「―――無駄だ」

 自分には、眼前の光景が信じられなかった。

 火をつけようと、ライターをこすった瞬間、手につめたい雫が落ちてきたのだ。雨か、と思ったが、ガソリンを撒いてあるので、そう簡単には消えないと、もう一度火をつけようとしていたのだ。

 なら、目の前の光景は何だというのだ。

 ―――滝のような、雨。衣服はすっかりとずぶ濡れに染まり、一気に白い世界へ染め上げた雨は、視界を遮る。それに驚いて落としたライターは、見つからない。

 其れが急に止まったとき、声が聞こえたのだ。

「無駄だよ。お前じゃあ、〝この土地〟に害は加えられない」

 其の声が響いた時、急に頭が冷えて行く感覚に陥った。

「――――あ、ああ」

 喉が、震える。自分のやったことに対し、凄まじい後悔と自責の念が、押し寄せてきた。

 振り返り、見上げる。その視線の先には、メガネをかけた背の高い男性が、居た。

「さっさと消えろ。餓鬼」

 自分は其の言葉に弾かれたように、駆け出したのだった。

 




 

 

 

 子供が駆け去ったのを見届けた人物は、懐からタバコを取り出すと、腰を屈めた。地面に落ちている安物のライターを拾い上げると、タバコに火をつけた。

 雨はもう、上がっていた。それどころか、暗雲は何処にも見えず、ただ湿った空気だけがあった。

 一人の少年の、凶行。其れを見届けていた男―――誠は、小さく舌打ちした。

「ギリギリで止めて叱るつもりだったが、これも、この土地特有の現象、か」

 苦々しい表情で呻きながら、誠は踵を返す。孝治の家の鍵を指でクルクルと回しながら、前を見た。

 自分の乗ってきた黒い車。そこの後ろのトランクを開け放つと、中からトランクケースを引っ張り出し、閉じた。

 そのトランクの上にケースをおき、開け放つ。書類が焼けないようにタバコを足の裏で消すと、エチケットケースに放り込んだ。

 そして、分厚い書類を取り出すと、呟いた。

「【神隠し】、か」

 風が吹くように、山が啼いた。

 

 

 

 

「――――雨か?」

 孝治は、頬に当たる水気に、そう呟いた。

 見上げてみるといつのまにか、暗雲が立ち込めていた。大雨になるか、と一瞬だけ構えるが、その雲はゆっくりと東へ、流れていった。

 よくよく見ると、向こう側では大雨らしく、空が白い。しかし、西の空は夕闇の空が見えるほど、澄み渡っていた。

「通り雨、か」

 そう、孝治が判断した頃。

「おいおい! ジャガイモを丸ごと入れるなよ!」

「あれ? なんか、白くなったよ?」

「………それ、牛乳」

 心配になるような声が、響く。

 振り返ると、箕郷が鍋を回しているところに、晴海が切った野菜を片っ端から入れて、真理が味付けをしていた。

 前述どおり、カレー鍋と呼ばれる容器の中身は、真っ白だった。原因は、半生の豚肉と牛乳、そして潰れたジャガイモだった。

(メークイーンを買ってきたんだけどな?)

 煮崩れしやすい男爵芋ではなく、メークイーンと呼ばれる煮崩れしにくい品種を用意していた。なのに潰れるという事は、かなりの力でかき混ぜていた事になる。

 其れを切っていた晴海は、皮をむいた状態のままで鍋に入れているのだ。にんじんは二つに切られているが、それ以外はほぼそのまま、である。

 そして真理は、持って来た調味料を片っ端から入れているようだった。

カレーのルウから作る孝治だが、他の誰かが作れるとは考えていなかったので、きちんと市販のルウも用意しておいた。それを入れても白くなるという事は、他の何かを混ぜ込んでいるに違いない、と察した。

「………おいおい、お玉が重くなってきてんだけどよぉ、大丈夫なのか?」

 いい加減なかき混ぜ具合でまわす箕郷も、適当すぎて泣けてくる。

 遠くから見ていた孝治は、頬を引きつらせながら、呟いた。

「別の奴、作って置くか」

 そう、覚悟した時だった。

「あ、あのさ。君達って、もうちょっと役割分担を変えたらどうかな?」

「なにぃ?」

 恐る恐ると言った感じで切り出した祐樹に、箕郷がガンを飛ばす。その箕郷の威圧にビビリながらも、祐樹は答えた。

「ほ、ほら。梅澤さんは物を切るのが好きみたいだし、晴海さんは味見が得意だったよね? 真理さんは、ほら、持続する事が得意だし、役割を変えれば、美味しいものが作れるんじゃないかな? 足りない知識は、晴海さんが教えてくれればいいし」

