美袋は不満だった。

「おはようございます。ご学友方」

 朝起きて居間に行くと、昨日の変人――――和服姿のアメーリアが、そこにいた。

長い髪をかんざしで上げ、涼やかな柳があしらわれた着物を着ている。女眼から見ても素晴らしい肢体に、完璧な貴婦人を思わせる立ち振る舞いは、すでに熟練の域に達していた。

気に入らないのは、それが十分に彼女の魅力を引き出している事だ。

 アメーリアは、静かに頭をさげると、そっと後ろのほうから、何かを取り出した。

「ただ今、マスターが朝食を作っております。お風呂を沸かしてありますので、どうぞ」

 優しく微笑む彼女から、タオルとカゴを受け取る。

何となく、見合う。昨日の無表情とは違い、何か若奥様のような朗らかな笑顔を浮かべるアメーリアは、特に文句をいう様子も無かった。

憮然としたまま、美袋はソウの家にある風呂場へむかう。旅館の名残で、十分に広く、温泉掛け流しの豪華な風呂である。

湯気立つ露天風呂には、先に皐が来ていた。

 彼女は入り口近くにある洗面所で、身体を洗っているところだ。美袋が入ってきたとき、少しだけ安心した様子で息を吐き、声を掛けてきてくれた。

「あ、おはよう。美袋ちゃん」

 皐の華奢な、成長の止まっているような身体をじっくり眺め、美袋は少しだけ安堵の息を吐く。

 其れに反応したのは、皐だった。何かしたのでは、と想いながらも自分の体が見られていることに慣れず、顔を真っ赤にした。

「な、なに?」

「なんでもないって」

 軽快に笑い、彼女に近付くと、ぽんぽんと頭を叩く。

皐とは仲がいい。仲がいいのだが、研一の件で少しだけ負けられない相手でもあった。無論、皐は悟られていないと思っているだろうが、同じニオイがする美袋には、しっかりとばれていたりする。

そう。皐は、研一に惚れているのだ。その研一も皐が好きなのを考えると、軽く鬱になる。

 それに気が付くわけも無い彼女は、寂しそうに口を開いた。

「結局、研一君来ないね」

「………ああ」

 

 研一の事だから大丈夫だと思うが、あのレンカとかいう奴も、侮れない。研一は変なところで責任感は強いし、優しいから、下手をすると――――

 そこまで考えて、頭を振った。アメーリアの話からすれば、これから戦争の相棒を見つける相手だ。研一に、そんなことを申し出るわけが無い。

 フフン、と若干嬉しそうに鼻を鳴らしている美袋に怪訝な思いを抱きつつも、皐は言葉を続けた。

「博之君は?」

「は? アイツ、まだ寝てるんじゃあ………」

 そういいつつ、ゆっくりと湯船をみて―――――

 

 シュコー、シュコー。

 

 スキューバダイビングの格好をして、湯船から顔を出している博之を見つけた。

 潔い、というか、完全なる馬鹿である。

 隠れろ。せめて見つからないように、温泉を白濁色の色で染めておけ。見つけてください、といわんばかりに呼吸音が響いているのを見ると、絶対に笑いを取るために其処にいるのだ。

美袋は、大きく溜め息を吐くと、桶を彼の方向に投げ、それが頭にかかった瞬間、全速力で走りよる。

 

 湯船が、血で染まった。

 

「………でも、心配だよね。ソウ君はまだしも、研一君も、巻き込まれているし」

 違う湯船に浸かっていると、今でも少しだけ気がかりそうな皐が、振り払うようにそう切り出してきた。温泉に入ってぬくぬくしていた美袋は、少しだけ唸ると、素直に頷く。

「そうだな。あの変人ならまだしも、研一は普通の人間だしな」

 ソウなら大丈夫、というのが皐の見解らしい。というのも、皐も自分自身も、ソウの伝説や武勇伝を聞き、さらには近くで見ていたので疑う余地すらないのだ。

 しかし、研一は違う。今年の春に入ってきたばかりだから、というのも変だがあまり知らないという事もある。

 

