どれくらい進んだのだのだろうか。

「暑い………」

 滝のように流れる汗と、真夏の日差しで体温を急激に増強させられ、湯気すら立っている。それらをタオルで拭いながら、孝治は背筋を伸ばした。

 後ろを振り返れば、薙ぎ倒された草木の道が、続いている。真っ直ぐ直進してきたので、この向こう側に家があるはずだ。

 しかし、本当に草木は深い。草木の道の先が小さく点になっても、まだ続いていた。

 不意に、感触が無くなる。訝しげに思った瞬間、振りだした足の脛に、何かがぶつかった。

 激痛。弁慶の泣き所と言われる、その脛の痛み―――それを抑えながら、見上げた。

「………ログハウスか」

 目の前に立っているのは、丸太を積み立てて作ったようなログハウスだ。劣化しているようには見えず、意外としっかりとした造りなので、壊れてはいないようだ。

窓に張り付いている落ち葉を振り払い、中を覗く。酷く荒れてはいるが、どうやら腐食はしていないらしい。

入り口は、コンクリート製だった。

一段上がった場所は木製で、そこから先、左手はキッチンと台所、右手はトイレとお風呂、そして二階へ続く階段と、ロッジらしい、質素な内装だ。

 木製の扉を、開ける。中は真夏なのにひんやりとして、クーラーはいらなそうだ。

 凄い埃ろやや湿っている以外、特に住めないわけでは無さそうだ。少しだけ安心しながら、家の中にある窓やドアを全てあけた。ひんやりとした室内の空気と茹だるような暑さが入り混じった空気に、苦笑した。

ただ、高まる高揚は押さえられない。子供の頃に感じた、秘密基地のような高揚感を覚える。

「きっとこんな生活をするのも、俺ぐらいなんだろうな。ふふふ。そして、某貧乏番組で紹介されてウハウハ(?)だ。ふっふっふ」

 訳のわからない事を言いながら、元来た草木の道を往復し始める。とりあえず、家の中とはいえ汚れが目立つので、家の広い土手でテントを組み立てた後、その中にしまった。

 バンダナと掃除道具だけを残し、テントの入り口を閉める。バンダナを頭に巻き、宣言した。

「よし、大掃除だ!」

 気合だけは、十分にあった。

 まず、家の中に合ったバケツへ水を入れ、豪快にぶちまける。モップで汚れた床を、力強く洗い上げた。

 その後、綺麗に水で洗い流す。さすがは牧場のログハウスだけあり、排水性は完璧だ。

 次は、床をワイパーで拭く。一メートル進んだ所で真っ黒になるほど埃だらけだったが、何故かリビングは埃が少ない。よく見ると、人が居た形跡もある。

「不法侵入か? ったく、これからはそうはいかないけどな。」

 数十年開けといた家だ。不法侵入を訴えても、今さらだろう。

 家の中の掃除が終わる頃、外は赤く染まり始めた。腕時計―――今では珍しい、対ショック仕様光彩腕時計だ。温度計や湿度計、さらには日にちまで分かる便利なものだが、生憎と使ったのは今日が初めてだ。

 時刻は、七時。気温は二十三度を指していた。

時計を見て思い出したのだが、今日は七月七日、未だに初夏だ。日時すら忘れているとは、自分でも恐れ入る。

 晩御飯をどうするか、考えていなかった。この辺りにデパートやコンビニなど便利なものは無い。ずっと向こうに、商店街があるぐらいだ。

 自転車も車も無い。運転免許証はあるのだが――――今の状況で、食料を調達するのは難しいだろう。

 いろいろと考えているときだった。

 突然、ガタッと扉が開くと―――――一人の少女が立っていた。

 

学生服を着ている背の低い女子。短く、艶の在る黒い髪の毛と、三白眼といわれる眼をした、恐らく、女子中学生ぐらいの少女だった。

 

彼女は孝治の方を一瞥すると、気にした様子も無くそのまま部屋の、埃が妙に少なかった椅子に座り、自分の持っていた鞄から本を取り出すと、読み出した。

 そのまま、数十秒――――ナチュラルな時間が流れた。

 しばらく眺めた後、孝治は眉を潜めた。

 

(あれええええええ?)