 祐樹の言葉に、三人が次第に顔を向けて行く。その祐樹の案を取り入れ、三人は作り直すようにしたようだ。

「―――ふふ」

 孝治は笑い、またテントの設置に戻った。

 後ろでは、楽しそうな笑い声が、響いていた。

 

 出来上がったカレーは、予想外にいい出来栄えだった。祐樹が炊いたご飯は粒が立つほど綺麗に炊き上がっていたし、テントも綺麗に作られていた。

 無論、四人前では足りないと考えた孝治は、昔使っていた飯盒を引っ張り出し、さらに五人前分用意しておいた。

――――時刻は、七時過ぎ。流石に暗くなり、薪の光があたりを照らしていた。

「「「「「いただきまーす」」」」」

 全員の声と共に、夕食は始まった。

「美味し~~~いッ!」

 最初に歓喜の声をあげたのは、真理だった。天真爛漫な彼女の笑顔につられるように、祐樹が微笑む。

 晴海も物珍しく、黙って食事に専念していた。比較的小食なのだが、黙々と食べ続けている。

 箕郷は、言葉を上げる間もなくかき込むように食べていた。祐樹が用意したご飯を一気に食べつくし、今はもう、孝治の炊いたご飯を食べている。

「んじゃ、俺も食べるか」

 孝治がそうつぶやいた瞬間、全員が動きを止めた。それに気付く間もなく、孝治はゆっくりと口の中に入れると、咀嚼を続ける。

 そして、孝治は顔をあげた。

「うん、美味い」

 孝治が、そういった瞬間だった。

「よっしゃ!」

 真理が小さくガッツポーズをし。

「うっし!」

 箕郷が右腕と左腕を組み合わせて喜び。

「………うんうん」

 真理が、納得したように頷く。

「よかったぁ………」

 祐樹が、安心したように息を吐いた。其の各々の反応に、孝治は首を振る。

「ぶっちゃけ、俺のよりも美味いぞ? いや、よく頑張ったな。うん、美味い美味い」

 一口を皮切りに、孝治はどんどん食事を続けた。

 自分が作るより、他の人のものを食べたほうが楽しいと、以前誰かに言われた事がある孝治は、全く持ってその通りだ、と思った。

 楽しそうに笑う、まだ子供でしかない少年少女。

 その顔を、いつまでも見ていたいと、考えていた。

 其の時、箕郷が何かを思い出したように顔をあげ、呟いた。

「でもよぉ。考えれば考えるほど、おかしな場所だよな、此処」

「………何でです?」

 祐樹の問いかけに、箕郷が悩んだ様子で、答えた。

「ほら。だってよ。夕方から雨だってテレビでいってたじゃネエか。麓のほうは雨みたいだしよ。このあたりだけが、妙に晴れてないか?」

 箕郷の言葉に、孝治は空を見上げた。

 確かに、三百六十度見渡すと雲が多いが、孝治達の今いる山の辺りだけは、澄んだような闇夜が、映し出されているのだ。

 確かにおかしいが、山の天気は不安定だと思っていた孝治は、眉を潜めた。

「こんなもんじゃないのか? 俺が山ん中入っているときは、いつも晴れてたぞ?」

 孝治の言葉に、晴海が食事の手を止めて、口を開いた。

「ここは、結構高い。天気は、変わりやすい」

 そういった後、またもや食事に専念しようとする晴海に、箕郷が露骨に顔をしかめた。箕郷は、カレー皿にスプーンを横たえると、ビシッと指差し、口を開いた。

「お前らだって、言われてなかったか? この辺に近寄るんじゃないって」

 箕郷の言葉に最も反応したのは、孝治だった。

「………本当か?」

 寝耳に水、というか知る余地も無かった孝治の言葉に、真理と祐樹が神妙な表情を浮かべて、頷いた。

箕郷は事も無げに頷くと、頭を振るう。スプーンを手に持ちながら、口を開いた。

「ああ。まぁ、理由は全く知らないがね」

 「なんだよ」と肩を落とす孝治に、晴海がスッと近寄って、顔をあげた。

「民話が、原因」

「民話?」

 そう、と小さく頷いた晴海が、ゆっくりと孝治の近くにある飯盒からご飯をよそうと、答えた。

「――――【神隠し】」

 孝治の身体が、なぜかぶるっと、震えた。

 

