2、流動
「………んっ」
短い呼吸の後、梢は眼を開けた。ズキズキと痛む頭と未だにハッキリしない意識を駆り立て、体を起こす。寝ぼけ眼を擦りつつ、視線を自分の身体へ向けた。
服装は、学校指定の制服――――それを見た後、自分のいる場所を見渡した。
学校。すでにお昼を越えているのか、燦々とした太陽の光が窓の外から内へ差し込み、不思議な光景として眼に入ってくる。
学校と分かったのは、規則的に並んだ、
立ち上がりながら、辺りを見渡す。どこかの学校に間違いはないが、自分の知らない学校だと、一瞬で悟った。
「梢………」
声のしたほうへ、梢は振り返る。見覚えのある短髪の女子生徒が、今まさに体を持ち上げている所だった。
「浅葱さん………、だ、大丈夫?」
意識がハッキリして、梢は慌てて浅葱に駆け寄り、彼女の体を起こす。彼女も頭が痛むのか、頭を抑えていた。
梢に助けられ、あたりを見渡す。怪訝そうに眉を潜めると、梢に向き直って聞いた。
「ここは、どこだ? なぜ、私達………?」
「わ、わかんないけど………」
昨日――――委員会が終わり、家に帰るところまでは記憶がある。しかし、その後の記憶があやふやで、思い出そうとすると激しい激痛が、頭を襲った。
激痛に眼を細めていると、ドアの開く音が、静寂を切り裂く。
誰かが教室に入ってきた―――――そう思った瞬間に、声が聞こえた。
「………大丈夫か? 二人とも?」
そこにいたのは、堤杜 黎徒本人だった。
黎徒は、いつもの無表情な表情で教室に入ると、辺りを見渡す。教壇の辺りで立ち尽くす二人を見て、黎徒は難しい顔で頭を掻いた。
しかし、すぐに表情を心配そうに歪めると、怪訝な声で告げた。
「大丈夫か? 二人とも?」
改めてそういわれ、梢と浅葱はそれぞれ状況を把握しきっていない表情で、頷く。
「堤杜。………ここは、どこだ?」
浅葱の問いに、黎徒は表情を歪め、首を横に振った。
「わからない。何がなんだか、さっぱりだ」
そう言いながら、二人の元に歩く。
不安そうな表情を浮かべる梢と、怪訝そうながらも、凛と強い表情の浅葱二人をそれぞれ見て、とりあえず尋ねてみた。
「二人も、ここがどこだか、わかんないよな?」
黎徒の言葉に、二人は頷いた。黎徒は頭を掻きながら、辺りを見渡す。
「昨日、うちに帰ったところまでは覚えているんだが、その後があやふやでな。正直言って、頭が動かない」
黎徒はそういうと、近くの机に座った。梢と浅葱も、それぞれ教室の中を見上げ、いつもの日常から逸し始めた状況を、再確認する。
黎徒は、二人の不安を見てか、それでも冷静な口調で告げた。
「どうやら、どこぞかの廃校らしい。電気も、ガスも水も無い、な。蛇口を捻ってもでなかった。………誘拐か?」
「で、でも、いったいどうして―――――」
「黎」
梢が口を開いた瞬間、違う声がそれを遮った。
黎徒は、声のしたほうに向き直りつつ、言葉を返した。
「恭。どうだった?」
その言葉に答えるように、三人の人影が教室に入ってくる。その人物を見て、梢と浅葱は驚きの声をあげた。
そこにいたのは、巨体の恭と吉雄、そして宗だった。
宗は、起きた梢と浅葱を見て、顔を綻ばせる。そして二人に駆け寄ると、静かな口調で尋ねた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「う、うん。宗ちゃんも、来てたんだ」
言葉としては、緊張感が足りなかったかもしれないが、見覚えのあるメンツが揃い、梢の表情に初めて安堵の色が浮かんだのも、事実だった。
同じく少しだけ落ち着いた浅葱は、吉雄と恭、そして黎徒と見た後に、はっきりとした口調で告げた。
「いったい、何が起きているんだ? ここは、どこなんだ?」
浅葱の言葉に答えたのは、意外にも恭だった。そのふくよかな顔で辺りを見渡し、不安げに答えた。
