世の中なんて、くだらないものばかりだ。
一生懸命勉強して、良い大学に入って――――何になる?
一生懸命良い子して両親に褒められ―――――何になる?
一生懸命働いて、テレビに映るような金持ちよりも少ない賃金で――――嫌にならないのか?
自分は、嫌だ。そのどれも、嫌だった。
だから、煙草を吸う。学校を休む。
それだけで………どうしてか、孤独だった。
だけど、だけど――――――――――
世の中は、広いのだ。
牧場草創曲―――――煙草と不良と牧場と
八月 十二日。
その日は、一日登校日だった。
関係ない、と思う。どうせ自分が行った所で、誰も気にしない。
日に透け、キラキラと輝く長いブロンドヘヤーと、不機嫌なのが分かる、仏頂面。その眼差しは、子供も泣き出すだろう。現に、一度泣かれて、密かなトラウマになっている。
梅澤 箕郷。近くの学校では、『不良』と呼ばれる、女子だ。
実際は、そんなことも無い。ブロンドヘヤーだって、英国人である母親の遺伝だし、仏頂面は生まれつきなだけであり、子供は大好きだ。
だが、見た目というのは、とても厄介だった。いくら素行を良くしても、その見た目から裏があると思われるし、前述どおり子供には泣かれてしまう。嫌になるのは、時間の問題だった。
煙草を、火をつけずに口に銜える。茹だるように暑い夏だというのに、火などつけるつもりにもならなかった。………そもそも、好きじゃない。
今は、学校から視える山の麓――――昔は牧場が在ったという場所に向かって、歩いていた。春の頃は、あのあたりで時間を潰して、家に帰ったものだったが、最近はあまり来ていない。
学校一の俊才も時々ここに来ているようだったが、話しかける気にもなれなかった。よく外で過ごす自分と、中で本を読んでいる彼女という関係もあり、眼もあわせていない。
だから、今の変化には、戸惑った。はっきり言って、想像すらしていなかった。
メェー、という泣き声と共に、モォー、という重低音。文字通り草の壁だった雑草が綺麗に刈りそろえられ、芝生が広がっており、其処には柵と数頭の羊、二頭の牛が居た。ボロボロだったログハウスも綺麗になっているうえ、誰かが住んでいる形跡すらあった。
元、だったはずの牧場が、たった二ヶ月で、復活していたのだ。驚くな、というほうが無理である。
信じられず、牧場の敷地を歩く。柵に囲まれた牧草地の真ん中では、気持ち良さそうに牛が横になっていた。
建物も、綺麗になっていた。馬鹿でかかったログハウスはレストラン、程好い大きさのものは住居と、立派な牛舎に小屋まである。
しかし、人の気配がない。まさか誰かは居ると思っていたが、その姿が見えないのだから、戸惑ってしまう。
何故だ、と思いながら、恐る恐ると言った様子で小屋を覗き込む。それなりの身長をもつ自分がそういうことをしているのを考えると、実に滑稽だった。
ログハウスの中は、綺麗に片付けられ、入り口近くには、絵が置かれていた。
この牧場を描いたと思われる、水彩画。鉛筆で下書きを終え、色を塗っている途中の、その淡い色調が、何故か眼を引いた。
良く見ようと、眼を細めた瞬間。
「………まぁ、アレだ。最近は驚かないが、それって限りなく物騒だよな」
「ぎゃあッ!?」
その声に驚いて、自分は振り返った。其処にいた人物を見て、息すら飲み込む。
其処にいたのは、チェーンソーを肩に担ぎ、頭にタオルを巻いた屈強な男。顔立ちは悪くないが、何処と無く面倒くさそうな雰囲気をたたえたその眼差しは、真っ直ぐ自分を見ている。
その男は、自分の口に銜えている煙草を見て、露骨に顔をしかめた。
「若いうちにこんなもん吸うな」
パッと取り上げ、握りつぶす。それに呆けている間に、肩に担いでいたチェーンソーを地面に置くと、軍手を外しながら、口を開いていた。
「それで、君は誰だ? つうか、その制服を見る限り、あの中学校の生徒だろうし………。晴海か真理の知り合い?」
驚きから復活するのに、数十秒かかった。結局、男がチェーンソーを入り口の端に寄せ、家の扉を開けたところで、ようやく口を開く事ができた。
「だ、誰だてめえ!」
凄みを利かした声。ただ、声がひっくり返っている事が気になったが、それを言い直すと気圧されているような気がして、嫌だったのだ。