 

 

「―――【神隠し】、ね」

 孝治の自宅であるログハウスの中で、ささやかな雨音を聞きながら、誠は手に持った書類を読んで、呟いた。

 この〝土地〟には、五十年に一度、奇妙な噂が流れていた。

この辺りで一番の霊山である〝名も無き山〟の麓である場所に、人が集って消えて行くという、噂。それも、子供ばかりが集められて、消えて行くのだ。

 どこにでもある根も葉もない噂、と笑われていた噂だったが、五十年以上前に起きた一つの事件が、其れを物語っていた。

 集団失踪。其れは、森繁の土地であったこの場所で起きて、十二年前に解決していた。

 森繁老夫妻が解決したといわれるこの事件―――しかし、事件として世間に出ることもその詳細も、全く分からなかった。

 怪奇現象、もしくは未解決事件と銘を打たれたその噂と事件を、今誠は、追っていた。

 理由としては、自分の好奇心を満たす為―――なのだが。

「森繁には、世話になってるしな。怪しい場所においておくわけにもいかねぇ」

 誠にとって孝治とは、旧知の仲である以上に大切な友人だった。以前に起きた事件でお世話になった事もあるが、それ以前に、孝治の夢の一つを自分が潰した、という負い目も感じていた。

 思い出したように、宙を見上げる。近くに持ってきていたポットからお湯をカップに注ぎ足すと、心配そうに表情をゆがめると、口を開く。

「あいつ、大丈夫か?」

 孝治の体のことを知っている誠は、それを不意に思い出し、心配を募らせる。一度心配を強くすると、其れはどんどん心を侵食し、覆い尽くしてきた。

 なぜなら原因は、他ならぬ自分だからだ。

「………見に行ってみるか」

 入り口においてある荷物を眺めながら、そう呟いた。

 

 

 

 

