八月十五日。
「花火の日である」
今日は、そんな俺の言葉から、物語は始まったのだ。
「花火?」
そう疑問の言葉を返したのは、この間友達になった梅澤 箕郷(晴海達とは初対面だそうだ)、不良少女である。今日は、俺が淹れたコーヒーを飲んで、ご立派にも新聞を読んでいた。
レストランのキッチンから言った俺の言葉は、カウンターに座っている箕郷から、入り口でリフティングをしている真理に伝わり、そして一番手前のボックス席で宿題をやっている祐樹、晴海と伝わったようだ。
そのいつもの面子に向かって、俺は言葉を繋げた。
「ほら、夏祭りで、いろいろ在って延期になってただろ? なんか、花火が湿気っていたとか何とかで」
その俺の言葉に。
「随分と、ご都合主義だな」
という、箕郷の嘲笑めいた言葉が戻ってきた。
うん、お兄さん嫌いだな、そういう子。
「お前、デザートなしな」
「な………ッ!? そりゃあんまりじゃネエか!」
うっさい、このデザート中毒め。ケケケ。後で、塩で作ったケーキをお見舞いしてやる。
そんなことを考えながらも、俺は言葉を続けた。
「どっちにしろ、見に行くんだろ?」
俺の言葉に真っ先に賛成したのは、入り口にいたはずの真理だった。サッカーボールを器用に頭に載せながら、駆け寄ってきた。
「もっちろん! コーチが連れて行ってくれるんでしょ!?」
取り合えず、頷いてから、箕郷を見ておいてやる。その俺の態度を見てからか、箕郷は唇の片方を吊り上げると、口を開いた。
「見た目と違って派手なのは好きだが、あんたと一緒に行く気はないね。勝手にするさ」
………どう見れば、派手なのが嫌いなのか、小一時間ぐらい問い詰めたい。とはいえ、一人で行く、ということは少し意外な気がしたが、まぁ、いいだろう。
どうせ、本音は―――――。
「恥かしいんだろ? 皆と行くのが」
「う、うるせえっ! お前も笑うなっ!」
だろうし、な。カウンターでニヤニヤ笑う真理を捨て置いて、俺は視線を晴海と祐樹へ、向けた。
「んで、お前はどうするんだ?」
「………」
其処で返って来たのは、黒い視線。黒い、というのは晴海の眼の色なのだが、あまり感情が読み取れるようなものではなかったのだ。
それでも、何となく了承の意味だと思い、聞いてみた。
「いくんだな」
俺の言葉に、小さく頷く。ビンゴ、と内心喜びながら。
「あ、なら、僕「祐樹も、だろ?」――――は、はい」
シャイな祐樹ボーイも、勿論参加。多分、晴海が参加しなければ、参加することも無かっただろう。
まぁ、男目から見ても、祐樹には欠点が無いし、晴海とは相性が良さそうだ。上手くいって欲しいなぁ、なんて思ってもいる。
とまぁ、そんなことを考えつつも、俺の計画は決まったようだ。
なら。
「んじゃ、一旦各自、家に帰って親御さんに連絡。夜の七時に、もう一回、此処に集合、な?」
期待にこたえるしか、無いではないか。
後に、誠のやつに「勝手にそう思っているだけだろ」と突っ込まれたのは、別の話である。
晴海達が帰路に付いたのは、二時頃、俺は生ゴミを埋めて肥料にする為の穴を掘るため、裏山の中腹に来ていた。
生ゴミというのは、ニオイが強い。飲食店では最大の天敵である鼠まで寄ってきてしまうので、遠くに作らないといけないのだ。
まぁ、こうして事件は起きたのだ。
七時。
いたって普通の格好で最初に牧場に現れたのは、晴海だった。黒いカーディガンに白いワンピースを着ている彼女は、森繁牧場直営レストランにいる孝治を、訪ねた。
レストランが出来てから、孝治はよく其処にいる。いつもいい匂いがする此処は、開業すれば、人気が出るかもしれない。
そんなことを考えながら、ぼうっと入り口で突っ立っていると、後ろから声をかけられた。
「晴海っち、こんばんは〜〜♪ 今来たとこ?」
そういって軽く手を振って現れたのは、真理だった。その彼女に軽く手を振り返しながら、晴海は口を開いた。
「今来た。………祐樹は?」
「祐樹君はもうすぐ来るかも。早くコーチのとこにいこ♪」
祐樹のことをあまり気にした様子もなく、真理は晴海の手をとって歩き出す。晴海は若干、気にはなったものの、すぐに気を入れなおした。
二人はそのまま、レストランの入り口を、開け放った。
「コーチッ! 花火会場にいこッ!」
その、軽快な真理の言葉に。
シィン‐‐‐‐‐。
「あれ?」
清閑なレストランの空気だけが、応えた。
「何処にもいない………」
「家にも鳥小屋にも牛小屋にも羊小屋にもいないよッ!?」
