晴海は、突然の行為に眼を丸くしていた。

 カキ氷屋に向かう途中で突然、お店の死角から、手がにゅっと伸びてきて、自分を掴んだ。慌てて叫ぼうとした瞬間には、口元を押さえられ、軽々と持ち上げられたのだ。

そして今、乱暴に地面へ、投げ出された。

 場所は、神社の裏の森。鬱蒼と茂る闇の中で、うだるような暑さが地面から登る。

どこに居るのか分からない。ただ、山のてっぺん付近だということは、祭囃子や光が見えないことから、理解できた。

 まわりには、数人の男。三人の男と、見覚えのある女子が一人だ。

「………何のよう?」

 憮然と聞くと、三人は卑下の笑みを浮かべるだけで、答えはしなかった。

「………アンタが気に入らないのよ」

 その声に、聞き覚えがあった。

あの女子だ。私の机を汚くして、真理に手を出そうとしたあの女。

 言い様の無い怒りが、込み上げる。立ち上がろうとしたところで、その腕をとられ、気に押し付けられた。

 一人の男が、自分の上を覆い、顔を近づけてくる。タバコ臭い口臭と共に、口が開いた。

「俺の妹が世話になったなぁ。たっぷり可愛がってやる―――――」

そう言って手を伸ばしてきた。それが私の女性の象徴に触れそうになった瞬間、さらに怒りが込み上げ――――それを、叩き落とす。

キッと睨み、言い放つ。

「………こんなことして、ただで済むと思っているの?」

 私には、孝治がいる。今頃必死で探してくれているし、警察だって動いてくれる。

「はっはっは! 警察も怖くない俺らに、何が怖いと言うのだ?」

 その言葉に、気が付く。

恐らく、このあたりで騒いでいる暴走族のリーダーだろう。くだらない、と舌打ちをするが、自分ではどうしようもないと、理解していた。

 目の前の男の身体は、自分と比べて圧倒的過ぎる。自分が騒いでも、効果的な攻撃は不可能だろう。

 恐らく、襲うつもりだ。生理的嫌悪を抱きながら、それでも――――――――――

 

 

 

「くそっ!」

 会場を、駆け回る。二人には反対方向を探してもらい、自分は入り口付近を探していた。休憩所から山の麓にかけていく途中、自分の不甲斐無さを呪っていた。

(なんで、眼を離したのか。ああ、クソっ! 情けない!)

 人込みが、邪魔だ。その垣根を掻い潜り――――孝治は、先へと進んでいった。

 

 

 

 男の手が、自分の上着を掴み、引き剥がす。

上着がずれ、下の白い着物があらわになる。周りの二人が、ナイフらしきものをクルクルと回し、卑下の笑顔を浮かべている。

 怖くはない。

 なぜ? 親に殺されかけ、子供ながらにその真意を知って以来、恐れることなど一つも無い。操が奪われようが、興味もなかった。

 なかった――――はずだ。しかし、自分は今、はっきりと拒絶した。

 男の顔を、張り飛ばす。

怒りの表情をゆっくりと向けてくる男へ、吐き捨てた。

「気持ち悪い」

 きっと、殴られるのだろう。大木のように太い腕――――あれで殴られたら、痛みを知れるのだろうか。

 

 眼を瞑った。全てが闇に消え――――――

 

 

 

 

 

 パン、という音が鳴り響く。

 

 

 

 兄は、喧嘩が強かった。

 それは、そうだろう。恵まれた体格ながら、レスリングにも精通していて、今度プロに上がるほどの腕前だ。さらにいえば、この辺りの暴走族を一手に引き受け、地元の警察には【海坊主】という通り名で知られているほどの、札付きの悪だ。

 さらには、その性癖にも問題がある。

幼女しか愛せないのだ。その手の事件を起こした事は無いが、裏では分からない。

 だから、晴海を襲ってくれと電話した時には、すぐに来てくれた。仲間と居たのか、数人引き連れて。

 後は、簡単だ。晴海が一人になるのを待てば良い。もともと一人で行動することが多いのだから、すぐだろうと思った。

 しかし、大人と一緒にいて、なかなか離れない。祐樹のほかにも、あの目障りな真理がいた。晴海を犯したら、あいつもどうにかしてもらうつもりだった。

 そして、今、晴海は初めて拒絶という行動を見せた。

それは、自分に優越感を与えるのに十分だった。

さらに、兄の逆鱗に触れ、その図太い腕で殴られる所だ。それで鼻骨でも折れれば、少しは可愛げのある顔になるだろう。

 