「コーチってさ、何でサッカーが上手なの?」

 食後のほのぼのとした空気の中、食器を片付け終わった孝治がコーヒーを入れていたころ、そんな言葉を真理に言われた。

 キョトン、としている孝治を横目に、箕郷も同意するように頷きながら、続いた。

「そういや、そうだよな。結構、いい腕前なんじゃないのか?」

 その箕郷の問いかけに、真理は身を乗り出す勢いで頷いた。

「うんうん! だって、うちの学校の先生よりも上手だもん!」

「………確かに」

「そうですね」

 晴海と祐樹の同意も得て、真理はパッと表情を輝かせる。

 孝治のサッカーの腕前は、テクニックだけならたいしたものだった。仕事をどれほどした後でも真理と練習をして、一度も勝てないのだから、たいしたものだった。

 しかし、孝治はほんの少しだけ表情をゆがめると、口を開いた。

「駄目なんだよ。俺は」

「え?」

 孝治の言葉に、全員が戸惑いの表情を浮かべた。それに苦笑しながら、孝治は晴海の隣に座ると、口を開く。

「連続して走ることが出来ないんだ。肺が片方、無くてな」

 そういい、服を捲し上げた孝治の左胸には、よく見ないと見えない傷がまっすぐ、走っていた。それに眼を見開く四人を見ながら、孝治は苦笑しながら口を開く。

「―――三年ほど前、ちょっとした事故で、片方の肺を全部摘出したんだよ。真理との練習ぐらいなら全然問題無いんだが、サッカーの試合に出るとなると、どうしても、な」

 サッカーは一回の試合で、かなりの距離を走ることになる。孝治の場合、生活に支障はないのだが、サッカーやマラソンは酸素欠乏症になる可能性があり、不可能だった。

 無論、牧場の仕事も重労働なのだが、休み休みやれば問題無い。とはいえ、頑張りすぎれば倒れる可能性だってあるのだ。

 其の事実を初めて知った四人へ、孝治は笑顔を向けた。

「つっても、今は牧場が楽しくてしかないけどな! お前たちも居るし、元気だ。それに、今までだって倒れてないだろ?」

 人間の身体というのは、慣れるものである。限界はあるだろうが、孝治も山登りが問題無いほど克服している。

 孝治の言葉に、祐樹が頷いた。

「そう、ですよね。孝治さんは正直、凄いと思います」

 祐樹の中での孝治の評価は、彼が口にした一言に尽きた。

 たった一人で荒れ果てた牧場を作り直し、家畜を引き入れ、レストランを改築しただけではなく、開業の手続きまでしてきたのだ。実入りはないとは言え、たいしたものだった。

 他の人物も、そう考えているはずだ。

「………孝治は、偉いよ」

 ぽつんと、晴海から其の言葉が毀れたのは、そのときだった。それに視線を向ける孝治へ、晴海はいつもの感情の読めない眼差しで、見返した。

 そして、口を開く。

「偉いよ」

 たった、一つの言葉。それに、孝治は――――。

「――――へ。まだまだだよ」

 晴海の髪の毛を、ぐりぐりと押し付けるように撫で付けた。元々前髪が長い晴海は、其れによって何も見えなくなるが、嫌いでは、無かった。

 孝治の、ごつごつとした優しい手のひら。其れをジッと押し付けながら、孝治は口を開く。

「まだまだ、だ」

 孝治の言葉に、真理も箕郷も祐樹も、笑う。ほんの少し遅れ、髪の毛がくしゃくしゃになった晴海が見上げ、唇を少しだけ上へ上げた。

「まだまだ」

「………まだまだ」

「まだまだだね」

「まだまだ、ですね」

 全員に、笑顔が宿る。

 やがて、真理が荷物を漁りだしながら、口を開いた。

「じゃ、最後にこれやろうよ!」

 そういい、取りだしたのは、花火だった。

 赤、白、黄、紫。様々な色取りを持つ炎が、闇夜と其れを映す河に映し出され、鮮やかに彩る。

 其れを持って、元気にはしゃぎまわる真理。其れを見た後、悪戯心に火をつけたのか、火のついた花火を持って追いかける箕郷と、それから全速力で逃げる孝治。川沿いで静かに線香花火をする晴海と、其れを見ている祐樹。

 大切な、小さな友人達に囲まれて、孝治は最後の休憩を、満喫していた。

 やがて、夜は更けていった。

 

 

 

 

「―――やれやれ、たいした奴だ」

 キャンプ目的地に着いた誠は、其の様子を見て、苦笑した。

 確かに、夜は更けていた。さらに奥まった場所にあったので、迷いかけて四時間掛かった誠は、再度、視線を前に向ける。

 四人用のテントと二人用のテントが二つ、あった。しかし、片方は無人で、最初はかなり慌てたが、もう一つを見て、気がついた。

 孝治の話でよく聞く三人娘が川の字で寝ており、一人の男の子が足蹴にされている。その四人を見守るように、テントの入り口で座り込んでいた男を見下ろして、誠は口を歪めた。

 苦笑か、もしくは微笑みか。自分でも判断が難しい表情を浮かべながら、誠は口を開いた。

「大事にしろよ」

 そういい、誠はテントを閉めた。

 

 

 

 







 

 八月 二十二日

 

 

 朝。

 箕郷の怒声で眼が覚めた孝治は、叩き出された祐樹を眺めながら、朝御飯を作っていた。祐樹は駄目で何故自分が大丈夫なのか考えながらも、孝治は朝御飯として昨晩残ったカレーと持ってきたうどんで、カレーうどんを創り上げていた。