 そう、彼女達は研一の友人を名乗りながらも、未だに半年しか付き合いが無い。困っている人を放っては置けない、優しくも自分の意見を持っている人間だ。

なにより、お金持ちのお坊ちゃんである。その所為でいろいろ在ったが、芯がしっかりしているので、今のところそういった関係があるわけではない。

 ソウとは、十年来の付き合い、だそうだ。社交界で会った、といっていたが、そこら辺は雲の上の話になる。

「………そういえば、どうして美袋ちゃんは、研一君と友達になったの?」

 皐の言葉に、美袋は苦笑した。どう答えれば良いのか悩んで、小さく告げる。

「………偶然、かな」

 美袋は、初春を少し過ぎた頃、研一と会った。

刺々しく、老若男女だれかれ構わず噛み付いていた頃、いつもどおり昼を抜け出そうとしていた時、研一がかつあげされていた現場に出くわしていたのだ。

 研一は、眼鏡を蹴り飛ばされながらも、不良生徒を殴り飛ばしていた。とはいえ、相手は三人いて、案の定、すぐに取り押さえられた。

その取り押さえられた向こうに、もう一人男がいることに気が付いた。

 男は、研一が取り押さえられた瞬間、逃げ出していた。ださい、と小さく呟くと、大声が上がった。

「おいおぃ、逃げちまったぞ? かわいそ。正義の味方さん」

 どうやら、研一はかつあげされていたのではなく、かつあげされていた人を助けたらしい。

 美袋も、ださい、と思った。今どき正義を掲げた所で、誰も見てくれない―――評価してくれないのだ。

 正しいことなど、誰も、認めようとしないのだ。

 しかし、研一は違った。不機嫌な表情のまま、それでも不敵に告げた。

 

「何でわざわざ、悪役に下る必要がある? てめぇらこそ、格好いいと思っているのか?」

 

 不良達は、逆上した。そこから先は、もはや会話ではなく喚き―――暴力の、嵐だ。

しかし、美袋は違うことを、考えていた。

(なんで、自分は不良をしていたのか)

 そう、考えたのだ。 

最初は、家庭の不満だとか勉強とかで、不安になっていた。

しかし、一旦悪の道に入ると居心地がよく、堕落していくのも簡単だった。いつしか其れを、しかたない、と考えてしまっていたのだ。

その時、不良生徒の一人が、吹っ飛んだ。研一が突き飛ばしたのだ、と理解するのに、そう時間も掛からない。

研一は、頭から血を流しながらも、自分の言葉を曲げなかった。

「逃げなんだよ、お前らも………。辛い現実から眼を逸らしていない分、がり勉のほうがまだ救いがある」

 その言葉が、ずしんと来たのだ。

 そのときにはもう、完全に自分は研一に惚れていた、と思う。暴力の前でも、全く自分に卑下の気持ちも持たず、言葉を護るその姿が、格好良かったのだ。

そして、美袋と駆けつけたソウが助けに入った。彼は、二、三発顔に貰ったものの、その後は圧倒的な力で叩き伏せていた。美袋と眼が合ったが、特に何も言わず、互いに不敵に笑っていたのだ。

それが、美袋と研一、ソウの出会いだった。

 そのまま、自分は彼らに歩み寄っていったのである。

「………ま、今では感謝してるよ。こんな私でも、勉強はどうにでもなるってね」

 そう呟きながら、空を見上げる。

 最初は、キョトンとした顔をしている研一を見て、不覚にも顔を紅くしてしまった。不良だということも自覚していたが、それでも友達になりたい、という自分の遠まわしの言葉を、受け入れてくれた。

今は見えない研一は、なにをしているのだろうか。

 小さく首を振り、雑念を振り払う。気分を変えるように皐へ向き直ると、笑顔で聞いた。

「そういう皐は、どうしてだ? あいつが来た時からじゃないか。私やソウとかと近付いてきたのは」

「………え、ええと………」

 しかし、皐はそのまま黙ってしまったが、美袋は追求することなく、そのままお風呂の淵に身体を預けると、青く染まった空を見上げながら、口を開いた。

「ま、いいんだけどね」

 どうやら、研一は人を引き付ける何かがあるらしい。

 その一人なんだな、と少しだけ笑った。

 

