春日 真理の日記。

 

 九月 五日。

 学校が始まって、部活が始まって、結構大騒ぎ。晴海っちや箕郷っちと仲良くなって夏休みを過ごして、うん、生活しているなぁって思う。

 でも、妹さんが来てから、コーチの練習が今一つ。

むぅ。そんなに会えないっていう話だから、しかたないのかなぁ。

まだ朝練があるだけ、ましなんだよね。きっと。

だいじょぶだいじょぶ♪

 

 

 

 九月 六日。

 朝の練習も難しくなったって、コーチに言われた。レストランの準備が大変なんだって。お客さんは私達みたいなものだけど、最近は近くの若奥様が集って、ほのぼのとしているみたい。

 居心地いいもんね。

 みんなが知ってくれると、いいな。

 

 

 

 九月 七日。

 朝練がなくなったから、部活に早く顔を出す。皆は喜んでくれたけど、なんていうか、コーチじゃないと張り合いがないって思ってしまう。

 何でだろ? まだ皆の方が上手なのに。

 

 

 

 九月 八日。

 今日、十二日にあるサッカーの練習試合のレギュラーが発表された。

 本当に! 私がレギュラー! やったね♪

 サッカー連盟の規則とか何とかで、公式の試合に出れない私が、唯一出られる試合!

 コーチのために、私、頑張るよ!

 

 

 

 

 

 結局。

 

「孝治。コーヒー」

「………」

「コーヒー」

「………」

「………コーヒー」

「分かったけどよ」

 朝早く。どのくらい早いかと言うと、夏だというのにまだ日の出も終えていない時間帯で、孝治が起きていない時間帯といえば、分かるであろうか。

 ログハウス2階、ロッジの上。布団とタオルケットしかない質素な空間で、昨日五十六じいさんの家まで送ったはずの晴海が入れば、戸惑うなと言うほうが無理だ。

「兄、おはよう―――」

「………」

 いつもどおり起こしに来た加奈と晴海がかちあい、謎の火花が散っていたが、孝治はただ、背を伸ばしていた。

 いつもの風景は、若干の騒がしさを持って、変化して行った。

 

 

 

 

「と、いう訳で、物凄く不満ですが、明日の昼には、この牧場を発ちたいと思います」

「おお、帰れ帰れ」

 真っ先に言葉を返したのは、誠。昨日まで裏山に遭難していたその男は、まだ眠そうな目を擦りながら、朝食用に作られた食パンに齧りついていた。

 ちなみに、場所はレストラン。朝から何故か居た晴海と加奈、誠の分を作っていた孝治は、食器を洗いながら、言葉を発した。

「そっか。寂しくなるな。まぁ、何時までも此処の手伝いをしてもらうわけにも行かないしな。んじゃ、今晩は焼肉にでもするか」

 誠を厳しい眼で一瞥した後、加奈は小さく咳き込むと、言葉を紡いだ。

「ところで、兄。昨日ですが、レナードさんから連絡が来ました。何でも、日本へ遠征に来ているついでに、遊びに来てくれるそうです」

 その言葉に声をあげたのは、晴海だった。露骨に嫌そうな表情を見せる彼女は、工事に向き直ると、告げた。

「レナードって? 女の人?」

 女、という言葉と共に晴海から噴出す不機嫌の嵐。それに戸惑いながらも、孝治は言葉を紡いだ。

「レナードは、サッカーのスカウトだよ。ま、ちょっとしたコネで知り合った仲なんだけどな。見る眼はあるし、日本をこよなく愛する外国人だから、仲が良いんだよ。ま、どっちにしろ、来るって言うなら、相手をしないとな」

 そんなことを言っているときだった。

「コーチ! おはよう! 朝練しよ! 今日は試合なんだ!」

 いつもどおりの、真理の声。加奈も誠も慣れているからか、苦笑しか出てこないが、孝治は対照的に楽しそうな表情を見せていた。

「よし、やるか!」

 なんだかんだ言っても、サッカーが好きなんだと、晴海は思った。

 

