4、コミュート。

 

 

 

 六年前。

 彼女と再会したのは、集中治療室だった。

 近所では、才色兼備、大和撫子と賞された彼女の体は、ほとんど残っていなかった。右腕は肘から先がなく、左腕はほぼ全て、なくなっていた。両足は、裂けて四つになっていたせいで、立つことも出来ない。

 端整な顔立ちは、火傷や傷で、酷く晴れ上がっていた。息をしているのかどうかあやしいほど、それは、人として欠けていた。

「………黎徒ちゃん、なの?」

 そこにいるのは、小学生の黎徒。

そして、目の前にいるのは、姉のような存在だった、憧れの人。その姿が痛々しく、許せなかった。

 しかし、彼女は笑っていた。最後に、黎徒に会えたからだ、という。

「最後だなんて、言うなよ」

「ふふ。………この体じゃあ、誰も、お嫁さんに貰ってくれないからね」

 途切れ途切れの、力のない声――――黎徒は、涙も流さず、笑う。

「俺が貰ってやるよ。………だから、だから」

「………いいのよ。私は、彼女を救えなかったんだもの」

 彼女―――――その示す相手を、黎徒はわからなかった。やがて、小さく眼を閉じると、最後に口を開いた。

「………鬼≠、お願い、ね」

 それっきり、彼女が眼を開く事は、なかった。

 

 

 

 

 

 

「宗ちゃん、梢ちゃんと一緒にいてあげて。僕達は、昨日の放送の元を探そう」

「………ああ」

 そう答えたのは、吉雄だけだった。浅葱も少なからずショックだったようで、すぐには反応しなかったが、小さく息と眼を閉じると、いつもの表情で、答えた。

「………分かった。堤杜が死んだとは思えないが、この計画を立てた奴を、見つける」

 怒りの眼差しを向ける浅黄へ、恭は少しだけ微笑んだ。

 

 彼らは、旧校舎の1階、放送室へ足を踏み入れていた。

 埃っぽい部屋の中―――放送機具を、確認する。電源はついていないし、つけられたような形跡もなかった。

 少し考え、浅葱が電光板のパネルを開いた。ジッとそれを見て、呟く。

「………バイパスも、ないな。………あの放送は、どこから?」

「前の校舎じゃないのか?」

 浅葱の疑問を、吉雄は聞いていたのか、窓のカーテンを開きながら、告げる。恐らく、その可能性のほうが高いと感じているのだろう、浅葱も小さく頷いていた。

恭は、注意深く放送室を眺めていた。それでも、何の違和感も無いのを確認すると、彼らに向かって、口を開いた。

「もう一度、あの教室に戻ってみよう。なにか、あるかもしれない」

 恭の言葉に、浅葱は頷き、彼らは2階の教室に向かった。

 荒れ果てた、学び舎の一室を、彼らは隅々まで調べた。時計の横に付いているスピーカーを壊しても見たが、どこにも音源となるようなものはなかった。

 結局、梢と宗が戻ってくるときには、昼を過ぎていた。

一行は、新校舎の3階へ、戻ってきていた。

 道中も、今も、一行は言葉を一つも発しなかった。ずっと、先頭に立って彼らを引いて来た存在である黎徒の死――――携帯を持ってきた梢は、それをずっと握り締めていた。

 それを見ていた吉雄が、若干怒りを織り交ぜた眼差しで、梢を睨みつけた。

「………おい、梢。黎徒は死んだんだ。いつまでも、浸るな」

 吉雄の言葉に、梢が震えだす。小さく震える肩を見て、吉雄は小さく舌打ちし、携帯を取り上げようと手を伸ばし。

「………お前もかよ、宗」

「先輩は、まだ生きています」

 睨み付ける宗の言葉に、吉雄は大きく舌打ちすると、二人から距離を取った。その様子を見ていた恭の眼が、鋭くなった。

「喧嘩をするな。今は、あの化け物の相手をどうするか、考えるべきだろう?」

 浅葱の言葉に、吉雄は鼻を鳴らして答えた。

 

 そして、夕闇が学校を包み始めた。

 

 

 

