八月 十日。
昼過ぎ、荷物が届いた。
燦々と晴れた真夏の日差しを反射させる、綺麗なステンレスで作られた冷蔵庫と、業務用の大火力コンロ、そしてパスタマシーンやミキサーなど、料理用の小道具等、それは実に様々なものが乗っていた。
それを載せたトラックは、前日に完成したレストランの前で止まっていた。
「どうだ? 良いものだろ」
トラックの運転席に乗っていた男が、降りながらいってくる。
黒髪をタオルで巻き、眼鏡をかけたタンクトップの男―――誡は、機嫌よさげに孝治へ声をかけてきた。
その孝治は、今日手伝いに来た三人と一緒に、そのトラックの荷台を見上げながら、感心の声を上げていた。予想以上の道具の来訪に、それが信じられないのか、荷台に駆け寄り、それらを確認する。
そして孝治は、感嘆の息を吐きながら、叫んだ。
「良い物どころじゃねぇよ! 一級品ばっかじゃねぇか! さすが親友!」
孝治の言葉に、誠はへん、と鼻を鳴らした後、口を開いた。
「調子の良いこって。………ところで、そっちの子達は、なんだ?」
誡が指差したのは、朝から牧場に来ていた祐樹と真理、晴海だった。それぞれ、主に今晩の為に手助けしてくれることになり、いつの間にか集りだしていたようだ。
孝治よりも感心したようにトラックの上を眺めている三人を見て、誡が口を開く。
「いつからここは託児所になったんだ? っつうか、学習塾か?」
三人は、思い思いの服を着ている。タンクトップとパンツの祐樹、同じような服装の真理、そして短いスカートと半袖を着ている晴海だ。今日は、手伝ってくれるらしい。
「………まぁ、世の縁なんて、奇妙なもんだ。さて、入金は明後日するから。運ぶのぐらいは、手伝ってくれるんだろ?」
「………まぁ、運ぶぐらいはな。ほれ、俺も忙しいんだから、始めるぞ」
そう言って、搬入作業は始まった。
力仕事は孝治と祐樹、誡の三人。女性陣は、しばらく待機とあいなった。
とはいえ、調理器具は慣れている誡と孝治で、三時間もかからなく、搬入を終えてしまった。トラックでさっさと帰ってしまった誡を置いて、孝治は三人に振り返る。
「それじゃ、女子陣も次は仕事だ。キッチンの防火処置は完璧だが、掃除と色々と面倒な壁紙貼りなどをやろうぜ。これが終わったら、夏祭りに同伴してやる」
「わぁい!」と真理が歓喜の声を上げ、祐樹が驚きの視線を晴海に向ける。彼としては、誘って断られているので、まさか晴海は行かないだろう、と思っているのか、神妙な表情を浮かべる。
晴海は晴海で、意に介した様子もなく、孝治の言葉を待っていた。
「それじゃあ、祐樹君は俺と一緒に線やホース、調理器具の場所入れ替えな。二人は………そうだな。壁紙を貼ってくれ」
孝治の言葉に、真理は「はいッ!」となにやら楽しげに答え、晴海は軽く手を挙げるだけで答える。祐樹は、特に文句も無いのか、すぐに頷いた。
作業を二手に分ける意味は、分かってもらえると思う。キッチン内の元栓やコンセント、残りの防火処置を祐樹と一緒にやり、比較的簡単な壁紙貼りを女子グループに任せることにしたのだ。
冷蔵庫の搬入作業をしていると、祐樹がおずおずと聞いてきた。
「あ、あの、夏祭りって、………晴海さんも行くんですか?」
躊躇った割にはなんでもない言葉に、孝治は壊れないようにそっと冷蔵庫を降ろすと、頷いた。
「? ああ、まぁ、な。最初は渋っていたが、真理ちゃんに頼み倒されてな。ん? 一緒に行くか?」
「は、はい! 勿論!」
孝治の言葉に、彼は首がもげるのではないか、と思われるほど、頭を振った。その祐樹の反応に、若干引き気味な孝治も、一応頷く。
しかし、彼は何か釈然としないように首をかしげると、愚痴るように口を開いた。
「でも、最初はダメだって言っていたんですけど………」
「? まぁ、そりゃ、最初は渋ってたからな。人込みが嫌いなんだろ?」
晴海が祭りの類を好まないのは、想像として難しくない。
そもそも、協調性も無いと思う。団体行動の中でも、我関せずと言った様子で本を読んでいる様が容易に想像できたからだ。
しかし、真理が頼んだ時はすぐに了承していた。それほど仲良くなっているとは、驚きだったが、まぁ、結構仲がいいことは知っている。
もしかしたら――――――――
(………嫌いな人込みと天秤にかけて、得になる事でもあるのだろうか?)