 

 

 

 

「へぇ。孝治の奴が、ねぇ」

 登校路。

 いつもどおり、牧場周辺で真理が来るまで待っている箕郷は、晴海の想い出話を聞いて納得したように頷いていた。思い出すように呻きながら、呟く。

「『海坊主』っつったら、この辺じゃ有名な奴だよ。あの馬鹿女の兄貴だけどよ。ま、しかし、孝治の奴がそこまで強いなんて、思っても居なかった」

 『海坊主』との喧嘩を聞いて出た感想が、其れだった。孝治が強い事は知っていたが、具体的な強さを聞いて感心してしまっていた。

 二人が話をしているのは、牧場の入り口。真理の練習が終わる七時半まで待つことになっているのだが、距離があるという祐樹は、来ていなかった。

 珍しくもないが、晴海と箕郷の二人だけだ。二人の話題はもっぱら軍隊の話になるが、今日ばかりは内容が違っていた。

「………晴海よぉ。あの加奈って女、ちょっと変じゃないか?」

 髪の毛を揺らしながら、箕郷は其の言葉を紡ぐ。其の言葉を聞いた晴海は、疑問符を浮かべたような表情で、箕郷を見据えた。

 その晴海の眼差しを受けて、箕郷は言葉を続けた。

「孝治の話を聞いていただけなら、ただのブラコンだと思ったんだけどよ。別に私達が孝治に纏わり付くのを完全に除去しているわけでも無いし、独占しようとしているわけでもない。だからって、兄妹愛以上のものはありそうだったし」

 あまり言葉を発しない晴海とだと、一方的に話しているように見えてしまう。が、それでも晴海も思うことがあるらしく、視線を伏せていた。

 その様子に気がついた箕郷が、視線を向けたときだった。

「私、あの人………嫌い」

 晴海が、そう口にしたのだった。

 晴海の、拒絶。基本的に人付き合いが苦手な彼女だが、会って間もない加奈にこれほどの拒絶を見せるのは、意外だった。

 箕郷ですら嫌わなかった、晴海の言葉。其れを聞いていた箕郷は、言葉を紡いだ。

「何でまた? ………孝治が取られるからか?」

 後半は軽い調子で聞いたが、晴海は、小さく頭を横に振るうと、言葉を紡いだ。

「………嫌いだから」

 晴海はそれ以上、何も言わなかった。

 重苦しい空気が、二人の間に漂い始めた、その時だった。

「やっほぉ! 晴海っち! 箕郷っち! おまたぁ♪」

 空気を読んでいない、真理の軽快な言葉に、二人の空気が一気に解放された。入り口に駆けてきた真理は、いつものように汚れた格好で、二人のところに駆け寄る。

「あれ? なんかあった?」

 いつもとは違う二人に、真理が小首を傾げた。その真理に「いやいや」と手を振りながら箕郷は柵から身体を離すと、軽く手を挙げた。

「なんでもないさ。行くぞ? 晴海」

 コクン、と、小さく晴海が頷いた。

 

 

 おりしも今日は、半日しか学校がなく、『銀楼学園』のサッカー部の練習試合だった。一般の生徒は午前中の授業だけ終わるとさっさと帰ってしまうが、今日は多くの生徒が残って、観戦していた。

 『銀楼学園』は、決して弱くはないが、優勝にまで漕ぎ着けられるようなところではなかった。

 相手は、同じ地区の優勝校、『南商業高校』。実力は、向こうに分があるのだ。

 『銀楼学園』のグラウンドで行われるその練習試合は、しかし、思いがけない方向で進んでいた。

 あれほど騒がしかった深井 雅人が一身上の都合で止めてしまい、前線が静かになったサッカー部だったが、後半に出場した春日の登場により、一変した。

真理の存在は日に日にその強さを増していった。

 巧い。

ボールタッチも然る事ながら、重心のしっかりした移動と、両腕をしっかりと使ってのキープが、断然巧くなっているからだ。それは、体重差がある男子の体当たりにもちょっと対抗できるほどのものになっていた。

