雨は、既にやんでいた。
風景は、様変わりしている。辺りに映るのは、森の緑でも死体の赤でもなく、炭の黒のみ。
その中心で、影は眼を覚ました。
自分が生きていることに、驚く。
が、すぐに思い直す。
自分は炎の申し子だ。炎で死ぬわけが無い。
既に光を無くしている扉――――全てが、絶望に染まった。
「………アメーリア………!」
どうして、そこまで自分が憎い? レベル五の自分に、レベル八の彼女が!
一つで、大人と子供の差があるというのに、三つもかけ離れ、勝てる要素など一つも無いと言うのに。
この世界では、逆立ちしても勝てないというのに、何故なのだ?
「アメーリアッ!」
忌々しそうな言葉が滾り、抑え切れなくなり、叫ぶ。その怒りを叩きつけるように、手甲に包まれた腕で岩を砕いた。
唯一勝てる場所への望みが、断たれた。その事実だけが、身を焦がす。
自分は、勝てない。一生、誰にも。落ち毀れのまま、生きなければならないのだ。
「………ッく!」
再度、地面に拳が、叩きつけられた。未だに熱を持つ大地が、憎らしい。
誰もが、望む円卓=B
自分は、成し遂げないといけないのだ。
バッと顔をあげた時――――それは不意に、眼に届いた。
痛む身体を引き戻し、立ち上がる。ボロボロの槍を持ち、焦げ落ちた盾を掴む。それを杖に、どうにか身体を支えた。
扉のあった崖を伝い、光の差す場所へと歩み寄る。
心の奥で、あるわけが無い、と考えていた。扉は全てで一〇八=Bその全てが、閉まったはずだ。
しかし、扉≠ヘ在った。
蔓に隠された、古い扉=B
あるわけの無い、扉=B
騎士は意識も無く、手を伸ばしていた。
「で、こういうことか」
不機嫌そうなソウの言葉を聞きながら、研一は博之の行動力に呆れ半分、感心半分だった。いつもは絶対に夜歩きしないソウを言いくるめ、ここまで来たのだから、それは感心してもいいかもしれない、と研一は思う。
来たのは、古い神社のある裏山。神社を囲むように墓場が点在するその境内への長い階段の入り口で、博之が手を上げた。
「というわけで、司会は俺、博之がします! なぜなら怖いものは苦手だからだ!」
「ならするな!」
亜音速で放たれた美袋の拳ツッコミを華麗に避ける&無視して、博之は持参した『マイマイク』を握り締めながら、口を開いた。
「ルールは簡単! この神社の向こう側にある御神木のところに置いてきた御神籤を取って来るというものです。ああ、ちなみにチーム分けはこのカードで」
そう言って差し出してきたのは、トランプのカード四枚。ちなみに、彼の腹にはおみくじが張ってあり、其れと同じものを持ってくればいいらしい。
それを他の四人に指し示し、引くのを待っている博之へ、研一は眉を潜めて口を開いた。
「というより、よく怖いのが苦手とか言いながら、奥の御神木へ御神籤を置いてきたよね」
そういいながら研一が何気なく引いたカードは、ジョーカーだった。夏場の暑い墓場で見るジョーカーは、とても良い思いがするものではなかった。
顔を歪める研一へ、博之が喜々とした表情で説明した。
「お、最初のグループだ。なぁに、怖くないよ」
「じゃあ何でジョーカーなんだよッ!」
美袋の回転回し蹴りという再三の突っ込みをぐにゃっと避け、無視する。その態度に美袋はいやそうな表情を見せるが、彼女自身は乗り気みたいでトランプのカードを引いている。
引いたカードを見て、眉を潜めた。
「あ、エースか。なんだ………」
研一は、同じグループじゃなくて良かった、と内心で思いながらも次のソウに意識を集中する。
彼がジョーカーを引かなければ、必然的に皐とペアになれる。気持ちの中では分かっているが、どうしても諦められないのだ。
我ながら女々しいと、自嘲する。やれやれ、とため息を吐きながら、視線をソウに戻した。
ソウはいつもと変わらない表情でカードを確認して、全員に見えるようにひるがえして答えた。
「ジョーカーだ」
ここは、がっかりする所なのだろうか。
ソウは、隣を歩く研一の様子を見て、少しだけ笑ってしまった。
彼の態度は決して人に悟られるものではなかったが、自分には丸分かりだ。なんといっても付き合いが長いし、それなりの死線(?)も乗り越えてきたからだ。
研一は、皐に好意を抱いている。さらにいえば、美袋は研一へ好意を抱いているのだ。傍目でみていると、大変面白い。