「キャンプでカレーうどんとは、斬新だな」

 箕郷の言葉通りだとは思ったが、評判はなかなか良かった。朝を軽くこなした後、一行はそのまま山を降りることとなった。

 そこで、一悶着があった。

「だから、重いのは祐樹に任せればいいでしょうが!」

「大丈夫だっつうの」

 昨日の話を覚えていた箕郷と真理によって、孝治の荷物を減らそうという計画が持ち上がったのだが、負担が全て祐樹にいくということで、却下と相成った。

 その祐樹だが、晴海の大量の荷物(本)を担いでいるので、かなり疲れているようだった。やれやれ、と思いながらも、四人の仲が深まったようで、孝治は満足だった。

 そして、牧場に続く裏道に、降り立ったときだった。

「おい」

 その声に、孝治が顔を上げ。

「誠!」

 其の言葉に、四人が反応した。

 牧場の裏手で待っていた男は、軽く手を挙げると、後ろの四人へ、声をかけた。

「そっちが、お前の友達か。始めまして、かな。堺 誠だ」

 其の言葉に、孝治が補足した。

「昨日話していた、主な職業が探偵で、副業が就職活動の変なやつだ。大手中古販売店に就職したのに、何時の間にか辞めてたな。仕事がしたくても出来ないやつに謝れ」

「お前、何気にさらっと酷いこと言うな」

 苦笑する誠へ、孝治は顔を近づけ、呟く。

「昨日の夜、来てたことばらされたいのか?」

 孝治の言葉に、誠はほんの僅かに、眼を見開いた。ややあって、口を開く。

「気付いていたのか?」

 驚いた様子で聞いてくる誠へ、孝治は不敵に笑うと答えた。

「まだまだだね、ワトソン君」

 孝治の言葉に、誠は苦笑するしかなかった。

 

 

 三人娘が露天風呂で、祐樹が孝治の家の風呂場で身の汚れを落としている間、孝治は書類を持った誠と見合いながら、言葉を交わしていた。

「んで? その男子ってのは、結局未遂なわけだ?」

「だろうな。雨事態は、怪奇現象、っていうには条件が整いすぎていたな。夕立が多いし、最近はゲリラ豪雨が多いからな」

 不在の間に起きたことを話しながら、孝治は適当に答えながら身体を動かす。家畜小屋の中に溜まった排泄物を掃き出しながら、新しい藁を敷いて、牛達を外に出して行く。

 最後の一頭を外に出したところで、孝治は振り返った。

「確かに規格外な夫婦だったけどよ、流石にありえないだろ? 此処がそういった場所なんて話は聞いた事無いし、怪奇現象だって起きたこと無いぞ?」

 孝治の言葉に、誠も唸る。

 確かに、放火しようとした男子のライターを消したのは、通り雨のような感じもあった。タイミングが絶妙だったとはいえ、起きた現象が天災である以上、確証は無かった。

 そこで、誠は頭を抱えた。

「調べただけでも過去二十年の間に、奇妙な噂と現象は報告されているんだが、其れが報告されているのはお前の親族の本家と、管轄の警察署だけだぞ? おかしいと思わないか?」

 誠の言葉に、孝治はまだ信じられないといった様子で、答えた。

「いや、何処にだって怪奇現象はある、って、徳が言ってたじゃないか」

 徳(のぼる)というのは、孝治の友人で警察になった人間だ。ちょくちょく話をする時に、本人も好きだということもあり、管轄部署の怪奇現象の話をするのだ。

 其の言葉に、誠は何度吐いたか分からないため息を、吐いた。やれやれと頭を抱えながら、書類を眺めつつ口を開く。

「言っておくが、この土地に人が集りすぎると、碌なことがおきないからな。それだけは、気をつけろよ」

「わかったって。つうか、片手間のレストランに、それほど集客率が在るとは思えないさ」

 孝治の言葉に、誠は頭を抱えた。

 【神隠し】自体は、この場所に人が集まった時に、起きる。その調査結果が出た誠は、気が気ではなかったのだ。

 孝治の料理の腕は、一流だ。決して飛びぬけているわけではないが、全てが高いランクでまとまっているので、顧客満足は高いはずだ。

 確証はないとは言え、ありえない話ではない。

 其れだけが、不安だった。

 

 

 

 

「つうわけで、俺は裏山の捜査をしてから帰っから」

 誠は、不機嫌そうにそういうと、裏山に歩いて行ってしまった。雪山に行くような重装備だったが、誠は「これぐらいは必要なんだよ」と孝治に答える。

 誠の不可解な行動は今に始まったことではないが、今回はさらにおかしい。怪訝そうに小首をかしげていると、声が掛かった。

「お~い、上がったぞぉー」

 やる気のなさそうな声と共に、箕郷が孝治の元に歩み寄ってきた。長いブロンドヘヤーをなびかせながら歩み寄ってきた箕郷は、孝治に向けて何かを差し出した。

 ブラシ。其れを手渡しながら、口を開く。

「髪、梳いてくんねぇ?」

 其の言葉に、孝治の眼がぱちぱちと動いた。

 

 

「案外、痛んでないんだな」

「お前、私を何だと思ってんだよ」

 牛達が牧場を食んでいるのを眺めている箕郷は、孝治の用意した木箱の上に座っていた。その箕郷の後ろで、彼女特有のブロンドヘヤーをブラシで丁寧にほぐす孝治の姿があった。