そこまで想像して――――止めた。
思えば、彼女の行動を一つでも理解、もしくは予想できたことも無い。以前、勝手に進入している晴海へ、唐突に「何でだ?」と聞いて速答してくれたぐらいだ。
作業を続けると、突然、隣から悲鳴があがった。ハッとした祐樹が運んでいたコンロを投げ出し、孝治が慌ててそれを持ち上げた。
「大丈夫――――」
その言葉は、最期まで紡がれずに、祐樹の動きが止まった。なんだ? と思いながら近くのテーブルにそれを置くと、キッチンから顔を出す。
最初に見たのは、晴海の仏頂面だった。
仏頂面は、珍しくない。木目がプリントされた壁紙から、その頭部が生えていることを考えなければいつもどおりだ。そして、反対側ではなにやら足をバタバタさせている元気娘が居る事も考えなければ、いたって普通だ。
つまり、晴海と真理が、壁紙で巻物にされていたのだ。髪までべっとりとなっている晴海と真理に辟易したようにため息を吐くと、隣の祐樹が動き出す。
「駄目。孝治、助けて」
その祐樹の厚意を完全に無視し、孝治へ助けを求めてきた。壁紙の中からも「助けてコーチぃ〜」という真理の声を聞く限り、孝治が助けたほうがいいだろう。
(ま、同世代の男子に変な格好は見せたくないよな)
と適当に納得し、固まっている祐樹の肩を叩くと、そのまま二人を助けに行く。祐樹もなにやら付いてこようとしていたが、晴海にジトッとした眼で見られてしまい、動きを止めてしまう。
とぼとぼとキッチンに引っ込む祐樹に哀れむ視線を送りながら、簀巻き状態の晴海へ屈みこみ、告げた。
「お前なぁ。いくらなんでも酷くないか?」
「いいから助けて」
結局――――晴海と真理を助けている間に、祐樹がキッチンを片付けていた。配備も適当で、それを見た孝治は、思わず感嘆の息を吐いていた。
「お疲れ様」
「いえ」
と言うわけで、搬入作業と配置作業は昼飯前に、終わった。
レストランは、立派なものだった。間取りとしてはキッチンが見えるカウンター兼レジ、大きなテーブル席、そしてトイレといわゆる客室だ。
家の中に封印してあった調理器具を全部移し、小首を鳴らす。冷蔵庫の中(中身は少ないが)を思い出しながら、三人に向けて口を開いた。
「さて、終わったんだ。最初の客はお前ら三人で――――――」
そう宣言しようとした時、孝治は気が付いた。
カウンターで訝しげな視線を向ける真理と祐樹の視線を受け―――晴海は、気が付いていたのか、大きな欠伸をしていた―――孝治は、小さな声で、呟いた。
「………ガス、開いてなかったわ」
その言葉に、全員がずっこけたのは、言うまでもない。
レストランでの初調理、初仕事は出来なかった。いつもどおり、母屋のキッチンで昼飯を作り、三人に振舞った孝治は、その一連の動きでガス会社に連絡した。
そして、思い思いの午後を過ごすことになった。孝治は、前半を真理の指導、後半を家の前で本を読む晴海の前で、風景画の下絵を描いて過ごした。
祐樹は、真理の相手や晴海との会話で時間を潰していた。サッカーでは真理に、いいようにあしらわれ、晴海には無視され、散々のような気がするのは、孝治だけだろうか。
時折、晴海が孝治の絵に興味を持って、覗き込んできた。
何かしらあるのか、と思ったが、特に大した感想をいうわけでもなく、何度か頷いて―――また、本に没頭していた。
そして、時は来た。
ヒグラシが鳴き始め、あたりが段々茜色に染まり始める頃、孝治と祐樹は、二人の着替えを待っていた。