 

 なんともごく自然に、さらにいえばあまりにも自然すぎてそのまま流そうかとも考えたが、ついさっき決意した手前、見逃す事も出来なかった。

「おいコラ」

 手に持っていたモップのもち手を、彼女の頭に振り下ろす。コツン、という軽い音と共の数十秒後、彼女が驚きの視線を向けた。

「何驚いてんだよ」

 そう言い放ち、モップを肩に担ぐ。驚きの視線を向けている彼女へ、とりあえず怖い(と自分では思う)視線で、告げる。

「お前か。昨日まではどうだったか分からなかっただろうが、今日から所有者が居るのだから、諦めて帰れ」

 恐らく、昨日までここを使っていたのは、彼女だろう。一人でここに来るのは不謹慎だ、と思うが、まぁ、最近の(自分もだが)若者の考えることは分からない。

 しかし、彼女はそのまま不機嫌そうに顔を歪めると、口を開いた。

「本を読みたいのに」

「不法侵入だ」

 そう言いながらも、彼女の雰囲気が変な事に気がついた。どこか、浮世離れしている大人びた雰囲気―――――見た目では、中学生も行かない子供だ。

 その時、孝治の腹が盛大に鳴った。格好をつけていた手前、その大きな音を聞かれると、物凄く恥ずかしく思う。

 それを聞いていたのか、彼女は自分の鞄を引っ張り出し、その中から何かを取り出す。それを孝治に渡して、小さな声で告げた。

「これをあげるから、ここにおいて」

 それは、弁当箱だった。

 

 

 彼女の名前は、東野 晴海、というらしい。

近くの大きな学園の中等科に属している女の子らしい。家はこの近くで、十年ほど前にここの家に気が付き、学校から帰って真っ直ぐこの場所に来るのが日課になっていたそうだ。

その証拠に、彼女があけた貯蔵庫(椅子の下にあった!)の中には、彼女の本がぎっしりと入っていた。

 もぐもぐと口を動かす。量としては物足りないが、真夏に近い今日では、ちょうど良いのかも知れない。意外とファンシーな柄の弁当箱のふたを眺めながら、口を開く。

「んで、家に人は居ないし、ここは涼しいからよくいるわけだ。ふ〜ん」

 前の席でずっと本を読んでいる彼女を見ながら、弁当箱を突付く。何でも彼女が作ったらしいが、まぁ、無難といった所か。

 最初に驚いていたのは、彼女に友達があまり居ないから、らしい。どうしてか、と聞いても彼女は教えてくれなかったのは、きっと話したく無いからだろう。

 最後の一口を入れると、ゆっくりと飲み干す。弁当箱を持って、台所へ向かった。

 綺麗に洗い、布巾で拭く。それを片付けた後、彼女へ弁当箱を渡した。

「美味しゅうございました」

「………どうも」

 弁当箱を受け取り、晴海は鞄に弁当箱を片付けた。そのまま本へ視線を落とす晴海――――何でも、凄く面白いらしく邪魔して欲しくないらしい。弁当を貰った手前、何も言えないので、とりあえず声をかけた。

「んじゃ、家を片付けるから、帰るときぐらい声をかけてくれよ」

 こくり、と頷く彼女を置いて、孝治は梯子を登っていった。

 

 

 

 どれ程経っただろうか。自分は集中すると周りが見えなくなるので、彼女の声が聞こえていなかったのだ、と思っていた。それに、彼女の声は小さく、絶対に聞き逃していたと思う。

 しかし、違った。晴海はまだ、そこに居たのだ。

 ゴミ袋(ほとんどが落ち葉と埃)とモップ、ほうきを担いで梯子を降りたところで、彼女の姿があった。同じ姿勢、同じ場所で静かに本を読んでいる晴海――――孝治は、感心した。

「そこまで夢中になれることがあっていいな」

 そう言いながら、彼女に近付く。晴海は、孝治の言葉に気が付いて顔をあげ、口を開いた。

「終わったの?」

「まぁ、な。今から荷物をあけるところだ」

 そう言いながら、自分の腕時計を見る。そして、絶句した。

「お、お前! 十二時だぞッ!? もうッ!」

 慌てる孝治とは対照的に、彼女はゆっくりとした動作で自分の腕についていた時計を見る。十二時だというのを確認した後、本を閉じ、椅子を降りた。

 椅子をどかし、収納庫を開く。そこで、ジッと孝治を見ていることに気が付いた。

 彼女の言いたいことを察し、苦笑する。少し呆れた口調で、告げた。

「いいぜ、置いておいても。俺もこの辺りがよく分からないからな、今度教えてくれるなら」

 孝治の言葉に驚いた様子だったが、小さく頷くと彼女は本をしまい、鞄を持つと小さくお辞儀をし、出て行った。外は既に暗いが、月明かりが外を照らしているので、十分だろう。