 しかし、真理の持ち味はそもそも、其れではない。そのちょっとでも対抗できる間を使って抜き然る、身軽さとスピードにあった。

 それを、真理は試合で、証明したのだ。

 MFの鈴木の前で一旦停止し、それと同時にダッシュ―――振り切る。抜かれた鈴木は、小さく舌打ちしながら、裏で護るDFに、叫んだ。

「DF! 敵がいったぞ!」

 残っているのは、DFの二枚と、GKのみ。前線まで上がっている味方もいるが、誰も春日のスピードについて来られなかった。

 DFの一人、石田がスライディングでボールを奪いに行く―――が、其れを横目で見た真理は、ボールを蹴り上げると、そのままジャンプして石田を避けた。

 着地する一瞬前に、ボールを軽く前へ蹴る。ボールとの距離が出来てしまうが、着地と同時に加速した真理は、容易にボールへと追いついた。

 スライディングは、防御の要とも言える行動。避けられたとしても、すぐに立ち上がれば、後ろから追うことが出来る、考えられたものなのだ。

 そして、石田は其れが抜群に巧い。其れを知っているからこそ、無理にでも前へ出たのだ。

 最後の一人である宮元が、真理へ肉薄してきた。ペナルティエリア一歩手前の空間であるが故、厳しい当たりを加えようとしていたのだ。

 一気にぶつかり、反則と共に動きを止める、宮元の考え。

 

 それを、真理は文字通り、追い抜いた。

 

 ぶつかる直前、体勢を低くして、体の下を掻い潜る。体勢を崩し、左腕が地面に擦りつくが、滑るように一気に通り抜けた。

 その、宮元の先には、GKの姿が、あった。宮元に気を向けている間に、距離を詰めていたらしく、真理のこぼしたボールを拾おうとしていた。

「〜〜〜っ! こなくそっ!」

 腕を想いっきり伸ばし、脚を伸ばす。今まさに、GKが掴もうとしていたボールの真下を、蹴り上げた。

「うわっ!?」

 蹴り上げられたボールに、GKである平井が思わず顔を逸らしてしまい―――――。

 

 パサリ。

 

 ゴール内のネットに、ボールがゆっくりと、納められた。

 荒れる息と、周りの静寂。揺れる視界と動悸が最高潮に達した瞬間。

「いやったあああああああああああああっ!!!」

「「「うおおおおおおおおおおおおっ!?」」」

 噴出したような真理の歓喜の声と、味方の声と歓声が、同時に響いたのだった。

「すげぇよ! 春日!」

「何時の間にあんな突破力付けやがったんだよ!」

 仲間の歓声が響く中、真理はゴールからボールを拾うと、一番近くの敵―――宮元に渡すと、笑顔で叫んだ。

「まだまだ! 皆! まだ試合は終わっていないよ! さ、続きやろ♪」

 まだ、後半の残りと、ロスタイムが残っている。真理の言葉に、チームメイトは力強く頷くと、自分の陣地に戻って行き、敵は少しだけ呆けた様子だった。

 そしてその日、真理はハットトリックを決めて、勝利した。

 

 

 