「どうやら、本当に廃校だね。木造建築のこの校舎と、コンクリ造りの校舎が前にあるようだけど、まわりは完全に森。気が付いていると思うけど、冬なのに暑いから、南半球かな?」
「み、南半球ッ!?」
驚きの声をあげたのは、梢だった。
確かに、冬真っ只中だったというのに、今は温かい。よくよく見れば、男子生徒は腕まくり、宗は上着を脱いでいる。
それを意識した途端、梢も浅葱も上着を脱ぐ。今まで気がつかなかったが、びっしょりと汗がブラウスに張り付いていた。それでも、梢は長袖を捲り上げなかった。
「それで、恭。ほかに誰か、いたか?」
黎徒の言葉に、恭は難しい顔をして、答えた。
「人がいた形跡はあったけど、この階にはいないようだね。上か、前の新しい校舎のほうに行っているのかも知れない」
恭の言葉を聞いて、梢は声をあげた。
「ほかに、誰かいるの?」
梢の大きな声に、吉雄が頷きながら答えた。
「ああ。どうやら、俺たちのほかにも六人、いるらしい。とはいえ、六人っていう数は、黎徒の予想だけど、な」
吉雄の説明を聞いて、浅葱が黎徒のほうを見る。黎徒は、浅葱から睨まれながらも静かに首を横に振った。
「もしかしたら、という不安があったんだよ。高校生―――今は、六人だけど、集団誘拐されるような事件があるとすれば、「あれ」しかないから、な」
黎徒が口にした、「あれ」。
その言葉に、浅葱は絶句した。世界的に有名かつ、16年前から二回起きた集団誘拐――――それは、一つしか浮かばない。
浅葱は、自分で確認するように小さく、呟く。
「………『神隠しの金曜』」
そう、と言いながら黎徒は自分の腕時計を差し出しながら、続けていった。
「どうやら、巻き込まれたらしい」
黎徒の時計には、『2011年 12月 9日 (金)』と表示されていた。
それを奪い上げ、浅葱は食い入るように見て、頭を抱えた。そのまま口元に手を添え、信じられないような眼差しで見、呟いた。
「丸一日、気絶していたのか?」
「おそらく、な。誘拐した犯人が、場所を特定させないようにするためだろう」
黎徒はそう答え、立ち上がった。尻についた埃を振り払いながら、それぞれ五人を見渡す。不安げな表情を見せる梢を真っ直ぐ見て、黎徒は砕けたように笑った。
「安心しろ。昔はどうだったかわからないが、今の警察は確実だ。少なくとも六人、同時にいなくなっていれば10日もあれば場所を特定できるだろう」
そう言って、自分の携帯を取り出す。電波は無くとも、この携帯の周波数ですら、今のご時世では場所特定が出来る。電源が切られていなければ、だが。
電源は、生きている。他の人が持っていたものも、回収されずに手元にあった。とりあえず安堵の息が、誰からともなく吐かれた。
黎徒は静かに辺りを見渡すと、全員に提案した。
「これが本当に『神隠しの金曜』なら、あと六人いるはずだし、探してみるぞ。………できれば、錯乱してない事を祈ろう」
黎徒の提案に、全員が頷く。
先に行くのを恭と吉雄に任せ、黎徒はしんがりを務めることとなった。いつ、何が起こるかわからない状況下では、必然的な行動だろう。
「堤杜」
後ろを歩く黎徒の横に、浅葱が来た。前を笑顔で宗と話す梢に聞こえないほど小さな声で、浅葱は呟いた。
「………何故、携帯を奪わなかったんだ? 誘拐した奴がいるとすれば、百害あって一利無しだろう?」
そう聞かれ、黎徒は少しだけ頷いた。こんな状況で冷静に解析できる浅葱に内心感心しつつも、黎徒は考えていた事を言った。
「恐らく、見付からない自信か10日以内に何かしら起こすつもりなんだろうな。今までの犯罪を模した愉快犯かもしれない――――――どちらにしろ、組織ぐるみの犯罪に違いはないな」
奇妙なほど落ち着いている黎徒を見て、浅葱は感心したように頷く。しかし、その表情は厳しく、隙のない眼差しとなっていた。
そして、黎徒の少し前を歩き出す。その背中を見ながら黎徒は、静かに微笑んだ。