 ただ、違ったのは――――――分かることは、唯一つ。

 

 兄の拳は、晴海に届いていないと言う事だけだった。

 

 

 

 

 

 痛みは、いつまで経っても襲ってこない。体がそれを受け入れるのに時間がかかるのは知っていたが、それでも遅かった。

「はぁ、はぁ、はぁ………」

 聞き覚えのある、声。聞こえるはずの無い声に、それが発情した男の呼吸音とは違うことを知ると、そうっと眼を開いた。

 そこには、大きな手の甲が、映っていた。

そして、その手を持つ人間を見て、生まれて初めて―――――心から、驚いた。

 森繁 孝治が、そこに居た。

肩で息をしながらも、孝治は晴海と視線が合うとフッと微笑む。

その瞬間、男の拳を掴んだ手は、太い血管が浮き上がり、眼に見えて力が込められていく。

「ぐあ、あああぁ!」

 男が悲鳴を上げ、腕を振り払い、その場を飛び退く。ようやく動けるようになった晴海を見て、孝治はようやく肩の力を抜き、息を吐きだした。

「よ、よかった。………はぁ」

 ポン、と晴海の頭の上に手を置く。心配で胸が張り裂けそうになっていた自分が、ようやく安堵したようだった。

 何かが、込み上げてくる。晴海が必死にその感情を押し殺した瞬間。

「て。てめぇ! ただで済むと思っているのか!?

 それを、見た。

 

 

 孝治が彼女を見つけたのは、はっきり言って幸運としか言いようが無かった。 カキ氷屋の近くの主人がそれを見ていたことと、相手が数人居て、森の奥に居た事からだ。

 もし、これが森の奥でなければ、その人混みを気にする事もなかっただろうし、注意深く見もしなかっただろう。ナイフの輝きが無ければ、それこそ無視していた。

 安堵の後、孝治の心の中に沸々と湧き上がって来たのは、何でもない。

 プツン、という異音が、自分の耳の中で響く。
 それが何か? 愚問だ。

 怒り。それは、普段はやる気がなさそうでも、基本的に面倒見がよく、優しい孝治からは感じたことが無い、鋭い眼差しだった。

相手を睨みつけ、晴海との間に割り込む。自身で分かるほどの怒りに、フルフルと震える腕を押さえ、引き攣った笑いを浮かべながら、口を開く。

「………逆に、聞いてやる」

 恐らく、晴海が聞いた事も無い、深いドスの効いた声だろう。湧き上がる怒りを抑えもせず、孝治は言い放った。

 

「テメェも、地獄に落ちる覚悟は、出来ているんだな………?」

 

 ダメだ、と晴海は叫びたくなった。相手は三人、しかも二人はナイフを持っている。さらにいえば孝治の前に立つ男は、孝治よりも一回り、大きい。

 しかし、孝治は退きもしない。

そして自分は、何故か―――――安心していた。

 男が殴る為に振りかぶるよりも早く、孝治が相手の内側に入り込み―――左の手のひらを相手の顔の前で開いた。

 ビクッと身体を引く男。その動きが、止まった。

そして、孝治の繰り出した右拳が男の顔面中心に突き刺さり、その巨体ごと、地面に叩き伏せた。

下は柔らかい腐葉土だが、男の身体は、ピクリとも動かない。死んでいないようだが、動けるようにも思えなかった。

一撃で、しかも人体急所を的確に打ち込んだ、というのが分かる。それは恐ろしく的確であり、何のためらいも無く、無慈悲だった。

「次」

 細くも小さく、そして力強い声。

 ゆらりと、孝治が立ち上がる。暗闇でも分かる厳しい眼差し―――二人の男が、怯えたのが、分かった。

 小さく、孝治が呟く。

「俺は、喧嘩は嫌いだ」

 しかし、空気は軽くならない。重い空気に耐えかねた男が、ナイフを手にかけだす瞬間――――孝治が、真っ直ぐ相手の前に立ちはだかる。

刺そうと突き出してきた相手の右腕を、半身を逸らして避け、その腕を組み上げた。

「ぐがあ、あ、あ」

 激痛に顔を歪める男―――その顔面へ、頭突きをかました。

 血の尾を引きながら、もんどりうって倒れる男を、孝治は適当に避け、最後の男へ、身体を向ける。

孝治は、鬼の形相で、口を開いた。

 