「いやぁ、春日は巧いし可愛いし、本当に文句が付けられないよなぁ」

 観客が帰って行く中、そのような内容の会話があちこちから聞こえてきた。脚を組んだその上に肘をつき、其れを聞いていた箕郷は、若干不機嫌そうに呟いた。

「つうかさ、マジで出来すぎじゃないのか?」

「………上手」

 箕郷の言葉に、晴海が的確な言葉を返す。巧いからこそ此処まで人を惹きつけるのだろうが、箕郷にとってはルールもわかっていないので、今一つ納得できないのだろう。

「い、いや、あの動きは凄いと思うよ。普通に上手だし」

 そう箕郷に告げたのは、祐樹。掃除で若干遅れてきたが、真理の活躍は見ていた。すこしは知識のある祐樹にとって、真理の動きはやはり、頭一つ飛びぬけていた。

 別に、真理はワンマンプレーをしているわけではない。パスはまだ弱いが、その突破力は同世代でも突出している。

 そして何より、伸び伸びと楽しく、プレーしていた。其れが、観客を魅了し、流れを制するのだろう。

 キラキラと輝くような、向日葵のような笑顔。その全てを振りまきながら。

「あ、祐樹っちに箕郷っち! 晴海っちも! 勝ったよ♪」

 ピシリ。

 立っていた祐樹と、嫌でも目立つ箕郷に気がつき、晴海にも気がついた真理の、悪意のない声に。

「………やっぱ、あいつ許せねぇよ」

「俺はバット用意すっから、お前は催眠スプレーな」

「―――もしもし、母さん? 俺、犯罪者になるかも」

 そんな周りの反応に、ただ、言葉にならない悲鳴を上げるしかない祐樹だった。

 

 

 

 試合後のミーティングも終わり、活躍した晴海は、未だに褒め称えるチームメイトと別れながら、晴海達が待つ校門へと、走っていった。

 今日は、朝から絶好調だった。朝の練習でも、初めて孝治からボールを奪ってキープできたし、試合でも驚くほど軽く体が動いたのだ。特に、男子生徒の当たりに負けなかったことが、とても嬉しかった。

 体重が軽いから、どうしても当たり負けしてしまっていた。其れを補うためにスピードに重きを置いて練習していたが、ボールキープが今一つ上達しなかった。

 その全てが、コーチである孝治の指導で、実現したのだ。

(コーチは、凄い!)

 動けば動くほど、孝治の教えが頭の中で反芻された。理論的に動くことが苦手な自分が、まるで操られたように、動けたのだ。

 今なら、確信できる。

 コーチとなら、どこまでもいける! と。

 

「ヘイ! プリティガール!」

 

 その、真理を止める外国訛りの日本語が、全てをとめた。

 呼び止めたのは、白い肌にサングラス、そしてブロンド色のオールバッグである、老紳士。暑いのか、上着を脱いだスーツ姿のその老人を見て、真理は眉を潜めた。

(あれ? この人、どこかで見た気がするなぁ………)

 そんなことを考えていると、老紳士は右手を差し出しながら、口を開いた。

「イヤイヤイヤ、トッテモ上手ネ。マダマダ荒削リダケド、光ルモノアリマス。ソシテ、懐カシイニオイシマスヨ」

 そうまくし立て、彼が差し出していた手を、握り返した。真理の手を握って上機嫌で手を振った彼は、懐に手を入れながら、言葉を返した。

「デモ、私トッテモ困ッテマス。牧場、行キタイデスガ、道分カラナイ。教エテクダサイマスカ?」

「牧場? え? それって」

 真理が何かを察し、口を開こうとしたときだった。

「レナード! こっちだよ!」

 その、聞きなれた声に、体が反応した。振り返った先には、箕郷と晴海、祐樹と見慣れた顔に、孝治の姿があった。

「あ、コーチ――――「OH! コージネ!」え?」

 そういい、レナードと呼ばれた老紳士は孝治に歩み寄った。真理と同じく、力強い握手をするその背中を見て―――――。

「ああああああああああああああああああああああああっ!?」

 真理が、凄まじいまでの悲鳴を、挙げた。

 

 

 

 レナード・マルチネス。

 スペインリーグでも屈指の名将であり、監督を引退した今でも引く手数多の、プロサッカー選手だった。

 

 

 