 夜が訪れ、昨日とは違う雰囲気の中、一行は新校舎の2階の奥の教室で、休憩を取っていた。

 しかし、昨日とはまた、違う雰囲気が一行を包んでいる。黎徒の死にコミュートという謎の生命体の存在が、五人の緊張感をいやでも高めた。

入り口に吉雄が立ち、恭が教室の中心に集められた四つの机の上にアルコールランプを起き、梢達のほうを見ていた。

「何か食べないと、身体に毒だよ? 梢ちゃん」

 恭の言葉に、梢は首を左右に振る。梢の横で彼女を見守っていた浅葱が首を左右に振ったところで、恭は軽く頷き、それ以上無理強いする事は無かった。

 やがて、浅葱が立ち上がり、恭に近づく。入り口にいる吉雄へ聞こえないように、告げた。

「梢の疲労と精神的苦痛は、大きい。………親しい友人の死を目の前で見たのだから、仕方ないだろう、が」

「それは君も、かな?」

 恭の言葉に、浅葱は一瞬驚いたような顔で見たが、ややあって、表情を変える。

 物悲しげな、表情へ。

「あいつの分まで頑張ろうとしているだけだ。可愛げのない、つまらない女だよ」

 浅葱がそういった瞬間。

「………助けに、来るのかよッ!」

 突然の、吉雄の叫びが、教室に響いた。

 ビクッと身体を跳ね上げた梢と宗を見た後、恭はゆっくりと吉雄へ視線を向ける。

 怒りに双眸を歪めている吉雄は、叫んだ。

「あの化け物ッ! 黎徒は死んだッ! 助け何ざ来るわけねぇんだよッ!」

――――それは、誰もが考えていたことだ。

 過去、確認されているだけでも二回起きている、『神隠しの金曜日』。生存者ゼロのこの事件の、本当の目的。

それは、あの怪物にあたえる、餌の供給だったのだ。

「餌だぞッ!? 俺達は、あの、コミュートとか言う奴の、餌なんだッ! 殺される、殺されちまうんだよッ!」

 悲痛めいた叫び―――誰もが、そう考えていた時だった。

 吉雄の叫びに、恭は小さく息を吐く。その場で立ち上がりながら、呟いた。

 その言葉は、意外なものだった。

 

 

 

 

「………そうか。君が、鬼≠セったんだね」

 

 

 

 

 ピクッと、吉雄が驚きの顔を向ける。それをしっかり見ていた恭は、肩をすくめあげながら、続けた。

「最初から、君があやしいと思っていた。皆を不必要に不安がらせていたし、本当は五枚ある天板を、外に捨てていた」

 ゆっくりと、恭は梢達と吉雄の間に、体を入れた。キッと睨みつけながら、恭は続ける。

「それを、外に居た黎徒が見ていてね。交代のとき、宗ちゃんを起こす前に、それを確認しに行ったんだ。其処には、こう書かれていた」

 吉雄の前に包丁のついた棒を突きつけながら、恭は口を開いた。

 

「12月 11日。ウラギリモノガイタ。12月 12日、ウラギリモノハ、オニ=Aイレラレテイタ。ワタシハ、カレヲコロシタ、とね。最初から、ずっと不安を煽っていたのは、冷静に判断されて、コミュートが殺されないため―――」

 

 恭が、そういっていたときだった。

 

 

 

 

 パン、という軽い音が、其処に鳴り響いたのは。

 

 

 

 