ただ、皐が誰に好意を抱いているのかは、分からない。自分かとも思ったが、どうやら憧れを抱いているだけで好意を抱いているわけではないようだ。
(これで、研一だったら面白いんだがな)
自分が腹黒いと感じながら、ソウは自嘲する。
その瞬間、眉を潜めた。ザッと辺りに視線を這わした後、ソウはその胸騒ぎを完全に自覚していた。
森。神社自身が古く、墓場も廃れている所為か、恐怖感を煽るものにはなっている。残念ながら肝試しも三回以上やっているので、恐怖は微塵も感じないが。
感じる感情は、警戒――――否、怒りに近い感情が溢れていた。何処からか感じる明確なその意思に、自分の体が反応した。
「どうかした?」
少し先を歩いていた研一が、訝しげに声をかけてくる。ほんの少し遅れた自分の異変を感じるのは、研一ぐらいだと思い、なんとなく面白くなる。
ある程度の確信が持てていたソウは、小さく首を振ると、口を開いた。
「なんでもない。少し、先に行ってくれ」
「………なんで?」
研一は訝しげだった。理由が無ければ、よっぽどの事が無い限り、無視することは無い。逆に言うと、きちんと説明すれば従ってくれるのが研一との付き合いが楽な理由だろう。
「雪がくれだ」
研一は、納得したように軽く頷く。「雪がくれ」という言葉は、はばかりを使う時の隠語だ。常識ある研一は、「早くね」といい、先に行ってくれる。
さすが、と内心で微笑む。本当に、研一ぐらいだ。自分を、対等の存在として扱ってくれるのは。
雪がくれという言葉を使い、自嘲してしまった。
研一は、忘れているようだ。ここでいう雪がくれの言葉の意味が、ソウの中では危険が隠れている、ということだということを。
まぁ、使ったのが中学校低学年で、研一の家に忍び込んだ時にSPと殴りあった時以来だ。仕方ないといえば、仕方ない。彼自身、其れを忘れているはずだ。
静かな闇の中。
それが、確実に息を潜めている。自分が死ぬのではないか――――そんな確信に満ちた気配の中で、ソウが口を開く。
「でてこいよ。そこの怪物」
口から出たその言葉が、そのままの意味を持っていることに、ソウは気がつかなかった。
闇から出て来たのは、異形の者だったからだ。
研一は、暇だった。
御神木までは道として一直線で、迷うわけも無い。墓石や枯れ木に囲まれている所為で不気味な雰囲気を払拭できなかったが、別に恐くなかった。
さっさと御神木から御神籤を剥がすと、その場に座り込む。
長いトイレだと思いながらも、研一はどうしようもない不安があった。
よく考えれば、おかしな話だ。いつもははばかりを使わない彼が、今回は其れを使った。
「………雪がくれ、か」
雪は、全てを包んでくれる。真夏の暑い外気に肌を晒しながらも、自分は雪を思い出していた。
あの空から降り積もる白い粉。大自然が作り出す彫刻、とも言うべき、あの淡い結晶。
冬は、好きだ。気を抜くとすぐに風邪を引くし、乾燥するが、空は綺麗で星が見えるし、雪景色は綺麗だ。
「見に行ってみる―――――」
ソウの様子を見に、戻ろうとした瞬間だった。
光が、あふれ出していた。ハッと見上げた先にあった御神木の幹に長方形の光が、あふれ出していた。
紅い翼を持つ、『天使』だった。
そしてその『天使』は――――研一を、押しつぶしていた。
混乱しないわけがない。
まず一つ。
目の前に女の子がふって来たという事。
服装は赤と白の派手な服だが、格好はどこの国のものか分からない、軽装の騎士を思わせる洋装だ。しかし、それも酷く劣化―――破損していて、よく分からない。みてみると、焦げているのが分かるが、どちらにしろ重い。
その二、体中が傷だらけだ、という事。むきだしの太股や腕には鋭い傷が走り、意識がないのか、ぐったりと研一の腕の中に倒れていた。
一番驚いたのは、三番目の理由。その少女がとても綺麗だ、ということだ。
顔は、恐ろしいほど整っていた。まるで、精巧細工の人形のように、細い顔立ちに意志の強そうな眼立ちは、思わず息を飲むほどの美人だ。
髪の毛は、少しだけ紅く、光に揺れていた。短く切り揃えられていたが、ボーイッシュな印象を与えた。
しかし、彼女の持ち物は、不思議なものだけだった。
先の折れた槍(確か、馬上槍と呼ばれるものだと思う)、円形の盾、折れた片手剣。そのどれもが銃刀法違反に触れるだろうし、危なかった。模造品だとは思うが、人は殺せそうだ。
まるで、どこか違う世界の騎士だ、と思う。手甲と軽装の鎧を見る限りだが、何となく、ゲームの中に存在するデザインのようにも感じた。