 牧場までレナードを案内した孝治は、彼が感嘆するレストランのカウンターでコーヒーを出していた。案内されながら、その素晴らしさをしきりに褒めていたレナードも、孝治の出したコーヒーで、一休みする。

 軽くすすり、大きく頷く。大げさにも見える手振りを見せながら、告げた。

『ハハハ。孝治が牧場を開いたと聞いたけど、いい場所じゃないか。相変わらず、いい腕だしね。ウチの妻より上手だよ』

『レナードに気に入られて、光栄だよ』

 外国語で挨拶を交わす孝治とレナード。其れを背に、子供達は全員で集って作戦会議を開始していた。

「ねぇ! 何でコーチが知り合いなの!?」

「知るかよ! って言うか、何であんなに英語がぺらぺらなんだよ!」

 英語で会話を続けているレナードと孝治を背に、晴海と祐樹が何処となく遠い目で話しあっていた。

「レナードって、聞いたことあるよね」

「………疎い私でも、分かる」

 個性的なキャラと、流暢ながらも意味不明な日本語で有名な彼は、テレビでも話題の人物だ。

「孝治の奴が英語上手なのは、まぁ、環境によるもんだ」

「あ、誠さん」

 子供達が座っているボックス席に歩み寄ってきた誠は、席と席を仕切る板に寄りかかると、手に持った麦茶を、一口口に淹れた。

「知っての通り、森繁の家はサッカーチームを経営していて、な。まぁ、J2どまりの小さなところだけど、レナードはそこのトレーナーをやってたんだよ」

「そこで、兄と仲良くなったんです」

 コトンと。

 子供達の前に、麦茶の入ったコップが置かれる。

置いたのは勿論、加奈。視線をあげた晴海と若干のにらみ合いがありつつも、まるで自分のように喜びながら、彼女は告げた。

「兄はとても上手で、当時中学生でも大人に一歩も引けを取りませんでしたしね。ふふふ」

 当時のことを思い出しているのか、恍惚の笑顔を浮かべる加奈に、不満げな真理と晴海。箕郷は最初からぶっきら棒な表情なので今更だが、それでも面白くなさそうなのは、見て分かった。

 誠は、大きくため息を吐くと、告げた。

「ま、しかたないだろ。年が離れているんだ。ま、そんなわけで、レナードと仲が良いんだよ」

「へぇ〜」

 感心したように声をあげる真理。

 ジッと孝治のことを見ていたが、その顔が若干困っている様子も見えた。レナードが喜色に染まった表情とは違い、何度もこちらを見ては頬をかいていた。

 そして、孝治と真理の目が、綺麗に揃った時。

 

 

「マリサ〜〜〜〜ン! ワタシトスペインヘイキマショウ!」

 

 満面の笑顔と突然の抱擁、そしてその言葉に。

 

「「「へ???」」」

 真理と箕郷、祐樹の素っ頓狂な言葉が、戻ってきた。

 

 

 

『彼女は素晴らしい!』

 真理の話をしていたときに、レナードが言った言葉は、それだった。初めて見た時の、爛々とした眼差しで、告げた。

『女性とは思えないポテンシャル―――おっと失礼。私は紳士だからね。女性は素晴らしい! おっと、話がそれたね。彼女は十年来の君を見ているようだ!』

 そういってもらえるのは、はっきり言って嬉しかった。

 激しい運動が出来ないこの身体、実を言うと、真理との相手もいっぱいいっぱいで、教えられる事は教えてきた。もちろん、俺とは経験も、向かう方向も違うだろうけど、彼女はきっと、巧くなる。

 だけど………。

『彼女なら、スペインのリーグで活躍できるはずだ! それだけじゃない! きっと、革命を起こす! 女性が劣っていると思われがちな世界の認識を、世界最高峰で証明できるんだ!』