しかし、男はそれに気分を害すどころか全く気にした様子もなく、笑顔をむけ、告げた。
「元気がいいが、ここは俺の牧場。火事なんか起こしてられないだろう? ま、火はつけてなかったみたいだし。えらいえらい」
ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。初対面の相手にこんな風に出来るこの人物に驚くと同時に、馬鹿にされた、と思った。
くるっと踵を返したその後姿へ、叫んだ。
「ば、バカにするな! おいコラ、待てッ!」
女だから、子供だから馬鹿にしているに違いない。そう感じた自分は、家の中に入っていった男の後を追い、家へと入っていった。
クーラーの姿も無いのに、ここは涼しかった。平温、というべき温度だろうが、真夏の今の時期では、十分にすごしやすい温度といえる。
男は、キッチンに引っ込むと、すぐに出てきた。
訝しげに思っていると、彼の手に麦茶の入ったポッドとコップの載せられたお盆があり、一緒にお絞りも置いてあった。
それをテーブルに置きながら、口を開く。
「俺の名前は森繁 孝治。好きなように呼んでくれても構わないぜ? んで? お前さんは?」
「あ、え? あ、ああ。梅沢 箕郷。………って、そうじゃねぇよ!」
雰囲気だからだろうか、なぜか流されそうになるのを辛うじて止め、コップに麦茶を流し込んでいる男―――孝治へ、私は睨みを効かせた。
怒りの眼差しを向けられた孝治だが、その顔には微塵の怯みも驚きも無い。自分の分にもそそぎ、それを口にしたまま自分へコップを差し出しながら、口を開いた。
「ほれ、さっさと飲め」
孝治にそういわれ、箕郷は素直にそれを受け取る。一口口に入れ、喉を潤した後――――思い出したように叫んだ。
「だから、人の話しを聞け!」
勝手に話を進める孝治へ、叫び。
「………聞いてやるから、話してみろ」
帰って来た孝治の言葉に、自分は一瞬眼をぱちくりさせ、呆けた声を返した。
「………はぁ?」
「話を聞けって言ってきたんだ。聞いてやるさ。仕事はある程度終わったし、飯時まで時間があるからな」
孝治の言葉に、箕郷はしばらくキョトンとして―――――すぐに表情を戒めると、告げた。
「大体、初対面なのに馴れ馴れしすぎンだよ!」
凄みを利かせながら言い放った自分の言葉に、孝治はテーブルに肘を乗せながら、不敵に笑うと口を開いた。
「俺は、初対面でお弁当を渡してきた不法侵入者を知っているがな。それに、初対面で完全にため口、喧嘩腰じゃあ、説得力も無いと思うぞ?」
何やら悟った様子で言ってくる男に、箕郷は顔を真っ赤にして唸る。言い返したいのだが、何となく言われた事に説得力があり、言い返せないでいたのだ。
「私はこういう奴なんだよ! あんまりふざけてると、怪我するぞ!」
『不良』らしい、その物言い。自分でも嫌なのに条件反射のように言ってしまったその言葉だったが、孝治は全く気にした様子も無く、逆にキョトンとした様子で、口を開いた。
「俺は全くふざけていないし、自分で「こういう奴」と言われても、俺には全く意味がわからないから、何ともいえないぞ? まだ知らないからな」
その言葉に、自分の言葉が詰まるのを、感じた。
人は外見で判断しない―――そんな言葉は、ここでは通用しなかった。不良は不良らしい格好をするし、優等生は優等生らしい格好をする。田舎だから、という理由もあるが、少なくともそういわれたのは初めてだった。
何となくやりにくさを感じていると、孝治は何かを思い出したらしく、指を突きつけてきた。
そして、真剣な表情で、口を開く。
「どうでもいいが、未成年の喫煙は法律違反だぞ? あんなん、何が美味しいんだよ?」
「………私の勝手だろ」
逃げの、言葉。自分でも分かっている、これ以上追求されようの無い自己完結の言葉に、孝治は「何を言っているんだ?」というような眼差しを向けると、口を開いた。
「お前の勝手で法律破られて、後の奴が真似したらどうするんだ? まぁ、自己中心的な奴だったらそれでいいんだろうけど、それは理由にすらなってないしな」