恭達が見回ったのは、旧校舎の1階。旧校舎は木造建築でかなり劣化しているが、誰かが荒らした様子もなく、整然とした雰囲気と年代を感じさせる埃の匂いが、充満していた。
「結構、きれい」
そう言い出したのは、宗だった。宗の言う通り、ガラスは割れていないし、机などは若干ずれているだけで、そのままだった。
それに対しては、吉雄が答えた。
「実のところ、ガラスってのは割れにくいもんなんだ。鳥とかが間違って突っ込んでくるとか、不良が叩き割るとかがなければ、意外に長持ちするんだぜ?」
吉雄の言葉に、宗は納得する。普段は寡黙な彼女だが、やはり今の状況はかなり不安なのだろう、梢の隣から離れようとはしなかった。
学校の2階―――廊下を不思議な面持ちで眺めながらも、一行は教室を一つひとつ確認しながら歩いていく。どこもかしこも整然としていて、逆に薄気味悪い印象を与えていた。
「………恐い」
黎徒のいつの間にか隣に来ていた梢は、そう言いながら身を震わせる。そういわれた黎徒は、静かに頷くと告げた。
「恐れるような事は無いだろう。別に、死体が落ちているわけじゃない」
「堤杜ッ!」
ドン、と背中を浅葱に衝かれた。衝かれて、梢が恐ろしそうに黎徒を見上げているのを見て、「あ」と声をあげる。不安げにさせてしまったのを後悔し、黎徒は慌てて言いつくろった。
「安心しろ、というのもおかしいが、俺達がいるんだ。あまり思いつめるな」
言いつくろうような言葉としては、やや説得力に欠けるが、梢は少しだけ笑い、頷いた。とはいえ、恐怖心が拭いきれているとは言いがたい。
失言に頭を掻きながらも、黎徒はすぐに立ち直る。
2階には、特に何もなかった。そのまま3階に上がろうか、とも話し合ったが、その頃には皆、お腹がすき始めていた。
「………お腹すいたね」
梢が苦笑しながら言った言葉は、全員に共通していた。とはいえ、このような廃校に食品などあるはずもなく、誰も荷物を持っていない。非常食があるとしても、新校舎の方だろう。
そう考えていると、前を歩いていた恭が自分のポケットから何かを取り出し、梢に差し出した。
それは、5cm角のチョコレートだった。いくつかそれを取り出すと、それぞれに配る。
「ポケットに入れておいたものだけど、溶けていないと思う」
恭の言葉通り、そのチョコレートは溶けていなかった。一行はありがたくそれを口に入れ、一掴みの気力を取り戻す。
黎徒は、ずっと外を眺めていた。少しずつ赤く染まり始めた森を見て、黎徒は何かを決したように、頷く。
「皆、聞いてくれ」
黎徒の言葉に、全員の足が止まった。振り返った全員を見渡し、黎徒は静かに口を開く。
「今から、食料を探してくる」
「………本気か、堤杜?」
黎徒の言葉に聞き返したのは、浅葱だった。それと同時に不安そうに梢が顔をあげた。
それぞれを見て、黎徒は頷く。
「食べるものなら、何かあるだろう。昔、森の近くで祖母の家があったから、食べられるものぐらい判断できると思う」
黎徒の言葉に、やや低い位置から声が上がった。
「でも、危険ですよ。先輩」
宗の言葉を聞きながらも、黎徒は何も答えなかった。さらに梢が何かを言おうと口を開くよりも早く、吉雄が肩を叩いた。
不安そうに振り返る梢へ、吉雄は笑顔を向けた。
「黎徒だったら、大丈夫だろ? むかしっから、サバイバル関係は強かったからな」
梢にとってその言葉は、初耳だった。浅葱もそうらしく、大きく首を横に振ると、憤然とした態度で向き直り、睨みながら告げた。
「駄目だ、危険すぎる。………少なくとも、明日にしたらどうだ? 今日は、とにかく寝る場所を探そう」
浅葱の言葉に、梢も同調する。彼女たちにとっては、知り合いが危険なところに行くのが不安なのだろう。
(………そう、上手くはいかないか)
そう胸中で呟き、黎徒は仕方無しに頷く。どちらにしろ、明日何かしらの方法で飲み水や食料を確保しなければ、三日も生きられないのだから。
全ての不安を後回しにし、一行は今日寝る場所を探していた。
