二年     A組。

 今日は、朝からヒソヒソ話が耳についた。それは、間違いなく自分に向けられているのが分かる。

「うわ、マジくせぇ………。なんだってンだよ」

「おれ、隣の席だぜ? マジやってらんねぇ」

 理由は、簡単だ。服についたオイル独特の臭いに、クラスの全員が白い眼を向けてきているだけだ。とはいえ、陰口を叩くだけで真っ向から言ってくることも無い。

 確かに、臭いは強い。真っ白なブラウスが赤と茶色の混じった色で汚れているのだから、見栄えも悪いだろう。

 しかし、そんな事はどうでもよかった。いつもの無表情で、学校が終わるまで本を読むだけ――――それだけだ。

 しかし、奇妙な満足感はあった。いつもより上機嫌なのを、自覚している。

 昼休み――――図書室から戻ってくると、誹謗中傷の紙が、机の中に詰まっていた。無言で近くのゴミ箱を持ってくると、中を読むことも無く片付ける。周りでクスクス笑っているが、全く何が面白いのか、理解できなかった。

 死ね、と書かれた紙がある。ただ、それだけだ。

 椅子には、異変が無い。なら、座って本を読むだけだ。

 【孤独姫】は、何事も無かったように、本を読み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 七月 九日。

 朝起きて驚いた事は、入り口に肩掛け式の刈払機が置いてあったことだろうか。無論、燃料であるオイルも置いてある。

 時刻は、朝の九時。早寝早起きが信条の孝治にしては、若干遅い時間帯だった。

刈払機とは、円形のチェーンソーの刃みたいな物が棒状の後ろについているモーターにより、棒状の本体の先で回転し、草を刈るというとても楽なものだ。

 しかし、最初に考えたのは、疑問だった。

 五十六じいさんが持ってきたなら、車のエンジン音がしてもおかしくない。さらにいえば、家の前などには絶対置かず、孝治を叩き起こして運ばせる、楽をする男だ。

 それが無かった。忙しかったのだろうか。

(………ま、いっか)

 何はともあれ、それを持って草刈をすることにした。寝ぼけ眼の目を擦りながら、孝治は朝御飯を食べる為に、家へ戻った。

 十時、草刈を始める。

 後部にあるエンジンのレバーを思いっきり引き、モーターを回す。轟音と共に先端が回り始めると、それに気をつけながら紐を肩にかけ、草刈を始めた。

 チュィンという甲高い駆動音と、ザザザ、という草の切れる音――――さすがに、これは強力だった。

 休憩を入れて、午前中――――道が、随分と広くなった。広さとしては、全体の5分の1を終えたところか。

「お〜〜〜〜〜〜い」

 声のした方向に、孝治は視線を向けた。

聞き覚えのある車の駆動音。何となくいやな気がしながらも、孝治は振り返った。

 五十六じいさん。いつもの作業着と、不粋に伸びた顎鬚を擦りながら、手を上げて近付いてきた。

「どうだ? 調子は」

「まぁ、生きてはいけるかな、ってとこっすね」

 そう返しながら、刈払機を止める。それを横に置きながら、五十六じいさんに向き直る。

「しっかし、お前が刈払をもってるたぁ、驚きだ。ここの倉庫にあった奴か?」

 五十六じいさんの言葉に、孝治は驚きの声をあげた。

「え? 五十六じいさんが持ってきてくれたわけじゃないの?」

「なにいってんだ? 俺んちのは、今日盗まれて―――――ってことは、孝治! お前が泥棒の犯人か!」

 今にも取っ付きそうな五十六じいさんへ、孝治は叫んだ。

「違いますって! あの、晴海ちゃんから聞いていないンッスか!?