恐る恐る、彼女に耳を近づけた。呼吸音と、胸が上下しているところを見れば、生きているらしい。
「とにかく、医者に見せないと」
落ちている武器などが何の意味を持つのかは分からないが、とりあえずここに置いておくべきだろう。
やましい気持ちが無いのを一人で納得しながら、彼女の頬に触れた。
瞬間、眼が開く。
その眼は、燃えるように紅い色を宿し、虚ろな色を感じさせていたが、研一を見るとその焦点を合わせ、見合ってしまった。
思いっきり視線を交わして十数秒――――彼女の顔が、見る見るうちに紅くなっていった。研一は、とりあえず弁明の言葉を吐こうとして。
「無礼者ッ!」
思いっきり、殴り飛ばされた。
グーで、思いっきり。何の躊躇もてかげんも無いその一撃は、細身の彼女からは想像も出来ない一撃となって、研一を殴り飛ばしていた。
はぁ、はぁ、と肩で息をする彼女の一撃を貰った研一は、わけも分からない怒りを受け、途端に逆上し、立ち上がりながら叫んだ。
「何をするんだよ! いきなり!」
「あ。………?」
怒りの表情だと思っていた彼女は、キョトンとしていた。拳を訝しげに眺め、あたりを見渡す。
その眼が研一に戻ると、ずいっと顔を近づけ、まじまじと見てくる。何となく気恥ずかしくなった瞬間には顔を離し、呟いていた。
「………もしかして、本当にチキュウ≠ヨ………」
「何いってんの?」
落ちた衝撃で頭が悪くなったのではないか、と少しだけ心配になりながら立ち上がる。訝しげにみている研一をみて、彼女は眉を潜めた。
しばらく眺め、小さく呟く。
「………確かに、違う。………マナ≠熨Sく感じない」
「は?」
訝しげな声を上げ、研一はハッとする。木の上を見上げ、眼を凝らしてみた。
暗い闇―――ぼうっと木々の輪郭が浮かぶが、不自然な所は無い。疑問に思いながら、口を開く。
「大丈夫? かなりの高さから落ちてきたようだけど」
「………馬鹿にするな。人間とは、違う」
小さな子供が捻くれるような、不機嫌そうな声。訝しげに思いながらも、彼女のほうに向き直る。
ちょうど、彼女と視線が合った。その彼女は、なにやら楽しげに微笑むと、頷いた。
「しかし、心配してくれた事は素直に感謝する。申し訳ない」
「あ、いえ。無事ならそれでいいんですけど………」
どこか上の立場と、どこか訝しげな言葉を聞きながらも、研一は彼女の様子を観察した。確かに、ところどころ擦り切れている以外、問題は無さそうだ。
そう思った瞬間、彼女は突然名乗った。
「私は、レンカ。名前は?」
その言葉に、研一はハッとした表情を浮かべた。一瞬だけ理解できなかった研一は、時間をかけてその言葉の意味を把握すると、答えた。
「は? え? ええっと………須々木 研一です」
「研一か。………いい名前だ。無礼を承知で、一つ聞きたい事があるのだが――――――」
完全に主導権を握られた状況だった。
彼女はゆっくりと立ち上がると、身体を動かした。二、三身体を動かした後、彼女はゆっくりと研一に顔を向けた。
不思議な、真赤の眼。その眼で見ながら、彼女は口を開いた。
「円卓≠ニいうのを、知っているか?」
「………円卓≠セと?」
「そうです」
ソウは、目の前に立っている存在の言葉が信じられなかった。
研一が行った後、殺気は消えた。月明かりに映る黒い影―――それと同調するような、黒い装束を着ている女性が、姿を現す。
黒髪、黒目。ソウよりもやや低い身長を持つ、端整すぎる顔立ち―――見慣れない服装だった。それは、よく雑誌で眼にするコスプレ≠ニは違い、自然な服装だ。
冷ややかな視線。人を見るものとしては、ゾッとするような視線だったが、生憎とソウには何の恐怖も与えない。彼女は、姿を現すや否や、こう言った。
「生活を変えたくないですか?」と。
その言葉に、ソウは心を動かされた。意味は分からないが、彼女の姿全てが、その言葉の証拠に近い感覚を植えつけたのだ。
彼女は、説明を続けた。
彼女達は、異界の住人。円卓≠ニ呼ばれる儀式をチキュウ≠ナ行い、最後の一人、異界での神≠ネる存在を選出するまで、戦い続けると言う事だ。
そして、円卓≠ニいうのは、異界の戦争だった。
彼女の説明は、続く。
「とはいえ、私達はこちらで死ぬわけではないのです。聖痕≠ニ呼ばれるものが破壊されれば、元の世界に飛ばされる。無論、死んでも、ですが」