なんでも、晴海は珍しく五十六の家に戻って浴衣を借り、真理は母親の助言で、新調したらしい。なんでも、お母さん自身に奇妙に気合が入っているらしく、結構な値段のしたものらしい。
「おまたせ〜〜〜〜♪」
そう言って出て来たのは、真理と晴海の二人だったが、印象はガラッと変わっていた。
短い髪の毛が目にかかっていたのをピンで留め、紅葉柄の落ち着いた基調の浴衣姿の晴海。物静かな彼女とは、少しだけアンバランスだが、可愛らしいと思う。というより、雰囲気と違うからか、いつもよりもはっきりとした印象を与える。
真理は、ポニーテールを結い上げ、腕まくりをした浅葱色、花火の文様が付いた浴衣を着ていた。太陽のような彼女とは、少しだけ印象が違うが――――彼女を引き立てるのには、十分だ。結構ありきたりのデザインだと思ったが、花火の花弁一つ一つが刺繍されているもので、やはり、それなりの値段がするのが分かる。
二人をそれぞれ眺め、孝治は口を開いた。
「さすがに、元が良いと何を着ても似合うな。二人とも、よく似合ってるぜ」
「す、素敵です!」
孝治と慌てて口を開いた祐樹の言葉に、二人はそれぞれ少しだけ顔を紅くしながら、頷いた。
「………そう」
「ありがと♪ コーチに祐樹ッち。………へへ、慣れないから、恥ずかしいな」
やはり祭りが楽しみらしく、真理は勢いに乗って孝治に抱きついていた。それにやれやれ、と兄のような表情を浮かべつつ、三人へ、孝治は告げた。
「んじゃ行くか。その前に真理、離れろ」
え〜、と顔を不満げにしたが、浮かれ気分の真理は随分と聞き訳がよく、そのまま離れる。
そして、四人は森繁牧場を後にした。
結構離れているが、孝治は車を持っていないだけあり、歩きとなった。山道で夜道を自転車で走ると、やはり危ないから、だ。
真理は気持ちが先走っているのか、前を行っているので祐樹の隣、その後ろを孝治と晴海が付いていく形で、歩いている。
場所は、森繁牧場から二十分ぐらい郊外に歩いた、小さな神社だ。その道中、孝治は隣を歩く晴海へ、声をかける。
「なんだかんだいって、楽しみだったんだろ?」
孝治の問いに、晴海は視線を上げ、孝治の視線と一瞬だけ交差させ、すぐに前へ戻す。ぶっきらぼうな声で、告げた。
「………人込みは嫌いでも、真理は、嫌いじゃないから」
成る程、と孝治は納得する。意外と、親友思いらしく、なんだかんだいって、二人が仲良しなのは、誰の眼にも明らかだ。
というよりは、晴海が変わった、といったほうが正しいだろう、と孝治は思う。確かに、出会ったときよりも良い感じに肩の力が抜けている気がする。
自然体、というものだろうか。肩に背負っていた何かが、落ちたような感じである。
自分は――――まぁ、変わっていない。あの日以来、変わろうとしても、変われないのだ。
目の前を歩く、小さな未来。
何となく、笑顔で頷いていた。
神社。
長い階段の中腹にある、石畳の広いスペースでは、どこからともなく現れた人で賑わっていた。階段の下の駐車場など、もう自転車を止めるスペースすらない。
紅く発光する提灯やどこからともなく聞こえる祭囃子―――その中で、孝治は―――――――青ざめていた。
「あ、たこ焼きだよ! コーチ!」
腕を引っ張る真理、その片手には、抱えきれないほどの金魚や水風船、何かのキャラクターがプリントされた綿飴の袋などの祭りの特産品がくっついている。
彼女の後頭部にある狐の仮面を眺めながら、すっかり軽くなった財布を、懐で感じていた。
真理にせがまれ、祭りの商業品を片っ端から買っていたところだ。多めに入れておいた福沢さんも、一人いなくなっている。