 レナードは、そう嬉々として話してくれた。

 サッカーは、男のスポーツではない。女子リーグもあるし、女性のためのワールドカップだって開催されている。

 しかし、男の豪快なサッカーの方が目に付くのも、確かだ。目に付く素晴らしい妙技はもとより、ありとあらゆる要素が含まれた、そういうスポーツである。

 だからこそ、男が有名なのだが、其れを覆すポテンシャルを、真理に見たのだ。

『常々、私は疑問だったんだよ! 男性と女性の身体能力の差、其れは認めよう! だがしかし、何故こうも大きく違うのかを! 例えば、そう! パワーがなければ、テクニックで補えばいい! マラソン大会で男子よりも早く走る女子が居るならば、タフネスで劣るのもおかしな話だ!』

 レナードは、酷く不満げに話す。彼が男女平等をうたう理由も知っているが、あまりにも其れを言い過ぎた所為で、他のスカウト業から変な目を向けられているのも、知っている。

『でも、中学生だぞ?』

 一応、警告を出すが、レナードは頭を振った。

『そこは問題じゃないんだ、孝治。ゴールデンエイジと呼ばれる時代は、もう過ぎかけている。君の技術で踊れるようになっても、大舞台で踊るにはあまりも曲が少ないと思わないかね?』

 レナードの言い回しは難しいとしても、言いたい事は分かる。

 ゴールデンエイジと言うのは、大体8歳から12歳までのことを指す。広義、人によっては違うかもしれないが、技術として身に付けるとすれば、最も適している年齢だ。

 真理は、ポストゴールデンエイジと呼ばれる時代に移行し始めている。しかし、彼女特有の吸収のよさから、まだまだ伸びる余白を残しているという事だ。

 レナードが焦るのも、分かる。ダイヤの原石を海の中から拾い出した心境なのだろう。

 そのまま、レナードは真理に駆けより、あの言葉を放った。流石の真理も困惑し、抱き疲れて狼狽していたが、やがて箕郷が真理を助け出した。

「このヘンタイジジイ! ぶっ殺す!」

「やめろ、箕郷」

 割かし本気で殴り始める箕郷を、孝治は抱きかかえて止める。孝治に両脇の下をつかまれ、持ち上げられた箕郷は、一瞬で顔を真っ赤にすると、叫んだ。

「ど、何処触ってんだ!?」

「順を追って話すから。それと箕郷、暴れるなよ」

 箕郷をおろしながら、孝治はレナードと真理を離し、真理を引き連れて違うボックス席に座る。レナードは少し寂しがっていたが、誠に『ロリコンだと思われるぞ?』という一言で、紳士に戻ったようだった。

 ホッと一安心し、真理は真剣な眼差しで真理に事の真相を、話し始めた。

 

 

そしてそれは、彼女の人生を大きく左右する、大きな大きな、話だった。

 

 

 

―――『生活ノ安全ハ保障シマス。楽シイサッカーヲシマショウ!』

 レナードさんの言葉が、頭に響いた。

 帰り道。どんどん早くなる夕暮れに間に合うように、私は家に向かって、歩いていた。

 レナードさんの言葉は、サッカーをするものにとっては、是非もない話だった、と思う。私だって、チャンスがあれば挑戦したいと思っていたし、将来は絶対に、やろうと思ってた。

 サッカーの垣根を取り壊す―――コーチとなら、出来る気がしていたその夢も、パートナーを変えて、一気に現実味をもって行くはずだ、と思う。

 でも、結局は、今すぐにでも海外に行かなければ行けない。其れは、晴海っちや箕郷っち、祐樹っちや学校の皆と会えなくなるって言う事で、コーチと会えなくなるって事で―――――。

「あ〜あ、やだなぁ」

 それは、嫌だ。コーチにはまだまだ習う事はいっぱいあるし、コーチだって渋い顔をしていた。其れが、凄く嬉しくて、なんか、胸がきゅんきゅんする。

「………うん、もう少し、日本に居よう」

 そう、決めた。うん、それが、一番いい。

例えば、目の前の分かれ道。両方とも家にいけるこの道が、運命の道だとしよう。コーチと向かうのが大きな遠回りで、真っ直ぐ帰る道が、レナードさんとの道。

だったら、迷わず私は、遠回りを選ぶ。道は一つじゃないし、どうせなら、遠回りの方が楽しいことがいっぱいあると思いたい。

 ううん。今がこんなに楽しいんだもん! 楽しいに決まってる!