 彼女の背中を見送った後、孝治は家のドアを閉めた。

 

 

 

 

 

 七月 八日。

 孝治は、朝から起きだしていた。昨日はかなり疲れたので、熱帯夜でも熟睡し、清々しい朝を迎えたのだ。

 お店を探すにも、昼の十時ぐらいまでは時間がある。なので、まさに森のような草木を刈ることから始めようと思う。

「………しかし」

 手元に在るのは、遊び半分で買ってきた鎌一本。

 目の前に広がっているのは、土地の権利書によると、約3ヘクタール―――およそ、3万uの広さだ。

 たしかに、広い。しかも驚いた事に、目の前に在るのはイタリアンライグラスを曾祖父さんが品種改良した(らしい)、雑種。

本物のイタリアンライグラスは1mぐらいしか伸びないのに対し、目の前のは3mある。頑張りすぎだ、曾祖父さん。

 見ず知らずの曾祖父さんに殺意を抱きながら、根元から刈り切る。これを干しておけば、冬でも家畜の餌になるので、重要だ。

 真夏の炎天下、地味な作業は、続いた。

 途中、何度も水を飲みにいって、ようやく外に続く通路が出来上がった。来た道を眺め、頑張ったなぁと実感しつつ、タオルで顔を拭く。

「おっと、もうこんな時間か。さて、行くか」

 ふっふっふ、と不敵に笑う。それは、ある副産物にあった。

 目の前に佇む一台の影。

なんと、牧草地に突っ込んであった自転車があったのだ! 意外に新しく、黄色のシールも張ってないうえ、識別コードを焼き消してあるのをみると、借りパク(犯罪です)した奴だろう。しかも、組織ぐるみなのは、想像に難くない。

 分かっていながら、頷く。

「どちらにしろ、家の敷地に乗り捨てる奴が悪い。俺は被害者なので、これに乗っても問題無いわけだ」

 勝手に納得し、家に戻って行った。

 シャワーで汗を流し、着替える。財布と携帯電話(未だに充電を終えていない)を拾い上げ、そこで気が付いた。

「水道管と電気、あけてもらわないと」

 そう呟きながら、引越しする前に手続きを終えていたことを思い出す。さらに、七月 八日に立会いに来るといっていたのも、思い出した。

(………確か、夕方だったはず。うん、そういうことにしておこう)

 勝手に決め付け、陽気に家を出て行った。

 

 

 

 道中は、奇妙な光景といったほうがいいだろう。

 目の前に広がる田園。

区切るような細い川を境に、高層ビルが立ち並んでいる。のどかな田園風景から一変しての都市の風景―――まるで、田舎に都心が突然現れたような風景だ。

 自転車で商店街を探す。駅前商店街を見つけると、自転車を止める。

「さて、とりあえず農協に顔を出さないとな」

 牧場を開く(正確には、牧場兼レストランだが)手続きは終わっていたが、一度本部に顔を出して欲しいといわれたのだ。年金の積み立てだか何だか面倒臭そうな感じはしたが、とりあえず無視する事は出来なかった。

 商店街の人に聞くと、農協の事務所は商店街の入り口にあるビルの三階らしい。溜め息交じりにそのビルと思わしき建物へ向かった。

 階段を登り、事務所のチャイムを鳴らす。「どうぞ」という女性の声で、ドアを開けた。

「失礼します。今度、そこで牧場を開く事になりました、森繁です。顔見世に参りました」

 素直な言葉を並べ、部屋に入る。そこで、自分の眼を疑った。

 一言で言えば、質素な部屋。何も無い部屋にステンレス製の棚と机が置いてあり、山積みの書類が物理法則を無視して乗っている。

 凄いな、と思っていると、声をかけられた。

「昨日、お電話を頂いた飯沼 茜です」

 そう言って顔を出してきたのは、予想に反して若い女性だった。白いワンピースに、黒い服を来た黒髪の女性―――歳は、同じぐらいだろうか。どこかおっとりした空気を感じている。