 

 

 

 

 ざわざわとした雑踏を抜けると、隣のレンカから感嘆の声が上がった。

「おおー」

 眼をきらきらとさせながら、彼女は感嘆の声を上げた。

都市に出てきてから、ずっときょろきょろ辺りを見渡す彼女は、その容貌からも、人の眼を十分に引いてくれたものだ。その横に立っている研一は、恥かしさでオーバーヒート寸前である。

 駅前ロータリーの向こうにそびえ立つ、大型のデパート。「どうやって立っているんだ!?」という彼女の叫びを聞いて、心底死にたくなったのは、研一だけの秘密だった。

 《キクヤ》と呼ばれる大型デパートに、研一はそれほど行く機会はなかった。

商店街の方が近いし、安い。それに、商店街で大抵の物は揃うし、あわよくばサービスしてもらえるから、よく利用するのだ。

 というわけで、このデパートに足を踏み入れるのは久し振りだった。休日だから、というわけではないだろうが、人が多く、遠くから特売品を教える声が響いていた。

 研一は、レンカと共にデパートへ入ると、彼女に声をかけた。

「食品売り場は地下だから、………二階のレディース売り場に行こう。洋服五枚くらいあれば、大丈夫だね?」

 そう言いながら隣を見ると、彼女はいなかった。慌ててあたりを見渡すと、彼女は正面のエスカレーターを見て、完全に言葉を失っている。ポカーン、と口をあけている彼女は、唐突に叫んだ。

「な、階段が動いてる!? 研一! これはなんだ!?

 ビッと指差し、研一のほうを向いて叫ぶ彼女に、思わず体が滑ってしまう。

店の人が怪訝そうな表情を向け、大勢の視線を浴びているにも関わらず、レンカは研一の名前を連呼、子供のようにはしゃいでいた。

「だああああああああ!」

 慌てて、研一は彼女の手を引いて、その場を去った。奇異の眼で見られるのは恥かしいが、とりあえず人目の着かない場所までの辛抱で、ある。

 階段のところで、肩で息をしながら彼女に説明する。

「あ、あまり目立つ行動は控えて。は、恥ずかしいだろ………」

「し、しかしな、あんな風に階段が動くなど、め、面妖な」

 興奮さめやまぬ彼女の叫びを聞きながら、研一は指で額を押さえる。「ああ」と痛む頭を振り払い、告げた。

「あれは、モーターで動いているんだよ。いいから、黙って」

 研一の言葉が、レンカの興味を引いたようだ。知っている研一に敬意を称しながらも、顔をずいっと近づけ、尋ねてきた。

「もーたー? なんだそれは――――」

「黙ってください」

 研一に睨まれ、彼女は小さく「う、うむ」と頷いた。いつもならうろたえる距離ではあったが、その前の羞恥心によって、それほど恥かしいとも思わなくなっていた。

大きく息を吐くと、気を取り直して階段を登っていく。レンカも、若干恐る恐る、と言った様子で、後ろをついて来た。

 最初に来たブースが、目的の場所だと知り、横を歩くレンカへ声をかけた。

「ここは、靴売り場。今は暑いが、普通の靴のほうがいいだろ?」

 規則正しく並べられた靴を見て、レンカが再度、感嘆の息を吐く。子供のように無邪気な眼差しで、興味深そうに辺りを見渡しながら、彼女なりに品定めを始めていた。

そこで、研一は一つ思い出し、彼女へ商品のタグを見せ、注意を告げた。

「ここの数字が四つ以上のものは買えないから。気をつけて」

「………ふむ。注意しよう」

そういい、注意深く靴を見ている彼女――――研一も靴を見て思考する。

(動きやすい靴のほうがいいんだろうな。でも、あんまり浮いていると不審がられる。ブーツとは相性が良さそうだし………)