「だが、苦手じゃないんだよ」

 

 最後の一人は、力任せに叩き潰した後、その回転を生かし、鼻の下にある人体急所へ、踵落としを叩きつけた。

 

 痛む右腕―――必要以上の力で殴ってしまったことを、自覚する。辟易したように溜め息を吐きながら、殴り飛ばした相手を見た。

 恐らく、何かのスポーツをやっているようで恰幅が良いのだから、死ぬ事は無いだろう。残っていた最後の女子に睨みを効かせ、晴海に向き直る。

 当の晴海は、いつもの無表情で服の乱れを直していた。

後一瞬遅かったら、彼女の顔にあの男の拳が叩きつけられ――――怪我をしていただろう。否、下手をすれば一生残す傷をつけられていたかもしれない。

 彼女の前に、しゃがみこむ。いつもの眼差しで見上げてくる晴海に、少しだけ安心しながら、聞いた。

「立てるか?」

 晴海は少しだけ悩んだそぶりを見せ、首を横に振った。なぜ、と思った瞬間、彼女の視線が足に向けられた。

触ると、彼女の足が熱を持っていることに気がつく。どうやら、足を捻ったらしい。

「………暴れるなよ」

「?」

 怪訝そうな彼女の前で、背を向ける。両手を彼女のほうに向けながら、告げた。

「ほれ、負ぶってやるから早く行くぞ。二人が、心配している」

 一瞬の逡巡の後、晴海は少しだけおずおずと、身体を預けてきた。彼女の足を両手で抱えると、その場で立ち上がる。

 未だに起き上がらない三人組―――関係者と思われる少女へ、告げた。

「次、手を出すようなら殺す、って、そいつらにいっておいてくれ」

 後半は笑顔でそう告げ、孝治は歩き出した。

 

 

 

 森を抜け、長い階段を降る。眼下では祭りの光が、がやがやとした喧騒と共に溢れていた。

思っていたよりも軽い晴海を背中で感じながら、孝治は口を開いた。

「悪かったな、眼を離して。しっかし、危ない所だったな。警察に届けたほうが良いんじゃないか?」

 心配そうな声と、いつもの調子を取り戻す為の軽口だったが、晴海は答えない。それよりも聞きたいことがあったからだ。

「………孝治」

 消え入りそうな晴海の声が、耳元で聞こえる。少しだけくすぐったそうに「ん?」と答えると、晴海は少しだけ怒ったような声で、告げた。

「どうして、助けたの?」

 思えば謎の言葉だったが、彼女らしい、と孝治は思う。だからこそ、不機嫌に答えた。

「………そりゃ、俺の友達だから、だよ」

 自分でも分かるほど、不機嫌になる。

どうして助けたの、という言葉は、別に助けてくれなくても良い、といっているように思えたからだ。

不機嫌そうなのが伝わったのか、晴海の言葉も不機嫌そうなものに変わる。

「………友達じゃなかったら、助けない?」

「それも、違うな。きっと、誰かが襲われていたら、助けるさ」

 孝治は、ヤバイ、と胸中呟く。

晴海の不機嫌になるスピードが、その一言で自分のそれを超えたのだ。先ほどよりも不機嫌そうな声が、聞こえる。

「………相手は、ナイフを持ってた」

 ほんの少しずつ、肩に乗せられた小さな手が、強くしまっていく。それに苦笑しながらも、答えた。

「だな。だがな、馬鹿と刃物は使いようとはいえ、馬鹿は馬鹿だ。それに、俺は見ての通り、弱くはなかったからな」

 確かに、と晴海は思う。孝治は力持ちだとは思っていたが、あれほどとは思わなかった。

「………どうして、あんなに?」

 あんなに、のあとに強いの、と続くのだろう、と孝治は知った。少しだけ苦笑しながら、小首を彼女のほうに向け、小さな声で告げる。

「実は、な。昔、俺もあんな風に暴れていた時期があるんだよ。ま、あんな小物じゃなかったけどな」

 そう言いながら、孝治は視線を階下に向ける。

いつの間にか、彼は立ち止まっていた。

「俺は、………多くの事に、眼を逸らしてきた。今だって、牧場の幸先だって不透明だし、画家の時だって、自分の好きなことをしたい、って事で、生活から眼を逸らした。不良だって、勉強から眼を逸らしたからだ。虐めるのも、それを助けないからだ」