「ああ?」

 孝治は、説明した。昨日、農協の茜さんに五十六じいさんが晴海を養女として引き入れた事を聞き、なら今日貸してもらおうと言ってくれるように晴海に言伝を頼んだ事。

 五十六じいさんは、孝治の言葉を信じられないといった顔で聞いていた。話し終わった後、五十六じいさんはしばらくの間沈黙していたが、やがて小さく口を開いた。

「………黙ってて悪かったな。あの子の生い立ちを聞けば、家の親類縁者はうるさいからな。その点、お前は、確かにじいさんの子供かも知れん」

 嬉しそうにいう五十六じいさんの深みのある笑顔に、孝治は気の抜けた声しか返せなかった。

 確かに、孝治の親戚縁者は世間体を重視する傾向にある。それが悪いわけではないのだが、時々極端に感じるのだ。

 なんでも、曾祖父さんと曾祖母さんが昔、国を相手に『とんでもない事』をしでかしてくれたらしい。当時、それで全国に森繁の名前が広がり、世間体はズタボロにされたらしいが、新聞や政府も騒ぎすぎていた、というわけで当時の資料を破棄したそうだ。

 大人達はけっして話してはくれなかったが、孝治はそういうことがあった、という事ぐらいは知っていた。思わず、気の抜けた返事を返す。

「はぁ………。でも、それじゃあ、どうして………?」

 確かなのは、この刈払機は確かに五十六じいさんのだ。しかし、五十六はそれを知らない。

まさか、泥棒が孝治の為に盗み、家の前に置いてくれたわけではないだろう。

 

 考えられることは、一つ。それを予想しているのか、五十六じいさんは難しい顔で呟く。

 

「確かに、学校の登校路だから、持って行けるといえば、持って行けるな。しかし、コイツはいいとして、あの燃料は重いぞ?」

「………確かに」

 二人の考えは、晴海が持ってきたという事。

 刈払機は、老人でも使えるように重心が考えられ、重く感じないように出来ている。しかし、燃料はポリタンクなのでそうはいかない。女子供でも持てる重さとはいえ、それでも十分に重い。しかも、孝治が起きた六時よりも前に運ばれた事になる。

 そんなことを考えていると、五十六じいさんは呆れたように―――しかし、少しだけ嬉しそうに口を開いた。

「ま、何はともあれ、アイツが家に近づいた事すら珍しい。………俺からも頼む。アイツと仲良くやってくれよ、孝治」

「あ、はぁ………・・はい?」

 五十六じいさんの言葉を聞き逃し、孝治が振り返ったときには、五十六じいさんは既に歩き出していた。

 その寂しい後姿に、声をかけることすら出来なかった。

 置いていかれ、少しだけ悩んだ後、孝治は作業を始めた。もし仮に晴海が持ってきてくれたものだとしたら、作業しないと持ってきた彼女に申し訳が立たない。

 草刈が、始まった。

 

晴海の無謀な約束のおかげか、草刈は順調に進んだ。一日の大半をかけて、4分の1を終えた頃――――荷物を降ろした。

「………ふぅ。重かった」

 時の流れは、酷いものである。

 長い草の中には、色々なものがあった。薄汚れたマネキンや壊れた自転車、テレビやストーブ、生ゴミ(発酵して細菌兵器化していた)や電子レンジなど、いろいろとある。これは市で回収してくれるらしいが、お金が掛かるのが気に入らない。

 それらを牧場の入り口に纏めておき、携帯で電話をかける。回収は、明日になるそうだ。

 昼食。面倒臭いので、うどんを茹でて鰹節を「これでもか!」と悪意を込めてかけ、醤油を垂らし入れ、お湯で解す。これで、吃驚するほど美味しくなるのだ。

 食べ終わり、外に出る。まず孝治は切った牧草を集めると、底を束ね、一つの場所に積んでおく。そこに白い布をかぶせてベッドにするなど、考えすらしない。これは、干し草にするのだ。

 草刈を再開。ゴミが出てくるたびに中断を強いられたが、それでも夕方には十分に進んだ。

 まだ明るいが、この辺にしておく。時間はたっぷりとあるのだから、急ぐ必要も無いのだ。機具をとりあえず軒先にしまい、牧草を束ねる。まとめて近くの空き地に置くと、家に視線を向けた。