 ゆっくり、倒れる恭―――彼の大きな身体に、穴が開いていた。その先、吉雄が構えているのは、黒光りする何か――――銃だった。

 目の前で死ぬ、恭――――殺した吉雄は、小さく笑い――――やがて、大きく高笑いした。

「ハッハッハッ! ただのデブのくせして、仕切りやがって。そうだよ、俺が、このゲームの鬼≠セよッ!」

 吉雄の急変と叫びに、梢はその場で、動きを止めていた。

 宗は、脅えて彼女の影にいる。浅葱は、それに驚きながらも、梢をかばうように腕を出し、叫んだ。

「吉雄、貴様ッ!」

「は、お前に貴様呼ばわりされる筋合いは無いよ」

 そういって、吉雄は銃を向ける。吉雄は、荒っぽく頭をかくと、口を開いた。

「お前達は、最初からそうだったな。黎徒の馬鹿や恭のデブの言う事はしっかり聞いて、俺の話す事は何一つ、耳を貸しやぁしねぇ。いい加減、本当にうんざりだぜ」

 其処にいるのは、いつもの吉雄ではなかった。怒りと、ようやく何かから開放された面持ちのまま、近くの椅子に、座った。

「………人殺しがッ!」

 浅葱の言葉―――それを聞いて、吉雄は鼻で笑い、答えた。

「は、こんな辺境に来て、モラルもへったくれもあるかッ! 俺は、ずっとお前達を抱いてやろうと思っていた。………そのチャンスはあったが、あの二人は全然そんな様子も見せネェ」

 吉雄は、その卑下した視線を向け、微笑む。それを見ながらも、浅葱は小さく二人を見る。

 二人は、完全に脅えていた。梢など、黎徒が死んだショックから立ち直っていないときの衝撃―――状況が、全く飲み込んでいない。

 浅葱は、聞いた。

「じゃあ、貴様は最初から知っていて、この島に来たのか………ッ?」

 疑問―――それに、吉雄が嬉しそうに微笑む。

「ああ。この話を持ってきた老人には、今でも感謝しているよ。こうやって、お前たちに恐怖を与えて、好き放題に出来るんだからな」

 立ち上がる吉雄―――それに、浅葱は叫んだ。

「それじゃあ、私達を巻き込んだのはッ!?

「俺だよ。あの二人が来るとは、予想外だったがな」

 ゆっくり微笑む吉雄―――そして、近付いてくる。

 伸びた手が、梢に触れる瞬間だった。

 

 

 

その声が、聞こえたのは。

 

 

 

「そうか。やっぱりね」

 驚いたのは、吉雄―――驚いて振り返った瞬間には、右腕の銃がつかまれ、顎を蹴り飛ばされる。次の瞬間には、顎に掌底が入った。

 其処に立って居たのは、恭。銃弾は確実に胸を打ち抜かれているのに、彼は立っていた。

 首を鳴らし、恭は吉雄に向き直る。驚いていた吉雄は、叫んだ。

「な、何で生きてやがるッ!?

「………僕がデブだって、勝手に決めて」

 

 

 恭が手を掛けたのは、自分の体―――服を、剥ぎ取る。

 そこにあったのは、彼の脂肪まみれの体。銃痕のくすぶっている煙が上がるその首元に、恭は手を突っ込み、剥がした。

 ベリベリという音と共に、皮膚が剥がれる。その奥にあったのは、引き締まった体躯―――剥いだ皮膚には、黒光りする板が入っていた。

 全身を、剥いで行く。顎下の皮膚をはがし、口の中から、透明の板―――合成シリコンを、吐き捨てた。

 顔が、引き締まる。脱いでおいたタンクトップを着込み、ズボンのベルトを引き締めると、再度、吉雄に向きなおった。

 全員が、絶句していた。それを静かに見渡し、恭はすっきりした体で、首を鳴らした。

「あ〜〜〜。大衆の前で、こう軽い体を動かすのは、五年ぶり。さて、いろいろ、聞かせてもらおうかな?」

 其処にいた恭は、見た事がなかった男性だった。引き締まった体躯に、細い輪郭―――無駄な脂肪や筋肉が一つも無い、というぐらい、力強い格好。

 ソレを目前で見ていた吉雄は、ジリジリと少しだけ退きながら、悲鳴をあげた。

「て、テメェ………、な、何者………っ?」

 その言葉を聞いて、恭は笑顔を浮かべて、答えた。

「SAT―――其処から派遣された、潜入捜査官だよ。ま、君みたいな鬼≠探す為に派遣されたものでね。高校生のふりをするのは別段きつくはなかったけど」

 軽い口調でそう言いながら、恭は吉雄に近付く。

 恭の、不敵な笑顔―――吉雄が慌てて銃口を向けて、引き金を引く――――が、何もおきなかった。

 吉雄が驚いている間に、恭は距離を詰めていた。吉雄を思いっきり殴り飛ばし、落ちている銃を拾い上げ、告げた。

「安全装置が解除されているかどうか、きちんと見ておこうね」

 不敵な微笑が、其処に広がった。

 