2人で森繁牧場の中を捜索したが、孝治の姿は何処にもなかった。夕闇に染まっていく牧場の中は、ひっそりと静まり返っており、異様な雰囲気を感じさせた。
レストランに戻ってきた二人は、とりあえずいつものように冷蔵庫から飲み物を取り出し、喉を潤す。熱帯夜に近い今夜は、まだ蒸し暑くなるようだ。
「先に行っちゃったのかな?」
光がついていたレストランで休憩していた真理の言葉に、キッチンに引っ込んでいた晴海は、首を左右に振った。
真理を見て、口を開いた。
「それは、ない。晩御飯の、ピラフが作りかけ………」
キッチンのコンロにはフライパンが乗っかっており、その中にはピラフが作ってあった。しかし、放っておかれてそれなりの時間が経っている所為か、もうぱさぱさになっていた。
其れを聞いて、真理は眉を潜めた。
「う〜〜〜ん。コーチが料理をほっぽり出して、私達を置いて先に行くわけないもんね。どこかに行ったのかな?」
真理が、う〜ん、と悩み声を上げた瞬間、レストランの扉が開いた。
「お、遅れてごめん!」
孝治か、と思ったが、入って来たのは祐樹だった。一瞬腰を浮かべた2人が、入ってきた祐樹を見て露骨にため息を吐く。
「………あの、結構傷つくんだけど」
「ち、違うんだよ。コーチがいないんだよ」
完全に無視する晴海に悲しげな表情を浮かべる祐樹を、真理が慰め、説明する。悲恋の色が強かった祐樹も、その説明を聞いたときから、眉を潜めた。
「孝治さんが? 出かけている、とかじゃなくて?」
祐樹の言葉に、真理は周りを見渡しながら答えた。
「うん。裏口は開いてたけど、コーチが料理を中途半端にして出て行くわけ無いし………」
「………でも、花火まであと一時間だよ?」
今、時計の針は七時十分を廻ったころだ。八時から花火が始まるのを考えると、もう一時間もない。
その時、今まで黙っていた晴海が、口を開いた。
「………裏山に行ってみる?」
晴海の言葉に、真理は一瞬だけ眉を潜めたが、すぐに叫んだ。
「って、危険だよ! この裏山、かなり広いんだよッ!?」
かつて、孝治を探しに裏山を駆け回り、道に迷ったところで孝治に助けられた経験のある真理の悲鳴に、晴海はスッと半眼を向けると、口を開いた。
「でも、孝治が怪我してたら、嫌だから」
歩き出そうとする晴海を、祐樹が慌てて止めた。
そのまま、投げ飛ばされる。綺麗に円を描いて落ちていく祐樹が、ボックス席に突っ込み――――沈黙した。
一方、投げ飛ばした晴海は、目を丸くする真理と顔を見合わせ、沈黙がその場を包む。
そして、しばらく静寂が続いた後。
「………看てようか」
「うん」
晴海と真理は、祐樹を介抱することになった―――時だった。
「おい! コラッ!」
バン、という音と共に、扉が開いた先には、見覚えのある少女が立っていた。
「遅いんだよ! 七時になったんだから出てきやがれ! せっかく私がお前たちと一緒にいってやろうって思ったのに――――って、何やってんだ?」
入って来たのは、箕郷だった。店内の様子にキョトン、としている彼女を置いて、晴海と真理はため息を吐いた。
「――――孝治が消えたぁッ!?」
箕郷の叫びに、目の前にいた晴海が眉を潜めた。もともと彼女をそんなに好いているわけでもなく、大声も嫌いな晴海は、それでもため息まじりに答えた。
「そう。私が来たときには、もういなかった」
「………って、それ事件じゃネエかよ! 警察には電話―――しても無駄か」
箕郷の言葉に、2人も頷く。この辺りの事情を知っているだけあって、かなり複雑だった。
真理は表情を戒めると、口を開いた。
「でも、コーチがいなくなるなんて、ありえないよ。何かあっても、コーチなら大丈夫な気がするけど――――」
それも絶対、とは言い切れない。数は少ないとはいえ、裏山には熊も出るし、真っ暗になったらもう、手のうちようがない。
「………待とうぜ? どうせ、トイレか何かさ」
そのまま、一時間がたった。
「――――遅えッ!」
そう叫ぶ箕郷に、答える人物はいなかった。真理はボールを抱えて座り込んでいるし、晴海はずっとテーブル席に座っている。その向かい側で祐樹が倒れていたが、誰も心配そうな表情を浮かべなかった。
「やっぱ、向こう側に行っちまったんじゃねえのか? ここから遠くはねぇし、向こう側に行ったらこっちに戻ってくるのは時間掛かるだろ?」
箕郷の言う向こう側、というのは、裏山を二つ越えた先にある隣町だ。裏山に迷いこんだ人はそのまま向こうの隣町に行ってしまうのは、この辺りでは有名なのだ。