 ゆっくりと、階段を降りる。遠くを見るような眼で、孝治は告げた。

「お前じゃなければ助けなかった、なんて事はいわない。でもな、お前だからこそ、俺はあそこまで怒ったんだ。そこだけは、間違えんなよ?」

 

 孝治の問いに、晴海は顔を歪めた。

 

 ずるい、と思う。何故かは分からないが、そう思うのだ。ただ、ゆっくりと孝治の首に腕を回した。夏なので暑いのか、顔が真っ赤になる。

 それでも、嫌ではなかった。

 ただ、分からないのは――――――なぜ、心拍数が増加しているのだろうか。

 静かに、眼を閉じる。呼吸音と心臓の音が、心地よく―――風が、気持ちいい。
 いつの間にか、晴海は眠りに落ちていった。

 

 



 その後、晴海と孝治が戻ってきたところで、真理と祐樹が駆け寄ってきた。なにやら話が大規模になりつつあったが、それをどうにか誤魔化し、孝治はとりあえず、近くの公衆電話であるところに電話しておいた。

「――――つうわけで、早めに帰れ。祐樹君、真理。晴海を頼んでもいいか?」

 孝治の背中でいつの間にか眠っていた晴海を、孝治は祐樹に渡そうとするが、真理がそれを押しとめた。怪訝そうな表情を浮かべる孝治の視線の先の真理は、向こうのほうを指差していた。それとともに、聞き覚えのあるエンジン音が止まり、扉が開け放たれた。

 その視線のほうに向けると、五十六じいさんが歩いてくるところだった。その向こう側には、見覚えのあるトラックが止まっている。

「孝治ッ!」

「五十六―――って、俺じゃないっつうのッ!?」

 突然鎌を振り回す五十六じいさんから、身体を逃がす。慌てた様子で飛びのいた孝治の先で、五十六じいさんが血走った眼で叫ぶ。

「其処になおれッ! 恩知らずがッ! 貴様がいながら、なんと言う体たらくじゃ!」

「違うわッ!? ッつか、気付いてるのかよッ!?」

 慌てて逃げ出す孝治と、その背中に居る晴海、そしてそれを追いかける五十六。

真理と祐樹、どちらともなく、安堵の声が上がり、微笑んだ。

会場の警備員にも探していてもらっていたので、その挨拶と見つかった報告をして、五十六じいさんに(何故か)平謝りして、終わった頃にはすっかり、夜も更けていた。

 花火は、花火職人の納品が間に合わなく、明後日に繰り越された。晴海を探してそれどころじゃなかった三人にとっては、嬉しい便りだ。

 三人は、早めに帰していた。というより、五十六じいさんに話が在る、といわれ、残されていたのだ。

 

 

 

 晴海を五十六じいさんのトラックに載せ、扉を閉める。本当に恐かったのか、もしくは安心したのか、孝治の服を掴んで離さなかったが、そこ等辺は子供なんだなぁ、と納得する。