 

 

 

「ごめんね、だましてて」

 吉雄を持ち出し袋の中に入っていた紐で縛り、キョウは扉に鍵をかけた。危険なものは全て取り上げ、彼はすっきりした体のまま、自分の剥いだ皮膚―――合成皮膚らしい―――の後ろ側から、黒い箱を取り出す。

「実は、僕、国際警察の候補生なんだ。童顔だけど、実は二十で、三年間、SATにいたこともあるんだ。凄いでしょう?」

 黒い箱を、開ける。其処には、黒光りする銃が一つ、そして銃弾が入れられた箱が、入っていた。それらをもち、弾を込めながら、話を続ける。

「『神隠しの金曜日』と呼ばれる事象は、実は全世界で起きていてね。それを調査するため、高校生の格好をして、潜入調査―――ある程度目星をつけて、行動に移したわけ」

「………潜入、調査か?」

 浅葱の言葉に、キョウは頷きながら、剥いだ皮膚からどんどん箱を取り出す。それらをあけ、何かを組み立てながら、話を続けた。

「三年、あの学校にいたけど、いい所だね。ま、だからこそ、彼が鬼≠セとは信じたくなかったけど」

「………なぁ、北方」

 浅葱は、小さく頭を抱え、言葉を区切る。「なんだい?」と訝しげに聞くと、彼女はキッと睨み、聞いた。

「きちんと、最初から説明してくれないか?」

 浅葱の言葉に、キョウは頷いた。作業の手を止めず、話を続ける。

「あの怪物、コミュート≠ヘ、実は地球外生命体でね」

 軽い苦笑――――それと共にいわれた言葉は、意外なものだった。しかし、キョウはたいして大事ではないように―――別段珍しいものではないように、口を開いた。

「一九九〇年にエジプトの砂漠に落ちた隕石に、それがついていて、肥大したんだよ。何を考えていたのか、その時の某国がそれを兵器化しようと考えて、この島を作ったんだ」

 怪物を隔離し、餌を与えるための孤島。

コミュートが見つかる心配も無く、連れてこられた餌の人間も逃げられない―――一石二鳥の方法だった。事実、その事件は神隠しの金曜日≠ニいわれ、未解決の事件となっている。

 しかし、ある日、ソレは崩れた。

「そこから脱出した人がいるんだ。しかも、女性でね」

 孤島から潮流に乗って流れ着いた女性により、国際警察はこの事件の真相に気がついた。

とはいえ、おおっぴらにすれば国際問題になりかねないそれを、どう解決するか―――――相手は、未だにどこのグループで、どこで行なっているかわからないのだ。

 その時に、某国は滅んでいた。実験を担当しているグループだけが暴走している、危険な状態。

「だから、仕方無しに僕みたいな秘密警察を子供たちの中に入れるっていう、危険な方法をとったんだ。ここに来て早二日――――そろそろ、仲間が迎えに来ると思う」

 そう言いながら、キョウが作り出したのは、M‐16という自動小銃だった。傑作とも言われるその銃を構え、キョウは三人に声をかけた。

「どちらにしろ、増援が来るのは明日以降――――今日、生き延びれば、僕達の勝ちだ………ま」

 そういって、キョウは近くの窓から、視線を下に向ける。

 外は、夕方。あと一時間もすれば真っ暗になるだろう、という外の森。視線のその先には、闇が蠢いていた。

「あれからどうやって逃げるかは、まだ分からないけどね」

 何―――――誰からともなく出そうな単語は、キョウの照らしたライトで、飲み込まれた。

 有象無象にいる、肌の露出した生命体――――コミュート。全員が、息を飲んだ。

 確かに、コミュートは太陽の下に出てくる事は無い。

「………バリケードを張ろう。たいして効果も無さそうだけど、日没まで時間がない」

 キョウの言葉に、全員が少しだけ、頷いた。

 

 

 

「………昔はね、日本で生まれたんだけど、渡米して、向こうで軍隊に入ったんだ。射撃の腕が買われて、国際警察に入った。それで、歳も近い僕が変装して―――夏は、被れて大変なんだけどね―――ずっと学園生活をしていたんだ。とはいえ、担任の先生さえ知らないから、仕方ないと思うよ?」