 そう考え、レンカの足の大きさがわからない事に気が付く。彼女に試して探すしかない、と思った瞬間、レンカが声をあげた。
「これはどうだ!? 研一!」

レンカが掲げた靴を見て、研一は「う、うん………」と言葉を濁してしまった。目の前で眼を輝かせながら差し出す靴は、個性的というか何と言うか――――‐‐‐‐‐‐

「何でランニングシューズの? 女性の靴なら、もう少しおしとやかな靴を買ったほうが………」

「ふむ。ランニングシューズというのか。………ん? という事は、これは男用なのか? ああ、たしかに、足首を囲めないと水場では勝てぬな………」

 そういい、彼女は再度思考する。機能性を考えつつも、値段は許容範囲内ということを見ると、意外と商売の才能があるのか、と感心してしまう。

レンカに注意しながら、当たりへ視線を向けると、ちょうどいいブーツが眼に入った。

 足底が程好く高く、丈夫そうな皮のブーツ。値段は、靴底が低いからなのかお安い。

 それをレンカに提示し、足を入れてもらったところ、ちょうどピッタリだった。

「よし。これにしよう」

 レンカは即答してくれた。

 靴が決まったところで、次は服だ。今日出て行くとはいえ、少なくとも夏の分ぐらいは買い揃えないと、彼女の貞操にも関わる。
―――――主に、下着のことだが。

「あ、これなんかどうだ?」

 そういって差し出した彼女の服は、皮のジャケットだ。

 確かに、彼女の服は丈夫なほうがいい。とはいえ、さすがに女性――――もう少しだけ自重して欲しかった。

「………こ、これなんてどうでしょうか?」

一緒に案内してくれた店員から差し出されたのは、白と青のワンピースだった。

ただ、普通のワンピースと違い丈が短いような気がする。動きやすさを強調したような服だ。動きやすい服を探しているのを、察してくれたらしい。

「あ、いや、私には、そのような服は似合わん!」

 そういうと、レンカは研一の裏に隠れてしまった。結構人見知りするのか、と想いながらも、研一は言葉を掛けてみた。

「いいじゃないか、着てみても。似合うと思うよ? それに」

 其処から先は、言葉を絞る。

「現代で、今の格好は結構目立つよ。昨日の鎧もそうだけど、露見すると不味いんでしょ?」

「う、うむ………。しかし、だな。………わかった、着てみよう」

 チラチラと店員が持っている服を見ていたレンカは、やがて小さく決心したように頷くと、それを自分の身体にあわせ、確認してみる。

他にもいろいろな服を引っ張ってきた順に身体へ当て、頷いていた。店員に「試着して見ますか?」と聞かれると、今度はすぐに頷いた。

喜々と試着室に向かう彼女―――店員の肩を叩いて、彼女へ告げた。

「あ、あの子、遠いところから来たので少し服がおかしいのですが、気にしないでください。あの、下着とか適当に選んでください。あと。つけ方とか」

 今思えば、凄く変な質問だったが、店員さんは嫌な顔一つせずに頷いた。

「あ、はい♪ 分かりました」

「………ちなみに、予算はこれで」

 指を一本立てて、店員に見せる。彼女は「十分です」と頷いてくれた。ついでにストッキングやパンストなど、男性の分からない部分も、全てお願いしておく。

 二十分ほどした後だろうか、店員に連れられ、レンカが姿を現した。

 

「ふ、ふむ………。似合うか、な? 研一」

 

 その言葉に――――――いや、レンカの姿に、研一は不覚にも、言葉をなくしてしまっていた。



「け、研一。似合わないか?」

「………似合いますよ」

 何とかしてひねり出した、情けないボケッとした声。

しかし、研一の心は、其処になかった。

紅い髪に、蒼いワンピースがよく映えている。上着として着ている白いブラウスも、彼女に清楚な雰囲気を与えていた。

彼女のイメージとは違うが、それでも御似合いの服は、文句なしに彼女を引き立てている。これだけは、研一も文句がなかった。
 その言葉に納得したのか、はたまた気に入っているのか、彼女は嬉しそうに頷くと、他の服を三枚ほど持って、口を開いた。