 彼女―――飯沼といったか―――は、優しく微笑むと告げた。

「あら、思った以上に若い人ですね。お年は幾つですか?」

「あ。………去年、二十歳になりました」

 見た目とは違い、かなりしっかりした人のようだ。「あらあら」と言いながら孝治を中に入れると、彼女は給水室に消えた。

 周りを見るが、彼女以外の人間がいるようには思えない。ただ、肌寒いほどクーラーが付いているのが気になった。

 彼女は、真夏なのに熱い御茶を入れてきた。それを置きながら、口を開く。

「どうです? この町は?」

「ああ………いえ、昨日来てから全く出ていないんですけど、不思議な所ですね」

 田舎と都会が混沌と存在する町。不思議な所、という孝治の言葉は、実に的を射ている。

 彼女は、少しだけ困ったような表情で、告げた。

「それは、ですね。田園地域は森繁さんと………・言い方は悪いのですが、部落の人達の土地でして、手放さないんです。私としては、昔の情景が残っていて、好きなんですけどね」

 何でも、この土地で一番の大地主が、否が応でも土地を譲らなかったらしい。大地主なのだが、お金持ちというわけではなく、部落の人には無償で土地を渡しているそうだ。

 大地主の名前は、五十嵐 五十六――――

「って、おじさんかよ!?

 昨日、トラックで荷物を運んでくれたおじさんが、あの辺りの土地を持つ大地主ということを、初めて知った。

 彼女は、言葉を続ける。

「それでも、五十六さんは年ですからね。それに、十数年前に養女を引き取ってから、あの辺りでも風当たりが冷たくて」

「養女?」

 それは、初耳だった。五十六じいさんとは元旦等に顔を合わせるが、養女を連れてきたことは一度も無い。自分に合わせたくない、という事なら、それは正しかっただろう。

 しかし、気になった事がある。無償で辺りに土地を貸し出している五十六じいさんの風当たりが冷たくなった――――いったい、どういうことなのだろうか。

 考えても分からないので、実際に聞いてみた。

「どうしてですか?」

 初めて、茜の顔が曇った。しばらく悩んだ後、口を開く。

「それが………流産するはずだったお子様だったんですが、無事生まれたんです。ただ、感情欠損、というのでしょうか? 喜怒哀楽が顔に出ないお子様でして………熱心な教徒であるご両親が………悪魔に憑かれたといって」

 言葉を、濁した。そこで、何となく予想はつく。

 教徒が神の加護を深く信じているのは、世界でも共通だ。奇蹟、というのもあるかもしれないが、医学で治るものも手を出させない、という事も起きている――らしい。

 露骨に顔をしかめていると、彼女が口を開く。

「そのせいかもしれないですけど、彼女、【孤独姫】なんていわれているんですよ。私は、この町生まれではないし、趣味も合いまして、仲がいいんですけど………。よろしければ、なのですが、仲良くしてあげてくれませんか? 都会化していますが、意外と閉鎖的な町でして」

 飯沼の言葉に、孝治は。

「俺でよければもちろん! 女の子と仲良くなれるなら、いくらでも!」

 即答する。

「よかった」と安堵する彼女へ、孝治は眉を潜めた。

「それで、なんていう名前ですか? その子」

 孝治の疑問に、彼女は笑顔で頷いた。

「東野 晴海さんです」

 数秒の沈黙の後――――――――

「ええええええええええっ!?

 孝治の叫び声が、事務所に鳴り響いた。

 

 

 

「そうだったんですか〜〜〜〜〜。彼女らしいですね」

「はは………」

 事の経緯を説明すると、彼女は安堵したように息を吐いた。突然叫んだ恥ずかしさを誤魔化すように、というより最初の来訪の目的を忘れていたので、口にした。

「それで、ほかの役員さんは?」

「え? あ、はい。私以外は市場で働いているので、事務は私だけです。皆さんは、商店街のお仕事を兼用していますので、そのうち会う事になりますよ」

 その後、雑談をしてしばらくした後、事務所を後にすることとなった。すっかり仲良くなり、見送りを受けた後、商店街を回った。

 主要な役員の店を回り、顔を合わせる。中には、出逢った記念とか何とかで、いろいろと食品や商品をくれた。

 いろいろあり、家に戻ったのは夕方五時だった。無論のこと、鍵など閉めていない―――――晴海が、本を読みながら座っていた。

 あまりに自然すぎて、机の上に荷物を置くまで気がつかなかった。

「………驚かない自分が居るのが怖い」

 涙(?)を流している孝治へ、珍しく彼女が声をかけてきた。

「これ」

 そう言って差し出されたのは、たくさんの書類。中を見ると、水道局と電力会社の申込書と銀行振り替え用紙等、今日立ち会うはずのものだった。手に持って固まっていると、彼女は事も無げに言った。

「………私が、立ち会ったから」

 そのまま、席に座って本を読む晴海に、孝治は小さく言った。

「………有難うございます」

 コクン、と彼女は頷いた。

 