 箕郷が髪を梳かせる事自体、珍しい。とはいえ、何かの気まぐれなのはすぐにわかるが。

「これ、染めたわけじゃないんだな」

 孝治の言葉に、いつもより大人しい箕郷が、若干の逡巡の後、答えた。

「ああ、そうだな。クォーターかなんだか知らんが、遺伝でさ。別に不良じゃないんだけど、よ。この髪のせいで、どんな目にあったかどうか」

 適当に答えながらも、その言葉は、重かった。

 箕郷は決して、不良と呼ばれる存在では、ない。それは、ぶっきら棒で横暴な態度を取ることはあるが、根は優しい人物だと、孝治は理解している。

 髪を梳きながらも、孝治は彼女の長髪が、三つの段階で小さくなっていくのを、知った。髪の毛の先に行くにしたがって量が減っているのだ。

 其れに気がつかれたからなのか、もしくは其れを狙っていたのかは分からないが、箕郷が口を開いた。

「それよ、親に切られたんだよね。気に入らないって言われて、さ」

 其の時、孝治の手が止まった。その孝治を横目で見た箕郷は、脚を組みなおすと、今度は何気ない口調で、口を開いた。

「今はもう、違うところに住んでるけどさ、ひっでぇ親でよ。暴力は当たり前で、酒飲みばっか。ほんと、やんなっちまう――――」

 それ以上、言葉はいえなかった。

 言わせなかった。

 孝治は、箕郷の頭の上に、自分の手を置いた。突然、頭を押さえつけられて驚く箕郷は、孝治の腕を払おうとするが、孝治は全く引かず、そのまま口を開いた。

「――――綺麗な髪じゃないか。俺は、好きだぜ?」

 箕郷の動きが、止まった。其の彼女の頭をなでつけながら、孝治は口を開く。

「お前だって、そんなに悪い奴じゃない。分かってる。優しいし、面倒見もいい。………でも、俺は、お前のことを全部知っているわけじゃないんだ。お前も、な」

 孝治が前を向くと、箕郷が見上げていることに気がついた。その純粋な眼差しに、なぜか気恥ずかしくなった孝治は、頬をかきながら続ける。

「だから、教えてもらえたらなァ、って思うぜ? お前がどうやって生きたくて、どうしたいのか。………過去の事は変えられないけどさ、今や未来なら、まだ変えられるだろ?」

 その、孝治の言葉に、眼を見開いていた箕郷は―――――。

「ロリコン」

「ぶっッ! 何だそれッ!?」

 ぶっきら棒に振り返りながら放たれた其の言葉に、孝治が噴出し、非難の声をあげる。其れを背中で聞きながら、箕郷は確かに、笑っていた。

 なにやらまだぶつくさ言っている孝治。少し笑った箕郷は、木箱の上に立つと、怪訝な表情で見上げている孝治へ。

「――――あんがとよ」

 孝治の額をペシッと小突いて、木箱から飛び降りた。額を小突かれた孝治は、体勢を崩して尻餅をつくが、フッと呆れたような笑いが、込み上げてきた。

 丁度其の時、晴海と真理が一緒に戻ってきた。孝治と箕郷を見た真理は、弾かれたように駆け出し、晴海はあきれたようにため息を吐く。

 真理はそのまま、孝治へ抱きつく。その衝撃を一身で受けた孝治は、そのまま真後ろに倒れ、後頭部を強打した。

「コーチ! 髪を梳いて♪」

「突っ込んでくる必要があるかッ!?」

 ぺいっと、真理を近くの牧草へ放り投げる。軽い悲鳴をあげながら牧草の塊に投げ込まれた真理をおいて、孝治は腰をさすりながら、立ち上がった。

「………バカ」

「また脈絡も無しに馬鹿にされてんのかッ!?」

「コーチ、酷いよぉ」

 

 

 結局は、こんな流れよ。

「ま、いいけどな」

 孝治の奴に真理が纏わり付いて、晴海が呆れたようにため息を吐く。

 自分の過去なんざ、どうって事はない。突然そんなことを言い出した自分に驚きはしたものの、こいつにとっては、気にしないことなんだよな。

 優し過ぎんだよ、ったく。

「俺のが中途半端だろうがッ!」

 だから、楽しいんだから。

「け、蹴るな!」

 こいつと一緒にいるのが。

 ………年上、だよな?

 

 

 

 


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