「それじゃあ、これと、これ。三枚あれば十分だ。あ、下着を持ってこないとな」

 下着を取りに行っている間に、先ほどの店員がそそくさと領収書を持ってきた。

「では、御代を♪」

「あ、は―――――――」

 そこで、手が止まった。その領収書に踊っている文字―――『88,980円』という破格な値段。思わず眼が飛び出そうなほどだった。

 しかし、店員は喜々として答えた。

「服一式を三組ほど揃えまして、その値段はお安いかと。ご予算内に納めましたし」

 どうやら店員には、『100,000円』だと思われたらしい。10,000円だ、といまさら言ってもすでに遅いだろう。

 何より、女性の服は、予想よりも高いのだ。

(まぁ、僕は買わないし、ね)

 大きく溜め息を吐き、クレジットカードを取り出す。

「これで。一括でいいです」

 金持ちの子供に生まれた事を、初めて感謝した。

 

 

 

 

 ソウ達はきちんと決められた勉強を、こなしていた。

研一が現れないのを怪訝に思っていた人もいるようだが、彼の性格上仕方ないだろうという意見のほうが多い。最も、そのとおりだが。

 勉強会も終わり、各自解散となった。

皐と美袋は都市部に向かって歩き出していく。なぜか朝からボロボロの博之も、ゆっくりとだが自宅の方向に向かって歩き出していた。

「………ま、何にせよ、終わった。アメーリア。何かほしいモノがあれば、出て買いに行くが、何かあるか?」

「いえ、マスター。私は特に、必要なものはございません」

 アメーリアは和服姿で、実によく動いてくれた。昨日のうちに家の設備は全て把握し、いろいろと働いてくれる。なにより、彼女が掃除好きだという事は驚いた。

 少しだけ、眉を潜める。よくよく考えると、アメーリアは居候の身――――酷使しすぎたのでは、と思ってしまった。

「悪いな。居候の身で、それほど働かせて」

「いえ。居候の身だからこそです。それに、やりがいがありますよ」

 第一印象とは全く違う彼女の性格―――どうやら、戦闘とそうではない時では、随分と性格が違うらしい。

 その時、アメーリアが顔をあげた。

その急な空気の変化を察したソウは、直感で告げる。

「敵だな。場所は分かるか?」

 ソウの言葉に、アメーリアのほうが驚いていた。しかし、優しく微笑むと彼女はすぐに答える。

「ええ。どうやら、御学友が向かった先です。細かな位置は特定できませんが、確かに蜘蛛≠フ本体でしょう」

「………よし、向かうか」

 アメーリアは、改めて思った。ここにいた人間たちとは完全に違う、異様過ぎるほど完璧な人間、ソウ。円卓のパートナーとしては、最強の一人だ。

 ソウも、否応なしに高揚する胸中を、楽しんでいた。死と生の狭間の世界――――初めての実践に向け、ソウは動き出した。

 

 

 

 

「いや、しかし、いいな。こうやって『しょっぴんぐ』という物は。研一には、感謝しても足りない」

「はは………。実際、僕だけだと思うけど………」

 最後の締めくくりに、研一とレンカはレストランに来ていた。ボックス席に座っているとはいえ、彼女は十分に視線を引いている。

 仕方ない、とも思う。それほど、今の彼女は可愛かった。

 よっぽど気に入ったのか、試着できていたワンピースと、新しいブーツをすでに履いている。一気に現代人っぽくなった彼女は、来たときとはまた違う視線を、集めているようだ。

(とはいえ、Tシャツにジーパンも、似合ってたんだけど)

 研一としては、来たときの服装の方が、レンカが好きだと思っていた。あまり着飾る、という印象が無いから、かも知れない。

 そんなことを考えていると、レンカがぽつりと、呟いた。

「………悪くは無いものだな。着飾る、というのも」

「――――え?」

 毀れた言葉に、研一が意外そうな声を挙げる。その研一を一瞬だけ見て、レンカは空が見える窓を、見た。

「私達の【世界】にも、勿論、服は合った。しかし、騎士であることを生まれながらに決められていた私は、それに憧れはしていても、実際に袖を通す事は無かった」 

 そうだった、と研一は思い直す。文化も違えば、生活基準のあらゆるところが違うのだから、レンカが戸惑うのも無理が無いのだ。

 しかし、それでも女の子、では在るようだ。着飾る事を楽しんでいるレンカは、静かに微笑むと、魅力的な笑顔で、口を開いた。

 

「………研一のお陰だ。ありがとう」

 