「………」

 まだ、晴海は来ていない。というより、毎日のように来るのだ、と思っている自分が怖かった。

 来るのかどうか考えながら、家に上がり、右手にあるお風呂場へ向かい、風呂を汲む。よくよく考えれば、この家に来てからずっと水道は開いていた気がする。さらにいえば、電気もついていた。

「………あれ? 手続きしなくてもいいじゃん」

 とはいえ、さすがにそれは問題があるだろう。思考がずれてきているのを確認しながら部屋に戻る。

「………………」

 

 居た。

 

「っていうか、声ぐらいかけろ」

 昨日と全く同じ場所、同じ格好で本を読む晴海を見て、孝治は呆れ返っていた。気配も姿も全く見せない彼女の動きには、忍者の臭いすら感じる。風呂から出て来たときだったらどうするというのだ(基本的に風呂上りは裸族である)。

 彼女の元に歩み寄り――――奇妙な臭いがした。訝しげに思った瞬間、彼女の服を見て気がつく。

 赤黒い液体が、半袖のブラウスについている。それは、間違いなく刈払機のオイルだ。

 やはり、彼女が持ってきてくれたのだ。しかも、服に油がつくのも構わず、朝早くから。そのため、オイルの気持ち悪くなるような臭いが、染み付いている状態で学校に行ったことになる。

「お、お前! 服!」

 慌てて彼女に近付く。晴海は、少しだけ顔をあげると告げた。

「大丈夫」

「大丈夫って、お前………! 学校でも臭いが酷かっただろ!」

 孝治の大きな声に、少しだけ不機嫌そうに顔を歪める。その冷たい視線に驚きを感じながらも、孝治は引かなかった。

「………私なんて、誰も、見ていないから」

 彼女の言葉に、孝治は言葉を失った。不機嫌そうに本を読み出す彼女の頭―――うなじを、思いっきり――――――突付いた。

 ドスッ。

 そんな音がしたと思う。ガクッと首が動き、微妙に痛んだのだろう、彼女が本を落として頭を抑える。その頭に向け、孝治は告げた。

「お前も、大概にしろよ」

 何の感情も籠もっていない視線を向ける晴海へ、怒り心頭の表情で言い放つ。

「お前な、誰も見てないだぁ? 現に俺が気付いたんだろうが! さらにいえば、その汚れも臭いも俺のせいなのに、お前のせいに出来るか!」

 ビクッと身体を跳ね上げる彼女へ、ズイッと顔を近づけると、口を開く。

「風呂、汲んだから入って来い。その間にそれをどうにかしてやるから」

 何か言おうものなら、叫び返してやるつもりだった。しかし、彼女は珍しく少しだけ口をへの字にすると、それでも静かに頷き――――服に手をかけた。

「脱衣所で脱げ!」

 慌てて押さえる。耳まで真っ赤になっている顔を見上げられ、それを見た彼女は何故か少しだけ微笑み、彼女は脱衣所に向かって歩いていった。

 やれやれ、と落とした本を広い、机の上に置く。素直(?)なのはいい事だが、自分の事を卑下するのはいい事ではない。

 そう思いながら、視線を入り口近くのテントに向ける。小さなテントの中には、自分の過去の夢―――画材道具が、詰まっている。それを見て、何故か、彼女もそれと同じなのかもしれないと、思った。

 お風呂場で気配がする。脱衣所に脱がれた彼女の私服などに眼をくべずに、ブラウスだけを引っ張り出す。

 洗濯機に突っ込み、柔軟材入りの洗剤を入れ、スイッチを入れる。洗い終わるのに三十分、乾かすのに三十分―――一時間ぐらいなら、彼女もまだ居るだろう。

 自分の服の中で、できるだけ綺麗なティーシャツを引っ張り出し、カゴに入れる。ザァ、と流れる音よりも大きな声で、告げた。

「ここに服を置いておくからな。今日は、ゆっくりして行け」

 返事は、ない。ずっと流れる水の音を聞きながら、小さく溜め息を吐く。

 瞬間、ガラッとドアが開いた。三白眼で、少しも隠そうとしない彼女と眼が合い―――

 

「きゃあああああああああ!?