「保健室なんか探せばいいんじゃないか?」
吉雄がそう発案したが、黎徒も恭も浅葱も、首を横に振った。彼らは一様に、1階に寝るのは危険だというのだ。
「狼やら野犬やら来てたら、危険だしね。できれば、3階辺りにいけばいいんだと思う」
恭の意見は、それだ。ちなみに、黎徒も同じ意見である。
しかし、浅葱は少しだけ意見が違った。ずっと難しい顔をしたまま、窓の向こうに映る白い新校舎を見ながら、小さな声で告げた。
「あちらにいると思われる六人に、できるだけ早く合流したほうが、どちらにしても、悪くはないのだろう? 今からでも行ったほうがいいんじゃないのか?」
確かに、何がいるのかも分からないこの場所では、人数は多いほうがいいだろう。それに、新校舎のほうが木造建築の旧校舎よりも頑丈で、安心できる。
ある程度話し合った後、結局は新校舎に行くことになった。渡り廊下は二階で繋がっているので、そこから行くことにした。
行く途中で、宗が珍しく手を上げ、意見をする。
「………トイレに、行きたい」
行く途中のトイレで、一行は用を済ませることになった。とはいえ、用を済ませるのは女性陣で、男性陣は最初に安全を確認した後、入り口で見張りをしていた。
ちなみにトイレは、和式だった。とはいえ、水が流れない今の場合、俗に言うボットン式便所のほうが良いのかもしれない。
そんな事を考えながらも、呆然と立っているわけでもなく、吉雄が口を開いた。
「実際、俺達がこんな目に合うとは、な。でも、ま、それも今回で終わるだろうけど」
携帯の発進元さえ抑えられれば、この場所などすぐに把握できる。そうすれば、あとは芋づる方式に裏の組織が引き摺りだされる事となるだろう。
そう考えていると、黎徒がいきなり立ち上がる。恭の方に向き直ると、眼で合図してから吉雄のほうに向き直った。
「俺たちも、用を足してくる。みんなと、ここで待っててくれ」
「はいはい、早めにお願いしますよ」
つまらなそうに口を突き出しながら、吉雄は答えた。それに満足したように頷くと、そのまま隣の男子トイレに入ってく。
ほんの十秒、時間をおいてから女性陣がトイレから出てきた。トイレットペーパーはなかったので、梢と宗がキチンと持っているティッシュを使用したようだ。
「手を洗いたいが、そうもいかんな。あとで、川でも探そう」
そう言いながら辺りを見渡す浅葱は、二人がいないことに気がつき、たった一人で座っている吉雄へ声をかけた。
「あの二人は、どうした? トイレ、か?」
「そういうこと。ま、ちょっと待っててやれよ」
吉雄の言葉に、浅葱は納得したように頷いた。
二人は、陶器の便器へ向いたまま、しばらく黙っていた。が、やがて黎徒が、静かに口を開く。
「話が、違うな。彼女達は、巻き込まないはずじゃなかったのか?」
黎徒の苛立ちの混じった声を聞きながらも、恭は苦笑しながら答えた。
「………まぁ、それは、組織次第なんだろうね。偶然、と考えるべきじゃない?」
恭の言葉に、黎徒は難しい顔をして唸る。恭は、肩をすくめその巨体をゆすりながら、やや楽観的な口調で、告げた。
「ま、でも君と僕がいるんだから、大丈夫じゃない? 鬼≠焉c……」
「わかってる。………とりあえず、明日は食料と水の確保だな」
そう確認しあい、二人は同時に体をゆすった。
トイレから出てきた黎徒達と合流し、一行は新校舎へと渡り廊下を通った。
が、問題はそこでおきた。
「先輩。………あれ」
宗の指差す方向――――新校舎に入る場所が、机などでバリケードが築かれていたのだ。それも天井ギリギリまで、後ろを何かで支えているのか、退かせそうにも無い。
「………新校舎にいる奴らが作ったのか?」
吉雄の言葉に、そのバリケードを調べていた恭が、汗でずり落ち始めた眼鏡を持ち上げつつ、肩をすくめ上げた。
「どうも、違うようだね。天井までぎっしり詰められているようだし」