たこ焼きを頬張りながら、真理が満面の笑顔でいう。
「美味しいよ、コーチ♪ あ、あっちにはイカ焼きだ」
満足そうに笑い、すぐに次の屋台を見つけ、駆け出す。その腕に引っ張られつつ、孝治もまんざらでない表情で、口を開いた。
「程ほどにしておけよ。いや、頼むからもう勘弁してくれ、勘弁してください、勘弁しろ」
真理に引っ張られている孝治と距離を置いて、晴海は祐樹と一緒に歩いていた。
出店をぼうっと眺める晴海へ、祐樹は話しかけようとしたが、何を話していいのかわからず、黙ってしまう。
それを察したのか、はたまた気紛れなのか――――珍しく、晴海から声をかけた。
「………楽しい?」
「え?」
まさか話しかけてくるとも思っていなかった祐樹は、少しだけ驚きながら慌てて頷く。
「も、もちろんだよ! 晴海さんとこれて、嬉しいし………」
「そう」
何だか満足げに晴海は歩き出す。その横顔を見て、彼女の視線が前の二人に向けられているのが分かった。
自分も、向ける。半分よりも少し高いぐらいの身長しかない真理に連れられ、屋台を行き来する大人―――森繁、孝治。自分よりも早く、晴海と仲良くなった人。
なぜだろうか。
少しだけ、心の中がモヤモヤしたのは。
祐樹がそんな感情を味わっていると、孝治と晴海が一つの屋台で足を止めている事に気が付いた晴海が、先を歩いていた。慌ててそれに追いついた時、その屋台が何のものなのか、理解する。
「型抜き屋?」
疑問の声を上げたのは、真理だった。
屋台は、ほとんど机のようなもので、子供が真剣な表情のまま、板状のものを棒で貫いている。
不思議そうに見ている真理と、後から来た二人に、孝治が珍しいものを見ている表情のまま、教えていた。
「へぇ、珍しいな。型抜きっていうのは、この板に彫られてるものを、その通りに彫るんだよ。少しでも崩れると、駄目らしい。ああ、商品はあそこに書かれてるな」
孝治の言葉に、真理が視線を屋台の横に立っている看板に向けた。型によってその商品が変わり、その判断基準も屋台主と、意外と難しい。
面白そうなので、(孝治のおごりで)チャレンジとなった。
「ありゃ、砕け散ちった」
最初に声を上げたのは、予想通り真理だった。傘の型抜きに挑戦したようだが、柄が折れてしまい、もはや作れそうにはなかった。諦めた様子で、その型抜きをポリポリと食べている横で、晴海が小さく声を上げた。
「あ」
虎を彫っていた彼女だが、力が強すぎた様子で、ボロボロと壊れていた。晴海の横にいた祐樹も、もう型を壊していた。
その横で、孝治だけが完成させていた。
「おっしゃ! おやっさん、見てくれ」
「お、お兄ちゃん―――って、鯉の型抜きが滝登りへ変わってるッ!?」
孝治は、全く型抜きをする気が無いのか、鯉の周りに水の流れと滝の様子を描いていた。その鯉も、もとのデフォルメされた鯉ではなく、綺麗に掘り込まれた彫刻のような鯉に変わっていた。
「おー」と驚きの声を上げる周囲と、口を開けたまま動かない店主を置いて、孝治が振り返った。
「さて、何ももらえないだろうし、さっさと次いくか」
自分で分かっているのか、特に気にした様子もなく、孝治が次へ促す。しかし、孝治の作った型抜きを見ていてた三人は、動く気も無く、ひそひそと話をしていた。
「………凄い」
「っていうか、これ作れたら、普通に型抜きできるんじゃないの?」
「す、すごい………。波を凹凸で作ってる」
ある程度場を荒らした孝治は、適当に謝罪を入れながら、三人を連れて去る。