「………それなら、それでいい」
小さく、それでも確実にそういったのは、晴海だった。突然の晴海の言葉に、2人が驚愕の表情を浮かべた。
【孤独姫】といわれた彼女が、別の人を心配している、というこの事実。レストランの外は月明かりでしか照らされていないが、窓の外を見ている晴海の表情は、間違いなく今までの彼女のものではなかった。
【孤独姫】は、変わった。笑う事は多くなったし、誰かを助けようと動くことだって増えた。周りに誰かを置くようになったし、誰かに近付いていくようになった。
その原因である恩人が、どこかに消えた――――その恐怖心が、纏わり付いていた。
―――その彼女の表情が一変したのは、外を見た時だった。
長い椅子をすべるように降り、駆け出す。入り口にいた真理が驚くのを気にせず、そのまま外に向かって走って。
扉を開けた。
そして。
「うわっ!? 吃驚したッ!?」
顔まで真っ黒にした孝治が、其処にいた。
そして、晴海は――――そのまま、抱きついていた。
驚いたのは、レストランから晴海が飛び出し、俺に抱きついてきた事だろうか。ただ、その締め上げが徐々に強くなっていくのと、前足を踏まれているのを考えると、完全に怒っているらしい。
「コーチ!」
晴海がスッと体を引いた瞬間、襲い掛かってきたのは腹部に走る重い一撃だった。其れが、顔から自分に飛び込んできた真理だと気がつくのに、そう時間は掛からなかった。
「げぼぉ」
「心配したんだよ! もう!」
ぐりぐりと頭をこすり付けてくる真理へ、俺は苦笑しながら頭を撫でた。
「この馬鹿ッ!? 何処行ってやがった!」
おお、何時の間にか箕郷の奴まで居やがる。まぁ、これで祐樹もいれば完璧なんだが、まぁ、いいだろ。
「それにコーチ! 花火が始まっちゃうよ! っていうか、始まったよ!」
その言葉に、晴海は―――表情を変えず、箕郷が不機嫌そうに眉を潜めた。
ああ、そういえば、そろそろか。
悲しそうにいう真理に、俺は不敵な表情を浮かべた。泣きそうな彼女の変わりに、左手で持っていたものを差し出しながら、口を開いた。
「なら、急ぐか。特等席へ、な?」
俺の言葉に、三人が眉を潜めた。
大輪の花火が空を染め上げ、闇夜に華を咲かす。刹那の間だけかすかに燃えることが出来たそれは、ほんの少しだけの残り火を残しながら、闇夜に消えた。
「………」
無表情ながらも、空に釘付けの晴海。
「うわぁ♪ すごい!」
子供っぽく、大はしゃぎしながら騒ぐ真理。
「へぇ」
大人びたように微笑むが、その実絶対にはしゃいでそうな箕郷。
三者三様の驚きを見ながら、俺はゆっくりと、湯船に身を沈めた。
湯船? 風呂にいるのか、と聞かれれば、答えはNOだ。
「―――――しっかし、驚いた。こんなところに露天風呂なんかあるなんて、な」
今。
孝治達は露天風呂の中にいる。杉の木で張られた質素な浴槽に、学校指定の水着に身を包んだ三人と、自分の水着を着た孝治は、文字通り特等席で花火大会を楽しんでいた。
夜空に咲く大輪の花火を眺めながら、孝治は答えた。
「俺も、まさか風呂を掘り当てるとは思わなかったよ」
二時頃にごみ用の穴を掘っていた孝治は、何時の間にか結構深い穴にまで掘っており、そろそろあがろうかと思ったところで、足元が崩壊―――お湯が噴出したのだ。
文字通り、御湯。恐らく地下に出来た空洞内で地下水と温泉が混じりあい、丁度良い温度になったのだろう、というのは晴海談。
しかし、噴出したときはかなりの熱さだったので、孝治は近くの川から水を引き、薄めた。その後、露天風呂を作ろう、と思って作って置いた木材を運び込んで脱衣所と広い足場を作り、風呂を作ったのだ。
そして七時ごろ、山を降りた孝治はそのまま皆の家(とはいえ、晴海と真理だけだが)を廻り、水着を借りて(邪な気持ちはない)戻ってきたのだが、レストランには光が燈っておらず、探しに出かけてしまったのだ。
つまるところ、行き違いが起きてしまった、ということだ。
そして、この三人とお風呂に入っているのだ。本当は三人だけに入ってもらおうと思っていたのだが、何時の間にか孝治まで入ることになり、こういう結果になったのだ。
断続的に鳴り響く、花火の発射音。そして空を染め上げるのは、紅い花。
顔を光で染め上げる三人をそれぞれ見て、孝治は湯船に浮かしたお盆の上から、ソーダの入ったお猪口(酔った勢いで何もしないように。しないがな!)で口を濡らしながら、思考を張り巡らせた。
(恥かしくないのか?)