 そういって、彼は階段を机で埋めた。2階の渡り廊下を完全に机で埋め、その上に黎徒が作っておいた爆弾を置く。

「………でも、まだ信じられないな。北方が、痩せていて、しかもSATの人間だなんて」

 浅葱の戸惑いの声に、キョウは軽く笑いながら、答えた。

「だって、こんなに暑いのに、君達に渡したチョコレート、溶けてなかっただろ? 個人的にあれが好きでね、溶けないように氷入りの箱に入れておいたから」

 確かに、彼が最初に配っていたチョコは、少しも溶けていなかった。見るからに巨漢の彼―――しかもこの暑さで、確かにチョコは溶けていてもおかしくなかったのだ。

「わ、わざわざ太ったふりをしなくてもよかったんじゃないのか?」

 浅葱の疑問に、キョウは笑って答えた。

「あの人工皮膚は特殊性でね。触感に違和感はないし、透過性も無い。金属探知機すら、弾くんだ。こういう孤島に武器を運ぶには、ああしたほうが確実で」

 彼が持ってきた武器は、銃が二本、自動小銃一本、プラスチック爆弾が三キロだった。タンクトップに着替え、ズボンを履きなおした彼は、確かにいつものキョウではない。それでも、彼の笑う顔は、確かにキョウそのものだ。

 夕方もふけ始め、夜になる直前―――キョウは吉雄を叩き起こし、尋問を始めていた。

「………俺が聞いているのは、あのコミュートが夜行性で、夜にしか動かないってことだ。俺は襲われないっていわれてたからな。頼まれたのは、不安を煽れ、好きにしろってだけだよ」

 吉雄は、皆が知る彼ではなかった。あどけなく、いつも陽気な吉雄――――それを見て、浅葱が舌打ちをした。

 それが気に入らないのか、はたまた諦めたのか、吉雄は小さく、口を開いた。

「どちらにしろ、お前たちは助からないよ。ま、俺は」

 

「俺だけは助かる、なんて思わないほうがいいよ」

 

 吉雄の言葉を先読みしたのか、キョウはそう言いながら、窓の外を一瞥した。その場所から動かずに、言葉を続ける。

「そもそも、この事件は、コミュートへの栄養投与。………あのグループが、一人だけを助けるとは、到底思えないけどね」

「な………」

 吉雄が絶句する。その様子を見てから、キョウは小さく溜め息を吐き、「それに」と話を続けた。

「君は、変装が得意そうだけど、甘かったね。僕も黎も、君の事をただ一回も、吉雄≠ニ呼んだ事がないよ?」

 キョウの言葉に、浅葱は小さく声をあげた。

 確かに、この島に来て以来―――黎徒とキョウは、浅葱とばかりにコンビを組ませていた。これは、違和感無く、もっとも気丈で強い女子と合わせている、という事だった。

そして、そのままキョウは、沈痛な面持ちのまま吉雄の首に手を当て、呟く。

「本物の吉雄君は、すでに死んでいるかどうかは分からないけど………。成り代わったんだろ? 君は」

 次の瞬間、キョウの爪が皮膚を貫き、思いっきり剥いだ。

 その下にあった顔は、吉雄ではない、誰か―――――見たことのない顔だった。小さく溜め息を吐き、キョウは男を睨みつけ、告げた。

「僕と黎、吉雄君で決めたルールがあってね。君じゃあ、それを満たしてないんだよ」

「な、………」

 驚く男―――それを置いて、キョウは残っている三人へ、声をかけた。

「さ、ここの仕掛けは十分だ。そろそろ―――――」

 その時、1階で、盛大な音がなった。それが、コミュートの動きだと、キョウは確信する。

 そして、皆に向けて、口を開いた。

「これから、君達に頼みたい事があるんだ」

 

 

 