ここは通れそうにも無い、という結論に達した一行は、来た道を戻ることにした。
しかし、違う方向を見ていた浅葱が、一行が歩き出しても動こうとはし無かった。所々のガラスが割れているのを見ている浅葱を見て、黎徒は声をかけた。
「どうかしたのか? 新井原」
黎徒のほうを少しだけ見て、すぐに壁へと視線を戻した浅葱が眉を潜めつつ、呟いた。
「妙だな」
浅葱の言葉に、全員の足が止まる。浅葱はそれぞれの窓を調べつつ、確信めいた言葉で呟いた。
「割れ方が、不自然だ」
「え? ………どういうこと?」
浅葱の言葉に、梢が思わず聞き返す。その梢を見返しながら、浅葱は近くのガラス片を拾い上げ、説明を始めた。
「さっき、吉雄が言ったとおり、ガラスが割れる状況など、まずない。それに、この窓は内側から割られている」
廊下にあるガラス片――――両脇にある八つの窓の内、割れているのは四枚。その割れたガラスが落ちている量をみて、黎徒も同意する。
「そうだな。カラスやらなんやらが割ったとしたら、血か死体ぐらい、あってもいいだろうし」
「………でも、先輩。ガラスは、内側に落ちていますよ?」
自分から聞くことも、話しかけることも珍しい宗の示唆したとおり、ガラスは内側に散らばっている。彼女の考えでは、外から割らないかぎり、内側に破片が散らばらない、と思っているようだ。
その宗の質問に、恭が答えた。
「ガラスは、ね。割れた瞬間に少しは、跳ね返りが出るんだよ。ほら、衝撃って波のように伝わるから、内側から割った場合、内側にもガラスが落ちる」
総体的に数が少ないが、それでもガラスが落ちているのは、はねっかえりの為。それは一つの可能性を示唆していた。
頭の回転が速い浅葱は、すぐに思いついたようだ。納得したような面持ちで、呟く。
「という事は、この場所は作られた、と考えたほうがいいのか」
「そういうことになるな」
わざわざガラスを割る――――それは、廃校を意識させるために誰かが仕組んだ、偽造工作だろう。そう考えるのが、妥当だった。
黎徒は、その言葉を聞いていながらも静かに首を振り、怪訝そうな顔で唸った。
「………わからないな。何故わざわざ、廃校にする意味があるんだ?」
黎徒の質問――――それを聞いてわからなかったのか、梢が疑問の声をあげた。
「それってつまり………、どういうこと?」
「………逃げられない可能性があるかもしれない、か?」
梢と違い、はっきりとした口調と重苦しい声で返答をする声―――それを発したのは、吉雄だった。驚いて振り返る一行をそれぞれ見て、吉雄は肩をすくめあげ、それでも真剣な表情で口を開いた。
「だいたい、予想はついているだろう? なぜかはしらないが、十何年前も起きている事件――――間違いなく、国外だ。どこかの無人島辺りがいい。学生を捕まえ、わざわざ作った校舎………おそらく、酔狂な奴らなんだろうな」
自嘲めいた笑みを浮かべる吉雄。
それを見ていた黎徒は、静かに頷きながら、補足した。
「何か、目的があるんだろう。少なくとも、前の事件も同じ場所で行なわれて、今回初めて新校舎が作らなければならないような、目的も」
そう言いながら、新校舎の方を見る。白い壁はコケやひび割れができているが、ガラスなどが割られていた。たいして、旧校舎のほうにはたいした損傷はなく、単純に老朽化の色だけが見えた。
推測を始めていた一行を見て、黎徒は頭を振った。ややあって静かに口を開く。
「ま、ここで憶測をしていてもわかんないだろう。早いところ、戻って寝床を探そう」
黎徒の提案で、皆が歩き出す。最後に歩き出す黎徒は、自分だけに聞こえる小さな声で、呟いた。
「新井原が、邪魔だろうな」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、黎徒は歩き出した。
仕方無しに戻ってきた一行は、黎徒と恭の意見どおり、3階へと登っていた。