 その言葉に、研一は、ただ頷く事しかできなかった。

 これが終われば、彼女は相棒を探すために、研一の元を去るのだ。別に服代とかがもったいないわけでは無いし、いて欲しいと思っているわけではないが、友達ぐらいにはなれると、思っていただけあって、若干寂しくなってきた。

 運ばれてきた飲み物に口をつける。ドリンクバーなので、頻繁に席を立って味を確かめると、実に様々な表情を見せてくれた。

レンカは、コーラが気に入ったみたいだった。ストローで飲みながら、何か納得したように頷く。

「ふむ。少し辛いが、炭酸というのか? この刺激がたまらない。苦い、が甘いというのも、変な話だな」

「気に入ってもらえればなによりだよ」

 買物の疲れからか、はたまた気疲れなのかは分からないが、研一は若干、疲れていた。

レンカ自身は物覚えも頭もよく、経済の事をきちんと吸収してくれた。後は、今後の活動資金をどうやって集めるか、という事を考えているらしい。

(ま、最悪家の金を回してもいいか。後々、返してもらえれば………返してもらわなくてもいいし)

 親不孝だとは思うが、過剰な親の愛情ほど面倒なものは無い、と研一はしみじみ思う。その研一に此処まで考えさせているのだから、レンカは大物なのかもしれない。

 やがて、ランチのメニューを決めることとなった。

「僕はハンバーグセットにするけど、レンカはどうする? っていうか、ナイフとかフォークって、使える?」

 研一の言葉に、レンカは若干むっとした表情で、答えた。

「馬鹿にしているのか、研一。私は騎士、テーブルマナーも心得ている」

「いや、こっちの【世界】と違う可能性があるから――――って、そう大差も無いようだね」

 ナイフとフォーク、スプーンさえ使えれば、大抵は大丈夫である。日本独自の文化である箸も使えるといいのだが、そこ等辺は、彼女の【王】に任せよう、と思う。

 メニューを見つつ、レンカは唸っていた。

「どれも、美味そうではある、な。このうどん、という食べ物はなんだ? ニュールにそっくりだが………」

「ニュール、っていう食べ物の方が気になるんだけど………麺だよ。ああ、人間の食べ物ってのは、大きく分けて三つあって、ご飯とパン、麺に分かれていて――――」

 そんな説明をしながら、決めたメニューは―――――

「………まさかの、お子様ランチ」

「うむ。麺もご飯もパンも入っていて、なおかつこの技巧を凝らした料理の数々! 素晴らしい!」

 とはいえ、レンカの決定した理由の一つは、絶対に焼きそばだ、と研一は思う。

 しかし、お子様ランチとはいえ、確かに趣向は凝っている。量は少ないとはいえ、食品の数は多いし、レンカの言葉通り、全ての主食があるのだ。

 というわけで、レンカは箸に苦心しながら、食事を勧めた。運んできた時、流石に怪訝そうな表情をされたが、「遠い国からきたんです」という説明で、誤魔化した。

「うむ。私は焼きそばが気に入ったぞ」

「だろう、ね」

 先にハンバーグセットを食べ終わった研一は、食後のお茶を飲みながら、目の前で食事を進めるレンカを、見ていた。

(………そっか。レンカも、もう行っちゃうんだ)

 出て行くのは、明日になるか、明後日になるか、分からない。それでも、レンカ自身が研一を巻き込みたくない、という意思を持っている(様子である)以上、研一は何も言わなかった。

 そんなことを考えていると、レンカが声をかけてきた。

「しかし、本当に研一には世話になった。未来永劫、たとえ『王』に仕えることになっても、絶対に忘れないだろう」

「ははは………」

 そう、彼女はもうすぐいなくなる。開放されるといえば聞こえはいいが、少しだけ寂しいかなと思う自分がそこにいた。

 その寂しさを掻き消すため、笑顔で研一は告げた。

「でも、頑張って。君の願いが叶う事を、僕は――――――――」

 何かをいうよりも早く。

 

 

 

突然、日常は―――――爆発音と悲鳴、そして獏縁によって、一瞬で崩れ去った。

 

 

 

 


 




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