 

 何故か孝治が、悲鳴をあげた。

 

 

 

「お前、ああいうとき、少しは恥らえ。つうか、居るのぐらい分かってただろ」

「そう」

 孝治の言葉にも、孝治の服を着た彼女は簡単にしか言葉を返さない。その彼女の裸体が、湯煙に隠れていてくれたことに感謝しながら、孝治は自分の作業に意識を戻す。

 ダボダボの服だが、夏の暑さにはちょうど良いのか、彼女は気に入っているようだ。洗濯物が乾いたというのに、着替える気配も無い。

 夕食の準備。今日は、昨日貰った豚ロースを使って、揚げ物をしていこうと思う。

 とはいえ、そう難しいものではない。豚肉を薄く切り、それに紫蘇を合わせて巻き、衣をつけて揚げるだけだ。一八〇℃の油で二分ほど、こんがり黄金色になるまで焼けばいい。

 余分な油を切り、キャベツの千切りを載せた皿に盛る。味噌汁は豆腐とワカメという簡単なものだ。

 それらを器に盛り、テーブルに運ぶ。テーブルに置いた瞬間、彼女が静かに本を閉じた。

 そのまま、見上げてくる。しばらくその視線と視線を交わし――――同時に小首を傾げた。

「お前、今日は作ってきてないのか?」

 コクン、と頷く。彼女の性格上、遅くまで帰らないのだから食べさせるべきだろう。

「食べるか?」

 フルフルと首を振る彼女――――その時、グゥ、と可愛い音が彼女のほうから聞こえてきた。

 彼女は、いつもよりも少しだけ気恥ずかしそうに、呟いた。

「鳴ってない」

「どんな嘘だ、それは」

 ツッコミとは対照的に、彼女の様子がとてもおかしく、微笑んでしまう。多めに作っておいて良かった、と思いながら苦笑し、彼女の分を用意する。彼女と対峙し、昨日と全く同じ礼をしてから箸をつけた。

「お前は、中学生だよな?」

 コクン、と頷く。それを聞いてニヤリとしながら、告げた。

「成長していないな」

 ビクッと顔をあげる。三白眼で睨みつけ―――戸惑っているのだろうか―――顔を紅くしながら視線を逸らす。

 小さな声で、告げた。

「別に、いい」

「ほ〜〜〜う。別にというわけでは無さそうだが」

 ニヤニヤしている孝治の視線を視界に入れないように顔を逸らす彼女が、面白かった。

 そして、初めて思う。

彼女も人間だということを。

当たり前だが、いつの間にか忘れていた事――――――少しだけ微笑みながら、孝治は御飯を口に運んだ。

 

 

 

 彼女はゆっくり、十二時まで本を読んで帰っていった。明日は、土曜日で休みらしく遅くてもいい、だそうだ。

 彼女を見送って、扉を閉めた。不思議な友人の、初めて見せた戸惑いを思い出し、思わず笑う。

 悪くない、と思っていた。

 

 

 

 

 

 

―――――闇。

 絶対的な、恐怖の存在。

 それは、絶対に触れてはいけない、禁忌。

 禁忌とは、忌わしき存在だ。そこかしこに存在するくせに、絶対に触れてはいけない。

 何気無く放った言葉が、石の飛礫になる。ナイフになり、相手のもっとも大事なものをズタズタにする。

 相手にズタズタにされるぐらいなら、自分でズタズタになる。

 傷つくぐらいなら、近付かない。嫌われるぐらいなら、好きになんかなりたくない。

 悲しい別れが来るぐらいなら、出会いたくない。

 別れるぐらいなら――――――――

 

 

―――――闇。

 私は、闇。

 私は、居てはいけない。

 コノセカイに、居てはいけないのだ。

 

 私は、闇。

 人は、光に近付いていく。

 私は、闇―――――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 次回は新キャラ登場! お楽しみに! 
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