場所は、二つの階段に挟まれた教室。もし仮に二つの階段のどちらから何かが登ってきても、もう片方の階段から駆け下りる事ができるからだ。
その教室に入り、まずは皆で全て机を後ろに動かす。一定のスペースを開けた後、全員がようやく落ち着いた。
「疲れた………」
梢の言葉は、全員の気持ちを代弁していた。とはいえ、それは当たり前ともいえる。
見知らぬ場所――――そして、何が起こるかわからない現状に、明日の食料すら怪しい実状。発狂しない人間がいるだけでも、上等だった。
とはいえ、それも長くは続かない。六日という期間は、ただの希望観測でしかないうえ、それ以上の期間がかかる可能性のほうが高いからだ。
(………まぁ、それは無いか。俺の、役割さえ終われば)
黎徒の考えなど露知らず、他の人間は持っているものをその場に広げていた。
「これ、ぐらいかな」
梢が出したのは、彼女のポケットに入っていたティッシュやハンカチ、携帯電話に化粧ポーチと財布、生徒手帳に腕時計、刺繍道具だ。
「………俺は、これか」
吉雄が出したのは、携帯電話にシャーペン、欠けた消しゴム、キシリトール入りガムにのど飴、櫛に油とり紙、整髪料、財布だった。ガムと飴は、貴重な食料かもしれない。
「僕は、これだけあったよ」
恭が出したのは、飴玉に板チョコレート、グミに携帯電話、生徒手帳、ハンカチに油とり紙、そして財布。やはり、一番食料を持っているのは彼らしい。
「………私、これ」
宗が出したのは、生徒手帳に携帯電話、ハンカチ、ティッシュにのど飴、それと咳止め薬と財布だった。薬は、貴重だろう。
「私は、これだ」
浅葱が出したのは、ハンカチ、ティッシュに携帯電話、生徒手帳とスケジュール帖、櫛と財布だった。彼女らしい、わかりやすい持ち物だった。
「………悪いが、俺はこれだけだ」
黎徒の持ち物は、ハンカチと携帯電話、そして財布。一番、荷物が少ない。
「………やっぱり、食料には限度があるね」
板チョコレート二枚、グミ一袋にガム四箱、そして飴玉四つにのど飴一本。ティッシュだってトイレなどに行くとしたら、貴重な資源に違いない。薬も、咳止めだけだが貴重だ。
「………ダメだ、こりゃ、死ぬな」
吉雄の冗談めいた声――――それに、誰も笑わなかった。
その荷物をザッと見て、黎徒は立ち上がった。怪訝そうに見上げる全員を見て、静かな声で告げた。
「これが仕組まれたものなら、どこかに食料があるだろう。どちらにしろ、火になるようなものぐらい探してくる」
時刻はすでに夕刻―――夕焼けに染まっていた森も、黒に染まり始めていた。さすがに灯も無いと、夜不便だろう。
「なら、私も行こう」
そう言って一番に手を上げたのは、浅葱だった。それどころかすでに立ち上がり、黎徒の指示を待っている。
大きく息を吐き、黎徒は告げた。
「俺と恭でいってくる。新井原は、皆とここで――――――」
「堤杜」
黎徒の言葉は、彼女の強い口調とたった一言の言葉で切られた。睨みつけるような眼差しで黎徒を見る。有無を言わせない、威圧感だ。
黎徒は大きく溜め息を吐く。彼女に口論で、勝てるはず無いだろう。
「わかった。後は………恭、頼むぞ」
残るのは梢と宗、そして恭だが、恭さえいれば問題は無いだろう。
黎徒は、浅葱と共に教室を出た。
「………とりあえずは、理科準備室に行かないか? ガスバーナーは無理でも、アルコールランプか何かはあるだろ」
浅葱の言葉に、黎徒は軽く頷く。
理科準備室などは、3階にあった。警戒しながらも、理科準備室のドアを蹴り壊し、黎徒達は中に入って行く。
「………埃っぽいな」
浅葱の率直な感想―――ボロボロのカーテンの隙間からさす部屋には、埃が舞っている。そこかしこに大きなワタボコリと、ステンレス製の棚、かけられた布、薬品が入れられている棚のガラスも、埃で汚れていた。
「あまり、手をつけていないようだな。人が入るのも久し振りらしい」
