いんだよ!」

 グッと身体を動かすレンカ―――人間とは違う強い膂力をもつ彼女が、全く動けない。それを確信してか、卑下の笑顔で告げた。

「俺様の、『断ち切れぬ因果の糸(グロール・フォーチュニア)』の能力だよ。臭いも感覚も、見ることも出来ない――――完全に『察知』出来ない糸を作り出すことが出来る。まぁ、ごく少量だが、お前達が歩いてくる所に出来る限りつけておいたからな。もはや、満足に動けまい?」

「………くッ!」

忌々しそうに、レンカは唸る。

『能力』。円卓≠ノ置いて、彼女達の戦いを左右する要素の一つだ。

『能力』は大まかに分けて、三つに分かれる。

耐性や補助など、常時発動型である『自動能力(オートスキル)』。

戦闘等で使える、自発動型である『戦闘能力(バトルスキル)』。

そして、命と引き換えに発動する事ができる、『最終決戦奥義(ファイナルスキル)』だ。

ヘンドルシの創り上げた糸は、『察知』することが出来ないものだ。

確かに、全く動けるものではない。どこに付いているのか、体が『察知』してくれないので金縛りにあっているような感覚だ。

 だが、存在しないわけでは、ない。レンカであれば、辛うじて焼ききれる程度だ」

「くッ―――『発火』」

「いいのかい?」

 ヘンドルシの言葉に、レンカが訝しげな表情を浮かべ―――すぐにさっし、顔が歪んだ。

其れをみたヘンドルシは、勝利を確信したような歓喜の声を、上げた。

「使えないとは思うが、もし使えたとしても、そこで炎を出せば、女も燃え尽きるからなッ!」

 次の瞬間、レンカの体から炎が消えた。その眼には、後悔の色が見て取れたが、すぐに其れを戒めると、ヘンドルシへ向かって叫んだ。

「彼女は関係ないだろう! 開放しろ!」

 しかし、男が淡々とした口調で告げる。

「この状況で、関係ないわけが無いだろうが」

 確かに、関係の無い人間がここには現れない。関係ある事は『使い魔』で露見しているし、其れを人質にすることは非人道的でも、効果的だった。

 とはいえ、今の状況は非常に危うい。全く普通の人間である皐では、彼らの攻撃を受けただけでも死んでしまう。もし『発火』が出来たとしても、燃えてしまうのだ。

 身動きが取れないレンカへ、男が近付いてくる。レンカの顔に手を伸ばし、小さく微笑んだ。

「ほう。未だに誓約≠オていないとは、な。どうだ? 俺がお前を使ってやっても―――――」

 レンカがキッと睨んだ瞬間、男は手を離した。ほんの一瞬の間が空き、炎が巻き上がる。

「あ、アツッ!」

「!」

 舞い上がった炎によって男の腕を焼くよりも早く、何かが煌めいた。それにレンカが気付いた瞬間、炎が眼に見えて細々となっていく。

 それを見ていたヘンドルシは、小さく舌打ちをすると、口を開いた。

「てめぇは、いつもそうだ。炎殺し≠ニ言われていながら、失う事を恐れ、敵を殺すことすらためいらいやがる。だから、テメェは弱いんだよ」

 ヘンドルシの嘲笑う声―――それに、レンカは叫んだ。

「私は! 自分の力を怨みはしない! だが、この力は消滅の力だ! 失う事を恐れて、何が悪い。………『殺サズ』をもとめて、何が悪い」

 レンカの表情は、痛々しかった。見ているこっちが辛くなるほど沈痛な面持ちで、それでもレンカは、戦う意志を消さない。

 男が、不敵に微笑む。レンカのほうに歩み寄って、小さく告げた。

「はっはっは。そんな糸も焼ききれない上、人質を気にして炎を出せないとは、恐れ入るほどの甘ちゃんだな。お前なんかに、誓約≠キる人間もいない。俺も、お前は遊ぶだけ遊んで殺してやるよ」

 そう言って、男がレンカに手を伸ばす――――レンカが、反射で放出しそうな炎を、苦痛の表情を浮かべ、耐えた。

 自分が弱いのを、これほど悔いた事は無い。迷惑を掛けっぱなしの研一の友人を、ここまで巻き込んで―――自分は、何も出来ないのだ。

 悔しかった。ただひたすらに、悔しかった。

 炎を使えないことも。誰も、護れない事も。

 

 

 男の手が触れる瞬間、レンカはきゅっと、眼を閉じた。

 

 

 そして吹き飛んだのは―――――男のほうだった。


 予想も反応も出来なかったのか、何かが男の顔面に叩きつけられ、男はもんどりうって倒れる。顔を抑えつつ立ち上がる彼へ、蹴りを出した張本人が、地面に降り立った。

 

 其処にいたのは、髪をたなびかせ、視線を強めている存在。黒髪、黒目でほんの少しだけ短くなった髪を持つ、不敵な存在。

 

 須々木 研一、その人だった。

 その研一は、怒りの眼差しで男を睨み、そして怒りを隠しもせず、言い放った。

「人を物みたいにいうな。精一杯頑張っている奴を笑うんじゃねぇ。………そんな奴は」

 大きく息を吸い込み――――研一は、告げた。

 

「俺がブッ飛ばす」

 

 

 其処には確かに、小さな炎が宿っていた。

 

 

 

 





 




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