―――――この後、しばらく型抜き屋に、全く抜かれていない型抜きが展示されていたと言うのは、どうでもいい話では、ある。
そのまま神社に向かって歩いていると、不意に腕を引っ張られた。訝しげに視線を向けた先には、いつもの眠たげな晴海の顔があった。チョコン、と言った感じで裾を引っ張る彼女を見た後、あることに気が付く。
「あれ? 真理と祐樹君は?」
「あそこ。置いていくところ」
視線を向けると、確かに二人はある屋台の前で、孝治に向かって手を振っていた。ぴょンピョンと跳ねている真理を、祐樹が宥めすかしているところだ。
どうやら、言葉に気が付かずにそのまま行ってしまっていたらしい。疲れてるのかな、などと胸中で思いながらも、謝罪を入れ、彼女達の元に行く。
「コーチ! ここって、何ッ!?」
真理が叫んだ先には、これまた珍しい御神籤屋(おみくじや)があった。見てみれば分かると思うが、それを尋ねてきたと言う事は、これがやりたいらしい。一回五百円と言うのを見ると、確かに高い。
(つっても、なぁ)
三人に一回ずつやらせると、一五〇〇円也―――その考えを振り払いながら、自分も含め、全員分払う。
「あ、あの、僕自分で払いますよ?」
「………いや、いいさ。こう見えても俺は年上だぞ?」
意外と控えめな祐樹に優しさを感じつつも、孝治は大人の威厳を消さない為、きちんと最初に全部払っておく。
それぞれ引いてみた結果。
「俺は残念賞か」
景品のお菓子を受け取りながら、何となく分かっていた結果に、少しだけがっかりとする。
「ふむ、ナカナカだよね」
ご満悦な顔をしているのは、真理だった。彼女は見事三等賞を引き当て、大きなぬいぐるみを受け取っていた。
それを両手で抱えて満悦な真理の横で、晴海がいつもよりも険しい表情で眉を潜めていた。
その彼女は、その上の二等賞―――しかし、その商品が、微妙だったのだ。
たこ焼き機。関西では一家に一台あると言われるそのたこ焼き機を手に入れた晴海は、普通に分かるほど、不機嫌そうだった。
ちなみに祐樹は、残念賞。孝治と同じでお菓子の袋を持っているが、若干多めで、何となく女性店員の作為を感じてしまう。
「………とりあえず、ロッカールームに行くか」
孝治の言葉に、手に大きな荷物を持っている晴海たちが頷いた。
根本 美香。
中学校では随分と名が知れた、女の子のリーダーだ。兄貴が暴走族のリーダーで、そのせいもあってか凶暴な性格を持つ。ただ、容姿は少し大人びた雰囲気があり、性に興味を持っている女子生徒だ。
正反対だからだろうか、隣の席の委員長、祐樹に想いを向けていた。不良の私でも分け隔てなく接し、授業で分からないことがあったら、教えてくれた。格好良いし、彼に似合うのは自分だけだと思っていた。
今日だって、そうだ。あまり着慣れない浴衣を着て、夏祭りの会場に来たのは、彼にあって話をするためだ。
しかし、あの【孤独姫】は、それを奪った。最初は、責任感から、寂しそうだからだと、思った。
自分は見てしまった。
楽しそうに笑う祐樹と、いつものように無表情な【孤独姫】が、一緒に歩いているのを。
ロッカールームで荷物を預け、孝治達はまたお祭りに出てきた。もう財布もすっかり軽くなったなぁ、などと考えている孝治は、自分の貯金を切り崩す事を決めていた。
孝治は、振り返る。後ろからやや遅れて付いてくる晴海と祐樹が見当たらないことに気がつくと、腕を引っ張る真理共々止まった。
「ど、どうしたの? コーチ」
「………いや、二人の姿が見えなくてな」