ソウは、決して警戒を解かずに、彼女へ聞いた。
「どうして、わざわざ俺に話す? 円卓≠ニやらを、勝手にやればいいんじゃないのか?」
はっきりいって、目の前の存在の力は、自分よりも上だ。どう足掻いても一回目で殺されるし、勝ち目は無い。説明してくれる理由すら、分からなかった。
殺せば良い、と暗に告げたつもりだったが、そうは行かない、と彼女は言った。
彼女たちが戦うには、根本的エネルギーマナ≠ニいうものが必要らしい。これは、彼女達の世界にはあり溢れた粒子なのだが、チキュウ≠ノは存在しないということだ。
つまり、彼女たちがいう『能力』が使えない状況だといえる。力自体は通常通りらしいので、強いのは違いないが。
マナ≠作る方法は、一つ。
契約≠ノより主従関係を作るのだ。二人の想い=\―――神になりたい、最後に立っていたい等――――が聖痕≠ゥらマナ≠生み出すのだ。
主が死んだ場合、従者も死ぬ。が、従者が死んだ場合は、主は死なない。主になれば、ある程度の攻撃力や防御力が備わるので、まず死ぬ事は無いらしい。
そして、主の『許可』が無ければ、この世界で『能力』が使えない。これは、この世界を護るための戒律だと、彼女は言った。
最後に、彼女は締めくくる。
「最後の一人になった従者の主は、どんな願いでも叶う権利が貰えるのです。どんなに不可能そうで、無理そうでも――――たった一つだけ、願いが叶うのです」
彼女の言葉は、そこで途切れた。あとは、ソウを値踏みするような視線だけが、残っている。
ソウは、小さな声で告げた。
「………全員で、何人いる?」
「全部で『一〇八』………もしくは、少し多いかもしれないですね。とはいえ、戦いはあと一周線ほどで始まるようでして。力が貸して欲しいのですが、むろん、強制はしないですよ」
淡々と答える彼女の眼差しを、ソウはずっと見ていた。
嘘をついている眼ではない。
ソウは、数多い人との対談で、嘘を見分けることができるようになっていた。その中で、分かったことが幾つか、ある。
目の前の存在には、絶対に勝てない。さらに言えば、彼女は絶対的に自分へ協力を求めているわけではなかった。
フッと、鼻で笑う。どちらにしろ、ソウの答えは決まっていた。
一歩進み出て、口を開く。
「お前の、名前は?」
黒の女性は、小さく笑う――――そして、冷たい響きを持って、口を開いた。
「アメーリア。『能力』は、後々で教えます」
「………海藤 創だ。いいだろう。力を貸してやる」
こうして、彼は円卓≠ヨ足を踏み入れたのだ。
「………信じられないというのは、分かる。私も、この世界に来てようやく、実感したぐらいだ」
レンカの口から出た言葉は、円卓≠フ戦いだった。彼女達の世界の神を決め、こちらの世界ではどのような夢でも叶う、夢物語のような戦い。
レンカは、続けた。
「しかし、強要するつもりも無い。………ただ、なんとなく身元を説明しただけだ。疲れているらしいな。気にしないでくれ」
どうやら、かなり真面目な性格らしいが、突然の事に研一としては、疑いを持つものでしかない。
(………病院に連れて行くべき?)
実のところ、目の前の女性が違う世界の存在だとは、到底思えなかった。
確かに、眼は炎のように紅いが、今はカラーコンタクトというものが在る。服装だって、どうにでもなるだろう。
しかし、彼女の言葉には有無を言わさない確信めいた何かが、感じられた。
何かを言おうとする彼女―――レンカとの間に、奇妙な違和感が漂う。その違和感を覚えるよりも早く、その声が、響いた。
「きゃああああああああ!」
闇夜を切り裂く悲鳴に、研一は、聞き覚えがあった。
皐だ。間違いない―――そう考えた瞬間、彼女が叫んだ。
「気をつけろッ! なにかいる!」
そう言って、地面に刺さっていた剣を引き抜き、腰に差す。其れを手放した瞬間には、その近くに落ちていた槍と盾を拾い上げ、走り出す。
研一と同じスピード。研一は、彼女に目もくれず、全速力で走っていた。
駆けつけた瞬間、その光景に眼を疑った。
場所は、境内の中。森がざわめき、風が葉を吹き回し、舞い散らせる中。
『キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
紅い眼光を輝かせ、八本の細長くしなやかな脚を持つその体は、神社の境内にある狛犬の像の二倍ほどある、巨大な蜘蛛。
蜘蛛だった。