そう言いながら、黎徒は薬品棚のガラスを割ると、中身を見た。浅葱は浅葱で、使えそうなものを奥のほうで探している。
「………犯人は、何を考えているんだろうな?」
奥のほうから、浅葱の声がした。そのように会話する事が珍しいが、状況が状況なのだろう、話したいらしい。
黎徒は、少しだけ押し黙って、答えた。
「さぁな? 気が狂って人間がどうなるのか、調べるつもりなんだろ」
「………貴様は、最後まで狂いそうにないな」
浅葱の、苦笑とも信頼とも取れる、鼻で笑った声―――黎徒は、小さく笑う。
「お前もな」
――――やはり移転があったからだろうか、学校にはたいした薬品も残っていなかった。残っていたのは、アルコールと劣化したラベルの薬品、そしてメスなどが入った研究道具だった。それらを近くにあった袋に入れ、背負う。
「………良いものを見つけたぞ」
そういって浅葱が持ち出したのは、いわゆる『持ち出し袋』だった。それが四つ、そして、アルコールランプと代えの芯だ。互いに見つけたものを感心しながら、二人は理科準備室を出た。
「一応、家庭科室に行ってみるか? 塩でもあればいいし、包丁も何本か持って行ってもいいんじゃないか?」
黎徒の言葉に、浅葱は納得する。その足で家庭科室に向かう。
家庭科室は、意外と小奇麗だった。物は整頓されているし、壊れたものなどはない。
二手に分かれ、しばらく探す。合流したとき、見つけたものを見せ合った。
「予想外だったが、ここにも『持ち出し袋』があった。一人一つ分はあるな」
浅葱が見つけ出したのは、『持ち出し袋』と懐中電灯、そして包丁数本と塩、砂糖だった。
「こんなものが置いてあるとは思わなかったな」
そう言いながら黎徒がだしたのは、カセットコンロだった。ガス缶も数本、そして飛び切り長い包丁―――マグロ解体に使われる包丁だった。
「………それは、置いてかないか? 誰かが振り回したら、危ないだろ?」
浅葱の言葉に、黎徒は「そうだな」と頷き、それを棚の上に戻した。どちらにしろ、思った以上の収穫には違いない。
荷物を持ち替え、戻る途中、浅葱が口を開いた。
「なぁ、堤杜」
「………なんだ?」
小さな不安―――それを払拭するため、浅葱は口を開いた。
「………お前は、何でそんなに冷静でいられるんだ?」
浅葱の言葉――――それを聞いていた黎徒は、大きく溜め息を吐きながら、答えた。
「………最初に起きたのが、俺だからな。最初は混乱したが、混乱している場合じゃないって思ったんだ」
そう言いながら、黎徒は浅葱に向き直る。そして、からかうように告げた。
「お前だって、落ち着いていたじゃないか。お前こそ、何でだ?」
「な―――――」
黎徒の言葉に、浅葱は真っ赤になって押し黙ってしまう。ややあって、すねて口調で小さく答えた。
「………貴様が落ち着いているのに、私が取り乱すわけにはいかないだろう」
そう答え、彼女は前を歩き出した。その背中を見て、黎徒は小さく呟く。
「俺は、ここで死ぬつもりも無いし、な」
それは、本心からの言葉だった。
黎徒と浅葱が持ち帰ったものは、皆に活気を与えるのに十二分だった。『持ち出し袋』には保存食がたくさん入っていたし、アルコールランプの明かりは、小さいながらも暗闇の恐怖から開放してくれた。カセットコンロは、料理するのにも使える。
皆で話し合った結果、食料は浅葱が持つことになった。しばらくはここを拠点にして、外で安全な場所があったら其処に移動することで、決まった。
「それじゃあ、見張りは、最初は黎徒と梢、恭と宗、そして俺と浅葱でいいな? 三時間交換で、何かあったら全員を起こせ。何か、な」
吉雄の言葉に、全員が頷いた。携帯の時計は二十一時―――寝るには、丁度良かった。
本当は男女に分かれて寝るのが当たり前なのだろうが、皆不安なのだろう。比較的友好関係もあるため、一緒に寝る事になった。