真理と一緒にあたりを探す―――と、二人が人込みの中から現れた。
どうやら、焼きソバを買ってきたらしい。もはや(真理のせいで)見慣れたビニール袋をこちらに掲げている晴海達を見て、ホッと息を吐き、二人に声をかけた。
「おいおい、離れるなよ。俺は保護者なんだから」
二人は、少しだけ申し訳無さそうに頭を下げる。
しかし、祐樹の想いを知っている孝治としては、特に問いただすつもりも無い。青春は、いくらでもしてくれれば良いのだ。
「………ちょいと、疲れたな。俺は、酒でも飲みたいんだが………」
神社の前、賽銭箱の前に固まった小さな集団―――そこには、御神酒がおいてあった。フラフラと向かいそうになる足を止め、頭を振る。ここで酔ったら、大変なことになるだろう。
四人で、休憩用のスペースに向かった。
一つのテーブルを占拠していると、小さく腹がなる。よくよく考えると、喉まで渇いていた。
「あ、飲み物を買いに行ってきますよ。何が良いですか?」
祐樹の申し出を快く受け取り、千円札を差し出し、「コーラ」という。一人では危ない、と言う事で真理を連れて行かせた。
「つ、疲れた………」
「ご苦労様」
机の上に突っ伏した後吐いた言葉に、晴海が小さく呟く。祭囃子の中では消え入りそうな声だが、不思議と彼女の声を聞き逃した事は無い。とはいえ、頭が良いのだから、そういうタイミングが分かるのだろうか。
じいぃっと、こちらを見ている。訝しげに視線を上げると、晴海が口を開いた。
「………楽しい?」
そう問いただす少女は、最初に見た時とは全く違い、人間らしく思えた。若干浮世離れした雰囲気を持つ彼女は、今までに無い、小悪魔的な笑顔を浮かべていた。
聞かれ、孝治は苦笑しつつも、机に突っ伏しながら答えた。
「お前たちが楽しければ、俺も楽しいさ。楽しいか?」
「………うん」
孝治の位置からは晴海の表情は窺えないが、何となく顔を見なくても、分かる気がした。
彼女はきっと、少しだけ笑っているはずだ。
「………カキ氷、買いに行く」
そう言って、晴海が立ち上がる。それと同時に孝治も顔を上げた。
「一人で行くつもりなのか? 危ないぞ」
孝治の問いに答えることなく、彼女は小さく腕を上げた。彼女の指差す向こう――――成る程、と孝治は頷く。
ここからでも見える場所に、カキ氷屋があった。今、小さな女の子がカキ氷を受け取っている。
「晴海」
歩き出そうとする晴海を呼び止め、彼女に五百円玉を投げ渡す。驚いて眼を見開く彼女へ、小さく笑いながら告げた。
「真理ちゃんばっかりにおごるのも不公平だろ? あ、俺はブルーハワイね。って、足りるか?」
「………わかった。多分、足りる」
そういって、晴海は柔らかく笑い、踵を返した。
感情が豊かになった、と孝治は思う。
晴海の後姿を見送り、孝治は顔を上に向けた。朝から続けざまに仕事をしていたが、不思議と疲れが見えない。
その理由も、分かっている。あの子供達と居ると、楽しくてしょうがないのだ。
思えば高校の頃から親に反発し、それを正してくれた絵を書きたくて画家を目指し、親族に過剰に期待され、潰されてから来たこの場所で、見つけた場所。
何となく、微笑んでしまった。
ぼうっとしていると、二人が戻ってきた。
眼をぱちくりさせている真理は、戻ってくるなり声を上げる。
「あれ? 晴海ッちは?」
「ん? そこのカキ氷屋にいるだろ?」
そう思い、視線を二人に向け、そのままカキ氷屋に向け――――――ガタッと椅子を倒した。
カキ氷屋の前に、晴海の姿はなかった。
面白かったら拍手をお願いします。