 真理たちの荷物は、孝治が預かっていた。トラックの荷台に詰まれた土産をみて、苦笑する。

言われた場所へ向かう途中、自販機で二本ビールを買う。

缶ビールを片手に、神社の境内に腰掛ける。子供がいなくなってようやく呑める酒は、久しぶりという事もあって、かなり美味かった。

 ほろ酔い気分で待っていると、後ろから声をかけられた。

「おう、待たせたな」

「………おじさんとの待ち合わせで、胸もときめかないんで、ごゆっくりどうぞ」

「………っち、俺だって嫌だ」

 互いに言い合い、隣に五十六が腰をかける。年季を感じさせる、褐色の肌―――五十六は、その年季の入った顔で空を見上げ、唐突に切り出した。

「お前は、晴海のこと、どこまで聞いたんだ?」

 突然の切り出しに、孝治は少しだけ悩んで、事も無げに答えた。

「酷い幼少期を送って、あんな変な風に育った具合。それと、五十六じいさんの家の方針かどうか分からないが、一人暮らしさせている所ぐらいかな」

「………そうか」

 あれ? と孝治は思う。五十六じいさんの性格上、怒ってくるのかと思っていたのだ。

 しかし、五十六じいさんは、今までとは全く違う、真剣な表情のまま、口を開いた。

「………あの子は、あの歳で、辛い生活を送り続けているようだな」

 辛い生活―――それは、何なのか、孝治には特定できなかった。学校生活のことを指しているのか、それとも一人暮らしなのか――――はたまた、彼女の半生か。

 孝治は小さく鼻を鳴らし、ビールを飲む。

五十六じいさんに聞こえる声で、告げた。

「実際、そんな奴は五万といますよ。俺の友達なんざ、両親が目の前で首つっても、今は元気に暮らしています。そうそう、悲観的な人生とはいえないでしょ?」

 孝治の言葉に、五十六は顔をあげ―――不意に、悲しげな顔をした。その変化に驚く孝治へ、五十六は小さな声で切り出した。

「………果たして、そうなのか? 親類縁者には見放され、生まれた時からの弊害で感情もろくに表さず、友達も少ない。儂等からも、疎遠されている。お前とあの二人ぐらいだよ、晴海と話せる奴は………」

「ふぅん。そんなもんかね」

 孝治としては、五十六と晴海が離れて生活していることに、疑問を持っていた。

それを聞いても、自分にはどうしようもない、と思っているからだろうか、切り出そうともしなかった。

 沈黙が続く。何となくそれが嫌で、話を考えていた。

それを区切るため、孝治は口を開いた。

「それで、何のようなんだ? わざわざ俺を残すんだから、随分な話だとは思うが………」

「おお、そうだったな。お前に、少しだけ頼みたいことがあるんだ。あそこの中学から来ている話なんだが」

 五十六じいさんから、話の内容を聞く。成る程、と頷いて―――孝治は了承した。

「来月ですよね? だったら、全然。それまでには、他の動物も仕入れていると思いますんで………」

 孝治の言葉に、五十六が口を開く。

「だったら、おめぇ、羊でも飼ってみないか? 以前、放牧で飼ってた奴なんだが、家主が逃げやがって。十二頭いるんだが、何頭までなら面倒見れる?」

「ん〜〜〜〜〜。七、八ッすかね。それ以上は、ちょっと………」

 そこで、小さく笑う。

訝しげに視線を向ける五十六へ、孝治は苦笑のまま、首を振った。

「いえ、なんだかんだいって、牧場らしくなってきたし。レストランも、来月の審査を受ければ、年内に開業できるし。………とはいえ、懐具合もやばいんだけど」

 出費ばかりがかさんで、収入は今の所全くない。

時々五十六じいさんの仕事を手伝い、バイト代を貰っているが、その日の御飯代で――――まぁ、十分なのだが―――消える。

今の所、税金は完全に無視している状況だ(とはいえ、固定資産税は全て満期を迎えているので、払う必要はないのだが)。

 五十六は、豪快に笑うと、告げた。

「ま、色々あるが、頑張れ。米や味噌とかなら、腐るほどあるから、好きな時に取りに着て良いぞ」

「おお! 神様仏様!」

 これは嬉しい言葉だった。お米と味噌の心配がなくなっただけでも、儲けものだ。

 五十六は笑うと、続けた。

「いい。家の晴海が世話になっているようだしな。それに、お前も子供だろうが」

 ポン、と孝治の頭に手を置く五十六――――その手が、意外にも骨っぽいのに、孝治は気がついた。

 祭囃子は、もう聞こえない。

「そういえば、おめぇ、地元の不良に手ぇ出したらしいじゃねぇか。どうするんだ?」

「………ああ」

 そういえば、思い出した。孝治は少しだけ悩んだそぶりを見せ―――首を振る。

「ま、明日には勝手に収拾がついてますよ。あいつに連絡いれたんで」

「………そっか。かわいそうなやつらだ」

 

 

 その後、この町の暴走族が消えたのは、永遠の謎として残ることとなった。

 

 

 結局の所、晴海がどうこう過ごしてきたところで、それから解放された時には、それってかなりどうでもいいことだと思う。誰かに同情されて生きていきたくも無いだろうし、そんな事、これからの人生、関係ない。本人の考え次第、でな。

 だから、俺はそんな『牧場』を作ろう、と思う。

 

 どんな風に過ごしてきたかなんて、全く関係ない、小さくて静かで、楽しい『牧場』を。

 

 

 


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