孝治の言葉に、自分は何もいえなくなってしまう。確かに、自分の勝手、という言葉はよく使うが、それがすって良い理由になるとは、思えなくなってしまった。
なにより、そう思わせる何かが、孝治の言葉にはあった。
外見で人を判断しないし、きちんと話を聞いてくれるから、だろうか。なんとなくやりにくさを感じていると、何かが鼻をくすぐった。
甘い、優しい匂い。何だ、と疑問に思った瞬間、孝治が気がついたのか、頷いて席を立った。
「朝方、クッキーを焼いたんだよ。食べるか?」
「はぁ? 男がクッキーッ!?」
似合わねぇ、というよりも早く、孝治の不満そうな顔が目に付いた。次いで不敵に笑った孝治は、腕を組むと得意げに口を開く。
「世界的に有名なパテシエは男の方が多いんだぞ? 料理人だってそうだ」
「パティシエだろうが」
はん、と鼻で笑うが、孝治は「そうだった」と笑い、キッチンに引っ込んでいく。
その態度に、自分は不満を抱いていることに気がついた。それと同時に、彼のペースに乗せられていることが、どうも気に入らない。
絶対馬鹿にして帰ってやろう、と固く決心した時、孝治がキッチンの奥から何枚かのクッキーをさらに盛り付けて、戻ってきた。
「コーヒーか紅茶でも飲むか? 俺的にはコーヒーの方が合うと思うんだけど?」
其れを見て、微笑む。
何を隠そう、実はお菓子やコーヒー、紅茶には結構煩い。コーヒーは、自宅でコーヒーサイフォン(ガラス風船型)を使うほどだし、紅茶だって温度に厳しいほどだ。
とはいえ、それは趣味であって、インスタントとはいえ、文句を言うつもりも無い。最近のインスタントは手軽でそれなりに美味しいし、馬鹿にするつもりも無かった。
(なら)
「紅茶」
自分の言葉に、孝治は軽く納得すると、キッチンに引っ込んでいった。
流石に、銘柄にまで文句を言うつもりは無かった。インスタントでも何でもいいが、不味ければ文句を言うつもりだった。
三分ほど経った後、孝治は紅茶を淹れたコップを持って、戻ってきた。孝治自身はコーヒーを飲むのか、真っ黒い液体の入ったティーカップを手に持っている。
まずは、難癖をつける。自分ならもっと美味いものを淹れられるといい、用意してあるものよりも美味しいものを淹れ、鼻を明かしてやるのだ。
―――――この時点で、彼女自身すでに孝治のペースに乗せられているのだが、気付かない。
さて、と思い、まずはクッキーを眺める。正方形で、交互に黒と白を交差させた模様の其れだが、分かれ目まではっきりしているのを見ると、自信があるだけある。口に入れてみると、ぽろっと崩れて溶け、甘みが広がる優しい口当たりだった。
美味しい。さすが、あれほどの態度を取るだけあった。
さて、問題は紅茶である。触ってみた所、カップはきちんと温めてあるのだろう、温もりを感じた。
香りも、申し分ない。あの短い時間で、お茶を淹れるとしても沸騰すらさせられないはずだ。沸かした水があったとしても、沸かすので精一杯のはず。
しかし、しかしだ。
一口入れた瞬間、言葉をなくした。
「孝治、おはよう」
孝治は、その言葉に顔を向けた。その孝治の顔は明らかな戸惑いの色があり、困っているのは明確だった。
「おはようございます」
「コーチ! グッモー♪」
晴海の後に入ってきたのは、祐樹と真理だった。祭りの後にはなんだかんだで会わなかったが、特に後遺症も無く、よかったと孝治は思う。
今日は、登校日らしかったので、お昼はここで食べるといっていた。
なので、朝早くから準備をして、牛と羊の餌やりを終え、藁を敷きなおし、チェーンソーを持って裏山の伐採を追えた頃、彼女にあった。
梅沢 箕郷。そう名乗った彼女は、何となく見た目と性格が違う気がした。暇だったので、からかっていたのだが―――――裏目に出た。
「あれ? あれって………」
「梅沢さん?」
疑問の声を挙げたのは真理、答えたのは祐樹。明らかに表情を一変させた二人に、孝治が疑問符を上げる。
晴海は晴海で、気にした様子もなくいつもどおりの椅子に座り、本を読み始めた。いつもどおりで素晴らしい、と孝治も思う。
さて、渦中の箕郷だが――――ブツブツ呟きながら、机に突っ伏していた。先ほどから孝治が話しかけても無反応だし、なにやら沈んだ様子も感じられた。