 コミュートは、特に何も感じない。

 痛みも、苦しみも、悲しみも。

 1階のドアを破壊した時、爆発が起こった。その所為で仲間が一体、吹飛んだが、誰も動きを止めようとはしなかった。

 全が一、一が全――――それゆえに、一つがなくなっても、何も感じない。何一つ、失っていないのだから。

 感じるのは、2階。全ての個体が、其処を目指して蠢く。

 彼らが感じるのは、一つの感覚――――その周りにあるのが、美味しい食べ物。

 唯一感じられる感覚―――喜びを、彼らは求めていた。

 階段の机のバリケードへ、全員が突進した。何体かが身体に机の脚が刺さり、後ろから突っ込んできた別の個体に、潰された。

 気にせず、上って行く。2階―――その一室に、それらは感じた。

 一つに集まっている。その数、およそ六―――彼らには、見る眼がなく、正確にはわからない。

 それでも、良かった。唯一感じられる喜びは、一つの喜びであり、全の喜びでもある。

 邪魔な要素は、一つも無い。時々それが入るのだが、今はもう、どうでも良かった。

 触手を、伸ばす。少しだけ、温もりを感じた――――――次の瞬間。

 地面が、揺れた。

 

 

 建物を構成しているものには、支柱というものがある。その中でも大黒柱と呼ばれる重要な柱があり、それが破壊されると、全ての支柱が崩れるというものであった。

 キョウは、その柱に幾つかの穴を開け、プラスチック爆弾を埋め込み、爆破したのだ。

 コミュートは、2階に集まっている。爆破すれば、崩れる足場と落ちてくる瓦礫で、数多くの個体を潰せるだろう。

「………本当に、奴等は向こうにいったな」

 浅葱の声―――それを聞いて、キョウは苦笑した。

 彼らがいるのは、旧校舎3階。吉雄の偽者は置いてきたが、他の全員はここに移動していたのだ。

 キョウがあの時いったこと――――それは、全員が共通して持っているものを、あそこにおいてくる事だった。

「………気がついたのは、あの放送のときさ。まぁ、最初からおかしいと思っていたんだけど、ね」

 キョウがいったことは、「携帯を置いて行く事」だった。

「………でも、どうして?」

 梢の声――――それに、キョウは答えた。

「彼らを見るかぎり、視覚や聴覚はない。考えられるものとしては、あの偽者が言ったように、蚊のように二酸化炭素や温度を察知するセンサーかな? まぁ、十中八九、違うと思っていたんだけど」

 そう言いながら、キョウは手に持っていたものに火をつける。アルコールランプ―――浮かび上がる顔を見て、互いの安全を確認した。

 キョウは、言葉を続けた。

「どう考えても、あれを完全に操る事なんて、出来ないだろ? だったら、彼らのセンサーを妨害して、混乱させていた、と仮定したんだ。ま、それが見事的中していたわけなんだけど………」

 彼らは、電磁波を察知する触角を持っていた。

放送のときは、この島全体に電磁波を出して混乱させ、この島にいる餌を与えるときは、あえて持たせておいた携帯電話を頼りに、餌をとらせる。このような孤島では、誰も文明の利器である携帯を捨てようとは思わないだろう、という考えだ。

 そう説明しながらも、崩れて行く新校舎を眺めていた。

 全部が崩壊した後、キョウは静かに銃を構えた。なんだろう、と思い梢が窓を覗くと、数匹のコミュートが、月明かりの下に来ていた。どうやら、無事なものがいたらしい。

 そう思って途端、瓦礫を這い出してくるものが、何匹もいた。

 次の瞬間、連続した破裂音と共に一匹の頭部が、吹飛んだ。それが倒れるときには、他のコミュートも、闇に引っ込んでしまう。

 撃ったのは、キョウだった。次々に照準を合わせ、コミュートの頭部を吹き飛ばす。

 弾が切れ、キョウは銃口をあげた。ふぅ、と息を吐きながら、弾を込める。

「三匹かな。頭部を打ち抜いても、まだ動いているから、危ないな」

「………SATにいたっていうのは、本当だな」

 浅葱の感心した声―――それを威張るつもりもなく、キョウは小さく首を横に振った。

「それでも、まだまだだよ。残りは、確認しただけでも五匹。………さ、封鎖するよ」

 これからは、SATの増援が来るまで、篭城する事になっていた。新校舎への細工が大変で、旧校舎には手が回っていないが、1階の入り口にはすでに爆薬が仕掛けてあり、崩れない程度の爆破で封鎖するのだ。