はっきり言って、大きめに作ったとはいえ、ここはそれほど大きくない。其処に中学生とはいえ、女子が三人と大男一人が入れば、流石に狭い。
なので、必然的に体を触れ合ってしまう。孝治の横には晴海と真理、そして前には箕郷が居座っていた。
「しっかし、温泉まで沸くたぁ、良い物件だよ、ホント」
そういう箕郷は、かなり広い風呂場を独占し、孝治の用意した飲み物を飲んでいる。水着は真理のを着ているようだが、若干小さいようだった。
発育は悪くない―――むしろいいようだが、真理の方が身長は低くても発育がいいようだ。そんなことを考えた孝治を一瞥すると、箕郷は眉を潜めた。
「ロリコン」
「よし、外に出ろ。いや、やめよう。やめてください」
ニヤニヤとする箕郷が気に入らないが、孝治はもう気にする事もなかった。
「ねぇ、コーチ。最近、胸周りがきついんだけど、どう思う?」
「どうも―――っていうか、あー………ブラジャーにすればいいんじゃないか?」
からかっているのか、とおもった孝治の考えは、本当に悩んでいる様子を見せる真理へ、とりあえず解決策を提示する。
「別にスポーツブラなのを見たわけじゃないからな! こいつが脱ぎ散らかすから悪いんだ!」
「ど、どうしたのッ!? コーチ!」
突然暴走を始める孝治に、慌てて押さえつける真理。
それを冷やかに見ていた晴海は、騒々しい空を見上げていた。やがて、ゆっくりと真理に視線を向けると、自分の体に視線を落とし――――ため息を吐いた。
「………私が普通」
その言葉は、誰にも聞こえていなかった。
孝治第二回ロリコン説大口論を終えたところで、四人は湯船から上がった。
「「かんぱーい♪」」
「おうよ」
「………」
月夜の光だけの、踊り場に広げられた、孝治の手料理。湯上りで若干血色のいい三人と一緒に、若干遅い晩御飯を食べる事になった。
弁当箱を囲むように、四人が座る。席順は大体さっきと同じだが、距離が近いのは孝治の気のせいではないようだ。
「ふぅ〜〜。風がきもちいい〜♪」
真夏の夜に吹く風が、心地よい開放感を与えてくれる。風に髪をなびかせた真理に、ちょっとだけ孝治は動揺しながらも、自分のご飯を喉に押し込んだ。
「ま、でも、なかなかいい思い出になっただろ? 何だかんだいって、夏休みも半ばだからな」
「………そう、だった」
孝治の言葉に、晴海が頷く。濡れた髪が月光で輝くのを見た孝治は、フッと微笑むと近くに置いてあるバスタオルを持つと、彼女を引き寄せた。
「ほれ、風引くだろうが。まだまだ子供だな」
「………」
できるだけ優しく髪を拭いてやる。それほど長くないとはいえ、髪の量が多いのだから、終わったころにはバスタオルも湿っていた。
「………いつもこんなんなんか?」
「うん! とっても仲良しだね♪」
半眼で呟く箕郷に、笑顔で返す真理。その顔にはどちらも、違う笑顔が浮かんでいた。
質は違う、笑顔。それこそが、孝治の目指すものに近いのだと、納得する事になった。
こうして、花火大会は終わった。
「―――――あれ?」
寝坊した人を、一人置いて。
面白かったら拍手をお願いします。