孝治が困っていると、真理がチョコチョコと近付いてくると、袖を引っ張ってきた。訝しげな視線を向けると、彼女は眉を潜めたまま、口を開いた。
「何で、梅沢さんが居るの?」
「何だ? お前らの知り合いだろ?」
てっきり知り合いだとばかり思い込んで家に入れていたのだが、どうやら違うらしい。真理は大きく首を左右に振ると、孝治の耳元に顔を近づけ、こそこそと話しかけて来た。
「えっとね、うちの学校で一番恐い女子なんだよ?」
「一匹狼で誰ともつるまないそうですけど、ほら、恐いから、苦手な人が多いといいますね。ちなみに、同学年ですけど、皆とは違うクラスです」
祐樹の補足説明まで聞いて、孝治は納得したように頷く。
問題は、孝治の淹れた紅茶で、何故彼女が絶句しているのか、だ。小首を捻った瞬間、バン、という音と共に机が叩かれ、彼女が顔を挙げた。
そして、そのままキッチンへ駆けこんでいった。
流石に無視するわけにもいかないので、孝治も慌てて追う。キッチンの中心にあるテーブルの上には、孝治が用意した紅茶専用の道具――――「サモワール」がおいてあった。
以前、誠の伝手で手に入れた、ロシア産のものである。基本的には水を沸かすものだが、丈夫にティーポットを固定して保温する機能があるため、そのままお茶を淹れられるのだ。
朝方淹れた奴なので、若干味は落ちるものの、香りは良い。いつもは淹茶式(えんちゃしき)と呼ばれる手腕で淹れるのだが、面倒くさいので使ったのだ。
其れを見ていた箕郷は、腕をプルプルと震わせている。確かに日本では珍しいが、中学生の彼女が知っていると思わなかった。
そして、彼女はガクッと肩を落とすと、何故か。
「おおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜」
男泣きを始めたのだった。
何故?
なんだかんだで、箕郷はそのまま帰ってしまった。「また来る」と血走ったような眼差しでにらまれてしまった孝治は、今日見た彼女の視線の中でもっとも恐かった事を、覚えている。
そして、次の日―――八月 十三日。
お昼頃、箕郷が現れた。大き目のリュックを背負った彼女は、孝治の家に来るや否や問答無用でキッチンを占領――――紅茶を淹れてくれた。
「飲め」
そういわれ、孝治は訝しげながらも紅茶を口に入れる。
美味しい。淹れ方もきちんとしているし、温度も丁度良い。ただ、香りという点では、孝治が淹れた紅茶の方が美味しかった。
理由は、まず年季だろう。雄一自身、紅茶を淹れるのは中学校からの趣味だったし、其れをするだけの道具と財源も、その頃はあった。まぁ、趣味の範囲から出なかったが。
それが、彼女にはわかっていたのだろう、特に何も言わず、自分でお茶を飲んで――――――ぐっと、表情を戒めた。
「え?」
「な、なんだよ!」
そういいながらも、彼女の眼を見て、孝治は躊躇う。若干の逡巡の後、小さく、口を開いた。
「泣いてんのか?」
孝治の言葉に、箕郷はピタッと動きを止める。慌てた様子で孝治からカップを取り上げると、キッチンに駆け込んで自分の荷物を持ち出し、そのまま出口へ駆けていった。
そして、振り返る。涙目で、ガァ、と叫んだ。
「絶対負けねぇからな! 覚えてろよ!」
そういう台詞を残し、彼女は駆け出す。入れ違いで入ってこようとした晴海にぶつかりそうになったようだが、両方気にした様子もなく、扉が閉まった。
そして、呆然としている孝治へ、晴海が口を開いた。
「なんだったの?」
その、晴海の言葉に、孝治はただ、呆けたような表情を浮かべたまま、答えた。
「さぁ?」
まぁ、分かった事と言えば。
この牧場へ来る人間が一人、また増えただけだ。
レストランの厨房で昼ご飯を作っているという孝治の元に向かった晴海と真理は。
「う? ん? いよ」
カウンターの席に座り、コーヒーを飲んでいる彼女は、晴海と真理を見て、ただ軽快に言葉を返している。それに返事をしている真理を見て、晴海はただ確信したと言う。
「孝治の馬鹿」
「なんでいきなり批難されているんだ!? 俺はッ!?」
キッチンからカレーを乗せたお盆を持ってきた孝治が、悲鳴を挙げていた。
面白かったら拍手をお願いします。