 キョウは、浅葱に武器を渡していた。黎徒が作った簡易爆弾と六発の銃弾が撃てる銃、そして、爆弾のスイッチだった。

「………あと一分後に、それを押して。その後は、明かりを消して、息を潜めて影に隠れていてね。その時、コミュートの動きが見えるようにね」

 そういって、キョウは歩いていった。

 

 

 

 1階の階段、唯一開いている入り口の前で、キョウは銃を構えた。

 すでにバリケードは、張ってある。机のたいしたバリケードではないが、少なくとも、動きは静かに出来るだろう。

 コミュートは、静かに入り口に近付いてきた。怪物―――改めてみると、醜悪なそのフォルムは、卒倒する人間がいてもおかしくないだろう。

 次の瞬間、通路が爆発した。

 驚きの咆哮をあげるコミュート。巻き上がる埃や煙で見えない中、キョウは落ち着くように息を吐くと、引き金を引く。

 軽い破裂音と共に、右腕に違和感が走った。

 飛び散る鮮血――――それが、自分のだと気がつくのに、そう時間はかからなかった。

 煙の向こうから伸びてきた触手―――それが、銃ごとキョウの腕を、弾き飛ばしたのだ。さらに引き伸びてきた触手が左肩を裂き、血が飛ぶ。

 驚くよりも早く、キョウは階段を駆け上った。駆け上りながら腰につけておいた手榴弾のピンを外し、下に向けて投げた。

 爆破―――しない。なぜ、そう思ったその時、耳に聞こえてきた。

 ジュプリ――――触手が、手榴弾を飲み込んでいた。爆破したのだろう、血を流しながら、一匹のコミュートが倒れている。その上を、数匹のコミュートが、通り過ぎていた。

(知能が、高いのかッ!)

 甘かった。

コミュートは、手榴弾の危険性―――つまり、殺傷能力のある爆破と共に飛び散る破片を、一人が文字通り身を犠牲にして防いだのだ。それが当然のように、他の個体がゆっくりと階段を登っていく。

 その緩慢な動きと違い、幾重もの触手の動きは、早かった。まるで槍のように突き出してくる触手を避けながら、キョウは階段を登る。

 プラスチック爆弾を仕掛けて在るのは、2階の階段。

其処を登りきって、3階に向かう途中――――気がついた。

 渡り廊下から続く粘液が、3階に向かっているのを。

 走り出す。その途中で爆弾のスイッチを押した。

 爆破音―――それを背中で聞きながら、キョウは3階の教室に、戻ってきた。

 その幾重もの触手が、蠢いていた。

 次の瞬間、触手が背中から伸びる。一瞬反応が遅れ、それが身体に突き刺さった。それと同時に体が持ち上がり、壁に叩きつけられる。

「北方ッ!」

 浅葱の叫び―――どうやら、彼女たちは無事らしい。自分は、着ていた防弾チョッキのおかげで、触手が止まっているが、アバラが折れたらしい。

 キョウには、どうしようも出来なかった。

 

 

 

 梢は、宗を背中に、目の前にいる怪物を見上げた。

 一回り小さな、コミュート。キョウが戻ってくるほんの前に、入ってきた怪物は、浅葱が銃を構えるよりも早く、彼女を薙ぎ払った。地面に叩きつけられる浅葱―――それに脇目も向けず、怪物は梢と宗のほうに、近付いてきた。

 口が、粘液と共に蠢く。それにゾッとしながらも、彼女は宗を背にしていた。

 キョウが戻ってきても、怪物は振り返りもしないで、彼を攻撃した。その後、浅葱の声が上がったのに、心の奥で小さく安心した。

 しかし、コミュートは止まらない。ジリジリと距離を詰めるコミュート―――――目尻に、涙が浮かんだ。

 目の前の存在は、私達を餌としか思っていない。尊敬の念も哀れみの念も、何も持っていない。在るのは―――――食に関する喜びのみ。

 何故、私達がこんな目に―――――――? 誰一人、かけることなく、ここから脱出すると、彼が言っていたのに。

「………堤杜くん」

 口からこぼれた、小さな名前――――

 

 

 

 

 

 

「おう」

 

 

 

 

 誰かが、答えた。

 

 

 

 





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