 今日は、材料がある。

部屋の片づけが終わり、晩御飯にしようと思っていた頃、最初にそう考えた。御飯があるわけではないが、麺料理を作ろうと思っていたので、問題はなかった。

 晴海は、もちろん居る。相も変わらず本を読み、少し経つと本を捲る音だけが響いていた。

 が、机の上を見て、食事を作ろうとしていた手が止まった。

 机の上には、弁当の包んである入れ物が二つ。それに気がついても説明をしない晴海へ、声をかけた。

「あの〜………もしかして、俺の分?」

 孝治の言葉に、彼女は見向きもせず、顔色一つ変えず頷く。何故、と思い聞くよりも早く、彼女の小さな声が聞こえた。

「本を置いてくれるから」

 なるほど、分かりやすい。

 とはいえ、調理師免許を持つ孝治にとっては、如何な物なのだろうか。親切だといえばそうだが、彼女も忙しいだろうし、言っておく事にする。

「ありがとう。でも、今度からは自分で作るから、大丈夫だよ」

「そう」

 何の感情も―――少しだけ不機嫌になるとか、怒るとか――――微塵も見せず、彼女は言った。期待していなかったとはいえ、冷たい対応だった。

 とりあえず今日は、彼女の弁当を突付く事にする。小さい冷蔵庫(自炊はこれで十分である)をキッチンに置き、買ってきたものや貰ってきたものを入れる。飲み物として牛乳を取り出すと、振り返った。キッチンの入り口から辛うじて見える彼女へ、声をかける。

「牛乳飲むか? 一緒に喰っちまおうぜ」

「うん」

 彼女の分のコップを運び、席に着く。本を閉じ、テーブルへ真っ直ぐ座っている彼女に、それを渡した。

 対面に座り、自分の箸を取り出し、言った。

「頂きます」

「………ます」

 奇妙な食事が、始まった。

 

「そういえば、今日茜さんに会ったぜ。お前をよろしく、だそうだ」

「そう」

 もぐもぐ。

「中々上手いな。このからあげ」

「そう」

 もぐもぐ。

「………………」

「………………」

 食事の風景は、こんな感じだった。気まずいと思って会話を切り出しても、彼女は全く話を広げてくれる気配も無い。自分勝手だと思いながらも、食事をしてまったく楽しくない異性というのも、珍しい。

 とはいえ、居心地が悪いわけではない。それも彼女の雰囲気なのだろうと、勝手に解釈していた。

 よく見ると、彼女の眼は色素が薄い。彼女に聞いたところ、別に問題は無いそうだ。

 無言の食事が終わり、弁当箱を洗い終わった後、また掃除が始まった。といっても、後は窓だけだ。

 窓を拭いていると、外が段々と暗くなる。外に広がるイタリアンライグラスの海を眺め、明日は忙しいな、と考えていた。

 ふと、思い出した。

「そういえば、お前五十六じいさんの養女なんだってな」

 初めて―――最初に見た時の驚きとは比較にならない驚きを見せた。異常なまでに警戒する彼女へ、孝治は逆に驚き、両手を振りながら首をふる。

「違う違う。五十六じいさんは俺の知り合いだから、さ。茜さんに聞いて、な」

「………そう」

 ようやく、彼女の顔から警戒の色が消えた。安心したように視線を本に降ろすと、また読書に意識を映した。

 五十六じいさんが嫌われているとは、考えづらい。あのじいさんは、言っては悪いがうちの親戚の中でもっとも良識を持っている。しかも、五十六じいさんの伴侶であるキミエばあさんは、浮気などしたらじいさんを殴り殺してしまう。

 話題を変えるように、口を開く。

「ああ〜〜〜〜、良ければ、なんだけどさ。明日、五十六じいさんに草刈機を貸してもらえるように言ってもらえないか? ああ、出来ればでいいよ」

 孝治の言葉に、彼女は少しだけ思案する素振りを見せると、口を開く。

「わかった」

 そして、彼女は十二時まで家に居座った。

 

「………送らなくても大丈夫なのか」

 コクン、と頷き、そのまま家を出て行く。送らない、とはいっても少しだけ不安なので、牧場の敷地までは彼女を見送った。

 ザァ―――――――

 一陣の風が、牧草を揺らす。夏だが、この辺りは水田が引いてあり、確かに涼しい。

 牧場の入り口で、彼女の背中が消えるまで見送り、孝治は何も言わず家へ戻った。

 孝治自身は、奇妙な友達が出来たな、と考えているだけだった。

 

 

 

 


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