「よし♪ 今日はこっちから帰ろっと♪」

 すこし、遠回りをして帰ろうと思う。そういえば、お母さんが今日、大好物のピーマン肉詰めを用意していてくれたんだっけ。

 レナードさんには、断りを入れよう。だって、お母さん一人じゃ寂しいだろうし、私だってコーチや晴海っちが居ないと、寂しいもん。

 さ、帰ろ♪

 

 

 

 

 牧場から泊まっているホテルに戻るというレナードの背中へ、ずっと押し黙っていた誠が、声を掛けた。

『レナード』

 誠は、知っている。彼は中学の頃、頭角を現していた孝治を引き抜こうといろいろ画策し、ことごとく久利に邪魔されていた。

 誠にとって、レナードは警戒すべき人間の一人。この男は、今の孝治でさえ、何とかこちらの世界に引き込もうとしているのだ。

 日本に来たのも、実際は牧場に追いやられた孝治を引き抜く為。ただ、その行く先で割れかけたダイヤの原石よりも綺麗な原石を、見つけただけだ。

 だから、釘を刺す。

『無理だから諦めろ、レナード』

 英語ではなく、スペイン語。孝治には聞こえていても、意味は分からないはずだ。

 目の前のレナードは、世界各国、重要な言語は余裕で話せる。それだけその仕事に熱心であり、ある意味、狂信的だ。

 誠に言われたレナードは、飄々とした態度で、答えた。

『何故? 世界最高峰の環境で、世界最高の練習をすることが出来るというのに!』

 狸が、と誠は思う。自分がこういうことも予想していたはずだし、なによりこういう人を馬鹿にした態度が、気に入らない。

『確かに彼女の素質は高いが、孝治にべたぼれしている。お前がどうこういったところで絶対に傾かないし、きっと、断ると思うぜ?』

 きっと、真理は断るだろう。

 理由など、簡単だ。森繁 孝治のことを心底信頼し、また、レナードなどの手助けを受けなくても、孝治の師事だけで、結果は残せるからだ。

 しかし、レナードは、不敵に笑う。まるで、何かを確信めいた表情で、はっきりと。

 笑った。

『ハッハッハ。誠。君はいつも、僕の事を邪魔するけどね、今度はそうは行かないよ。君は、孝治のためならある程度の事はするが、彼女のためには動かない。そう思っているからね』

 その言葉に、流石の誠も、頭に来た。やや気迫の込めた言葉を、叩きつける。

『そうでもないぞ? 相手がお前であり、あの子が目的なら、全力で叩き潰してやる。言っておくけど俺は、フェミニストだぜ?』

 真理と誠は、知らぬ仲ではない。少なくとも誠にとって真理は、好感の持てる少女だった。

 目の前の相手が、何かをしようとするのならば、其れをどうにかする―――暗に込めたその言葉に、目の前の男は、言い放った。

『おお、恐い恐い。しかし、今回は無理だ』

 不敵に、笑う。

『なんせ、もう決まったことだからね』

 難解な言葉を残し、レナードは歩き出す。軽く手を振る動作と、その佇まいは老紳士の其れであり、隙などなかった。

 そして、誠はこの日ほど、自分の目論見が甘かったことを、後悔した事はなかった。

 

 

 この時、孝治の事を放っておいてでも、レナードを追跡すれば、良かった。

 

 

 後悔は、遅かった。

 

 

 

 


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