寝静まる教室―――黎徒たちが居るのは一番奥の教室なので、一本道を警戒すればいい。後ろの扉は鍵を閉め、前の扉―――その前で、黎徒は背を壁に預け、暗闇の向こうを警戒していた。教室の向こう側にもう一個のアルコールランプがあるので、何かくれば逃げ込めるのも強みだ。
棒にくくりつけた包丁―――それを抱きかかえながら、黎徒は大きく息を吐いた。
「………大丈夫? 堤杜くん」
梢の声―――彼女は扉の向こうで、教壇の段差に座っている。その姿が見える場所に移動し、黎徒は通路の先を眺めながら、言葉を返した。
「なんだ? 眠いなら、寝ててもいいぞ?」
「そ、そういうわけにはいかないよ! 堤杜くんにばっかり、頼ってちゃ、いけないし」
本当は怖いのだろう、と黎徒は分かっていた。黎徒の近くに来たいのだが、廊下の闇の向こう―――呑まれそうな黒を、見ているのが怖いのだ。
実のところ、黎徒も怖い――――が、其処からいなくなるわけにはいかない。何かに囲まれるよりも、こうして見ていたほうが安全な事があるのだ。
とはいえ、梢が脅えているのにそういうことをするわけにはいかない。小さく溜め息を吐くと、教室の扉に背を預けた。体半分が、教室の中に入る格好になる。
梢はそれに安堵したのか、こちらによって来た。廊下を見ないように、背中を黎徒に預け、ようやく安心したように息を吐く。
しばらく、その格好が続いた。恥ずかしながらも、肩越しに伝わる鼓動に、黎徒は少しだけ居心地が悪かった。
場を打開する為に、黎徒は口を開いた。
「………とんだ災難だったな。こんなことに巻き込まれて」
黎徒の言葉に、梢が小さく首を振った。小さく息を吐くと、口を開く。
「………最初は、とっても怖かったけど、堤杜くんがいて、すっごく安心したんだ。確かに、状況は凄く怖いことなんだけど、皆がいたら、どうにかなるかなって、思えて」
彼女の言葉に、恐怖の色は見えなかった。どこか安心できる優しい声音―――不思議な声だと、黎徒は思う。
自分の決心が、揺らぐ。それだけはダメだ、と思い、黎徒は話を続けた。
「でも、まぁ、気にするな、というのもおかしいが、安心しているならそのままでいろ。終わったら、いつもの生活が待っている」
「………うん」
そういって彼女は、足を抱いた。その背中を見て、黎徒はあることに気がつく。
彼女はずっと、長袖のままだった。まくればもう少し涼しくなるというのに、全然そうするつもりも無いようだ。
「腕、まくったほうが涼しいんじゃないか? 暑いだろ」
「………」
小さく、頭を振った。眠いのだろうか、彼女の頭は小さく揺れている。
それを静かに見て、黎徒は窓から見える光を、仰いだ。
彼は、その光を向かい側の建物に見つけた。
紅い光―――ゆらゆら揺れる、人の明かり――――彼は、心の奥から喜んだ。
ここに来て、早四日――――自分以外の全員が、死んだ。唯一の親友は首を吊って自殺し、あの怪物の目から自分をそらしてくれた。
あの怪物―――――この島は、化け物の住処だ。そして、この時間はその化け物の時間だ。
走って、階段を駆け下りる。旧校舎には、自分たちが築き上げた頑強なバリケードが、張り巡らせられていた。
慌てて、それを外そうとする――――が、手が、其処で止まった。
闇が、蠢く。暗い廊下の先――――ソレが、其処にいた。
月夜――――月の光が照らす先にある、粘液のねっとりとした輝きが、眼に入った。
巨大な肉塊――――形容するのは、そういうべきだろうか。それは、いくつもの触手が生えた、ミミズのような頭部を持つ存在だ。
仲間を殺した、この島の怪物。
悲鳴――――をあげるよりも早く、ミミズの触手が、彼の口を貫いた。ソレは、首の奥―――喉を突き破り、骨と神経、血管ごと後頭部に貫いた。
彼の体は、小さく震えていた。それ以上、自分の意思で動かす事も出来ず、また、意識さえなかった。
怪物は、すでに意識もなくなった彼の死体を、いくつもの触手で持ち上げる。
ズリッ――――――
体の粘液を引き摺るように、ソレは闇に潜っていった。